2005.04.02作成

017 病を受容するということ
by ゆうこ

『病を受容するということ』

 私が入院していたK労災病院の西六病棟は、脳神経外科と脳神経内科の混合棟であるが、ほとんどが脳神経外科の患者で占められている。部屋は17室で50名前後が入院している。(神経内科の患者は3〜4名くらい)
 この病院の脳神経外科で部長をしているF医師は腕がよいと評判で、F医師を頼ってくる患者も多いと聞いた。私と同室のMさんもそうであった。Mさんは脳梗塞を起こしかけたため入院し、点滴治療を受けていた。入院した翌日もいつも変わりない朝が始まるはずであった。しかし、状況は一変していた。その晩に脳梗塞を起こし右半身が麻痺してしまったのである。パーキンソン病のように徐々に進行していくのも真綿で首を絞められるようで嫌なものであるが、一晩のうちに症状が様変わりしてしまったMさんを目の当たりにした時、考え込んでしまった。Mさんは起きようと必死になってもがいていたが起き上がることができなかった。彼女は自分の身に起きたことがすぐには理解できないようで「おかしいな?どうしたんじゃろう?」と言いながらなおも起き上がろうとしてもがいていたが、まもなく自分の身に何が起きたのか悟ったようである。
 急遽、ドクターが呼ばれ脳のMRI撮影が行われた。そして家族が呼ばれ、その日のうちに手術をすることになった。昨日まで点滴をぶら下げて普通に歩いていた、それが寝ている間に身体の半分が動かなくなったのである。Mさんはどれだけのショックを受けているだろう。外からは計り知ることが出来ない。彼女の姿と、10年前にパーキンソン病と診断された時の自分の姿とがダブって見えた。それは突然深い穴の中に突き落とされたような感じであった。Mさんは、今まさに深い穴の中に突き落とされて混乱状態の只中にいるだろう。そんなMさんにどんな言葉をかければいいのか分からなかった。かといって黙っているのも気まずいものである。戸惑いながら出てきたのは「少しでも御飯を食べたら」であった。当然だけれどMさんは御飯には一切手をつけなかった。
 私はパーキンソン病と診断された時からしばらく経った頃、(最初の混乱状態が収まった頃)パーキンソン病がどのような病かを知ろうと様々な文献を調べ、病に関する情報を集めた。最初は自宅にある『家庭の医学』を読んだ。『中年から老年にかけておこる脳の変性疾患である』と書いている箇所を読み「やはり、パーキンソン病というのは間違いである」と思った。その時私は44歳であった。次の診察でドクターはきっと「間違っていた」と言うに違いないだろう。と期待を持った。2回目の診察日がやってきた。不安と期待の入り混じった気持ちでドクターの前に座る。しかしその期待もドクターの「前と同じ薬を処方しておきます」という声で消えてしまう。自分はやはりパーキンソン病なんだと思い知らされる。間違いないと思う反面、まだ「そんなはずはない」と否定している自分がいる。
 そんな日が一月ばかり続いていたが、何で私が?このような病気に何故?という疑問が心のうちに沸々と湧いてくる。だがいくら考えても答えは出てこない。何故?という問いを何度も繰り返しているうちに、怒りに似たような感情が湧いてくる。曲がりなりにも真面目に生きている自分に対して何故?このような理不尽なことが起こるのか?不公平だと思った。元気な人を見ると、自分の身に起こった不条理さに腹が立つようになった。
 手術をしたもののMさんの右半身は麻痺したままであった。頭部の傷がまだ痛々しいが術後5日目に個室から大部屋に移った。リハビリが始まった、1日、2時間、作業療法とPTによる理学療法、そして言語訓練のフルコースである。軽い失語症も伴っていたMさんは、相手の話は理解することが出来た。だが言葉がなかなか出てこない、特に固有名詞が出にくいようであった。「ありがとう」「違う」などの言葉はわりとはっきりしておりスムーズに出ていた。自分が言おうとする言葉が出てこないと苛立たしそうに「あーあっ!」というためいきが1日に何度も口をついて出る。字を書いて伝えようとするが簡単な字以外なかなか書けない。(利き手が不自由なため書き辛そうだ)梗塞になる前はいろいろな活動をしていたというMさんのところには毎日誰かがお見舞いにやってくる。彼らは申し合わせたように「頑張ったら又歩けるようになる」と言った。しかし、一度失われた機能は容易に回復しないだろう。彼女は笑いながら「なかなかよ」と言う。お客さんが帰るとMさんは深いため息をつく。
 大変な病になった時、通り一辺の慰めは却って悲しみを増加させる。安易な慰めは逆効果である。10日前まで元気に山登りをし、友達と会話を交わしていたMさん。突然身体の自由が奪われ、コミュニケーション能力まで減退した。そんなMさんにどんな言葉がかけられるだろうか?
 リハビリを始めて2週間経つ頃からMさんはベッド上に自力で起き上がれるようになり、ベッドから車椅子に移乗することも上手になってきた。少しずつ出てくる言葉が増えてきた。リハビリを始める前は「そんなことをしても気休めよ」とあきらめの境地に陥っていたが、身体を動かすコツが分かるようになってきだした頃から少し気持ちが上向いてきたようである。リハビリにも熱心に取り組むようになってきた。不自由になった自分の身体を受け入れてやっていかなければと思い直して頑張っているのだと思った。しかし、Mさんの心は揺れ動いていた。時々やり場のない怒りがこみ上げてくるようで「主人がなくなってから、頑張って3人の子供を育ててきたのに何でこんなことになってしまったのか?」と突然泣き出す。大変な病になればなるほど病を自分のこととして受け入れることはなかなか出来ない。自分もパーキンソン病と診断された時は驚き混乱状態に陥った。そしてこのようになった運命に対して怒りの心が湧き上がる。この現実を認めたくないと必死でもがくうちに疲れ果てて、あきらめの境地へと変わっていく。自分は今、目の前にいる人達と違う世界にきたのだと思うようになった。何を見ても感じない、カラーの世界から白黒の世界に入ったような感じと言ったらいいだろうか。病を受け入れるまでに心は行きつ戻りつを繰り返す。それを繰り返しているうちに運命に抗しきれないことを悟るようになる。それを悟った時、今までの自分が見えてくる。突然のショックから様々な思いを経て病を本当に受容出来るようになるまでに3年かかった。たまたま読んだ本に蛙の指が出来る過程が書いてあった。指は最初から5本に分かれているのではなく指の間に水かきがついている、その細胞がある日突然自ら死んでいき5本の指になると。それは最初からプログラムに入っていた細胞死だと。蛙の手さえそうであるなら自分がパーキンソンになるのも最初からプログラムに入っていたのではないかと思った。とすれば病も私の個性のひとつではないのか。そう考えることが出来るようになった時、始めて病を受容出来たのである。病を障害と思うのではなく自分の個性だと思えば病は病でなくなる。病を受容するということは今までと違う自分を発見することなのだと思う。もっと言えば今までと違った人間に生まれ変わることではないだろうか。

                             2005・3・20
                                        by ゆうこ



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