■阿佐ヶ谷住宅とは?
阿佐ヶ谷住宅は、杉並区成田東にある全戸数350世帯の日本住宅公団の分譲型集合住宅である。地上3〜4階建て鉄筋コンクリート造の118戸と、地上2階建てテラスハウスタイプ232戸(陸屋根タイプと傾斜屋根タイプが混在※1)で構成され、うち傾斜屋根型テラスハウスの174戸は前川國男建築設計事務所の設計による。1958年(昭和33年)竣工と同時に入居が始まり、2006年冬に再開発される予定。現在は空き室も多く、350世帯のうち160世帯ほどが入居している。築47年(2005年現在)。


※2009年春現在のスケジュール(見込み)は、再開発のページをご覧ください。


■日本住宅公団
1955〜1981年(昭和33〜50年)。当時は高度経済成長期を前にした時代で都市への人口流入が進み、住宅の絶対数が不足していた。そこで、中堅所得者向けに都市及び近郊で良質な住宅を供給することを目的として設立された。阿佐ヶ谷住宅は日本住宅公団設立から3年後に竣工した初期の物件である。

その後公団は、1981年に宅地開発公団と合併「住宅・都市整備公団」となる。1999年には「都市基盤整備公団」と改名。都市基盤整備公団は2004年、地方振興整備公団の一部と合併され「都市再生機構」の名称のもと、独立行政法人となり現在に至る。

日本住宅公団からつくられてきた数々の公団住宅は、賃貸住宅と分譲住宅があり、賃貸だけで約77万戸(うち昭和50年までに建設された賃貸住宅は約54万戸)ある。現在は「旧公団住宅」※2と呼ばれ、都市再生機構に承継されている。


■設計者
設計は、発足したばかりの日本住宅公団の設計課が行う。昭和30年頃の日本住宅公団は、これまでにない新しい団地をつくるべく、若い設計者たちが多く活躍していた。緑あふれる配置計画は 「個人のものでもない、かといってパブリックな場所でもない、得体の知れない緑地のようなもの(=コモン)を、市民たちがどのようなかたちで団地の中に共有することになるのか」(津端修一)※3をテーマに、公団の設計課が行った。前述の通り、テラスハウスの一部を前川國男建築設計事務所が設計した、建築家と公団のコラボレーションの先駆的実例でもある。

○津端修一
1951年東京大学建築学科卒、前・日本住宅公団職員。アントニン・レーモンド、坂倉準三の事務所を経て、1955年日本住宅公団入社。阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの数多くの団地設計を担当。

○前川國男
1905年新潟県生まれ、1928年東京帝国大学卒。大学卒業後、渡仏してル・コルビュジェに師事。日本のモダニズム建築に大きく寄与した建築家。主な作品に「神奈川県立図書館・音楽堂」(1954)、「国際文化会館」(1955)、「東京文化会館」(1961)など。住宅では「前川國男自邸」(1954)や「阿佐ヶ谷住宅」(1958)の他、公団初の高層集合住宅である「晴海高層アパート」(1957/現存せず)の設計にも携わった。公団が中心であったとはいえ、同時期に、全く異なる形式(晴海=都市型高層集合住宅/阿佐ヶ谷=郊外型低層集合住宅)の集合住宅の設計を行ったことは興味深い。※4



※1 テラスハウスとは、各戸が専用の庭をもった連続住宅のことである。terrace+house(和製英語)。日本でいうところの長屋住宅、連棟住宅と呼ばれる形式。通常、平屋建てまたは2階建ての住戸で構造が一体であり、各戸に専用の庭がついている。

※2 現在、都市再生機構が運営している「旧公団住宅」は、「公営住宅」や「公社住宅」と混同されることがあるが、公団住宅は本来中堅所得者向けであり、定められた額「以上」の所得が無いと入居できない。公営住宅は公営住宅法に基づく低所得者向けの住宅であり、定められた額「以下」の所得でないと入居できない。また、都道府県では住宅供給公社が賃貸・分譲を行う「公社住宅」は、公団住宅と同じく一定以上の所得を持つ層を対象にしている。

※3 住宅建築1996年4月号、東京理科大学初見研究室「阿佐ヶ谷住宅物語」内、津端修一氏インタビュー参照。

※4 前川國男に設計を依頼した経緯はよくわからないが、世代こそ違えど、津端氏と前川氏は同じレーモンド事務所出身である。その当時の公団の設計課職員の中には、個人事務所や組織事務所所員との個人レベルの横のつながりがあったのかもしれない。

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