ギリシャの文化について紹介します。

キクラデス諸島の美術
  みなさんは、右の大理石で作られた、琴を奏でている像を見たことがありますか。なにやら小さな子どもが作ったように見えますね。
 しかし、しばらく見ていると最初の印象とは、違った感じが生まれてきませんか。単純化された全体の姿、平たく後ろにかえった頭、鼻だけがある顔など、簡単なつくりですが美しいですね。この像はB.C.2600年〜B.C.2000年頃、キクラデス諸島で作られました。その頃それらの島々ではすでに、独特の文化、美術が発達し、石像、青銅製武器、金細工装身具彩文土器などが作られていました。

 琴を奏でている像
             
クレタ島の美術
 このたこ文様の壺は、クレタ島でB.C.2000年〜B.C.1500年頃栄えていた、クレタ文明で作られたものです。クレタ島はギリシャとエジプトの中間にあります。それらの地域の人々は、クレタ島で出会い、混じり、独特のクレタ文明を作り上げました。
 建築 クレタ人はB.C.2000年〜B.C.1450年頃、クノッソス宮殿を 建築しました。たくさんの柱に支えられた、多層構造の古代建築です。
 絵画 クノッソス宮殿の内部は、たくさんの壁画で彩られていました。クレタ人は明るい色彩で、形式にとらわれない自由で軽快な動きの作品をたくさん描きました。彼らは海の動物、花、小鳥、想像上の動物を好み、その絵からは当時の人々の様子や文明の高さがうかがわれます。
 工芸彫刻 クレタ文明では、大きな彫刻は残っていませんが、象牙細工、金細工などに精巧なものがあります。工芸では、たこの文様の壺の他にも、つぎ口が変わっているカマレス式くちばし壺など、美しく彩色されたものが多く見られます。
 クレタの美術について、さらに一つ特徴的なことがあります。それはクノッソス宮殿には、外敵に対する高い塀や堀などの造りは見られず、絵画にも、兵士、戦いの場面は登場しないということです。そのような戦いがなかったからこそ文明が高まり、自由で伸び伸びとした、少しユーモラスな美術が生まれたのではないでしょうか。

    クノッソス宮殿

    たこ文様壺
ミケーネの美術 
 クレタ文明は、ギリシャ本土から来た人々によりB.C.1400年頃滅ぼされましたが、クレタ文明の影響を強く受けたミケ−ネ美術ができ上がりました。しかし、ミケ−ネ美術からはクレタ文明が持つ自由や美しさが失われ、軍事的色合いが強く感じられます。
 建築 大きな建築物として残っているものに、ミケ−ネ城があります。その城門には獅子像が飾 られていて、高い石垣など戦いに適した構造を持っています。
 工芸 ミケ−ネの人々は、装身具や家具武器の装飾に精巧なものを作り出しました。中でも有名なものに、ミケーネ城,ミケーネ城内の墓から発見された黄金マスクがあります。技巧的に優れたものだと言われています。このマスクは、人間を写実的に表したようには見えません。これは、イメージとしての英雄を表したものとされています。

ミケーネの城
  全盛期ギリシャの美術
  壺絵 B.C.900 〜800 年頃の様式として、幾何学文様の壺があります。わずかに馬やその後ろの車それに乗る人が分かりますが、絵が模様にまぎれてしまい、幾何学文様が大部分をしめています。
 次にB.C.500 年頃の物で黒絵式壺絵と呼ばれ、赤地の上に黒い絵具で人物やものがシルエット 風に描かれています。人物の形が単純で、ぎくしゃくした動きで表されているので絵と模様の中間的な感じがします。
  それに対して赤絵式壺絵は人物が赤地のまま、まわりが黒で塗られています。人間のポーズや衣類の表現が、より詳しく描かれています。さらに白絵式壺絵は一本の線で、スッと描かれた姿はまるでキャンバスか紙の上に描いてあるかのようです。手、足、体のバランスがよくとれていて人の体の持つ自然な美しさが見られ写実的で整った形をしています。
  壺絵から時代時代における人々の好みや絵の表現の進歩が見られます。

