医者にかかる10箇条/あすなろ会/外来担当医

外来攻略術

  1. 質問事項はメモしておく(箇条書きでも走り書きでも何でも良い)
  2. 診察室に入ったら、まずは「こんにちは〜宜しくお願いします!」と大きな声で威嚇挨拶
  3. わからないこと、知りたいことは直接医師に質問する(診察料払うんですから)
  4. 大事なポイントはメモか録音(シッカリ聞いてるつもりでも、意外と覚えてないモンです)
  5. 最後に「ありがとうございました〜失礼します」と挨拶

[Link] 病気の真実を知ることの意味―インフォームド・コンセントとは(国立がんセンターHP内)

初診〜術前検査〜広汎子宮全摘まで
2001年08月29日(水)
子宮がん検診を地元の小林病院(娘を出産した病院)の婦人科で受けた。先生は「君の年齢(31歳)で癌はありえないよ」と仰ったが、「とにかくよく調べてください」と何度も念を押し内診台へ。で、内診が始ったらなんか緊迫した空気が。。先生は検査しながら「あれ〜?」とか「え〜?」とかブツブツ言ってる・・・。なになに何が見えたの?細胞診(スメア)は痛いし時間かかってるし、一体どうしちゃったの?
診察室に戻ってから先生に「ただのびらんですよね?」と聞いたが、「うーん、、」としか言ってもらえなかった・・・。そして「来週の水曜日に結果を聞きにいらっしゃい」と言われた。その日は私の誕生日・・・。
2001年09月04日(火)
明日は検査結果を聞きに行く日だ。今までの自覚症状を思い起こすと、ものすごく不安だ・・・。小林病院に電話を入れ「もし(子宮がんの)検査結果が出てるなら今日にでも聞きに行きたい」と言ったら、看護婦さんが多分その辺を調べてくれ、「まだ今日は来てないわ」との返事。なんだか普段よりも優しくて親切な雰囲気・・・怖いぞ。
2001年09月05日(水)
am子宮がん検診の結果を聞きに行った。そしたらまだ届いてないとの事。お昼頃電話で聞いてみたら、昨日の看護婦さんに「実はね、あんまりよくないのよ…」と言われた。ナヌー!?まじかよー!?よ、よくないって、どの程度なん??
私が大騒ぎしたら、石渡先生(慌てて受話器をひったくった様子だった)に「そんなに心配しなくて大丈夫だから。生理の出血が少なくなったらいらっしゃい」と言われた。もう心臓バクバク。
夕方、友人母子が来てくれて、私のバースデーパーティをしてくれた。バースデーケーキを見ながらウッカリ「来年もケーキ食べれるかな・・・」と言ってしまった。
2001年09月06日(木)
昨日はあんましピンとこなかったんだけど、さすがに今日は落ちた。やっぱり想像するのと、現実に「ガンかもしれない」と実感するのでは大違いだ。午前中、夫のPHSに何度も何度も電話して大泣きしてしまった。とにかく怖い。それで夫が小林病院に電話してくれて、先生から詳しく聞いてくれた。「がんの疑いがある段階」との説明に夫も相当ショックだったらしい。
それで、午後になって(生理の)出血が少なくなったので、小林病院に行って、いろいろ詳しく説明していただきました。細胞診の結果は3a(軽度異形成)。先生の診たてによると、「患部の見た目が、3aというより4に近い」との事。市立病院の紹介状を渡されて「明日にでも行ってらっしゃい」と言われた。明日!?そんなに急がないとダメなの?
家で勝手に紹介状を開封して、検査結果をスキャンニングしてしまった。異形成のところは、「軽度異形成」に○がついていた。
夫が心配してくれて早く帰ってきてくれました。沈んだり、ちょっと浮上したり、感情の起伏の激しい1日でした。

