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医系大学の系譜



国 公 立 私 立
●旧帝大
日本の最高学府として明治・大正時代に政府が設立した帝国大学が前身.終戦前の一時期には附属医専もつくられたが,戦後,新制大学になると同時に吸収された.伝統的に研究・教育機関の側面が強く,自校はもとより,他大学にも多くの教授陣を送り込んでいる.教授陣は,東京大学や大阪大学では8割超,他もほぼ7割を自校出身者で占める.
●私立御三家
研究優先の帝大に対し,臨床医養成を目指して設立され,大正期に大学として認可を受けた私立の名門.志望者からは「御三家」として知られ,2代3代のの卒業生も多い.教授の自校出身率は慶大が8割,慈恵医大が7割強,日医大が6割を占める.
●旧制医科大学
大正11〜12年に,それまでの医専から医科大学に昇格した.臨床を中心として設立されたため,以前は旧帝大から教授陣が送り込まれていたが,最近では教授の自校出身者率が6割ほどあり,他大学に教授を送り込む側にもなっている.
●旧医専
短期間で臨床医を養成するために,多くは第二次大戦中に設立された.札幌医科大学・福島県立医科大学・名古屋市立大学の前身は女子医専だったが,昭和20年代に3校とも共学になった.現在これらの大学の教授の自校出身者率は4〜5割.
●旧医専
戦前の臨床医養成の役割は医専が担っていた.私立医専は御三家を除き,戦後になって初めて大学に昇格した.基準を満たせず,廃校になった医専もある.女子医大・東邦大・関西医大は旧女子医専だったが,女子医大以外は共学化.教授の自校出身率は4〜5割.
●新設大学
医療の地域格差が問題になり,「1県1医大」を目指して1970年代の10年間に17の国立大学と,防衛庁直轄の防衛医科大学校が設立された.歴史が浅いこともあるが,自校出身教授は0〜6人程度にとどまっている. [News]国立大病院に「通信簿」 400項目の偏差値集計
●新設大学
国公立の歩調に合わせ,1970年代に私立16大学が設立された.高度成長期ということもあり,個人病院や専門学校,医療系短大等が母体となるケースもあった.教授の自校出身率は低く,自治医大の11人以外は数人にとどまり,0という大学もある.
集権,戦争,高度成長 国策で育った「医系大学」
一般の人にはほとんど区別がつかなくなっているが,現在80校ある医系大は,大別して「旧帝大」「旧制医科大」「旧医専」「新設国公立医大」「新設私立医大」に分けられる.その設立の経緯を追ってみると,いわゆる「学閥」の歴史が見えてくる.
明治以降の近代国家建設と軌を一にして,政府は帝国大学を頂点とする徹底的なピラミッド型教育体系の構築を試みた.医学に関しても,臨床より研究・教育を優先する帝大が,他の医師養成機関に教授陣を送り込む形をつくりあげ,統制した.
それに対し,臨床重視をうたって,現在の慶応義塾大学,東京慈恵会医科大学,日本医科大学が前後して設立されるが,戦前に大学として認可された私立医大は,その3校にとどまった.
軍備増強と領土拡大の流れの中で,政府は臨床医不足に直面する.その対策として,第二次大戦終結までの間に,短期間で臨床医を養成する多数の医専が設立された.
戦後,1947年に教育基本法と学校教育法が公布されると,一定の条件を満たした医専は新制大学に昇格し,医専は順次廃止された.形式上は旧帝大・旧制医科大学が,同等の「大学」になったわけだ.
その後,高度成長期を迎えると,地域医療拡充を目指し,「1県1医大」「人口10万人に医師150人」の掛け声とともに医大設立が相次ぐ.70年からの10年間には,国公私立合わせて34校が設立された.
どの医大も,教育環境と経営の問題から,ほぼ一学年100人前後の規模だ.それまでの46校が80校になったのだから,学生にとっては一気に門戸が広がることとなった.そのため,当初は学生の質や教育内容が疑問視されることもあった.
上の表の中で上方にあるグループは,下方のグループに教授陣を多数送り込んでいる.逆の場合もあるが,数は少ない.大学の教授陣が自校出身者ばかりというのが望ましいわけではない.しかし,新設医大のほとんどが,設立して30年になるにもかかわらず,自校出身教授が数人どまりというのは気になるところだ.

出典:いい病院2003 P136-7 織江理央