病理結果を聞きに行く時の心得

  1. 一人で行かないこと (少なくとも車の運転は控えたほうがいいと思います)
  2. 質問事項をメモしておく (ステージ、組織型、治療内容、治療期間、治療費、入院時期など)
  3. 可能ならICレコーダーなどで録音する
  4. 単語など、意味がわからないときは臆せず質問すること
  5. セカンドオピニオンのための「標本貸し出し」や「紹介状」をお願いする

[Link] 病気の真実を知ることの意味―インフォームド・コンセントとは(国立がんセンターHP内)

「告知」って言い方もどーよ...
管理人は地元の市立病院で2001年9月21日に、正式に子宮がん(子宮頸癌)と診断を受けました
それ以前の小林病院の婦人科の先生には、「癌の疑い」としか言われてませんでした。それで「市立病院で円錐切除を受けてください」と言われたので、市立病院の初診の時、先生に「円錐切除受けるように言われてきました」と言ったら、「必要ないかもしれないよ」なんて言うので少し安心していたら、次の診察でアッサリ「癌ですね」
・・・。オーイ話が違うじゃん!ってツッコミたかったんだけど、もちろんそんな余裕はなく、ただただ涙。その後の会話は下記の通り。

「太字」がDr.で、「デフォルト」が管理人です。(カッコ内)その他は管理人の心の中の声です。



「ぜ、0期ですよね?」

「いや、0期ではないですね。多分、1期ぐらいだと思いますよ。」

「じゃ、じゃあ子宮は?」

即答で「子宮は残せないですね」

・・・もう頭ん中真っ白。気が遠くなった。

「だって『円錐切除もしなくていいかも』っておっしゃいましたよね?」

キッパリと「5年生存率は80%です」

(そ、そんなこと聞いてないんすけど・・・)

ていうか、「にっ、20%も死ぬんですか!?」

「80%も治るんですよ」

(とてもそんな風には思えないんですけど・・・)

もうここで頭の中はパニック状態。心臓バクバク、耳ん中キンキン。
ってゆうか、円錐切除の説明聞いただけでも気絶しそうになったのに、それ以上の手術をするんですか?マジですか?!

ってか、わたし死ぬの・・・?
何の根拠もないのに、私は20%に入るに違いないと思い、猛烈に怖くなった。

「て、転移の可能性は?」

「たぶん大丈夫、だと思う」

(た・たぶんかよっ)

「こ、抗癌剤は?」

「必要に応じて使用します」

(・・・ヒェー!!ある意味オペより怖いんだけど。。)

「失礼ですが、先生は何回ぐらい手術の経験がありますか?」

「うーん、数え切れないです」

(怪しい・・・まだ若いし、絶対誇張だ。)

※この間はいろいろありました。下記参照。

「癌なら、がんセンターで手術を受けたいです」

「そのほうがいいと思います。紹介状書きます」

え"っ!
ちょっとは引きとめろよー。何回も経験あるって今言ったばっかじゃん!
・・・やっぱ自信がないんだわ。いそいそと紹介状を書いている先生。
「こちらの組織診の標本を持って行きたいんですけど」っと言ったら、「あ、いいですよ〜」と。
ホッとしたのか、やけに協力的でした。

・・・。

(2002.12.8追記)
そういえば途中、「しんじゅんしてますか?」って聞いたら、単語が聞き取れなかったのか、先生に、ハテナみたいな顔されて、あたしは勝手に「よかった浸潤してないんだ」と解釈したんだけど、実は浸潤してたんでした。あの時点で「浸潤してます」なんて聞いてたら、まちがいなく気絶してたと思います。あぁ中途ハンパな知識って怖い(私のことよ)。もっとしっかり予習しとくべきだったんだけど、「癌」とか「死」とかの文字が目に入るともう怖くて心臓がバクバクしちゃってまともに調べられなかったのよ・・・。