【重要】細胞診クラス3aから初期癌が見付かる可能性は5%です。

2001年09月07日(金)
今日は市立病院に紹介状を持って行ってきました。夫も会社を休んで付き添ってくれました。10時過ぎに受付を済まし、呼ばれたのが1時半過ぎ…待ってるだけで疲れた。
佐藤先生(当時の院長で、母が私を産んだ時、取り上げてくれた先生)にお願いします、って言ったのに、T島先生(32歳)だった。最初に尿採取で、次に内診。今日も細胞診された。体部からも採ってくれた。メチャメチャ痛くて大絶叫。あと組織診(バイオプシー/biopsy/生検/ねらい細胞診/パンチ)もした。昨日ネットで予習したのだが、この組織診、痛い人もいれば、無痛の人もいるらしい。私はハンパなく痛かった。なんかモニターの調子が悪かったらしく、複数の人がカーテン越しに「見えた」だの「見えない」だの言っていて、そして担当医師が「とにかく採っちゃいます」だって。。それからコルポ診もしたらしい。そんな単語も聞こえたし、お酢臭かった。先生に「もしガンだったとしても0期ですよね?子宮温存できますよね?」と聞いてみたら、「円錐切除するかどうかも検査の結果次第」と言われ、思ったより軽いような気がしてきた。でもネットの情報だと、{出血があるのは、がんが進行してから}という記述を目にしたんだけどなぁ…。
止血ガーゼを入れられ、「明日は休診だけどガーゼを取り出しに来てください」と言われた。結果は2週間後に聞きにくればよいそうです。よかった来週の沖縄旅行に行ける!!(台風のため飛行機欠航、しかも出発日にテロ勃発。旅行先は千葉になった・・・そこでCM撮影に遭遇しエキストラ出演)
2001年09月08日(土)
病院は休日だけど、止血ガーゼを取り出しに行って来ました。今日は女医さんで、かなりの美人だった。家に帰ると、やっぱり出血してた。鮮血だ。
2001年09月20日(木)
明日は結果発表。さすがに怖い。
2001年09月21日(金)
組織診の結果を聞いた。一瞬心臓がドキンと鳴った。それから心臓がバクバクした。その場で夫に寄りかかり泣き出してしまった。夫がいてくれて本当に良かった。「子宮がん(子宮頚部扁平上皮癌)」でステージは1aか1bぐらい。10月中には手術すべきで、子宮は全摘出。抗がん剤や放射線も必要に応じて。という結果だったので、「癌なら『がんセンター』に行きたい」と言って、紹介状を書いていただいた。組織診のプレパラートも頂いた。(あんな痛い検査は2度とごめんだし)
癌と診断されてから、心因性嘔吐が何回も出る。心拍も脈拍も呼吸も速い。試供品で取り寄せた、抗がん食品のアガリクス茸とかタヒボ茶とかを飲みあさった。私の実母が1本3000円のバイオアルゲンAを買ってきてくれた。あとグロスミン(クロレラ)も飲み始めた。さすがに夜は、寝つくことは寝つけたんだけど、夜中に何度も何度も目が覚めた。最初は1時間おきで、朝方は15分おきぐらいに目が覚めた。怖かった。それでも体は休息できたみたい。目覚めは良かった。
2001年09月22日(土)
目が醒めると不安で心臓がバクバクする。今日は娘の運動会。昨夜は大嵐だったので延期になるかと思ったのに・・・。とにかく異常に寒かった。娘の小学校初めての運動会を、こんなに辛い精神状態で迎えることになるとは・・・。

