2004.06.02作成

012 我が入院記 最終回
by ゆうこ


ゆうこさんの入院中、病院から送られてきた便箋に書かれた原稿。1回に7枚くらい、小さな字で書かれている。病院のベッドの脇の床頭台を思い浮かべ、どうやってこの原稿を書いたのだろうと思った。


BC錠・Y先生・人それぞれ

今年発売になった新薬(BC錠・非麦角系アゴニスト)に変えてから1ヶ月経った。
BC錠は今のところ私と相性がいいようである。一番の効果は振戦に対する作用である。
昨年の6月から、1日にメネシット1錠(100mg)を3時間おきに6回のんでいた。(アゴニストは麦角系カバサール1rを朝・昼・夕に服用)BCをのむ前の薬効持続時間は平均1時間半であった。
切れると同時に激しい振戦が始まる。特に右手がひどく、コップを持ってもまともに口に持っていけないほどであった。床頭台を持つと振度(震度?)7〜8くらいの地震かと思うほど、ガタガタと音を立てて揺れていた。現在は回数も振度も軽減している。薬効持続時間は約30分、時にはそれ以上延びた。しかし、それからがなかなか延びない。退院の許可が出そうで出ないのは、それが原因だろうか?主治医のY先生は「もう少しBC錠を増やすことも出来る」と言われた。
しかし最初Y先生に診ていただいたときのことを思うと、かなり楽になった。動悸、頭痛、腹部膨満感、浮腫などの症状も軽減した。
久しぶりに味わう、普通の感覚(元気なときからみると70%くらい)に涙が出るほどうれしく思った。その思いを先生に伝えると、微笑みながら「僕もうれしい」と言われた。その言葉を聞いたとき、Y先生に診て頂いてよかったと思った。病に対する考え方も変わった。それは主治医であるY先生によるところが大きい。正直に告白すると、最初はとっつきにくい感じを受けた。先生も私のことを(症状も含めて)扱いにくい患者と思われていたかもしれない。(あくまで私の想像です)先生と話しているとき緊張しているのが自分でも分かった。
私の担当看護師さんはそのことを心配していたと最近話してくれた。彼女は親身になって話を聞いてくれ、動けないときには、よく世話もしてくれた。人の心の痛みが分かる看護師さんである。彼女にはとても感謝している。)
そんな時に書いた文章を(APPLEに掲載するため)叔母に見てもらった。それを読んだ叔母が、私の心の貧しさを見抜き「哀しい」という顔をした。ハッとした。そこにあったのは傲慢を捨てきれない醜い自分の姿だった。
病によって、少しは人間的に成長したと思っていた。何のことはない、病を盾にしてそれを特権のように振りかざしているだけ。これではせっかくの病を無駄にしているだけである。病を糧にして(人間として、らしく)生きなければ病んだ意味がない。そのためにはまず自分が変わらなければならない、もう一度自分を見つめ直そうと思った。
自分が変わらなければ相手も変わらないと言われるが、そう思うようになってから少しずつY先生に対する気持ちが変わっていった。それとともに先生のすばらしさが見えてくるようになってきたのである。人の心とは不思議なものだと思う。
 Y先生はたくさんの患者さんを抱えながらパーキンソン病のためにいろいろのことをしておられる。そのひとつに毎月1回開いているパーキンソン病講座がある。パーキンソン病をより多くの人に知って理解してもらうためのいわゆる啓蒙活動だろう。ほかから講師を招いたり、先生自らお話をされる。私が初めて先生と出会ったのもこの講座であった。帰り際「大体、毎月開いていますから、体調のいいときにまたいらしてください。」と、ソフトな感じで言われた。
主治医との信頼関係が体調にかなり影響を与えると言われている。
Y先生とのコミュニケーションがスムーズに取れるようになってから、少しずつ気持ちが明るくなっていくのを感じた。先生は私の性格を見通しておられたと思う。「先のことは考えないようにした方がいい、今がよければ良し。悪くなったらそのとき考えればよい、一喜一憂しないように」と何度も言われた。
最初は「そうは言っても考えますよ」と、口にこそ出さなかったけど思った。が、今はその言葉がストンと心に入るようになった。
神経内科専門のドクターが少ない地方都市で、Y先生の奮闘振りは(見ているだけでも)目を見張るばかりである。先生のご活躍に心からエールを送りたい。

