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李 英洙牧師のコーナー
 
 


                    
 CDアルバム「ああ、主よ我を」   
牧師紹介:李 英洙(リー・ヨンス)プロフィール
 1949年生まれ、在日韓国人2世として静岡市で成長する。高校時代にオペラ歌手の道を志
し、武蔵野音楽大学声楽科を卒業。西ドイツに留学し、80年には西ドイツ演奏家国家試験に
最優秀で合格、ディプロマを獲得し卒業する。在学中から北西ドイツ各地でオラトリオ歌手とし
て活躍し、好評を得る。その間に教会に導かれ、真理に目が開かれクリスチャンとなり、81
年、神の召しによって歌手から聖職者の道に転進する。 西ドイツのヴィーダネスト聖書学
院、東京の聖書神学舎を卒業後、85年大韓イエス教長老会(高麗派)宣教師として、静岡市に
て開拓伝道を開始し、静岡サミル聖書教会を設立。現在まで同教会牧師として奉仕してい
る。牧会のかたわら、巡回伝道者(シャイニングアロー・ミニストリー代表)としても献身、全国
各地の教会の伝道会・聖会に招かれ奉仕している。与えられた賛美の賜物とメッセージの二
刀流を駆使して語る福音は、多くの人の心を捕らえ、主のもとに導いている。2004年からは新たな働きとして、インナー・ヒーリング・ミニストリーにも取り組み、日本のリバイバルのために仕えている。著作として賛美CD「ああ主よ我を」と「闇をつらぬく光の矢へ(傷ついたインナーチャイルドの癒しと変革)」がある。
 2006年春より全国巡回伝道を計画しています。各地域でのプロモーション後援会を募って
いますのでよろしくお願いいたします。

牧師のエッセイコーナー

2009年8月

しばらく前に、国際スコ−レ協会の本を読んで、とても感動したことがありましたそれは「共感力」についての記述でした。共感されるとき、人は慰められ、癒されるだけでなく、自分の存在を肯定されたと感じることが出来るようになるということでした。共感されて初めて自分の存在に対する自信を持つことが出来るというのです。それを読みながら私もその意見に共感し、共感されるということがどんなに大切なことであるかを改めて確認することが出来ました。

 人が最初の共感に出会うのは親との関係です。子供にとって親の共感があるかないかは、その子の人生を左右する大問題です。まず最初に出会うのが母親の共感です。小さな赤ん坊が何かを感じ、訴えるとき、その訴えに対して母親が共感し、すぐに答えてくれるとき、赤ん坊は自分の存在を受け入れてくれる愛があることに安心し、自分の存在価値を認めることが出来るのです。また次に出会うのが父親の共感です。父親が自分をほめてくれて認めてくれるとき、その共感が子供に自信を植え付けます。

つまり親との会話、スキンシップの中で6歳くらいまでに沢山の共感を与えられた人は、心の安定した人格になることが出来るといわれているのです。

 しかし、残念ながら私達は色々な理由で充分な共感を肉の親から与えられなかったという悲劇に見舞われることがあります。そのために存在への自信や肯定感を持つことが出来なくなって、セルフイメージの低い、否定的なアイデンティティを持つ人格になってしまうことが多くあります。このような人格の根本的歪みを正して、私達が自信と肯定的アイデンティティを取り戻すために、天の神様が私達に遣わしてくださった救い主がイエス・キリストです。イエス様は私達の傷つけられた心のすべてを知っておられて、共感することが出来る「無限の共感力」をお持ちの方です。例えば「サマリヤの女物語」や「ザアカイ物語」がそのことを証明しています。周りの人々は皆、5回も離婚している女ややくざのような収税人を軽蔑し、近寄ろうともしませんでした。しかしイエス様は彼らにご自分から声をかけて、彼らの生い立ちに共感し、彼らの罪を犯してしまったせつなさに共感し、愛されたいという本当の思いに共感し、彼らに最も必要な愛を与えられました。

  私達の主イエス様は全ての人への共感者となる道を歩まれました。そしてその道を完成されるために、最も激しい傷つき体験としての十字架の苦しみを味あわれ、人類がだれも受けたことのない未曾有の苦しみを味あわれたのです。彼はどんな苦しみ、悲しみ、痛みに対しても、完全な共感力をもつ救い主になるために、貧しい大工の私生児として生まれ、差別と偏見・貧しさ・拒絶感・孤独感を体験し、最後には十字架のいけにえとなって父親から見捨てられる体験をして下さったのです。

