2003.12.7作成

003 胸に刺さった言葉
by ゆうこ
自己満足

介護の仕事を始めて2年経った。
介護のやり方(技術)も少しずつコツが分かってきた。
Oさんに拒否されたときから、先輩に教えて貰いながら自分なりに勉強を始めた。
介護福祉士の受験資格を得て資格を取るという最初の目的は、二の次となった。
ここにいる人達は思いがけない病にあって心ならずも不自由な体になった。
色々な思いを抱えて生きているのだ、毎日が真剣な闘いなのだ。
それを思うと半端な気持では出来ない、常に自分自身が問われる仕事であると思うようになっていた。

その年に担当したSさん(81歳・男性)のことは今でも忘れることが出来ない。
学校の先生をしていたSさんは、とても穏やかな方であった。
奥さんが面会に来た時には楽しそうに笑いながら
「これは家内でなく、おっかないです」
と言った。奥さんも気にするふうもなく微笑んでいた。
声かけをすると必ず
「有難う御座います」
と丁寧に言ってから話し始めるのが印象的だった。
私はどんな忙しい時でも、朝と帰る時はSさんの部屋に行きSさんの話を聴くようにしていた。
尿の出が悪くなり検査をすると、前立腺癌が見つかった。
高齢のため手術は無理ということで薬で対応することになった。
目だって進行はしなかったものの少しずつ弱っていき、やがて寝た切りとなった。
若い時からスポーツが好きで水泳は毎日欠かさなかったと家族の方が話してくれた。
体を動かすことが好きな方が寝た切りになったのである。
かなり辛いことだろうと思った。
しかし、そんななかにあってもSさんの穏やかな態度は変わらなかった。
その日もいつものようにSさんの所に行き、5分程話をしてから帰りの挨拶をした。
「帰ってきます、又明日来ますね」
と言って部屋を出ようとした時、
「家に帰れる人はいいですね」
ポツリと言った。
ハッとした。いつも笑顔で「有難う御座いました。」と答えてくれるSさん、その笑顔のなかにこのような思いが含まれていたのである。
何という鈍感さであろうか!
いいと思ってしていた私の言葉(行為)はSさんにとっては哀しみでしかなかった。
私の行為はSさんに深い哀しみを与えていたのである。
良いと信じて疑わなかった。
Sさんがどんな思いで「さようなら」という言葉を聞いていたか。

相手と同じ立場に立つことは出来ない。
言葉や笑顔の裏に隠された思いを感じ取ることは難しい。しかし人間は想像する心を与えられている。
相手の思いを自分に置き換えて想像力を働かせれば、少しは感じ取ることが出来るかも知れない。
豊かな感性、逞しい想像力は自己満足、善意の押し売り介護(看護)に陥らないためにも必要だと痛感させられた。
何気なく発せられたSさんの一言は今も私の心に焼きついている。


想像力

介護という言葉が一般的に使われるようになったのはいつ頃からだろう。
1987年に『介護福祉士』の国家資格が出来た頃からのような気もするが、勝手に自分がそう思っているだけである。
制度が出来るまでは誰でも介護人になることができた。
私が勤めていたホームは30数年前に創設され、近所の農家の主婦が集められて、お年寄りのお世話をしていた。
介護のやり方も人それぞれ自分にあったようにやっていたようである。
退職した方が
「技術とか何も知らん、ただオムツを替えてご飯を食べさせていればいいと思っていた」「あとは入居者とよく話はしていたよ、気持はようわかる。次は私らの番じゃと思うと他人ごととは思えんかった。」
と言っていたことがあった。

国家資格が出来てから『介護福祉士』を養成する専門学校が雨後の竹の子のように相次いで出来た。
専門学校を卒業した(若い)人達が来た頃から、介護の現場の雰囲気が少し変わってきたのを感じた。
彼等は介護福祉士の資格を取るために、社会福祉概論、老人福祉概論、社会福祉援助技術、医学一般、精神保健、障害者福祉論、「リハビリテーション論、老人・障害者の心理、レクリェーション指導法、介護福祉概論、介護技術、形態別介護技術、栄養・調理、家政学概論、の勉強をしている。実習も積んでいる。
若い人が多くなってきたことで、全体の雰囲気は明るくなってよかった。
しかし何か違うのである、どうもしっくりしない。
この違和感は何だろうと思っていた。
ある夜勤の朝、寝た切りの人に胃から高栄養液を入れていると、担当者のA君が入ってきた。
胃瘻になったのは最近だがもう10年位前からこの状態だった。
「この方、こんな状態で10年を生きてきた、辛いだろうね」
とA君に言った。
A君は不思議そうな顔をして
「どうしてですか?」
次の言葉が出なかった。やっと
「もし、あなたが話も出来ない、ご飯を食べる楽しみもない、こんな状態になったら辛くない?」
「辛いですかね?毎日誰かが来て話しかけたりしているし・・・」
少しの間沈黙があった。
「考えたことない、それに第一僕はこんなにはなりませんよ」
と明るく言い放って部屋を出て行った。
最後まで人間の聴覚は保たれていることが多い。話は出来なくても聞こえている可能性が大きい。
彼女に声を掛けると反応が返ってくる、彼の言葉も彼女の耳に届いていると思った。
この感覚は何なのだろう?想像力の欠如なのか?
人のことはあまり言えないがそれにしても・・・。
団塊の世代である私達が老人になった頃には、今の老人が受けているような『福祉や介護』が受けられるかどうか?
心配であるが、それよりも彼等の世話にならないか、そちらの方が心配である。
胃瘻で寝たきりの彼女が話せたら何と言うだろう?

      行き行きて倒れ伏すとも萩のはら  曾良

このような思いで生きる覚悟がこれからは必要かも知れない。





Apple カフェへリンク
感想をお聞かせください



Apple Home へ