告知について
カーテンで仕切ってるだけの 、個室とも言えない外来診察のブースの中で、カルテ見るなり「癌ですね」なんてサラ〜っと言い放たれたくなかった。ドラマの見過ぎかもしれないけど、もっと神聖な場所で、神妙な顔で告知してほしかったです。今度生まれ変わったら、わたしに告知した先生に「あなたは癌です」と言ってやりたい、と思った。簡単に『癌』と言われたことにハラが立ったし、告知されたらどんな気分がするか、先生にも味わってもらいたい。と心底そう思った。退室した後、わたしは待合ソファーに座ってる全ての患者に対して、どこからともなく怒りの感情が涌いてきた。みな健康そうに見えた(もしかしたら中には癌患者もいたかもしれないけど)。主人が「ここでは泣くなよ」と言いました。だけど、見知らぬ人たちに気を遣う気になんかなれない。だから待合所のソファーで体を折り曲げてタオルに顔を埋めて泣いた。

インターネットで予習していたおかげで、夫同伴で告知を受けることができました。もし予備知識がなかったなら、うっかり1人で結果を聞きにいっちゃってたかもしれないっす。それは危険すぎ。
でもやっぱ婦人科と産科が一緒なのってマジいや。デリカシーなさすぎ。
よりにもよって私が告知されてた時、隣の部屋から赤ちゃんの心音が聞こえてきました・・・。私は子どもいますけど、もし未出産だったら精神的ダメージは(控え目に言っても)メガトン級だったと思う。

がんセンターで治療を受ける決心をしたのは、私の人生決断において大正解でしたね。
今振り返ってみて(2002.4.8)
まだまだ鮮明に思い出せます。でも少しはおちゃらけられるようになったかな。
まず思ったことは、ホントくだらないんですけど、その年の5月に、ヒザ下の永久脱毛1年コースを申し込んでたんで、(死んだら)もったいないじゃーん・・・とか、ほんとセコイ(笑)。あ、あと自分のお葬式用の写真まで引き伸ばしに行きました。コレです!! ホント、マジだったんです。セレモニーで流してもらいたい曲目までリストアップしてました。でもそれは決してムダではないと思う。だって人間、いつ何があるかわかんないですもん。
追記(2002.12.1)
私は細胞診のレベルが3aだったので、正直『希望』を持っていました。つーか3aは、癌になってる確率5%って記述を目にしていたので、『最悪でも0期だろう。それでも円錐切除するの怖いなぁ・・・』と。覚悟はしていたものの、楽観視もしてたんですよね。それが1期以上という判定。。。0期なら5年生存率100%なのに・・・80%!?。パンドラの箱に残っていた希望はあっけなく玉砕し、一気に絶望してしまいした。
5%というマイノリティーに自分がビンゴしちゃうと、いわゆる統計が信じられなくなります。本人にとっては「例外」じゃ済まされない問題ですから。

私は今回の癌で合計5回検査結果を聞きました。
  1. 細胞診(小林病院)>擬陽性
  2. 組織診(市立病院)>浸潤癌
  3. 組織診(国立がんセンター)>浸潤の深さが微妙(2期の可能性も)
  4. 円錐切除(国立がんセンター)>断面陽性
  5. 広汎子宮全摘(国立がんセンター)>転移なし
とくに2〜4は、先生方の見解より病理の結果が悪く、持ち上げられては落とされる連続でした。
ついでに言えば、癌を意識し始めてからの心境は、例えるなら、『強風に煽られ、深い谷底からはるか高いところにある細い細い釣り橋の上を、強制的に歩かされてる気分』かな。

あと、結果発表(告知)の前に、「癌かもしれない」と覚悟もしていましたが、そんなの何の意味もなかったし、何の役にも立ちませんでした。やっぱ想像するのと言われてみるのとじゃ大違いです。全然違います。実の親ですら、癌告知された心境は理解できない様子でした(理解する日は、こなくていいです

[News] がん治療、心のケア充実を

告知について、私見
(2002.12.9)
癌であることを本人に告げるのは良いとしても、医師はもっとデリカシーを持ってほしいと思います。ってゆうか、確定診断(ステージとか)が出た後に告知じゃダメなわけ?「あなたは癌です。でも詳しいステージはわかりません」じゃ、どこまで覚悟したらいいのか・・・。てか私は本気で来年の桜は見れないと覚悟しました。癌と闘う(治療する)よりもまず、「ホスピス*探さなきゃ」と真剣に考えました。
告知後に、医師がキチンとケアなりフォローなりしてくれたら、私は心身症にならなかったと思います。私は自分の告知のされ方に、大きな疑問を抱いてます。