入院したとき15人だったPD患者は現在8人になった。6人は病状が改善して退院していった。(一人は亡くなった。)
710号室の3人のうち一人は5月5日に退院することになり、1年半に及ぶ入院生活にピリオドを打つことになった。この人は、現在もEP錠の長期投与試験を受けている。
もう一人は最近元気がなく、ちょっとしたことで落ち込むようになった。彼女もEP錠の長期投与試験を受けていたが、正確に時間ごとに薬を服用し記録することが難しくなったため、中止になってしまった。毎日何度も熱を測っては(7度前後かそれ以下)アイスノンを持ってきてと言ったり、気分が悪いと言って寝てばかりいる。私とあまり齢が変わらないのにと思うと切なくなる。「Kさん、辛いだろうけれど共にがんばろう」と言うと「そうね」と言うが…日ごとに元気をなくしていくKさんを見るのは辛く、心が痛む。
でも私はどうしてあげることもできない。
肝臓の病気で入院していたNさんは1週間前に亡くなった。(新聞に載っていた年齢は59歳であった。)看護師詰め所に一番近い部屋に移されてから1ヶ月と経っていない。少しでも元気になってほしいと千羽鶴を折っていた。100羽折った時点で持って行き、その後も祈りを込めて少しずつ折っていた。200羽近く折ったところでNさんは帰らぬ人となってしまった。ベッドにポツネンと座っていたNさんに「かわいいお孫さんのために元気になってください」と言うと、にっこり笑って「ありがとう」と言ったのが最後に交わした言葉になった。
 
千羽鶴 願いむなしく 旅立ちぬ ただただ祈る やすらけくあれと

私は連休の明けた頃に退院することになった。この病は100%の改善を望まないで70〜80%改善すればよしとされている。叔母の知り合いで発病してから6年目で現在車椅子のご婦人が、よくなったという私の様子を聞いて、お話がしたいとご主人さんと一緒に面会に来られた。歩いてる私を見て「いいですねえ」と言われた。動けなくなった体験をしていたので、その方の気持ちは痛いほどよくわかった。彼女を見ていると私のような震えは全くない。聞くと震えは一度も体験したことがないと言われた。痛みもないと言う。一瞬うらやましいと思った。だが人それぞれ違うのである。比べることは出来ない。
辛さは誰にもある。何の病であれ、辛くない病はない。歩けない人は歩ける人をうらやましいと言い、糖尿病で食事制限されている人は、私が食べているものを見てうらやましいと言う。その言葉を聞いたとき「動けず手が震える方が辛い」と言ってしまった。だが、そう思うのは間違っている。好きなものが食べられない辛さはなった者にしかわからないのである。動けない辛さも、肝臓病が悪化した時のだるさも…
人それぞれなのだ。病も辛さも!!      2004年5月1日     by ゆうこ

追記
これで「我が入院記」は一応終わります。やむなく途中下車をして、各駅の鈍行列車に乗り換えましたが、超特急ならば見えない風景がたくさん見えます。出会うこともなかったであろう素敵な人との出会いもあります。これからもトンネルはいくつもあることでしょう。明けない夜はないように、どんなに長いトンネルでも、いつかは抜けるでしょう。いろいろな風景を楽しみながら旅を(人生の)するのも、また違った意味で味わい深いものだと思います。
今は少し余裕が出てきたのでこんなことを書いていますが、何かあるとオロオロとしてしまうでしょう。そんな時主治医のY先生の「一喜一憂しないこと」という言葉を思い浮かべ、ぼちぼちと歩んでいこうと思っています。
拙い入院記を最後まで読んでくださってありがとうござました。





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