2004.01.26 作成
2004.01.27 更新

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定年退職までの道 原稿 山本さん


CONTENTS
定年のあいさつ
ありのままに書くと
家庭で、会社で
試される日々へ
新たなステージ
写真・山本さんが工夫して作った道具・設備・家具
   大五郎    トイレの可動式手すり   木製ベッド  

はじめに

『定年退職までの道』は「友の会・若年性掲示板」に掲載された山本さんの手記です。
パーキンソン病という重い荷を背負って定年まで働き続けることがどんなに大変なことか、私たち患者には想像がつきます。
この文章は、現在仕事をしている方には励ましと希望を与え、患者でない方には私たち患者の苦痛と勇気がどんなものかを理解する助けになるでしょう。
山本さんが立派だと思うのは、病気を引け目に思い黙ってしまうのではなく、プライドを持って自分の主張をしたこと。
労働組合があったことも幸いしたのでしょうが、勇気のいることだと思います。
山本さん、定年を迎えられて本当におめでとう!(Almond)


≪定年のあいさつ≫
 本日は私の定年退職日にあたり、業務多忙の中、こういう席を作っていただきまことにありがとうございます。
振り返ってみますと人生は長いようで短い。
24歳の世間知らずだった私が、こうして何とか『定年』というひとつの節目を無事迎えることが出来ました。
これは入社以降、迷惑をかけ通しだった保証人、よき上司、先輩、同僚、そして後輩に恵まれた結果で、「生意気な若造」をここまで導いていただいたおかげと心より感謝しております。
 入社時、工場長から「転職は20歳まえにするもんだよ!ナー」と言われましたが、新職場で「別世界」を見ることになりました。
当時のガス会社の工場長、次長と一杯飲んだ席で「お前には何の取柄も資格もない!! それでは世間は渡れんぞ」、「シャーナイナー」という痛烈なビンタでした。
それはくやしくも当たっており、私は発奮しました。
社外では4時終業後、君津市の技能開発センターと市内の学習塾へ通う一方、社内でK課長、T次長からマンツーマンで測量、物理、数学、化学の特訓を受けました。
 やがてそれが仕事に成果として現れてきました。
 「富士山の頂上を極めるには、登山道は一つだけではない。」
 「常に準備せよ」というレーニンの言葉から、様々な仕事上の資格をとったことで私は大きく変化しました。
何事にも自信が出来、チャレンジするという気持を生み、「仕事が楽しい」と思うようになったのです。
そして独立という構想を描き館山へ出向し、リストラの嵐が吹き荒れていた時期には工場長から―人間万事塞翁馬―という言葉をいただき仕事をしてまいりました

 わたしは52歳のときパーキンソン病という難病に出合い、8ヶ月休業しました。
「なぜ自分だけが不治の病に???」と落込んでいたとき、上司から「人間は老いれば皆同じになる。その時期が何年か早く来たにすぎない、と考えれば楽になりますよ」と励まされた。
またリハビリを見た同僚からは「もう仕事できるよ、早く出勤を、待っているよ」と力強い援軍の言葉を貰いました。
総務に移ってからも部長をはじめとする手厚い庇護があったればこそ、パーキンソン病と向かい合いながらの勤めが出来たのです。
長い道でした。
同病の仲間、組合仲間からも祝福をいただいています。感謝の念でいっぱいです。
病気を持ちながら働いているのを某テレビ局が紹介する話がありましたが、「若年性患者」の方に譲り辞退しました。
34年間、私を育ててくれてありがとうございました。


≪ありのままに書くと≫

平成15年○月○日 60歳定年退職となりました。34年勤めました。
パーキンソン病と診断されたのが平成7年12月(52歳時)、体力が衰えていく時期であった。
土木工事 施工、管工事施工の「現場監督」という仕事のため、時には力を必要とすることもあり、また製図・見積りなど精密さを要求されることもあった。
 今思い出してみると発病時には数回のギックリ腰を重ね、夏でも足が冷えるという状態が続いていた。また左肩痛で左手が振れなくなった。50肩と思っていた。
 病院を何回か替えた末、やっとパーキンソン病と分かった。
そのころ、会社の不況のあおりで出向、配転で仕事が転々と変わり、行きついた職場はコンピュータ管理のプラント運転業務(夜間勤務)だった。                              