 この様な慰め主イエス様が与えてくださる無限の「共感」によって、私達は人から受けた傷や親から受けた共感されなかった傷を癒すことが出来るのです。私も私の心を分かってもらえなかったことによって生まれた、すべての傷に対する深い同情と共感を、祈りのミニストリーの中で与えられたことによって、癒され、自信を回復し、否定的なアイデンティティから解放されてきました。

 この素晴らしい神様の無限の共感力による癒しと回復をまだ手に入れていない方は、是非その素晴らしさを味わって下さい。ひとりで静かな所に退いて祈り求めるのも良いでしょう。また私達の所に来て、祈りのミニストリーを通して、共感してもらって癒してもらうのも良いでしょう。どうか最も深いところにあるあなたの心の共感不足による心の傷を神様に差出し、共感の愛を満たしてもらいましょう。そして生きる自信と肯定的アイデンティティを取り戻しましょう。

 

2008年12月01日
  つい最近ひとつの本を読みました。その本の題名は「栄えに満ちた喜び」という題で、ロイドジョンズの本でした。彼は福音派の中で最も影響力のある神学者のひとりですが、その彼が「聖霊のバプテスマ」というテーマに真正面から取り組んで、素晴らしい結論を引き出していました。その結論とは全てのクリスチャンが「聖霊のバプテスマ」を受けて、変えられなければならないということでした。クリスチャンは信仰告白をして聖霊の内住を受けるだけでは不十分であり、聖霊のバプテスマを受けて、証しのできる力あるクリスチャンにならなければならないと書いてあったのです。彼のこの主張は少なからず、日本の福音派の中に波紋を広げるだろうなと思いましたが、私はこの本を読みながら、とても大きな喜びに満たされ、励まされました。

  というのは私の信仰告白の時をまざまざと思い出したからです。私は聖霊の促しによって、三日間の徹底的な罪の告白をさせられ、其の上で信仰告白に導かれましたが、其の時に私は聖霊の内住と聖霊のバプテスマを同時に受けたのです。それは私の人生を根本から変える出来事となりました。聖霊が私の上に下り、私は聖霊の臨在に包まれ、この上ない救いの喜びと平安に満たされたからです。そして其の中で伝道者となる幻(預言)を見させられたのです。其の時以来、私は力を受け、証人となり、伝道者となる道へと進むことができたのです。使徒パウロもダマスコでの3日間の改心の中で聖霊のバプテスマを受け、変えられましたが、私も同じように3日間の取り扱いの中で、聖霊のバプテスマを受けて変えられたのでした。
 
  ロイドジョンズは聖霊のバプテスマがどのようなものであるかについて、またどのように受けることができるかを詳しく其の本の中で解説していますので、これから折に触れて、その事を学んでいきたいと思いますが、皆さんも「聖霊のバプテスマ」を受けてほしいと心から思います。そしてそれを受けられるように求めてほしいと思います。聖霊のバプテスマ体験は十人十色で、これがそうだと言える決まった現象はありませんが、ある人は突然、異言の賜物が与えられて祈れるようになるとか、ある人は預言の賜物が与えられるとか、ある人は聖霊の圧倒的な臨在体験をするとか、ある人は救いの強い確信と平安が与えられるとか、ある人は喜びに満たされて霊の歌を歌うとか、様々な現象が伴います。そしてそのような現象を通して、自分の中に聖霊様が生きて働いておられる事を体験的に知ることができるようになるのです。神様は知識だけの力のないクリスチャンになる事を願ってはいません。聖霊のバプテスマ体験を私たちがして聖霊に満たされた力あるクリスチャンになることを願っておられます。どうか、すでに与えられている人は、更なる聖霊の満たしを求めましょう。与えれていない人や、信仰生活に力と愛がない人は聖霊のバプテスマと満たしを真剣に求めましょう。そのための重要な方法のひとつが嘆願の祈りであり、従順と献身の祈りです。

