2007.03.12更新

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死の淵から―40時間の無動体験記 by ゆうゆう

ゆうゆうさんの「blog 介護byゆうこ」に掲載された文章を一部再編成しています。

 はじめに   1.転ぶ   2.届かない   3.悪性症候群   4.生への闘い 
 5.淡い期待   6.寒さと痛みの中で   7.幻聴  8.祈り  9.死の淵から   エピローグ

はじめに

(突然、無動になり40時間近くを過ごした体験からゆうゆうさんが感じたこと)

1、パーキンソン病の「無動」の本当の怖さを知った。

2、一見、何でもないような日々が、危ういバランスによって保たれていること。

3、一人暮らしをしているいないに関わらず何か起こった時、どのようにして外部と連絡を取るか、真剣に考え対策を講じておくこと。

NTTに緊急通報用機器として、ボタンを押せば3ヶ所に通じる装置があるとのこと。ワイヤレスタイプで31,290円、ペンダントタイプで22,110円。


 以下の手記は私の体験が何らかの参考になればとの思いで書きました。
今の思いは?と問われれば、「私は再び命を与えられた」と答えるでしょう。
こんな自分にもまだ何か為すことがあるということだと・・・・思います。
今までのように自己中心的な生き方をするのではなく、「人のために自分の為すべきことを考えよ」と言われたような気がします。
「自分に何が出来るか?」
たいしたことは出来ないだろう、でも何かあるはず・・・・・。

 長く生きていると色々なことが起こる。
パーキンソン病になって13年目になる。少しずつ進行してはいたが、大きな事故もなく何とか13年過ごしてきた。
薬が効かなくなったり一時的に無動状態になったりすることはあったが、今回の出来事は全く予想外で突然の出来事であった。
このような凄まじい体験をすることになろうとは・・・。もの心ついたときから今日に至るまでなかったような気がする。
予期もせぬ事態に陥ったとき、どのように思い行動したか、普段は理性で隠されている真の自分の姿はどのようなものか?
知っていれば何かあった時、少しは冷静な対応が出来るかもしれない。
また、私と同じ病を持っている方にとって、なにがしかの参考になればと思います。
特に病を持って一人で暮らしている方がこの体験を読んで、如何に日常生活を安全に過ごすか、考えるきっかけになれば幸いです。


 1、転ぶ

 夜9時過ぎ、寝るために2階に行く。
2階は3部屋で南側は洋室、真ん中と北側は和室になっている。
私は真ん中の部屋に布団を敷いて寝ていた。真ん中の部屋の前にトイレがある。
いつもしているように、薬、お茶、携帯電話を枕元に置いてパジャマに着替えた。
寝る前とて暖房は消していた。靴下も脱いでいた。
トイレに行こうか?薬を飲もうか?一瞬迷ったが先にトイレを済ませることにした。(この判断が、40時間近く私を苦しめることになるが・・・全く想像も出来なかった。)
3〜4歩歩いた所でストンと転んだ。左肘を支えにして側臥位のような・・・(といったらいいだろうか?)体勢になった。

 2、届かない

 左肘で身体を支えていたので腕が痺れてきた。仰向けになろうとするが動かない、何とか体位を変えようと右足を前に置き必死で右に身体を傾けた。
苦労の結果、体位が右側に返りうつ伏せになった。四つんばいになって薬の所まで這っていこうと思った。しかし全く力が入らない。今まででこのようなことは始めてであった。
母は1月17日に『静脈血栓症』で入院しており私は一人であった。母は私が行く度に「あなたを一人にしておくのは心配」と言い、担当のドクターに「なるべく早く退院させてください」と言っていた。 

 母は人一倍心配性な性格であった。私は「心配しないで、大丈夫よ」と笑いながら言った。しかし、母の杞憂が現実のものになったのである。
今までも力が入らないことがあったが・・・30分もすると動けるようになった。
今度も少し静かにしていれば動けるようになるかもしれないと思い直した。
30分程経って、もう一度思い切り力を入れてみる。
全く力が入らない!!
始めて「ことの重大性」を認識した。
このまま動けなければ最悪、金曜日の朝10時にヘルパーさんが来るまでこのままの状態で過ごさなければならない。
(壁にかけている時計を見ることが出来ない)金曜日の10時まで37〜38時間ある。何とかしなければ・・。

