前日に「入院日時のお知らせ」の電話がありました

広汎子宮全摘出術のための入院(約1ヶ月)
入院に際し、子ども(当時小1)は学童保育に入所させました。

【お子さんのいる患者さんにアンケート】入院中、子どもの世話はどうされましたか?
2001.12.14(金)
10時にチェックイン。15A2の2人部屋(廊下側)。差額ナシ。
到着して早々、ナースに「週末は特に検査や処置もないし外泊してもいいわよ」と言われたが、一度自宅に戻ったらまた病院に向かうときに自分を振るい立たさないといけないわけだし、だいいち交通費も入院費もったいないと思ったので帰らないことにした。
こちらから申し出て、2時45分頃、主治医の恒松医長と話しをした。その時、自分の受ける手術が「準広汎」ではなく「広汎」であることを知った(※1)。あと、同意書に「治療を受けなかったときの予後」という項目があったので、怖いながらも勇気を出して質問してみたら「4〜5年は現状のままでしょう」と言われたので「じゃあ子ども産めるじゃないですか」と言ったら「いや、妊娠するとまた状況が変わるから。癌は見つけた時に処置すべきです」と言われ渋々?納得。他にも「横に切ってください」とお願いしたら「癌の手術では横には切れない」と言われ、「じゃぁ切開は臍の下までにして下さい」とお願いしたら「肝臓とか、転移の有無を肉眼で確認したいから無理」と言われました。
4時頃、19階の展望風呂「つきじ湯」に入った。ドライヤーで髪を乾かしていたら、「お若いのにどこが悪いの?」と声をかけられた。「子宮頸癌ですけど、あなたは?」と聞いたら「(笑顔で)同じよ」と言われた。
今日から手術日まで「生食+ビソルボン」の蒸気を吸って吐いてが朝夕10分間づつと、インスピレックスの吸吐30回x5回/1日。ビソルボンはウニの味がする・・・。
夜、豊島Rの内診があった。

※1 どうやら国立がんセンター中央病院では子宮頸部がんに対し「準広汎」という術式は行っていない模様です。

【準広汎子宮全摘術と広汎子宮全摘術との違い】
子宮がんの広汎子宮全摘では後層まで処理を行う。尚、準広汎子宮全摘術は、広汎子宮全摘術の術後合併症として問題となる膀胱、直腸の神経障害を防止するために考案されたもので、膀胱子宮靭帯の前層を切断し、尿管を側方に避けることで子宮頸部から離れた位置で基靭帯や膣を切断可能。
参考資料:婦人科卒業試験H16
021056@Wiki
2001.12.15(土)
午前中、豊島Rと話す。今までの検査結果(CTとか)をモニターで見せていただいた。「(子宮がんの)病巣は映ってないので、見ても意味ないですよ」と言われたが、「わざわざお金払って撮影したんだから見せてください」とお願いした。癌は肉眼では確認出来なかった。円錐切除の病理結果をもう一度詳しく説明していただいた。私は断端の一部分だけが陽性なのかと思ってたら、「断面が陽性で切り取った肉片にまんべんなく癌があった」と言われた。一瞬青ざめ「じゃあステージ1a2の定義より大きいじゃないですか」と問い詰めたら「肉眼ではわからないんだし、病理が言ってるのだから間違いないですよ」と、説得力のない説明された。わたしが「左側がたまに痛むんですけど」と言ったら「どちらかといえば右側の方が進んでます。4時の方向です」と言われた。わたしの解釈が正しいなら、わたしの痛いのは8時の方向なので、関係ないってことになる。やっぱ癌って痛くないんだなーと思った。とにかく術後後遺症のことが心配だったので、「どうしても広汎じゃないとダメですか?単摘+放射線で何とかなりませんか?」と聞いたが、「(子宮がんの)1a2期は、リンパ転移の可能性が10%もあるんですよ」と諭される。
先月で最後だと思っていた生理がきた。午後、麻酔科の山下先生がラウンドで病室に来てくださって色々説明してくれた。
2001.12.16(日)
今日の午前9時から翌朝9時までの尿を溜めるように、トイレに専用ボックス?が設けられた。超恥ずかしい。
3時頃、病棟のお風呂で、バブのラベンダーの香りを入れて入浴した。
19階のラウンジで27歳のA井くんと34歳のM原さんとオトモダチになった。話していると楽しい。
寝る前にプルセニド4錠飲む。
2001.12.17(月)
午前中にマグコロール飲む。午後剃毛(F澤NS)。そして19階のつきじ湯(※)へ。19階にいたら上の弟が見舞いに来てくれた。
寝る前にプルセニド2錠とアモバン1錠飲む。今日から(ってゆうか今日だけ)同室のY沢照代さんが夕食の時「胃のスキルスが腸に転移し、開腹したが取れなかった」とおっしゃってた。夜、非常に痛がっていた。手術前日のわたしに気を使って、何度も「ごめんなさいね」と言うので、私も手術前日で感情が高ぶってたせいか、かわいそうで泣いてしまった。
明日の執刀医のT松先生とT島Rが、ナースステーションで夜遅くまで話していた。