ルカ11:9〜13「求めなさい。そうすれば与えられます。・・・
とすれば、なおのこと、求める者たちに聖霊を下さらないことがありましょう.」

2008年11月01日
「互いにコーチングし合って建てあげ合おう」 

私達は互いにキリストの体の部分として、徳を高め合い、協力し合っていかなければなりませんが、その場合に必要なことがコーチング(建てあげ)の力です。それではコーチングをどのようにしていったらいいのでしょうか。それは次の3本柱を使っていけばいいのです。第一は傾聴です。第二は質問です。そして第三はフィードバックです。例えば悩みを抱えて苦しんでいる兄弟の所に行って、その悩みをよく聴いてあげることです。(実はよく聴いてあげるだけで多くの悩みは解決してしまうといわれています)そして、その悩みの実態を把握し解決の糸口を見つけられるようにするためによい質問をし、原因を見つける手助けをしてあげることです。そして肯定的、建設的フィードバック(反応)を返してあげて励まし、その人が解決へ向けて具体的行動を実行していけるようにサポートしてあげるのです。人は皆弱さを持っていて、自分ひとりの力では解決できないことも多くありますが、誰かの助け(コーチング)があれば困難な問題も乗り越えていくことができるようになります。ですから私達は互いに交わりを持ち、支えあい、励ましあい、助け合い、コーチングしあいましょう。ヨセミテ国立公園のセコイヤという木は高さ200メートルを越えるような大木ですが、根っこは3〜4メートルしかないそうです。普通ならそのような根の浅い大木はすぐに倒れてしまい、枯れてしまいますが、セコイヤの木は決して倒れません。なぜなら群生しているお互いの木がその根っこを横に張り伸ばして絡ませ合い、お互いの巨体を支え合っているからだそうです。同じように弱い私たちも一人では倒れてしまいますが、互いに集まり、横のつながりの中で支え合うことができたなら、倒れることはないのです。

「 また、互いに励ましあって、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。ある人々のように、一緒に集まることを止めたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」ヘブル10:24〜25

それでは更に具体的にコーチングし合う時に、必要な心構えを学びましょう。それは第一に建てあげる人のために祈ることです。次にいつも肯定的フィードバックをして励まし続けることです。次に必要なことが相手の責任の一端を共に負うということです。最後に大切なことがサポートし続けるということです。皆さん。私達は孤立してはいけません。孤立は信仰生活の破船を迎えることになります。礼拝を安易に休んだり、互いに交わることを止めたりしないで、互いの信仰の火を燃やし続けるために、いつも集まり、建てあげあい、励ましあい続けましょう。

 

2008年02月01日
2008年2月  「新しい世代に期待して、伝道しよう」

私は今までイザヤ49章の預言によって支えられてきましたが、今年はその中の17節から先の預言が成就する時なのだなと思わされています。何か新しい事が始まるなという予感の中で、そこに記されている「あなたの子どもたち、あなたの息子たち、あなたの娘たち」と言う言葉の意味は、文字通り私達の子どもたちの事を指しているのではないかと思わされているのです。つまり私達の次の世代の子どもたちが教われ、活躍する時がくるのだと、主が預言しておられると感じているのです。
このような導き必中から、私達の教会の今年のピジョンとして掲げさせてもらったものが、「若者への宣教にチャレンジしよう」というビジョンなのです。日本の多くの教会が今ひとつの悩みを抱えています。それが高齢化による教会の衰退化です。つまり世代交代がうまくいってない教会が多いのです。私達もまた将来その様な危機に見舞われる可能性があると思います。ですから今から、私達は10年後を見越して、若者への宣教にチャレンジしなければいけないと思います。それでは具体的にはどのようにしたら良いのでしょうか。以下に上げるポイントを押さえて、実行していきましょう。
まず第1に、幸い私達には、私達家族を筆頭にして着い世代を内に抱えている家族が多数あります。この若者達にまずはしっかりとアプローチしていくことができると思いますから、そこから始めていきましょう。まず私遠(特に親達)は彼らの為に真剣に執り成しの祈りを捧げましょう。彼らがこの世の誘惑から守られ、しっかりとした億仰を持つことができるように、そして次に彼らが主に献身して弟子となることができるように祈りましょう。私達が彼らのために祈りの輪を作って祈り求めていくならば、主は彼らを守って、良い信仰の継承者として下さるでしょう。
第2にすべき事は彼らの居場所を教会の中に作ると言うことです。交わりの場、活躍の場、楽しく磯べてたむろすることができる場を作るということです。今、月1回の中高生の食事付き土曜集会を行っていますが、このような場を私達が提供し、増やすことができれば、若者たちはそこに集まって来ることができると思います。またこのような場を彼らの活躍の場として提供し、積極的に彼らに参加してもらうように導けたらいいと思います。例えばバンドを作って賛美してもらうとかして、自分たちが用いられる場ができるなら、彼らは生き生きとしてくることができるめではないかと思います。
第3に大切なことは、私達が未熟で不安定な彼らを、暖かく竟守り、受け入れると言うことです。彼らは将来性を持っている、素晴らしい魂であるということを、決して忘れないで、現実の彼らの未熟さを肯定的に受け卑めていくことが必要です。彼らは福音に素直に反応することができる柔らかい魂ですから、少々の羽目はずしがあっても曝をつぷって見守ってあげることが大切なのです。今までに主のために多くの事を成し遂げた偉大な人々の多くは、皆、思春期に主への献身をした人々でした。つまり彼らは宝物の世代だと言うことができるのです。磨けば光って来る宝物の世代です。ですから私達は彼らを愛し、受け入れ、慈しんでいきましょう。
最後に私達は、教会外の著者達にもアプローチしていきましょう。春になって暖かくなってきたら、街に出ていきましょう。そして彼らと接触する方法を考えていきましょう。
他の教会でやっている「聞き屋」等も良いアイデアかも知れません。今、若者達は道を求めてさまよい、心が開かれています。ですから私達が彼らに手を差しのばすことができれば、彼らは主の元に来ることができるのです。勇気を出してチャレンジしましょう。

