しばらく前に、国際スコ−レ協会の本を読んで、とても感動したことがありましたそれは「共感力」についての記述でした。共感されるとき、人は慰められ、癒されるだけでなく、自分の存在を肯定されたと感じることが出来るようになるということでした。共感されて初めて自分の存在に対する自信を持つことが出来るというのです。それを読みながら私もその意見に共感し、共感されるということがどんなに大切なことであるかを改めて確認することが出来ました。
人が最初の共感に出会うのは親との関係です。子供にとって親の共感があるかないかは、その子の人生を左右する大問題です。まず最初に出会うのが母親の共感です。小さな赤ん坊が何かを感じ、訴えるとき、その訴えに対して母親が共感し、すぐに答えてくれるとき、赤ん坊は自分の存在を受け入れてくれる愛があることに安心し、自分の存在価値を認めることが出来るのです。また次に出会うのが父親の共感です。父親が自分をほめてくれて認めてくれるとき、その共感が子供に自信を植え付けます。
つまり親との会話、スキンシップの中で6歳くらいまでに沢山の共感を与えられた人は、心の安定した人格になることが出来るといわれているのです。
しかし、残念ながら私達は色々な理由で充分な共感を肉の親から与えられなかったという悲劇に見舞われることがあります。そのために存在への自信や肯定感を持つことが出来なくなって、セルフイメージの低い、否定的なアイデンティティを持つ人格になってしまうことが多くあります。このような人格の根本的歪みを正して、私達が自信と肯定的アイデンティティを取り戻すために、天の神様が私達に遣わしてくださった救い主がイエス・キリストです。イエス様は私達の傷つけられた心のすべてを知っておられて、共感することが出来る「無限の共感力」をお持ちの方です。例えば「サマリヤの女物語」や「ザアカイ物語」がそのことを証明しています。周りの人々は皆、5回も離婚している女ややくざのような収税人を軽蔑し、近寄ろうともしませんでした。しかしイエス様は彼らにご自分から声をかけて、彼らの生い立ちに共感し、彼らの罪を犯してしまったせつなさに共感し、愛されたいという本当の思いに共感し、彼らに最も必要な愛を与えられました。
私達の主イエス様は全ての人への共感者となる道を歩まれました。そしてその道を完成されるために、最も激しい傷つき体験としての十字架の苦しみを味あわれ、人類がだれも受けたことのない未曾有の苦しみを味あわれたのです。彼はどんな苦しみ、悲しみ、痛みに対しても、完全な共感力をもつ救い主になるために、貧しい大工の私生児として生まれ、差別と偏見・貧しさ・拒絶感・孤独感を体験し、最後には十字架のいけにえとなって父親から見捨てられる体験をして下さったのです。
この様な慰め主イエス様が与えてくださる無限の「共感」によって、私達は人から受けた傷や親から受けた共感されなかった傷を癒すことが出来るのです。私も私の心を分かってもらえなかったことによって生まれた、すべての傷に対する深い同情と共感を、祈りのミニストリーの中で与えられたことによって、癒され、自信を回復し、否定的なアイデンティティから解放されてきました。
この素晴らしい神様の無限の共感力による癒しと回復をまだ手に入れていない方は、是非その素晴らしさを味わって下さい。ひとりで静かな所に退いて祈り求めるのも良いでしょう。また私達の所に来て、祈りのミニストリーを通して、共感してもらって癒してもらうのも良いでしょう。どうか最も深いところにあるあなたの心の共感不足による心の傷を神様に差出し、共感の愛を満たしてもらいましょう。そして生きる自信と肯定的アイデンティティを取り戻しましょう。 |