あらぎ島Q&A





あらぎ島Q&A





Qあらぎ島は、どこにありますか?
A 和歌山県有田郡有田川町清水の西原地区にあります。蛇行する有田川に取り囲まれるようにして、円形に緩やかに傾斜し、独自の奇観を見せる棚田が広がっています。このあらぎ島を見下ろす写真が代表的なあらぎ島の写真ですが、撮影ポイントとなるあらぎ島対岸の国道480号線は有田川町清水の高台に位置する三田地区になります。

Qあらぎ島の地形はいつころ出来たのですか?
A蛇行する有田川に囲まれ、あらぎ島がまさに川中島のように湧現する。この独特の地形ができあがったのは、約1万年前のことではないかと言われております。あらぎ島の景観は、考古学や歴史的にみても貴重な景観と言えます。山間部を流れくだる河川の流域では、こうした蛇行はよく起こる地形です。自由に曲流する河川が、地盤を浸食してヘアピンカーブの地形をつくるのです。このような山間部に発達する狭谷状の曲流を「穿入メアンダー(穿入曲流)」と呼んでいます。曲流の径が大きければ、蛇行曲流と言えますが、あらぎ島は、すぐ上流の宮川口あたりの径が極端に小さく、円形に近い地形を湧現し、穿入メアンダー地形の典型となっています。清水町を流れ下る有田川流域には、上流の押手、久野原から三田(あらぎ島)にかけて何カ所も、このような狭谷曲流がみられます。

Qあらぎ島が今日のような水田(棚田)として開墾されたのは、いつごろですか?
Aあらぎ島の水田開墾は、江戸時代の初期です。まず大前提となるのが、農業用水の調達です。あらぎ島には水がなかったので、南方の山々から流れてくる谷川の水を利用することにしました。この取水溝をつくる工事が開始されたのが明暦元年(1655年)のことです。あらぎ島から約3キロメートルほど南に遡った湯子川を取水口として、取水溝を掘り進める工事が開始されました。溝は幅約70センチから1メートル、延長2・75キロメートルあります。この「あらぎ島溝」の掘削とあわせて、あらぎ島でも水田整備が開始され、溝の完成を待って、あらぎ島の棚田で米が作られるようになりました。だいたい、いまから350年前のことです。当時は、取水溝を上湯またはうわ溝とも言ったそうです。いまもそうですが、清水町のように山また山ばかりで農地のない山間部は耕作地が狭小の上、日照時間も少なく、農業適地とはいえません。しかし、江戸時代には他に稼ぎの手段もありません。慢性的な食糧不足、周期的に発生する大凶作、大飢饉や風水害などで農民は疲弊し、年貢を納めることのできない農民が続出していました。あらぎ島のような狭隘で不便な場所にも水田を開墾したのは、米増産にいのちをかけて取り組んだ当時の人々の切実な願いとひたむきな情熱だったと思います。


Qあらぎ島のほかにも棚田はありますか?
Aたくさんあります。あらぎ島は景観があまりにも珍しいのでカメラマンの被写体として人気?になったわけです。しかし、清水町は棚田だらけと言ってもいいほど多くの棚田があります。というよりも、純然とした耕作に便利な平地がほとんどないと言えます。したがって、田を拓くには、傾斜が30度から40度もある急な山の斜面を開墾するしかなかったというのが清水町の水田耕作の歴史でした。清水町の面積の90・4%が林地(いわゆる山林)で、耕地は1・5%、宅地は0・4%です。杉や桧などの林業が盛んでシュロも多く自生しています。
Qいまは、あらぎ島はどこから水を引いているのですか?
A江戸時代初期につくられた「あらぎ島溝」をそのままいまも使用しています。もちろん、改修や補強、整備を重ねていますが、あらぎ島での水田耕作の基盤システムは昔のままです。

Qあらぎ島は、誰が開墾したのですか?
Aもちろん、棚田も取水溝も実労働をしたのは地元の農民です。しかし、水田に必要な水のなかった場所へ、約3キロメートルも上流から水を引くという当時では最先端の農業土木工事が専門知識もなく、食うにやっとの農民だけの手で成し遂げることはできない相談でした。当時の清水谷は、高野山麓の秘境の地であり、人々は有田川の川筋に点々と集落をつくり、山肌を開墾して狭い田を求め、働けど働けど食うに困るありさまでした。年貢を払えないで田を捨てて谷を逃げ出す農民も後を絶たないありさまでした。この窮状を打開しようと立ち上がったのが、大庄屋の笠松左太夫(慶長2年=1597年〜寛文13年=1673年、76歳で逝去)です。笠松左太夫については、別項で詳述しますので略しますが、多くの取水溝工事を行い、田を開墾し、食料増産に尽力しました。いまの清水町で行われている水田耕作の基盤をつくった偉大な人物です。あらぎ島の開墾も、この大庄屋・笠松左太夫が発案し、工費も工面しました。地元農民もこぞって労働奉仕して取水溝を掘り進み、あらぎ島の開墾に成功したのです。



Qあらぎ島の田圃の数や面積について教えてください。
Aあらぎ島の田は、2町4反115坪(7315坪)あります。田の枚数は54枚あります。小さい田は1畝(約1アール。30坪ほど)で、大きい田は1反(300坪)あります。畑も195坪あります。米の収穫量は、だいたい1反で500キログラム=8俵(1俵は60キログラム)収穫できます。 したがって、あらぎ島全体で収穫できる米は、ざっと24反×8俵で合計192俵。約11・5トンの米が収穫されています。作られている米の種類は、早稲の「あきた小町」、晩稲の「秋晴れ」中間の「みわあさひ」「山光」の4種類あります。(注・銘柄の書き方はよくわからないため不正確です)。あらぎ島は土地が米の栽培に適しており、味もとてもよいそうです。しかも、西林輝昌さんの写真をみると、収穫後に天日で乾燥されています。天日干しのあらぎ島米はさぞおいしいことでしょう。

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