2005.04.03作成

018 パーキンソン病10年目の思い
by ゆうこ

『貴重な体験』 5回目
    
パーキンソン病と診断されて10年経った。
現在(H17・2・25)、薬合わせのため入院をしている。これで5回目の入院であるがこの病院への入院は初めてである。病院のあるM市は落ち着いた城下町で病院の西側に小さなお城が建っている。JRの駅から20分程の所にあるK労災病院は他の病院にない設備が(潜水病治療)備わっているとパンフレットに書かれていた。病院は隅々まできれいに磨かれていて気持ちがいい。又、各階に談話室があり(階ごとに椅子の色が違っているのもうれしい)各テーブルの上には可愛いコップに季節の花が活けられている。そのほか、洗面所やナースステーションにも絶えることなく花がある。ともすれば殺風景になりがちな病院でこういった心配りはうれしい。 
 病室は一番西の端である。トイレから一番離れており薬が切れている時はとてもトイレが遠くに感じられついため息が出てしまう。(現在はトイレに近い部屋に代わっている)
部屋は4人部屋である。転んで頭を怪我したDさん、脳梗塞を起こしかけたMさん、首の血管が両方とも詰まって脳に血液が行き難くなったSさん。3人とも脳神経外科の患者さんである。

入院したのは薬効持続時間が短くなり、薬を飲んでも効かないことが度々起こるようになったので薬の再調整をするためである。現在の身体状況はかなり厳しい。動けない時間が増えた。薬が切れると突然振るえが始まる。全身の痛みに襲われる。なかなか薬が効いてこないと気が狂いそうになる。そんな時トイレに行きたくなったら最悪である。詳細は省略するがかなり情けない思いを味わう。すくみが出るようになった。転倒することも多くなってきた。すくんでいる時、無理に足を出すと突進してしまう。立っていても前か後ろにバタンと倒れそうになる。座っていると右側に倒れるようになった。寝てもドーパミンが溜まらないようになった。自律神経症状が顕著になってきた。そして薬による副作用にも苦しめられている。全身をシビレが襲う、胸苦しさ、胃部周辺の不快感、薬による口内乾燥、唾液分泌減少、それから派生する口内炎、睡眠障害など、どれをとっても苦しいことばかりである。この病は残酷な病だと思う時がある。廊下を手を振るわせながらヨタヨタと歩く自分の姿はとても目立つ。かなり年をとった人から好奇の視線で見られると、複雑で情けない思いにかられる。人間としてのプライドがズタズタになる。そんな時片足が無いほうがまだいいと思うことがある。癌のほうがましだと思うこともある。癌は治る可能性がある、手も振るえない、痛みもかなりコントロールできるようになってきた。少なくともプライドが傷つくようなことはないだろう。

 少しずつ進行していく病は刑の執行を待っている死刑囚のようでいい気持ちはしない。最初のうちは徐々に進行していく病だから病と共生出来ると思っていた。しかし、パーキンソン病はそれほど甘くない。何とかなると思っていられたのはまだ序の口であったのだと・・・思う。薬を何度変えただろうか?少し改善したと思っていると症状が進む、又、薬を変えるといういたちごっこを繰り返しながら10年間過ごしてきた。こんなことがいつまで続くのだろうと思う。今は良い薬が色々出てきて平均寿命に近いくらい生きることが出来るようになってきたといわれる。いい薬が出てきたというものの病の進行を止めることは出来ない。薬合わせはアゴニストを増やして様子をみている。入院前は1日6錠だったが現在9錠服用している。どうなるかまだ分からない、手探りでやっていくしかない、やってみなければ分からない。〜かもの世界なのである、未だに!

 首のところを手術した同室のSさんは人情味の厚い人である。はっきりとものを言う。私が振るえながらミカンを食べていると「根性あるね」と笑いながら言われた。(根性などではない、ただ食い意地がはっているだけである)どんな状態の時でも食事だけは残さず食べるようにしていると言うと「食べることにそれだけ情熱があるからまだまだいけるよ、頑張りな!」といつも声をかけて励ましてくれる。
Sさんの病もそう軽い病ではない。しかし人を思いやる気持ちが人1倍強い。それに比べて自分はどうだろう。薬が切れてOFF状態が続くと全くと言っていいほど人の気持ちを思いやるという気持ちはなくなってしまう。早くONにならないかという思考回路しか働かなくなるのである。何でもないときは誰でも優しくなれる。私は苦しい時Tさんのように人を励ます言葉は出てこない。この違いはどうして生じるのかと思う。持って生まれた人間性なのか?口では言い表せない程の苦労をしたから人の心の痛みが分かるようになったのか?苦しみや苦労はないほうがいいと思う。だが人は苦しみの中にあっても優しくなれる。いいかえれば苦しみの中にある時こそ人間としての真価が問われるのだと、Sさんをみて思った。
 苦しみを単なる苦しみだけに終わらせないで、病を糧として少しでも(人間的に)成長しなければ病んだ意味がないような気がする。自分は誰にも出来ない貴重な体験をしているのである。この病は自分を成長させるために与えられたのだと思えば苦しみも只の苦しみでなくなるだろう。この苦しみを無駄にしない生き方が出来るかどうか?今、問われているような気がする。


ファイル作成 Almond


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