2004.08.03作成

016 閑話休題
by ゆうこ

【女と男の違い】 
ー井戸端会議の効用?−
 ホームでの入居者数を男女別に見てみると、年によって多少の変化はあるが、男性は定員の1割から1割5分であった。2割を超えることはなかった。
入居期間も男の方は総体的に短い、ちゃんとした統計ではないが私の見た感じでは男性は3〜5年、それに対して女性は5〜10年というところであろうか。(10年以上という女性入居者も結構いた)
毎年長寿番付表を作成することになっていた。相撲の番付表に合わせて、横綱○○さん、大関○○さんと書いて張り出す。
上位陣はもちろん女性ばかりである。特徴的なのは女の人はどこでもすぐに何人かの輪を作ることであった。それに比べて男の人はというと1人ずつポツンとしているのである。
アルツハイマーになっていても女性は同じソファーに並んで座り、会話にならない会話をしている。
A女「家に帰らんといかん○△×※?・・・・・」
B女「そうかな・・・フフフ・・・・」
A女「家に帰らんといかんのよ・・ブツブツ・・?○※??」
B女「そうかな・・・・・・フフフ」
A女「いかんことがようけおるんよ※?○?」
B女「そうかな・・・フフフ・・・」
和みの会話とでもいうべきか、何となく辻褄が合っているように聞こえる。なぜ女性は輪を作り男性は一人でいるのか?
よく分らないが、輪の出来た所には”喋り”と”笑い”が生まれる。
それが長生きの要因に関係あるかどうかは分らない、関係ないかもしれない。喋りと笑いを生み出す井戸端会議の果たす役割はまんざら捨てたものではないと、1人でポツンとしている男の人を見る度に思った。

【シズさんの生き方】
 日本人の寿命が伸び、昨年は100歳以上の人が1万人を超したと報道されていた。そのニュースを見ながら、在宅であれ施設であれ100歳を超した方のお世話は大変だろうなと思った。
きんさん、ぎんさんが有名になってテレビに出ているのを見るたびに、家族のご苦労を思った。
私がホームで仕事を始めたとき、最高齢者はシズさんという101歳の小柄な女性の方であった。
性格は穏やかで物事に拘らない人であった。人と争ったりすることもなく毎日を淡々と過ごしていた。一度「嫌な事を言われたりしたら腹が立つこともあるでしょう?」と聞いたとき「いちいち腹を立てていたらきりがない、右から左へと聞き流しているよ」と言った。彼女の生き方(死に方)は現代では、お伽話のようである。しかし現代の我々が失ったものを思い出させてくれるような気がする。
 
 彼女は農家に生まれ農家へ嫁いだ、朝早くから夜遅くまで農作業をしながら6人の子供を産み育てた。食べる物は自分の畑で作る野菜が中心で、魚はお正月とか何か行事のあるときだけしか食べられなかったそうである。だからなのかホームにきてからも肉類はほとんど食べなかった。
彼女の日課は太陽が出る前に起き出して、太陽に手を合わせる事で1日が始まる。朝食までに自分が作った小さな畑の草を引いたり、水をやったりして過ごす。
それが終ると身の回りの片づけをしたり部屋の掃除をしたり、自分の着衣を洗濯するのである(たらいと洗濯板を使って。)廊下に置いてある洗濯籠に入れれば、洗濯当番の人が洗ってくれることになっていたが・・・。
昼食がすむと少し休んで今度は針仕事である。メガネもかけずに糸を通し傷んだ衣類を修繕する。破れたシャツを何度もつぎを当て終いには元のシャツの布がなくなっているのである(シャツのパッチワーク状態。)
とにかく寝るまでじっとしていることはなかった。
 
 彼女は自然に逆らわずに生きている、ストレスとは無縁の生活、今置かれた状況を素直に受け止め受け入れることが出来る、だから不満や不平などの感情は生まれてこない。彼女を見る度に何故かビートルズの歌『Let It Be』が浮かんできた。105歳になり四国一番の長寿に躍り出た。しかし彼女の日課は変わらなかった。他の入居者はシズさんが日本一になることを応援し、シズさんを目標にするようになった。しかし彼女は特に意識するでもなく過ごしていた。107歳になった頃から少し体力が落ち、ベッドに横になる時間が多くなっていった。排泄はベッドの横に置いたポータブルトイレでかろうじて自力で出来ていた。しかし108歳になったときにはそれも無理になった、オムツになったが素直に自然に受け入れた。特に恥ずかしがるふうもなく交換した後はにっこり笑って「ありがとう」と言った。食事も取りにくくなった、最後をどうするか考えなければならない状態になり身元引受人に連絡をとった。(身元引受人は孫であった。)
 家族の希望は「何もしないで、ここで最期を迎えさせて下さい」というものであった。食事も食べられなくなったが点滴も何もしなかった。果物の汁やお茶をスプーンで1日に何度も少しずつ口に入れるのみの日が、1ヶ月半か2ヶ月近く続いた。朝、担当が行くと「有難う」と言ったあと息をひきとった。その顔は穏やかで眠っているようであった。
 長寿日本一にはなれなかったが108歳の彼女の死は、日本一幸せな死であったと思う。自然体で生き自然死をした彼女を見送ったとき、みんなの胸に去来したのは涙でなく爽やかな思いであった。


ファイル作成 Almond


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