【アンケート】 がんと診断された翌日、あなたは何をしましたか?
2001年09月23日(日)
家族3人でおうちの大掃除をした。疲れたけど楽しかった。でも夕方、パニック症候群?のような症状が出た。首が苦しくて、呼吸が出来なくなるような感覚で、本当に怖かった。お風呂に入れば治るような気がしたのでお風呂に入ってみたら本当に良くなった。薬に頼るのには抵抗があったんだけど、精神安定剤(ソラナックス)を飲んで寝た。ぐっすり眠れた。
2001年09月24日(月)
今日は大雄山にお参りに行ってきました。麦めしが美味しかった。告知後はじめてまともに食べれた。お墓参りも行きました。夜は実家で私の大好物の、母の作るチャーハンを食べた。美味しかった。
2001年09月25日(火)
4:30頃目が覚めた。今日は国立がんセンター中央病院に実母と新幹線で行ってきた(予約ナシ/紹介状アリ)。
行きの7:20の新幹線は混んでいたので1人で座った。で、またパニック障害の症状が出た。怖かったけど、冷静に「大丈夫、この間も大丈夫だったんだから大丈夫」って言い聞かせて深呼吸した。新横浜の駅でとなりがあいたので母を呼んだ。
東京駅からはタクシーに乗った。けど車窓の景色を見る余裕も無かった。8:20に国立がんセンター中央病院に着いて、受付の整理券を取った。20番だった。問診表とか記入した。婦人科の待合室はメチャメチャ寒かった。で、11時頃呼ばれた。看護婦さんに「一回お呼びしたんですよぉ」って言われてビックリ。けっこう早いのね〜。
で、笠松高弘先生にさっそく首を触られたので、「すごく痛いんです。脇の下も足の付け根も痛いんです。」とリンパ転移の疑いを強烈に訴えたら、ちゃんと全部触って「熱もないしリンパには転移してないよ」と笑われてしまった。「じゃあ肺は?」と聞いたら「それはレントゲン撮らないとわからない。でもまだそんな段階じゃないよ」と笑顔。わたしが「最近声がかすれるんですけど・・」と言ったら、「それは関係ないと思うなぁ(看護婦さんも笑)」。
で、本題。「あちら(地元の病院)では何て言われてきたの?」一瞬ギクリとして私「それは言えないし今日の結果も聞きたくないんです。怖くて心身症になりました」「なるほど。でもあなたと話せないと僕こまっちゃうなぁ(笑)」。
で、結局聞いたことをお話して、これからのこともちゃんと聞きました。内診で「うーん、そんなに悪くないなぁ」と先生。信じられなくて何度も「本当ですか?」と聞いたら「僕は癌ばっかり見てるからねぇ(笑)」と言われ納得。「子宮は残せますか?」「それは難しそうだけど、どうしてもって言うなら考える余地はあるよ」と仰ってくださったので、とてもとても安心できました。
なによりビックリしたのは、先生が始終話しかけてくださったおかげで、あの、あれだけ悲鳴を上げた組織診をいつ実施したのかわからなかった。マジ無痛でした。子宮体部の検査もあんま痛くなかった。それで前回と今回の組織を見比べて、今後の治療方針を決めるそうです。結果は来週の火曜日。1:30に予約を入れてくださいました。帰り際先生に「あなたがこの癌で死ぬ可能性はまずありえない。交通事故で死ぬ可能性のほうがはるかに高いでしょう、交通事故に気をつけてください」と言われた。

【重要】 初診含む全診察が予約制に (20060216)

※婦人科外来フロアの壁(掲示板)に「あすなろ会へのお誘い」というプリントがありました。
2001年10月02日(火)
1:30予約外来。夫も付き添ってくれた。先週の組織診の病理の結果浸潤の深さがかなり微妙との事。「先週採取したサンプルでは、浸潤は3mm以下でしたが、ミーティングでは『どうやらもっと深い部分もありそうだ』と病理は言ってました。(手術適用範囲の)ステージ2以下であることは間違いないです。」との結果に血の気が引いた。え?それってステージ2の可能性もあるってこと?うっそー・・・。「まず急いで円錐切除をしましょう。その結果で単摘(単純子宮全摘出術)か、広汎(広汎子宮全摘出術)か決めます。円切だけで運良く癌が取り切れれば子宮は残せるかもしれません。今日これから術前検査を受けて入院手続きをして帰ってください」。
それから胸部X線写真心電図、血液検査、入院手続き。胸部レントゲン撮影を待合所で待ってる時、怖くて怖くて怖くて夫に抱きついた。このレントゲンの結果次第でこの先のシナリオが決まってしまうと思うと本気で逃げ出したかった。MRIも「至急」の指定で予約を入れてもらった。「至急」「急ぎ」って単語に不吉な予感が走る。
2001年10月05日(金)
食べれず眠れず、あまりの心身衰弱のため、友人に運転してもらい国立がんセンター中央病院の精神科へ。もちろん予約なんてしているわけもなく、しかも既に時間外だったが、受付のオバサンに必死で窮状を訴えまくった。運良く精神科の中野先生が院内にいらっしゃったため、診察していただいた。とりあえず窮地脱出。
2001年10月11日(木)
前日下剤、昼食抜きで3時からMRI
当日持ってこなければならなかった検査表(ただのプリント)は自宅に忘れた。
検査というだけで意味も無く怖かったので耳栓を頂く。(のちに知ったが、耳栓なんぞ希望しなければ、音楽が流れてるヘッドフォンを装着してくれたらしい。あぅぅ)。技師は若いメンズで雨上がり決死隊の宮迫に似ていた。やたら時間がかかってるしスゴイ音。。しばらくして宮迫がやってきて「ウインドウズって知ってます?」「ええ」「フリーズって知ってます?」「はい」「今その状態なんです」「はぁ?」「もう1回最初からになっちゃいますーゴメンナサイね」ってまさか壊れていたとは!結局倍の時間がかかったらしい。
MRIは噂どおり狭すぎ、ウルサすぎ。
2001年10月17日(水)から23日(火)
円錐切除
のため入院
※円切から主治医が恒松隆一郎先生(婦人科医長)になりました