 隣の人を呼ぼうと大声で叫んだ。しかし、どちらも窓を閉めているため聞こえない。
隣の家とは1メートル50センチくらいしか離れていない。何度か叫んだが無駄であった。体力の消耗を防ぐため、隣の人が庭に出てきた時だけ叫ぶことにした。
それにしても今夜は寒い。
時間がわからない。
ギシギシという音が聞こえた。隣の奥さんが2階のベランダで洗濯物を干している!
よく夜に洗濯物を干す奥さんだった。
このチャンスを逃したら・・・どうなるかわからない。
あらん限りの声で叫んだ。

 「○○さーん!ゆうこです。動けなくなっています。弟の所に電話してくださーい。お願いします。」
3回叫んだ。
しかし、何の反応もなかった。
自分では思い切り叫んでいたつもりであった。だが全く聞こえていなかったのであった。
(パーキンソン病になると声が小さくなってくる。)
ギシギシいわせながら洗濯物を干していた○○さんの、ベランダの戸が閉まる音がした。気が遠くなりそうであった。

 3、悪性症候群

 ZZZZ・・・・・・少しうとうとしたようだ。何時か全く分からない。
首を上げ窓の方を見る。外はまだ暗い。
胸の所が少し痛くなってきた。
尿は3回出た、便は震えるたびにグニョグニョと出てくる。
いつもは便秘気味で排便に難儀をするのにスルスルと出てくる。よくこんなに溜まっていたものだと驚く。気持ち悪いがどうしようもない。

 少し、外が明るくなってきた。夜が明けたようだ。
気温が低いのか、ぬれている所が冷たい。足も手もジンジンしている。
サイレンが鳴った。朝の6時だとわかった。
隣や裏の喫茶店から人の活動する音が伝わってくる。
隣の奥さんが外の水道で何か洗っている音がした。再び、大声で叫んだ。
しかし、何の反応もなかった。

 今6時過ぎ、昨夜8時に薬を飲んでから10時間経つ。
『悪性症候群』のことが気になっていた。急に薬を止めると、発熱、著明な発汗、意識消失、せん妄、横紋筋融解などが起こり『死ぬ』こともある。
勝手に薬を減量したり止めたりしないようにと言われていた。どの本にもそのようなことが書かれていた。
どのくらい服用しないと『悪性症候群』の症状が出てくるのだろう?『発熱』とあるが現在自分がおかれている状況は、どちらかと言えば『低体温症』だろう。
今の所意識もハッキリしている。しかし、これ以上時間が経つとどうなるか分からない。足先から薬まで1m足らずである。現在の状況から抜け出そうと決心した。

 両手を胸の下にそろそろ差込みバックすることにした。2、30分くらいかかって両手を胸の下に差し込んだ。
「1、2、3!」と掛け声をかけて両手にあらん限りの力を込めて後ずさりを始めた。少し動いたような気がした。しかしほとんど動いていなかった。もう一度トライする力はもう残っていなかった。
腕が抜けなくなり状況はさらに悪化した。



 4、生への闘い

 転ばなければいつものように1日が始まるはずであった。他の人にとっては何でもない今日。
だが私にとってはこれから生への闘いが始まったのである。
何とか自分の置かれている状況を誰かに分かって貰わねばならない。耳を澄ませる、裏の○○さん、喫茶店を営んでいる○○さん。
隣の○○さんが外に出ている気配を感じると必死で叫んだ。何度も何度も・・・。
しかし、私の声は届かない。

 薬が体内から抜けていくのが分かった。振るえが(寒さのために震えているのも半分くらいあったと思う)しばらく続く、そして止む。すると身体が少しずつ強張っていくのである。
この繰り返しが何度も続いた。
尿はもう出ない、しかし震える度に便は体内から押し出されてくるのである。
この頃から胸部(両乳の真ん中当たり)の痛みが激しくなる。
頭部は意識して右向けたり左向けたりしていた。