  幾何学文様壺         赤絵式壺
  建築
 ギリシャの建築は、神殿とともに発達しました。神殿とは神像を安置し、神への貢ぎ物を奉納する場で、人々は常に外からこれを眺めました。そこでギリシャの神殿建築は、外から見たとき美しく見えるよう考えられています。そのために、柱が大事な要素となります。代表的な3種類の柱は,最も古い様式としてドリス式がありま   す。B.C.600 〜B.C.500 年頃に作られ特徴として柱の中心にエンタシスというふくらみを持っています。それはシンプルでどっしりとした感じを見る人に与えます。代表的なものに、アテネのアクロポリスのパルテノン神殿などがあります。
 次にイオニア地方でB.C.500年頃 作られたものがイオニア式と呼ばれる柱でドリス式より全体的にほっそりしていて、エンタシスも控えめです。柱頭には特徴的なうずまき文様があります。代表的なものに、アテネのアクロポリスのニケ神殿があります。
 イオニア式の変形としてB.C.400 年になって、コリンソス地方で作られたのがコリント式の柱です。 イオニア式よりさらにほっそりしていて溝が多く、柱頭がより豪華です。小建築や建築物内部に使われ、また、豪華さを好むロ−マ人にも、広く使われました。代表的 な建築に、アテネのゼウス神殿があります。
ゼウス神殿
パルテノン神殿
  彫刻 
 全盛期ギリシャの彫刻についてですが,最も古いのが、アルカイック期です。B.C.500 年までの間に発達していきました。この頃の彫刻の代表的なものに、ク−ロス(青年)像 とコレ (少女)像があります。両腕を身体にそって下に降ろし、正面を見すえ、左足を半歩前に出した固いポーズをとっています。このポ−ズは、作者が  自由勝手に変えてはいけないものでした。なぜなら、ク−ロス像は、青年の姿をかりて神や英雄を表しているからです。固いポ−ズのク−ロスですが、口元にアルカイックの微笑といわれるものがあります。また、エジプトの彫刻制作方法を取り入れたために、どことなくその面影があります。
 次にくるのがB.C.450 年頃から始まった古典期です。アルカイック期と大きく違う点は、表したものは神であってもモデルは人間である、ということです。技術もかなり向上しました。そのため、体の動きが自然に表されより生き生きと見える彫刻が作り出されました。代表的 なものに、サンダルの紐をとくニケなどがあります。ポセイドン像 のような青銅製の像もよく作られましたが、のちに武器に作り替えられてしまったので、今ではあまり残っていません    
 次にヘレニズム期に目を移してみましょう。B.C.320〜B.C.30年頃の代表的なものにミロのビ−ナス ,サモトラケのニケがあります。特徴として、この頃の彫刻はダイナミックな動きと誇張した表現が見られ、普遍美(変わらない美しさ)をもった自然を再現しようとしていました。その考えは、ルネサンスの手本となりました。ヘレニズム期のギリシャの彫刻は、ロ−マ人に好まれたのでたくさんのすばらしい模造品が作られました。先にあげたビーナス像とサモトラケのニケ像は、今ではギリシャにはなく、フランスのルーブル美術館に陳列されています。 
 
ポセイドン像
  ビザンチン美術
 ギリシャには、数多くの教会があります。多くはギリシャ正教の教会です。ダフニ修道院はビザンチン様式の建築物です。
 建築ビザンチン建築の教会には丸いド−ムがあります。それは神の座である天空を表したものです。内部は大理石でできた柱、モザイク、装飾彫刻などで眩いばかりに輝いていました。 ここに入った人々は恍惚として魂を奪われ、これこそ正に神の家とさえ想像させるほどでした。事実、のちにキエフ・ロシアからここに派遣された使者は、現世ならぬ神の国に来たと思い、このためロシアがギリシャ正教に帰依したと言われるくらいでした。
  ビザンチン建築は内部から見るように考えられてあります。外からの姿が美しいアクロポリスとは対照的です。
   絵画
ビザンチンの絵画で重要なものに、イコン(礼拝用板絵聖画像)があります。偶像を拝まなかったギリシャ正教で  は、たくさんのイコンが描かれました。マリア、マリアと幼子イエス、聖人、聖書などです。それらのイコンは色のきまりを重視し、 イコン立体感や奥行きを避けるように表されています。