>>円錐切除の入院記録
2001年11月01日(木)
12時、円錐切除の病理の結果発表。

浸潤が3mm以上あったし、なにより断面が陽性なので「広汎子宮全摘になる」と恒松先生に言われた。
若いので卵巣は残す、リンパもそんなにたくさんは取らない、とも。この結果にまたもや一気に血の気が引いた。円錐切除して癌細胞はもう体外に排出されたと思ってたのはカン違いだったの?母が隣で「よろしくお願いします。」と頭を下げている。ちょ、ちょっと待てー!
円錐切除で切り取った肉片の写真を見せてもらった。口内炎のような潰瘍のような白い部分がある。「これが癌ですね?」と聞いたら「それはびらん。あなたの癌は顕微鏡じゃないとわかりませんよ」。
肉眼ではわからないのは好材料なんでしょうけど、ある意味納得がいかない。
ネットで情報収集しようかとも思ったが、排尿リハビリの項目は怖くて見れなかった。「私には関係無いはず」と、ずっと思い込むようにしていたのに・・・。
2001年11月05日(月) 円錐切除後18日目
朝起きたらシーツが血の海。まさか動脈から?と思い、あわてて国立がんセンター中央病院へ電話。そして夫に運転してもらい予約外受診。待合室着く頃には出血止まってた。恒松先生に「動脈からの出血だったら自然に止まらないしココまで来れませんよ(到着する前に死んでる)」と・・・。ようするにたいしたことなかった。血液検査のオーダーが出た。そして、思い出したかのように「CTも撮っておきましょう」と追加オーダー。今更なんで?MRIのほうが画像解像度が高いんでしょう?恒松先生に理由を聞くと「リンパ転移の検索」という不吉な説明をされた。また不安になる。
のちに知ったがこの日待合室に、後日同室になるS水さんがいた。
2001年11月22日(木)
12時から、動脈採血、肺機能測定(5階)。動脈採血はDrじゃないと出来ない検査らしく、ずいぶんと待たされた。現れたDrはヤクルトの高津に似ていた。手首からじゃ何となく怖かったので、肘の近くを指定してしまった。そしたら針が神経に触り、腕がビリビリ痺れてメチャ怖かった(その後何週間かは何かの拍子に腕が痺れた)。2回トライしてなんとか終わった。マジ疲労困憊・・・。
肺機能測定は違う意味で大変だった。銀色の妙なスニーカーを履いた若いオニィちゃんが、そりゃぁもう真剣な顔で、超オオゲサなジェスチャーで「吸って吸って吸って吸って吸って〜」って煽るから、スゴイ可笑しくて何度も吹いちゃって失敗しました。で、何回か再挑戦させられて、やっと終了。
2001年11月27日(火)
10:40からCT。前夜下剤の朝食抜き。待合室で待ってるとき不安で心臓バクバクしてきたので、CTの受付窓口にいた先生に「ソラナックス飲んでいいですか?」と聞いたら誰かと相談して、それで透明のプラコップに入った水をくれた。私の前に、生後数ヶ月の赤ちゃんが撮影室に入っていった。ツライ。
注射器みたいなので一気に造影剤入れた後、「気分はどうですか?」と聞かれ「なんか眠いです」と言ったら先生たちの顔色が変わった。すぐに「造影剤が温かかったので・・・」と付け加えたら安心し「眠いなんて言ったのはあなたが初めてです」と苦笑された(眠くなったのはソラナックスのせいかもしれないけど)。この造影剤、人によっては死ぬこともあるらしい。顔色が変わるわけだ。
2001年11月28日(火)
1時から腎盂・尿管造影検査(X線TV)。前夜下剤で昼食抜き。もっとハードな検査かと思った(膀胱鏡とカン違いしてた)ら寝てるだけだった。今日は造影剤を点滴で入れられた。すんごい早さで落とすのでビックリ。
2001年12月14日(金)から2002年1月12日(土)
広汎子宮全摘のため入院