冬場の夜勤はつらく冷感痛との攻防に苦労し、夏はコンピュータを一定温度に保護する冷房と闘った。しかし忍びくる冷感に勝てず肩痛に締め付けられ、とうとう耐えられず日勤職場へと替えてもらう。
ここから、私(パーキンソン病者)と会社(上司)との確執が始まるのです。
4年と10ヶ月続いたことになります。
主治医から身体障害者手帳5級「軽作業なら可」という診断のもと、就いた職場は厚生施設の管理、焼却炉の運転、構内の清掃作業が主たる仕事となった。
パーキンソン病は「百人百様」といわれるほど患者の症状が違う。
私の症状は筋肉固縮による痛みが主なものでした。その痛みとの闘いであった。
友の会から届いた会報の記事に、痛がる息子を夜中に介護す父親の悲痛な声があった。
また別の会報を通して「on、off現象」「すくみ足」「突進現象」「振戦」等の症状がパーキンソン病にはあることを学んだ。会社の上司にも私を理解するために病状を知って欲しくて、度々「読んでください」と会報を読むことをお願いしてきました。
しかし読むことは「不要」と断られ続けました。国会請願署名など、してはもらえなかった。
これはつらい出来事の一つであった。
会社構内で社用車の運転中、側溝の蓋を跳ね上げボディにキズをつけてしまった。
即、社用車の運転を止められてしまった(フォークリフトもダメ)
それから仕事では手押しの一輪車を使わざるを得なくなったのである。
夏場の雑草刈で、肩、腋、腰、ひざを痛めた。
自分から会社を辞めていくのを待っているような感じを受けた。
会社のワナには絶対にハマらない、そのためには仕事に精を出すことだ。
どうしようもないジレンマに陥ってしまった。ここから抜け出すためには自分で工夫するしかない。
そこで4輪の台車を考えついた。
『子連れ狼』というドラマが流行っていた。子供(大五郎)を押し車に乗せ旅をするものだ。
できあがった台車は人から『大五郎』(写真)と呼ばれ、作業は一段と楽になった。
しかし会社はせっかく工夫して作ったその器械を認めず、「私物を社用に使用してはいけない」ということだった。
その時ばかりは3時間あまりも上司と議論してしまった。
『大五郎』が使用できるようになるのは更に時間がかかった。
一つ一つの仕事が試されいるように感じられた。
「障害者いじめは、やめてくれ!!」「足の悪い人が義足で松葉杖をしようすることと、どう違うんだ」
今やっていることが仕事として出来ないといえば、現状で出来る仕事の領域は狭められていく。
その先にはリストラがある。
会社からは「君はすぐ組合に相談する、その前に会社と話し合いを持ってくれ」と言われた。
会社(上司)は私が持参する友の会会報も読んでくれない状態であり、幾度も衝突を重ねた。
組合の役員からは「会社と私のトラブル」がファイル一冊分になった、と聞かされた。



家庭で、会社で
毎日のことだが朝目覚めて、「今日、身体は動くか?」とソロリンソロリと手と足を動かしてみる―病気の進行が心配だった。
思案ばかりしていても何もよくならない。それより動けるうちに、今できることをやってみようと、日曜大工にチャレンジすることを決意する。
手始めに、階段、玄関、風呂、トイレに手すりをつけた。
薬の効き具合に合わせて、身体の調子がいい時に小屋のトタン板を張替えた。
ひさしも同時に作った。重く移動が困難なもの(テレビ、テーブル、タンス、本棚、ストーブ等々)にキャスターをつけた。
更に風呂場、台所のドアを引戸に作り変えた。
共働きの女房が夜、ゆっくり安眠できるようにと、一人でトイレに行けるよう手すりを可動式に(写真)する工夫をした。
木製のベッド(写真)を造り、今は一人部屋で一人生活。
”出来ることは自分でやる”を実践しています。
以上は家庭でのことです。
職場では、刈り込みバサミに脱着式の「柄」をつけたり、「排水管つまり」の掃除用にエンジンポンプによる圧送洗浄を行い、手作業を極力減らした。
平成7年からみると症状は確実に進行し、痛みが肩、足、首からヒザ、腰、腕、手首へと広がってきている。
朝夕の「すくみ足」「ヒザ痛による立ち姿勢での仕事」がつらい時は、ヒザをついて「更に地面に座っての作業」―これならできる、ということで仕事に当たってきた。

会社は働きに行くところ、利益を上げなければつぶれてしまう。
パーキンソン病であれ、障害者であれ勤めるということは必死に働き心身をすり減らすものだ。
会社は慈善事業をやっているのではない。
世間ではリストラがまかり通っている。こういう中でパーキンソン病患者が如何にしてでも勤務実績を残していくには、他の人の倍以上の努力が必要だ。