 何時になったのか?ぜんぜん分からない。
少なくとも1月31日(水)夜9時過ぎに転んでから12時間は経っているだろう。
叫んでも声が届かない(声もかすれ、体力も消耗する)どうすれば、自分の置かれている状況を知らせることが出来るのか?
不思議だったのは叫ぶ声は聞こえないのに、近所の人が道路で普通に話している声は聞こえることであった。

 サイレンが鳴った。お昼のサイレンだ、すると動けなくなってから15時間経ったのだ。
身体は冷たく、手足の先は感覚がほとんどない。
今日から2月だ。
胸の所が激しく痛む。
自宅の電話が鳴った。きっと母からだ。とすると今は午前9時くらいだろう。
しばらくしてまた電話がなった。母が心配してかけてきているのだ。3回、4回、5回、6回、7回、8回、それから少しの間、電話が鳴らなかった。
心の中で母に呼びかけた。
「母さん!助けて!気づいて!」「弟か、ホームヘルプセンターの人に「何度、電話しても出ない。何か起こっている。見に行って!」と頼んで!お願い!
携帯電話も3回鳴った。

 心配しながら何度も電話するよりも、「様子を見に行って」と誰かに頼んで欲しい!
」しばらく鳴らなかった電話が又鳴った。「気づいて!誰かに様子を見に行って」と言って!!!
ここで誰かではどうにもならないと気づく。内側から鍵がかかっているのだ。合鍵を持っているのは弟だけである。
9日の夕方、母から電話が3回あった。ちょうど動けない時であった。心配した母が弟に「様子を見に行って」と言い、弟が来てくれた。
その時には私はもう回復していた。様子を見に来た弟に「生きているよ、母さんにあまり心配しないでね」と言っておいてと・・・。
皮肉なことである、その晩に転倒して動けなくなったのだから・・・。
それからも電話が3回鳴った。音が虚しく響き、空しく切れた。そしてそれ以後、電話は鳴らなくなった。


 5、淡い期待

 今は何時くらいだろう。時間が分からない。
少しすると小学生のような・・・賑やかな声が通り過ぎていった。とすると午後3時から4時くらいになる。
それから少し経った頃中学生くらいの声が聞こえた、2〜3人くらいであろうか。だとすると今は夕方の5時前後だと推測する。
電話に出ないので母が心配して弟に様子を見に行ってと頼んでくれたかもしれない。
夕方、仕事を終えてから弟が立ち寄ってくれるかも・・・と淡い期待を持った。

 身体の水分が抜けてしまったのか、口の中の唾液が枯渇してしまった。粘液質のネバネバしたものが口の中に広がって気持ち悪い。
首もだんだん回りにくくなってきた。唇が木の敷居に当たって痛い。歯にも当たっている。そして水ぶくれになっていた。目の前にスリッパが見えた。必死に右腕を身体の下から抜きスリッパを引き寄せた。唇が敷居に当たらないようにスリッパに顎を乗せた。 

 神様にお祈りした。「どうぞ、弟をよこしてください。チャランポランな信者ですが神様の存在は信じています。」
「もう、私は生きている値打ちもないと思われるのでしたら、そうなさって下さい。しかし、このような惨めな(糞尿まみれ)格好で死にたくはありません。」・・・。
「まだ、少しでも何か為すべきことがあるとお思いでしたらお助け下さい。今まで自己中心的な生き方ばかりしてきました。悔い改めます。どうか・・・。助けて下さい!」

 だんだん辺りが暗くなってきた。外を見ると真っ暗である。
何時だろう?弟が来るとすれば午後7時か、8時くらいだろう。時間が分からない。弟が来なければもう一晩、このままの状態、姿勢で過ごさなければならない。
もう祈るしかなかった。
母からと思われる電話ももう、鳴らなくなっていた。
ひたすら待った、祈りながら・・・。
しかしいくら待っても車の音はしなかった。
金曜日の午前10時にヘルパーさんが来るのを待つしかないのだろうか?
気が遠くなりそうであった。明日ヘルパーさんが来て気づいてくれるだろうか?
鍵もかかっている。カーテンも閉まっている。新聞は昨日と今日の分が入っているはずである。それにも気づかず「買い物にでも行っているのか」と帰ってしまったら・・・。
ついつい最悪のことを考えてしまう。