>>広汎子宮全摘の入院記録
まとめ
子宮がんを告知された瞬間からAnother World突入!って感じでした。とにかく告知後2週間は撃沈。心臓バクバク、頭ガンガン、胃はムカムカ、朝は早く覚醒しちゃうしで一気にガリガリに痩せちゃいました。
親孝行出来るのかな?とか、娘と何歳まで一緒に居られるだろうか、とか考えては泣いてばかりいた。
それから抗癌剤?結局私は経験しなかったけど、やられるもんだと思い込んでたんで、あれこれ(とくに脱毛と嘔吐を)想像しては物凄く凹んだ。
タクシーから降りて、初めて国立がんセンター中央病院を見上げた時は、近代的な建物に感動したが、待合室にいる山ほどの人々を見て「こんなに癌患者が・・・?」と引いてしまったり、問診表に書き込みしながら「とんでもないところに来てしまった・・・」とか思ったり、外来フロアで見かけたパジャマのオバサンの、頭のバンダナを見て、正直とても怖くなりました(ごめんなさい)。

あと、早期だから仕方がないんでしょうけど、結果が出るまで1週間待ちとか2週間待ちとか、挙句入院までは数ヶ月待ちと言われ、何がつらかったって、この待機期間ほどつらいものはないと思いましたです。

あー、あと入院前にいっぱい書類(アンケート形式)に記入しなくちゃいけなくて、すっごい面倒だった。内容で覚えてるのは、血縁者の死因とか死亡年齢とか、あと宗教を持ってるかとか、生活態度(喫煙状況や飲酒量)とかだったと思う。それから国立がんセンターのパンフレットのフロア案内図7階の「霊安室」という文字を見て卒倒しかけました。。
今振り返ってみて(2002.4.8)
この時期はもう、神経質なぐらいに食生活や生活態度を改めてました(今思うと『代替療法』?)。毎食かならず野菜を摂取していたし、夜は早く寝ていたし、リビングに常駐していたVAIOも2Fの書斎へ撤収。しかし入院する時は連れていきましたけど>VAIO
あ、あと本ばっか読んでた。ネットしない時間を読書に当ててたって感じかな。でも久和ひとみ著の「絶筆」だけはもう広告見ただけでも怖くて怖くて・・・。
それから、祖母が年初めに亡くなっていたので喪中ハガキを作成したり、仲の良い友達家族へのクリスマスプレゼント(クリスマスは確実に入院中なので)を用意したり、いろいろ忙しくしてたなー。
あと家族みんなで家ん中大掃除したり(年末年始も確実に入院中なんで)、それから写真の整理?こういうの夫はムリだと思ってたんで。
この時期あたし真剣に「もしかしたら退院できないかも・・・」って考えてた。


△TOP

医者にかかる10箇条
平成9年度「患者から医師への質問内容・方法に関する研究」研究班
  1. 伝えたいことはメモして準備
  2. 対話の始まりは挨拶から
  3. より良い関係づくりはあなたにも責任が
  4. 自覚症状と病歴はあなたの伝える大切な情報
  5. これからの見通しを聞きましょう
  6. その後の変化も伝える努力を
  7. 大切なことはメモを取って確認
  8. 納得できないときは何度でも質問を
  9. 治療効果を上げるためにお互いに理解が必要
  10. よく相談して治療方法を決めましょう