  ダフニ修道院

    
       イコン     
  古代ギリシャの劇音楽
    英語で音楽のことをmusic(ミュージック)と言いますが、これはもともとギリシャ語のμουσικη(ムシキ)からきています。このように、ギリシャ語から生まれた音楽に関する言葉は他にもあります。ορχηστρα(オルキストラ)から生まれたオーケストラや、χοροs(コロス)が変化したコーラス(合唱)などがそうですが、これらは古代ギリシャ劇に大変関係の深い言葉なのです。
 アテネのアクロポリスにあるディオニソス劇場やデルフィーの円形劇場を見たことがありますか。各地の多くの遺跡に見られるこのような円形劇場では、よく悲劇(悲しい出来事を扱った劇)が演じられました。B.C.5世紀には、ギリシャ悲劇の三大詩人といわれるアイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスが活躍しました。
 この悲劇などの劇が、今のオペラやミュージカルに似ている点があります。それは、音楽が大変重要なものであったということです。劇は常に、伴奏の演奏者を含めて15人くらいの合唱隊の歌や身振りで進められていましたこの合唱隊をコロスと言います。また、このコロスの立っている劇 場の中央の円形部分が、オルキス トラと 呼ばれていたものです。
 ところでこの時代の合唱は、今 私たちが歌っているような、二部以上のちがうパートを持った合唱ではなく、わりに簡単な斉唱(同じ節をみんなで歌う)だったようです。ところが、ほんのわずかに当時の楽譜が残ってはいるのですが、音楽は消えていく音を扱った芸術なので、どんな響きなのかは想像するしかありません。しかし、楽器については絵や彫刻で、かなり詳しいことまでわかっています。


   
エピダウルスの円形劇場


   イロド・アティコス音楽堂
   古代ギリシャの音楽
 ギリシャ神話には、たて琴の名人アポロンや、音楽の女神ミュ−ズなど、音楽に縁のある神が出てきます。また音楽や楽器にまつわる話しも多く、次のペ−ジの「オルフェウスとエウリディ−チェ」もその一つです。
 この話に出てくるたて琴は、おそらく「リラ」と呼ばれるものだと思われます。古代エジプトから伝えられたとされるこの楽器は、古代ギリシャで最も重要で、最も神聖な楽器だとされていました。そのリラを、ひとまわり大きくしたような楽器に「キタラ」があります。「キタラ」という言葉は、後の「ギタ−」のもとになりましたが、形は少し違うようです。どちらもハ−プのように、弦を指で弾いて音を出します。管楽器(吹く楽器)のもっとも重要なものは「アウロス」でしょう。二本一組になったたて笛のようなもので、一本が旋律を、残りの一本は常に同じ音を伴奏のように鳴らしていたと思われます。音は現代のオ−ボエに似ていたのではないかと想像されますが、吹くのにかなりの力が必要だったようです。このアウロスは、後のオ−ボエやクラリネットのもとの楽器だともいわれています。
 管楽器はその他に、トランペットもありましたが、今のように巻いたものではなく、まっすぐなものでした。しかし、これは戦争の時にのみ使われました。楽器の話のついでに、合奏の話もしておきましょう。古代ギリシャでの音楽はほとんどの場合、あくまでも歌が主で、器楽はその伴奏に使われたに過ぎません。それも一人か、せいぜい三人程度の少ない人数だったのが特徴です。同時代の中国などに比べると、はるかに規模が小さいといえます。

  古代ギリシャ人の音楽に対する考え
 古代ギリシャの学校では、音楽は国語や体育と並んで大切な科目の一つでした。それは「音楽は、人間の性格を良くする」という考えが、当たり前のようにあったからです。音楽はまた、儀式やお祭りでも重要なものと考えられていました。演奏家・音楽家といわれる人も出てきはじめ、オリンピックのような音楽コンク−ルもありました。音楽の理論の研究も始まり、音程や音階,楽譜についての研究の基礎はこの時代にできあがったといえます。この方面で活躍した人に、ピタゴラス、プラトン、アリストテレスなどがいます。これらの人々は音楽だけでなく、他の分野でも大きな功績を残しています。
   ギリシャの民族音楽
 ギリシャでは,ブズキを使った民俗音楽があります。日本の歌謡曲のようにギリシャでもよくテレビやラジオで聴くことができます。ブズキ音楽は独特のステップ(足の運び)の民族ダンスの伴奏として耳にすることも多く、ギリシャ人の最も好きな音楽だといえます。ブズキ音楽に使われる他の楽器としては、ギタ−,アコ−ディオン,ベースなどがありますが、たまにヨ−ロッパの民族楽器「チター」が加えられることもあります。ブズキ音楽に使われる音階や、リズムなどを調べてみると、ヨ−ロッパの民俗音楽というよりは、アラビアやトルコなど西アジアの民俗音楽のほうにずっと近いということが分かります。それは、ギリシャの歴史を学習すると、うなずけるでしょう。

