2003.12.7作成

002 忘れられないできごと
by ゆうこ
  
実際に介護をはじめる
 
1987年(昭和61年)に「介護福祉士」という国家資格が出来た。
幼稚園教諭と保母の資格は持っていたが、これからは高齢化社会になるだろうと考えて介護福祉士の資格を取ることにした。
当時「介護福祉士」の資格を取る方法は3通りあった。
*1つは介護の実務経験を3年以上積む。
実質3年経つと受験資格が出来る。
*2つ目は介護福祉士を養成する専門学校に入学して一定の単位を取ると(3年間)卒業と同時に資格がもらえる。
*3つ目は保母の資格を持っている場合、短大の専攻科で1年間学ぶ。
卒業すれば「介護福祉士」の資格が貰える。
当時は専門学校も少なく受験者は実務経験を積んでいる人がほとんどであった。
私は短大の専攻科で1年間学べば資格が取れる。
しかし、そのような余裕はなかった。
仕方なく3年間の実務経験を選んだのである。

心身に障害を持っている人のお世話をするのは大変なことだろうと想像はしていた。
でも同じ人間、こちらが誠実と優しさをもって接すれば相手もそれに応えてくれるだろうと思っていた。
だが3日目にその考えは吹き飛んでしまった。
何の知識も技術もないまま飛び込んだ介護の世界、無免許で車を運転するようなものであった。
力まかせに介護していたら、3ヶ月で手首と腰を痛めてしまった。
体力的にも大変だったがもっと大変だったのは接し方であった。


接し方が分からない―拒絶される

私が初めて担当したOさんは(85歳・女性)左半身麻痺の方であった。
ハッキリとした性格で思ったことはストレートに言う。
入浴は週に2回だったがいつも直前になると、「今日はやめる」ということがよくあった。
どうしてか?理由を聞くと「私はあんたたちのように動けんのじゃけんな、汗も出んわい」と言う。
「動かなくても汗は出ますよ、血の巡りも良くなるし入りましょう」
「私は昔から風呂が好きで毎日入っとった。それでも何の因果か知らんけど、こんな体に・・・」
「これ以上、悪くならないようお風呂に入りましょう」
「いい加減なこと言う。今以上悪くなる時は死ぬ時よ。とにかく風呂には入らん!」
こんな会話があってから3日後、Oさんは担当を替えて欲しいと主任に訴えたのである。


まず相手の思いを受け止める


ショックであった。
何故か?気に障る言い方をしただろうか?
色々教えてくれるベテランの寮母さんが(この頃は、まだそうよばれていた)「理論上はそうかもしれん、でも人間は理論通りには動かん。元気な人に対して嫉妬心も持っている。Oさんが一番気にしていることを言ったのは拙かったね」
自分がパーキンソン病になって、体が自由にならない時に元気な人を見ると羨ましいと感ずることがたまにある。
理屈ではないのだと思った。
担当してからOさんと交わした言葉を思い浮かべてみた。彼女はよく変な思い込みをしている、それを正そうと説明ばかりしていた。
私は一度も彼女の思いを、受け止めていなかった。
事実はどうであれまずOさんの思いをすべて受け止めなければければならなかったのである。
すべてはそこから始まる。自分の思いを受け止めてくれない人間に心は開けない。
Oさんでなくとも、担当を替えて欲しいと思うのは当然である。
うわべだけの優しさなどすぐに見抜かれてしまう。
介護も、単なる収入を得る為の仕事と割り切ってやればそれでもいいだろう。
なかにはそのような人もいた。
だが本当にそれでいいのか?
Oさんに問われているような気がした。
萎えた気持をリセットし、ネジを巻きなおした。

介護は技術でなくて心であると書いた。
介護(看護)技術は不必要ということではない。技術の伴わない介護はオイルのない車のようなものである。
身体的な介護技術、やり取りの技術など少しでもコミュニケーションの取り方を学んでいれば、Oさんとの人間関係もあれほどまでにこじれなかったかもしれない・・・。(手首や腰を傷めずに済んだと思う。)

私の介護実践の幕開けは惨憺たるものであった。


コミュニケーション (1年後実際にあったやり取り)

〔やり取りの事例・その1〕
75歳(女性)松山さん
体は特別これといって悪くはないが、日頃から「妙なことになって」「辛い」ということを
口癖のように言っていた。

実習生との会話

学生「松山さん、食事の時間よ。食堂へ行こう」
松山「いけん」
学生「どうしたの?」
松山「妙なことになって、動けん、どこも全部妙なことになってしまった」
学生「ぜんぜん、妙なことになってないよ。大丈夫、食堂へ行こう」
松山「立てん、足も手も妙なことになって動けん。ああ、つらい、つらい」(頭を抱える)
学生「大丈夫、行ける、行ける」
松山「ああ、つらい、本当につらい」
学生「妙なことになってないよ。食堂へ行くよ」
松山「あんたら、そんなこと言うけど、私がどんなに辛いやら分からんやろ!」
学生「・・・・・」何も言えず立ち去る。

この会話を聞きながらOさんに入浴をすすめて拒否されたことを思い出していた。
ゆうこ「松山さん、食事に行きませんか?」
松山「いけん」
ゆうこ「いけん?どうしてですか?もし良ければ聞かせて下さい」
松山「妙なことになって、動けん、どこも全部妙なことになってしまった」
ゆうこ「妙なことになったのですか?それはつらいですねえ」
松山「そうよ、つらいわい」
ゆうこ「どんなことが一番辛いですか?」
松山「足も手も妙になって動けんのよ」
ゆうこ「それは大変ですね。看護婦さんに言いましょうか?」
松山「言っても同じよ。」
ゆうこ「同じですか?どうしたらいいか又一緒に考えましょう。」
松山「たのむよ」
ゆうこ「はい、でもその前に御飯食べませんか?」
松山「そうじゃなあ。」一緒に食堂へ行く。


真っ当に生きよ

10年近く介護の仕事をしてきて、今振り返ってみると恥かしいことばかり。
半分は懺悔録のつもりで書いている。
介護の仕事で問われるのは、資質というより想像力の有無。
それと生き方や仕事に対する考え。
初めて受け持ったOさんから、いい加減と言われ拒否されたことで、
「真っ当に生きよ。真っ当に仕事せよ」と言われたように感じた。
ここで真っ当な仕事を(生き方)しなければ駄目人間のままで終ってしまう。
そう思った時から少しずつ変わっていったような気がする。
入居者からそれを教えられた。
でも実践するとなるとなかなか難しい。   
  


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