改訂版新・医者にかかる10箇条
〜あなたがいのちの主人公・からだの責任者〜
  1. 伝えたいことはメモして準備
  2. 対話の始まりはあいさつから
  3. よりよい関係づくりはあなたにも責任が
  4. 自覚症状と病歴はあなたの伝える大切な情報
  5. これからの見通しを聞きましょう
  6. その後の変化も伝える努力を
  7. 大事なことはメモをとって確認
  8. 納得できないときは何度でも質問を
  9. 医療にも不確実なことや限界がある
  10. 治療方法を決めるのはあなたです
>>NPO法人ささえあい医療人権センターCOML
>>ぽすぴたる!「かしこい患者の心得」


△TOP

あすなろ会へのお誘い(プリント)
【Link】あすなろ会のお誘い


あすなろ会をご存知ですか?

この会は国立がんセンター中央病院婦人科で治療を受けた人達の患者会です。

20年程前に発足し定期的にフリートーキングや、婦人科の先生方をお招きしての歓談や勉強会等を行っています。

病気と闘っているのは自分一人ではない事が感じられ、お互い勇気付けあって明日への希望をつないでいる仲間の会です。



☆ あすなろ会の目的

@「がん」になって不安になります。

  そんな時に気軽に患者同士がお話する事で不安を解消できるかもしれません。

A 診察室ではなかなか話せない事も、先生方との歓談の場で気軽にお話出来ます。

B 一人でいると打ちのめされそうでも、「医師」や「看護師」「家族」「友人」・・そして

  同じ「がん」の仲間達の力を借りて勇気を持って病気に立ち向かえます。



この会に参加を希望される方はどうぞお気軽に下記の申込書にご記入の上、お送り下さい。
入会のお問い合わせや、ご相談などお気軽にメール下さい。

お待ちしております。



☆E-MAIL  ncc_asunarokai@yahoo.co.jp



☆FAX   03−3922−3875 


----------------------------------------------------------------------------

申込書

あすなろ会に参加いたします



氏名



住所 〒



電話・FAX

* なお入会金として¥1,000を頂いております。

* 月会費はありません。
あすなろ会からのお知らせ
【Link】フリートーキングの日程など
昔のプリント(記念)
あすなろ会(婦人科患者の会)をご存知でしょうか。
この会は国立がんセンター中央病院婦人科で治療を受け、元気になった人達と、現在治療中の人達との集まりです。10年ほど前に発足し、定期的に先生を囲んで歓談のひとときを持つことで、病気とたたかっているのは自分ひとりではないことを自覚し、お互い勇気づけあって、明日への希望をつないでいる仲間の会です。

会の主な目標
*がんと共に生きる上での問題点を話し合う
*生活上の不便や工夫・再発の問題を話し合う
*患者の立場から医療への要望をまとめる
*病気や医療に対する知識をふかめる

がんはいろいろな形で私達に問題を投げかけます。一人でいると打ちのめされそうでも、誰かの力を借りれば勇気を得て立ち上がり、上手に病気と共存できるかもしれません。その「誰か」は医師であり、看護師さんであり、家族や友人であり、そして同じ「がん」の仲間なのです。
会は交代制の世話人によって運営されています。会合は原則として院内で開催します。
この会に参加を希望される方は、どうぞお気軽に下記の申込書を記入の上、本年度の世話人までお送りください。
お電話でのお問合わせもお待ちしております。

世話人 ○○○○     〒XXX-XXXX ○○区○○ XX-XX-XX
                 TEL&FAX XX-XXXX-XXXX

---------------------  切り取り線  ---------------------
                   申込書

             あすなろ会に参加いたします。

氏名_________________

住所 〒________________

TEL&FAX_______________

備 考
※上記プリントは、2006年2月16日に入手したものですが、2001年当時もあり、やはり「10年ほど前に発足し」と書かれていました。
リンパ浮腫患者グル−プ「あすなろ会」とは全く別です。


△TOP

国立がんセンター中央病院の外来担当医(婦人グループ)

20071220撮影

Copyright (C) "癌々行こうぜ" All Rights Reserved.

ブログパーツ