 

2008年01月01日
2008年1月 「地域に根ざした教会はこの世の希望」

年末断食聖会の時に「勇気あるリーダーシップ」という本を読むときが与えられまし た。シカゴで成功した教会をリードしているハイベルズ牧師が書いた本ですが、この本 を通して、多くのことを教えられ、点検させられました。
その中でも最も印象に残ってい る教えが「地域に根ざした教会はこの世の希望です」ということでした。地域に根ざして 教会がキリストの愛の命を広げていくならば、霊的暗黒の中にある地域の唯一の希望 になることができるというチャレンジは、私達の教会へ'のチャレンジだと感じました。
そこで新しい年を始めるに当たり、教会が成すべき使命を再確認して、スタートすることにしたいと思います。ピジョンとは「情熱をかき立てる未来図である」とハイベルズ師は定職していますが、「キリストの愛によって地域を救い、変えていくために教会は地域に根ざしていく」というビジョンを今年は持っていきたいと思います。
また同時に示された今年の年間聖句がイザヤ37:31でした。
その御言葉には「下に根を張り、上に実を結ぶ」とありますが、まさに教会の新しいビジョンにぴったりの聖句だと思います。地域に根を張り、キリスト愛の実を実らせることができればどんなにか素晴らしいでしょうか。教会員全員がこのビジョンを実現するための情熱を主に与えていただきながら歩めたら、きっと素晴らしいことが今年、私達の教会に起こることと信じます。
さて、このビジョンを輪に描いた餅で終わらせないで、実現に至らせる為には、何が必要でしょうか。まず第1に、デボーションの中で私達自身が神様の恵みの土壌にしっかりと根を張ることです。私達の信仰生活が恵みで満たされるために、信仰の根と祈りの根を深く広く張っていきましょう、
そして神様の愛の養分を吸い上げるのです。そして新しい幹(新しい革袋)を通して上に上に運んでいくのです。そうするならば自然と私達の木には良い実が実るでしょう。第2には教会員同士の交わりの根を広げていくことです。私達は直接的にデボーション(メディテーション)を通して主からの愛の養分を受け取ることができますが、問時に教会員同士の交わり(セルライフや癒しのミニストリー)からも愛の養分をいただくことですから孤立しないで、親しい愛の交わりを作っていきましょう。最後にセレブレーションの中で、群全体に臨んでくださる恵みと愛をいただくことも大切です。
霊的リーダーを通して、主は群に必要な愛の養分を与えて下さる方なのです。これらの三つの根を張っていくとき、結果的に私達は地域に根ざした教会としても根を張ることができるようになるのではないでしょうか。
教会がまずは愛のオアシスになり、旅人を持てなす泉を持つものになりましょう。そして次に地域の人々を持てなしていきましょう。主は教会が右も左も分からないでさまよっている地域の人々の道しるべになり、希望となることを蒙っておられます。この願いを実現するために、私達の教会も召されているのです