※つきじ湯は2004年8月1日に閉鎖しました。
2001.12.18(火)手術
朝2回浣腸。8時15分病棟出発。オペ出しは私にクリソツのI田NS。手術は8.5時間。8階の術後管理病棟(個室)にて目が醒めたのはpm7時。

広汎子宮全摘出術の病理結果
2001.12.19(水)術後2日目
術後管理病棟の個室から4人部屋(8階)へ移動。母が見舞いに来てくれた。
2001.12.20(木)術後3日目
術後管理病棟から、一般病棟(婦人科病棟)へ移動。15A3の4人部屋(入って右、廊下側)。
同室はT中さん(60歳、S状結腸)、Y田幸子さん(22歳、直腸、ストーマ)、N村千枝子さん(75歳、子宮頚部の腹部リンパ転移)。
夜、医師や看護婦がコスチュームを着て各病室にクリスマスカードを届けに来てくれました。サンタクロースは私の受持医の豊島R。トナカイはK村NS、天使はO原NS。その後、スタッフ専用EVロビーで、クリスマスコンサート。術後初めて歩いた。超感動!!
2001.12.21(金)術後4日目
同室の、可愛いY田幸子さん(22歳)に連れてってもらって、術後初めて19階のラウンジへ。Y田さんマジ深謝。
2001.12.22(土)術後5日目
昼から流動食(おもゆ)。Y田さん退院。代わりにM野久美子さん(子宮体部(手術済)抗癌剤の流し)が入室。わたしのベッドを窓側(入って左)に移動していただいた。
※M野さんのご主人様はとても温和で親切。術後の私のトレーの上げ下ろしを何度もしてくださいました。ありがとうございました。
2001.12.23(日)術後6日目
朝から5分粥。義母と娘が来てくれた。クリスマスコンサートを聴きにいった。

第101回ミニコンサート ST.OLAF合奏団による クリスマスのしらべ
とき 13:00〜14:00ごろまで
ところ 外来1階待合室(会計前)で
【演奏曲目】
★グリーンスリーブス
★パバーヌ
★ダッタン人の踊りより
★スターダスト
★アメリカンパトロール
★アベマリア
★聖者の行進
★魅惑のワルツ
〜クリスマスソング〜 他 順不同 (都合で曲目変更の場合もあります)

【演奏者】
飯渕弘一 フルート
長沢英子 ヴァイオリン
小林公明 チェロ
吉田美奈子 クラリネット
梅津三知代 ハープ
林久美子 ピアノ、キーボード
秋葉久美子 マリンバ