あと、未だに納得いかないのが、(9月の時点で)「10月中には手術すべき」と言いつつ、カレンダー見ながら「手術は順番制で、10月は手術室が一杯で予約が取れない。」と、困った顔で言われたこと。
ハァ?言ってることおかしーよ先生。それって、病院の都合(順番制度)でアナタの手術が手遅れになるかもしれないけどご了承下さい、ってこと?ジョーダンじゃないって。

※以上のことは国立がんセンターでの出来事ではございませんのでお間違えなきよう。


*ホスピス・・・実際インターネットで探し出し、そのHPを夫に見せて「ここはどうかな?自宅から近いし・・・」と言ったら、「ちょ、ちょっとそれは早すぎるんじゃないの?」と苦笑されました。が、私は物凄く真剣でした。ちゃんと思考できる今のうちにキチンと決めておきたい。後で夫に、「あれでよかったのだろうか?」と悩ませたり後悔させたり、、という精神的負担はかけたくなかったからです。しかし夫は何をしても治すという決意があり、「アメリカで治療を受けたいのならそうしていいし、その為に家も土地も売ってもいいから」とまで言ってくれました。。。本当に感謝です。このご恩は一生忘れません。
ってゆうか入院仲間と19Fで雑談中「わたしマジでホスピスまで決めてきたよー」と言ったら、若い男の子に「ホスピスってなに?」と聞かれ、「い、いや、知らないんなら知らなくても・・・今の話は忘れて!(冷汗)」と逃げたんだけど、「いいから教えて」というので、意を決して「いよいよヤバくなったときに、積極的な治療はしないで、痛みをとってもらう施設。ターミナルケア。」みたいな説明したんだけど・・・こんな大雑把な説明で理解してもらえただろうか(冷汗)

(2003.11.11)
やっぱ、癌と判明した時点での(ステージ不明でも)告知賛成。治療前に癌だと知らなければ、癌専門病院にセカンドオピニオンにも行けないし。
告知について(その2)
今まで何も考えず「告知」という言葉を使っていたけど、良く考えたら「がんと診断された」とか「がんと診断を受けた」でいいように思います(2007.5.28)



リビング・ウィル(living will)
もし痛みが耐えがたくなったらセデーション受けさせてください。延命措置はしないでください。
あとは「エンディングノート」に記しておきます。

※「遺書」は告知後に何度も書こうと試みましたが、一行もかけませんでした。。

[News] 余命半年以内の患者への告知46%…初の全国調査

私が望むセレモニー(夫もしくは娘へ)
親族だけの密葬で簡単にシンプルに質素にお願いします。可能ならキリスト教で。
キリスト教が無理ならば、CD作成しておきますのでそれ流してください。もしCDが見つからなかったら、
  • The Memory Of Trees/ENYA
  • 久石譲のサントラ
  • フォーレのレクイエム
上記がもし手に入らなかったら超メジャーな明るめのクラシックをかけて下さい(モーツアルトとか)
知人に知らせるのは(やっぱ書くの怖い・・・)骨になってからがいいです。
あと衣装ですが、リカちゃん人形みたいなカッコさせてください(できればロココ調で。。。縦ロールのズラが手に入ればなお望ましい)。つけまつげもお忘れなきよう。あと白いシルクのロング手袋もよろしくです。ペディキュアも忘れずに(わらじはやめてね)。
ロココ調が無理ならば、PINK HOUSEか金子功かL'EST ROSEのお花柄フリフリワンピがいいです。その際マニキュアは勿論ネイルアートで(付け爪でも可)。ヅラは巻き髪でリボンもよろしく。
花は、白い花(できればクリーム色)の中にも濃い青や濃いオレンジ等、ミックスしてください。
スタイリスト、メイク要員、メイク用品および小物はすべて準備しておくつもりです。これは覚書というか万が一のガイダンスです。

2003年8月28日(気が変わったら即書き直します)
夫と娘へ
あななたちへのメッセージを家の中のどこかに隠しました
私に何かあったら探してください

2007年1月26日

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