仕事の厚生施設管理に「焼却炉」の管理(運転などの作業)というのがあった。
主治医から重たいものを持つ作業は避けるように言われていた。しかしそうは言われていたが他の人に気安く替わってもらえるものではない。
実情は焼却炉の炉台、(高さは80cm程)まで新聞、雑誌、食堂からの生ごみ、木材(チェーンソーで切断するのも仕事のうち)等の重たいものを持ち運ぶ。更に突っ込み棒(重さ8kg)で炉内をかき回す。そして構内に広がる側溝浚い物は水分を含んでいる(比重1.8)。これは捨て場へ一輪車で運ぶ。この時期まだ『大五郎』は存在していない。パーキンソン病患者が一輪車でバランスを取るのは大変難しい事なのだ。肩、腋、腰に痛みが出た。更にジャングルと化した構内緑地帯の伐採、刈り込みが待っていた。しばらくこのような状態が続く。
とうとう休業の診断書が出た。
仕事に追い詰められ、追い込まれていた。



試される日々へ
床に臥して考えるのは…家計のこと。
女房はパートで収入は少ない。長女、次女は家を出ている。長男は大学受験だ。
このまま復職できなければ長男の進学はダメになるばかりか生計が立たない。
自殺を考えた。
車庫の鉄骨のハリにロープを・・・・・・

夜中、あまりの痛みに主治医に電話した。精神科でカウンセリングを受けることになった。
通院をめぐって夫婦で言い争うこともあった。
この状態を見かねた友人が病院への送迎を手伝ってくれた。カウンセリングの先生からは熱中できる趣味を持つことを勧められた。友人は「声を出す訓練にもなる」とカラオケに誘ってくれた。
一方、身体のリハビリに近くの公園を歩いた。公園を歩いた時間等を記録に取り、周回していた。そこで私とは反対に右腕の振れていない人を見つけた。その人と親しくなり、公園歩きを日課とする友人となった。さらにカラオケも一緒にやるようになり家族ぐるみのお付きあいに発展した。
友人たちに救われたのです。
そうなってくると一時自殺まで考えた「最悪の状態」から抜け出し、「どう生きるか」を考えるようになった。
                            
主治医は復職に当たり「体を慣らすため、はじめからフルタイムではなく半日勤務できればそうした方がよいでしょう」と言ってくれた。
労働協約第20条には業務外の傷病により欠勤が一定期間を過ぎると休職を命ずる、という項目があった。私の場合19ヶ月は欠勤(給料あり)が認められることになる。
更に36条には・・・・身体に故障があるか、または虚弱老若疾病のため、業務に耐えられないと認めたとき解雇する、というのがあった。
結果として会社は半日勤務を許してくれなかった。
@19ヶ月も欠勤したわけではないが復職後の欠勤の繰り返しは困る。
Aフルタイムの仕事に耐える
そしてこの二つのリトマス試験紙をつけられて復職した。
「試される毎日」が続くことになる。

新たなステージ
車は行動するには欠かせなくなり、軽のハコバンに変えた。運転には細心の注意を払っている。
疲れたと感じたときや身体が不調時には運転を止め安全な場所で駐車して荷台で「大の字」で寝て回復を待つのである。
また乗り降りしやすいように取っ手をここぞと思う箇所ににつけた。
私の痛みがどんなものか?
他人に理解してもらうのは嬉しい。他人の痛みとどこが違うかもわからない。
けれど同病の人と会ったとき、自分と同じように「この人も、痛くて痛くて、不自由で苦しんでいるんだ」と考えた。
パーキンソン病になり初めて、人の心の痛みがわかるようになったのだ。
その「思いやりの心をもつこと」ではパーキンソン病に感謝している。

考えてみると、今出来ることからのチャレンジ、いつしか趣味同様となり、大工道具も結構そろった。 また、医師、友人からのすすめで始めた「カラオケ」通いは、今も続けている。
台車の作成からはじまった行動領域の広がりが私に新しい人生のステージを造ってくれた。

障害者用の「風呂場での−折りたたみ椅子」は数万円する、それなら自分流に作ってみるかと考えるようになった。
そういう考えの変化が、図面を描き身体を動かし続ける結果となり、私とパーキンソン病は定年というゴールをきることができた。
その辺りは私は多分に恵まれていた。
並みの人間でさえ働き続けることが大変な時代に、病人(弱者)が働き続けることは本当に大変です。私にとっては労働組合というバックがあり、大きな支えとなってくれました。
条件がよかったこともあります。
工務課という職場に10年余り在籍していたので何でも屋的なものを持っていたからです。
でも人生は、これから、どうなるか分からない。
定年後は体の許す限りボランティアでもいいから、培ってきた少しばかりの技術と知恵を無駄にしないよう生活を送りたい。

最後に私の病気で、通院の送迎・現在の心配・先の心配と、私以上に心労を重ね、看護にあけくれている共働きの妻の支えがあったからこそ、私は無事定年を迎えることが出来たのです。
感謝しても感謝しきれない気持でいっぱいです。
 ありがとう!


写真・山本さんが工夫して作った道具・設備・家具


手押し台車「大五郎」



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可動式トイレの手すり



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工夫された木製のベッド



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 ファイル作成 Almond

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