主催 国立がんセンター中央病院コンサートボランティア

A井くん退院。同室のT中さん退院。
※T中さんの妹さんも大変明るく、よく声をかけてくださり嬉しかったです。私も大変お世話になりました。都内MAP頂きました。
2001.12.24(月)術後7日目
朝から全粥。母が来てくれた。夜、19階EVホールで患者仲間とクリスマスパーティ。同室にS水宏子さん(31歳、卵巣のう腫)入室。M原さんがたいやき買ってきてくれたので同室の人と食べた。
2001.12.25(火)術後8日目
朝、病室のベッドで半抜鈎。モルヒネ抜去。朝から常食。

※抜鈎・・・T島Rが手にペンチみたいなものを持っていた。好奇心旺盛な私なのですが、どうしても怖かったので処置中ずっと目を堅く閉じ、耳をふさいでました。パチン(鈎を切断する音)、カタン(トレーに抜去した鈎を置く音)という音だけが何度か繰り返された。ハッキリ言って痛かったです。
2001.12.26(水)術後9日目
朝、残り全て抜鈎。19階のレストランでU村さん夫妻、A井くん、M原さんでランチ。炒飯をゴチになった。夜、父が来てくれた。同室のM野さん退院。同室のS水さん手術。
2001.12.27(木)術後10日目
朝、お腹から出ていた2本のチューブ(リンパ液排出用ドレーン)抜去。M原さん退院。K世ちゃんが来てくれた。

※リンパ廃液を溜める容器は、医師によって好みが分かれるところ。私の主治医は「バッグ(パック?)」と呼ばれるものがお好みのようでしたが、別の医師が主治医の患者さんは、プラスティックのペットボトルのようなものを使用していました。
2001.12.28(金)術後11日目
昼シャワー浴びた。E子ちゃんが「陰陽師」のマンガもって来てくれた。
2001.12.29(土)術後12日目
A井くんが遊びに来た。
2001.12.30(日)術後13日目
昼にシャワーを浴びた。夫が来てくれた。
2001.12.31(月)術後14日目
夜シャワー浴びた。紅白みた。この日友蔵くんは19階でひとりぽっちだったらしい(後のメールで知った)。
2002.1.1(火)術後15日目
朝9時に導尿チューブ取れる。排尿訓練開始
母と、わたしのすぐ下の弟が来た。