  ブズキを演奏するおじさん
   哲 学
  「私はあなたより賢い。それは、あなたは自分が知らないと言うことを知らないが、私は自分が知らないと言うことを知っている。」 これは、ギリシャの哲学者ソクラテスが言ったものです。彼が活躍していた時代のギリシャでは、哲学という学問がとても盛んでした。

  古代ギリシャの哲学について
 「哲学」という言葉は、ギリシャ語で「知恵の探求」という意味があります。知恵には、世界がどうあるかについてと、その世界の中で我々はどう生きるべきかを考える、二つのことが含まれています。このような知恵はずっと昔からあり、最初は神話の形を取っていました。それがおよそB.C.700年からB.C.600年ごろ、インド、中国、ギリシャで神話を批判する自由な考え方が起こりましたその中でも際立っていたのがギリシャなのです。この考え方は、ギリシャの哲学者タレスによって「自然」を対象とする学問へと変わり、これが哲学の始まりとされています。その後、ソクラテスが現れ哲学の対象は、「自然」から「人間の生き方」を考えるものに変わり、問答という 形で盛んに行われました。そして、プラトンやアリストテレスのころにその黄金時代をむかえました。その後もそれぞれの時代で、それぞれちがった対象を研究し、今日にいたっています。それではなぜいろいろな対象を研究していったのでしょう。
 哲学は、人間が生きていくにあたって、どうしても解決しなければならない、最も根本的な問題に取り組もうとする学問だと言うことができます。哲学者たちは、「なぜ人間はいるのか」とか、「なぜ世界があるのか」というような問いに答えようとしましたが、結論はなかなか出るものではありません。永遠の問いとして、今もなお、考え続けられています。
 ところで、当時の哲学の考え方は、まだ一人立ちしていなかったほとんどの学問や分野に生かされ、発展をうながすことになります。みなさんが日ごろ学んでいる理科、社会などもこのようにして形づくられてきたのです。その中の一つとして、数学も哲学の考え方を取り入れることで学問として一人立ちしたといえます。
  それは数や図形の成り立ち、性質について、何か決まったものがあるのではないかと考えたり、なぜそうなるのだろうという疑問を解き明かそうとすることから始まりました。特に、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの影響を受けた文化の中にあっては、数の計算のようにすぐに役立つものばかりではなく、図形の定理や法則を導き出し、ギリシャ独自の数学を作り上げていくことができました。そして、今日の数学の基礎を築きました。
 
  古代ギリシャの数学について
 古代ギリシャの数学は、幾何学(図形の性質などを研究する学問)を中心としたもので、タレスやピタゴラスなど多くの数学者によって、理論上めざましい発達をとげました。その数学者たちの理論をユークリッドがまとめ、後世に残しました。これは、ユークリッドの「原論」または「原本」として有名で、世界で聖書についで多く読まれているといわれています。
 
 タレス(B.C.624年〜B.C.546 年)
 タレスはギリシャ最初の哲学者として知られていますが、数学者(幾何学者)としても有名です。しかし、初めから数学者として名を広めたわけではありません。彼は初め商人として成功し、その後エジプトに行き、数学と天文学を学びました。その学んだことを生かし、「二等辺三角形の底角は等しい」「対頂角は等しい」などの定理を発見しました。また、海岸から海に浮かぶ船までの距離を測ったり、影の長さからピラミッドの高さを求め、エジプトの王様を驚かせたと言う話もあります。彼はそういった業績から、ギリシャ数学の「開祖」また「比例の神様」とも言われています。

     タレス

        ソクラテス