2003.12.27作成

006 さまざまな人生
by ゆうこ
 
【閑話休題】

―さまざまな人生・人間―

『アリとキリギリス』
Mさん(72歳・男性)は身寄りがなく天涯孤独だった。
若い頃に一度は結婚したこともあるらしいが、家族も何もかもすべて放ってあちこちを転々としてきた人であった。
住所不定、無職、仕事は”こそ泥”(仕事といえるか?)
盗みをしては刑務所に入る、出ると又盗む、そんな人生を送ってきた人であった。
病院からホームへ来たときはオムツをしていた。
前の病院で寝た切りにさせられていたようである。
様子を見てもこれといって悪いところはなさそうであった。
食事も良く食べる、オムツも来たその日に自分で外してトイレに行っていた。
スタスタと歩いて・・・。
どこが悪くて入院していたのか良く分らなかった。

担当はMさんが身寄りがない人なのでメンタルなサポートを心掛けていた。
Mさんの話を親身に聞いたり、交換ノートを作って思いを書いてもらったりしていた。
それがMさんにも伝わりとてもよい信頼関係が出来て担当者もホッとしていた。
思ったよりホームの生活に早く馴染むことが出来たようである。
職員が声をかけるとにこやかな顔をして答えてくれるようになった。
刑務所を出たり入ったりしていた人とは思えなかった。

半年くらい経った頃から、入居者用に廊下に(4ヶ所)設置してある冷蔵庫の中のプリンやジュースがなくなるようになった。
最初は勘違いだろうと思っていた。
頻繁にそういうことが起こるようになって、さすがに皆がおかしいと思いだした頃、夜勤寮母からMさんが冷蔵庫を開けて人のジュースを飲んでいたと報告があった。
みんな唖然とした。
Mさんは年金は全くないが、毎月お小遣いが出ていたのである。
充分ではないがそれほど少なくもない額である。
 
そのうちMさんは担当寮母に異常な思いを寄せるようになった。
身寄りもなく寂しい人生を送ってきたということを考えて接していたのを誤解したのである。
担当者はかなり困惑していた。
担当を変えることも検討されたが、却ってマイナスになるのではということでそのまま引き続いて担当することになった。
ただ、少し距離をおいて接するようになった。
それからMさんは急にいなくなったりしだした。
ある夜、Mさんがいなくなったと緊急招集がかかった。
近くに池がありもしものことがあったらと思うと気が気ではなかった。
2時間後、近くの農家の納屋にいるのを見つけたときは、皆胸を撫で下ろした。
その後も時々姿をくらませては職員を慌てさせた。
そんなことが何度か続くと、かまって欲しいというパフォーマンスだということが分ってきた。
しかし、だからといって放っておくわけにはいかない。
いなくなる度に
「又だよ。」
「もういい加減にして欲しいよな」
と言いながら探すのであった。

Mさんを見ていると「アリとキリギリス」の話を思い出す。
一生懸命働いてなまじ年金や僅かな貯金があるために入居費を払わなければならない。
キリギリスのような生き方をしてきたMさんは、何もないから入居費を払うこともなく三度の食事と、おやつ、それにお小遣い、衣服費まで貰えるのである。
Mさんが亡くなったときは、身元引き人は町長さんであった。
そしてそれほど貧相でないお葬式をしてもらったのである。
Mさんのことを考えると、しんどい仕事をしてきた人より良い思いをしたのではないかと思う。
しかし、よく考えてみるとMさんは”孤独”という代償を嫌というほど味わったような気がする。
Mさんのために心から涙を流した人はいたのだろうか?


『ちょっと目には分らない』
Dさんは大柄な人(男性)だった。
かなり外股で廊下をヒョコヒョコと歩く姿は何とも微笑ましかった。
中度の痴呆だったが、その場でのやり取りはスムーズに出来る。
ただすぐ忘れるのである。
Dさんは皇居の警備をしていたと聞いた。
職業も関係していたのか言葉使いも丁寧できちんとしていた。
性格はカラッとして日本人には少ない陽気さを持っていた。
今、言ったことはすぐ忘れるけれど昔のことはよく覚えていた。
百人一首も全部覚えていてお正月には札を見ないでスラスラと言うことができた。
陽気な性格だから職員も通りすがりによく声をかける。
それがよい刺激になっていたのであろうか、ホームにきてからは痴呆もあまり進まなかった。

奥さんは既に亡くなっていたが、本人は家にいると思っていた。
入浴を嫌がるとき「桃代さんに言うよ」と言うと
「恐い、恐い!入るけん桃代には言わんといて」
と言うのである。
奥さん恐いの?と聞くと
「そりゃ、何が一番恐いというて奥さんが一番こわい」と言うのである。冗談っぽく
「奥さんに隠れて何か悪いことをしているのでしょう?」と言うと、
「他の女の人と旅館へ行った」
「そんなことして赤ちゃんが出来たら困るでしょう?」
「女の人はアイラブユー。赤ちゃんできたらアイドントノー。」
あっけらかんとして言うのである。
憎めない性格であった。
月に2回、精神科のドクターが来る。
「Dさん、調子は如何ですか?」
どんなにしんどいときでも急にしゃんとして、
「はい!有難う御座います。私は変わり有りません。大丈夫です」
と大きな声で言うのである。
その変わりようには驚かされた。
身内の人が面会に来て帰ったすぐ後に
「話しがはずんでいましたね」
「誰ですか?妹?私は見ていません。」

しかし、Dさんとするその場でのやりとりは教養とユーモアに満ちていた。
知らない人が見るとDさんが痴呆とは決して思わないだろう。
Mさんと異なり、Dさんの葬儀は盛大であった。
親交のあった人もたくさん集まってきた。
どことなく明るいお葬式と思ったのは私だけであろうか。
百人いれば百通りのドラマがある、何もない人生はない。
人は死ぬとき何を思いながら死んでいくのであろう。
いろいろな人の死に遭遇するたびにそんなことを考える。





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