※排尿訓練に先駆けて行われる、尿チューブをクリッピングして尿意を確認する作業は端折られました。ていうか、T松先生はそれ自体「意味がない」と考えておられるそうです。同じ婦人科の別の医師は行っていました。
2002.1.2(水)術後16日目
義父母と夫と娘が来た。夕方シャワー浴びた。とても立ってられないので、椅子に腰掛けて洗った。
2002.1.3(木)術後17日目
ひどい下痢。
2002.1.4(金)術後18日目
A井くんが外来で遊びに来てくれた。お昼に19階でビーフカレーをゴチになった。S水さん退院。不覚にも夕食たべながら(さみしくて)泣いてしまった。夜、19階に行ったら友蔵くんが外泊から帰ってきてた。
2002.1.5(土)術後19日目
夫が天丼と銀ダコを買って来てくれた。
2002.1.6(日)術後20日目
またしても下痢。朝、ラ王ミニ醤油味を食べた。
2002.1.7(月)術後21日目
お昼前、病棟のバスルームにバブの森の香りを入れて入浴。お昼、H川さんに築地場外のラーメン屋さんでゴチになった。お礼にマックのラテをゴチした。帰りに草大福を買ってもらった。美味しかった。午後、19階のつきじ湯に入った。同室にI井きくさん(86歳、膀胱)が入室。
2002.1.8(火)術後22日目
お昼、H川さんとD嶋さんとで場外の天ぷら屋さんに行った。D嶋さんにゴチになった。帰ってきてから部屋のシャワーを浴びた。シーツ交換があった。母が見舞いに来てくれた。
2002.1.9(水)術後23日目
D原史子さん退院。検査のため昼は禁食&浣腸。腎盂・尿管造影検査(DIP)。造影剤が漏れて最悪。つきじ湯入湯。夕方恒松医長の内診あり。同室にYア雅子さん(子宮体部)入室。T橋さんにシガーロール頂いた。
2002.1.10(木)術後24日目
またしても下痢。豊島Rに「早く見つかってよかったですね」と言われた。
2002.1.11(金)術後25日目
A井くん外来。19階でA井くん、友蔵くんと朝食バイキング。お昼はマックにA井くんと行った。シャワー浴びた。夕方つきじ湯につかった。夕食は友蔵くんとA井くんと19階のレストラン。A井君を夜9時まで引きとめてしまった。同室のI井さん退院。Yアさん手術。
2002.1.12(土)術後26日目
退院
澤田CRに私服のパンツスーツで退院の挨拶に行ったら「そういう格好していると若く見えますね」と言われたので「まだ若いんです!!」と切り返した。
切除したリンパ節の病理結果は出ている(転移なし)が、子宮本体の病理結果は聞けずに退院。もしミクロでもがんが転移してれば即放射線治療(30グレイ・入院期間1ヶ月半延長)との事。その際は電話する、と恒松医長に言われました。
正面玄関でお約束の写真撮影
退院後の外来でのフォローアップへ。
入院中イチバンつらかったこと
それは肛門の痛みです。手術中に仰向けで何時間も寝かされて肛門周辺の血行が悪くなったためか、傷や腫れや出血は全然ないのに肛門周囲が異常に痛く、寝てても座ってても何してても痛かった。この現状を「なんとかしてください」と涙ながらに訴えても、先生は顔色ひとつ変えず「あぁ、この手術を受けた人には多いんですよ。この病院では直せないから」と、なんの解決にもならない返答が返ってきました。出してもらった坐薬も全然効果がないどころか気休めにもならない代物だったので「もっとパンチの効いたヤツ出してください。ボラザGが効果テキメンなんすけど」と言っても「それはこの病院では扱っていないので、ご主人(某医薬品商社勤務)に持ってきてもらってください」・・・。まじで夫に持ってきてもらって挿入しましたよボラザG。
かぶれ
次につらかったのがかぶれ。点滴チューブと、導尿のチューブと、モルヒネのチューブを止めてたテープ(布ガムテープみたいなやつ)が痒かった。現在(2002年2月19日)もまだ跡が残ってます。看護婦さんに「レスタミン(かゆみ止めの軟膏)出しましょうか?」と言われたんですけど「ただじゃないからいいです」と断った。
そうそう「断った」つながりでは、中身がまだ残ってる点滴を「食事始まったしもう必要ないからはずしましょうか?」って先生に言われた時も「もったいないたら最後まで落としてください」って言ったり、効果がなかったモルヒネも、「効果がなくても結局お金は払うんだから使い切ります」と言って再注入したりして、先生や看護婦さんに「どうしてそう現実的なの」と笑われました。あ、先生から聞いたんですけど、「今は使っただけ請求(出来高払い)」だけど、そのうち「病名によって請求額が一律」になるとか・・・。じゃやっぱケチったほうが今のところトクってことですね。
まとめ
入院初日に19階でU村さんに話しかけていただき、裏技などご指導いただいたおかげで、とても快適な入院生活でした。術後は体が少しつらかったが、ルームメイトにも恵まれたし、睡眠薬も飲まず毎夜ぐっすり眠れたし、24日のクリスマスパーティー(U村さん主催。マジ感謝)は超楽しかったし、「闘病」という言葉からはほど遠い1ヶ月だった。でも布部先生が乳腺(16階)に移動になってて一度もお目にかかれなかったのが心残り。
あと、今回の入院では、わたしと同じ癌(で若い人)がひとりもいなかった(涙)。検査入院の時はたくさんいたんだけどなぁー。でも排尿訓練のときライバルがいなかったのは良かったかも(プレッシャーに弱いわたし)。広汎手術は、わたしが2001年ラストだって言われた。そういえば入院中は天気の良い日ばかりで、粉雪が2日ばかり降っただけだった気がする。
1ヶ月の入院生活ってもっと精神的に大変かと想像していたけど、実際は夢のような毎日。2uの敷地は久々のマイルームのような感覚だし、24hが自分勝手に過ごせる時間。食事も掃除も全部誰かがやってくれる。子持ち主婦のわたしには天国のような暮らしでした。

裏技・・・タダでインターネット出来る方法とかマジここにゃ書けん。誰から教わったかも書けん(U村さんじゃありませぬ)。てかそのお方どうやって知ったんだろ?そっちのが気になるゎ。某BOXは利用方法が多岐に渡っておりますな(笑)。
てか現在この方法が可能かどうか動作確認しておらん。私の入院時は可能だったけど、、、でもスッゲー遅いっすよ。14.4kかな。最遅。タダなんだから文句言っちゃイカンでしょ、って窘められたけどさぁ。てかバレたらヤバイよ(爆)
子どもの世話
1ヶ月入院するにあたって、悩んだのが当時小学1年生の娘の世話です。私は実家の近所に住んでいるのですが、親が自営店の為、全面的に世話をお願いするのは不可能でした。そこで転校覚悟で夫の両親(電車で40分)に預けようかとも考えましたが、実際は、現状のまま「学童保育」に入所させ、夕方(私の)父が学童に迎えに行き自営店に連れてって、それから(私の)母が娘と一緒に自宅へ行き、夫が帰宅するまで一緒にいてくれたみたいです。ってゆうか洗濯とか全部夫がやってたみたいです。一度夫がヒドイ風邪を引いたときは、姑様を自宅に呼び、世話をお願いしたそうな・・・
P.S.
今、思い出すこと(2002.4.5)
やっぱ退院直前の記憶が1番残っていますね。U村さんと友蔵くんがゴチバトルの話で盛り上がってたとか、H川さんと友蔵くんがどっちの料理ショー(カレーだっけ?)の話で盛り上がってたとか、友蔵くんが「『てんや』食いてぇ」って言ってたとか、ホントたわいないんですけど。U村さんが後半放射線の後遺症で体調悪かったんで、夜は友蔵くんと10:30ぐらいまでツーショットだった(たまたま警備員の見まわりが遅かった)。主にPCの話題が多かったかな?。なんだか私は笑い転げてばかりいたような気がする。
1年後の今、振りかえってみて思うこと(2002.12.7)
このHP立ち上げたのは退院直後だったんで、「私は癌になりましたが今は元気です!安心して下さい」って伝えたい気持ちが強く、入院中ツラかった体験に、正面から向き合えてなかった気がします。だけどやっぱり、どう思い返してみても、1番辛かったのは入院前なので、入院してからは精神も安定してたし、多少の不便はあったもののそれは覚悟していたわけなので、やっぱりツラくはなかったです。今思えば退院後は「燃え尽き症候群」っぽくなってたかも。戦場から帰還したようなー?
これまた大袈裟な表現でスンマソン。
これって日記になってなくない?(2002.12.24)
ってゆうか、この日記ショボすぎ・・・。実は入院中にこのページはパソコンで入力してたんですけど(だから部分的にリアルタイム)、歩き回れるようになってからは全然病室にいなかったもんだから、ぜんぜん記録とらなかった。そういえば手術前はディルームで食事してました。お見舞いの家族と食事してる患者さん多くて、ちょっぴり羨ましかったけど、キレイな景色見ながら食事できたんでグッドでした。
思い出したこと(2006.8.14)
いつの日か忘れたけど、M原さんの病室(11A病棟/計画治療 I)に遊びにいったとき、治験の承諾書を見せてもらいました。それにしても11階も迷路のようでした。いつだったか、姿見えぬ敵から逃げまどいながらM原さんと手を取り合ってダンジョンを脱出する・・・という夢まで見ました。

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