 しかし、ここで気力まで失ってしまったら・・・待っているのは・・・死・・・。
歌でも歌って気を紛らわそうと、自分の好きな歌を思い浮かべてみる。しかし、どうしたことか?出てきたのは『ウサギのダンス』であった。ソソラソラソラッうさぎのダンス、タラッタラッタラッタ・・・というあの歌である。何故この歌が出てくるのか不思議であった。作詞、作曲は誰だろう?単純だが軽快なテンポである。
・・・何時か分からない。
やはり弟は来る気配がない。



 6、寒さと痛みの中で

 寒い!身体中強張り、感覚もだんだん麻痺してきた。それに比例して痛みはますます酷くなってきた。
一番痛いのは胸であった。どうなっているのか分からないがとにかく痛い!としか言いようがない。敷居に張り付いたようになっている頬も痛い!唇はタラコのようになっているだろう。乳と乳のあいだがどう表現していいか分からないほど痛む。
身体の重みが全て胸の所にかかっているような感じである。もう少し豊満な乳房ならこれほど痛くないかも知れないと思った。胸の所を少しでも浮かそうとスリッパを取るために一度引き出した右手を再度、胸の下に差し込んでいった。
じんじんしていた四肢は何も感じなくなっていた。
他の感覚は麻痺してきたが、聴覚だけは鋭敏になっていた。
時折、通る車やバイクの排気量まで分かるような気がした。

 何時か分からない。
壁にかけてある時計を見ようとするが見えない。
今日は木曜日であることは間違いないと・・・2回サイレンが鳴ったはずだ。
朝6時と12時に鳴ってから暗くなっていったのだ・・・しかし、それからの時間が分からない。木曜日の0時を過ぎたのか?
こうなれば頼りは聴覚だけである。耳を澄ます。近所の家々から人が動く音が時折聞こえる。まだ0時は過ぎてないようだ。
それにしても尿で濡れた所が冷たい。お腹もずっと押さえつけているので痛い!痛いところだらけであった。

 ヘルパーさんが来る時間までまだ、12時間くらいあるだろう。いつもなら何でもないように時間を消費しているが・・・・・12時間はとてつもなく長く、はるか遠く、永遠にこないような気がした。
反面、いつかは過ぎ去る、現在の苦はいつかは過ぎ去ると・・・。
絶望感に襲われそうになると、J病院のH先生がいつも言われる言葉「決して諦めないで下さい」という言葉が浮かんでは消えた。

 

 7、幻聴

 周囲が静かになり、人の動く気配がしなくなった。
夜中を過ぎたのだろうと見当をつけた。だが、このあたりから時間がずれていったようである。
それに比例するように幻聴(幻視)の世界に入っていった。
夜明けまで5〜6時間くらいだろうか?
首も回らなくなってきた。スリッパを必死で顎にのせた。
意識がなくなった時、鼻が塞がれ息が出来なくなるのを防ごうと思ったのである。
右頬が敷居に当たって痛い、しかしもう首を回す力はなくなっていた。
痛みもいっときに比べると感じなくなっていた。臭いのように嵩じると感じなくなるのだろうか?

 少しうとうとしたように思う。目を上げると窓の外が明るくなっていた。
(実際はそうではなかった)車庫の開く音がした。そして母の声が聞こえた。
「どうもお世話になりました」入院していた母が帰って来たんだ!!弟の声は聞こえない。ヘルパーさんが連れて帰ってくれたのかと思った。
「よかった!」
声はかなりかすれていたが、大きな声で叫んだ。
「母さーん!!2階にいるの!動けないの!咽喉が渇いて死にそうなの!お水でもお茶でもいいから持ってきて!!」・・・・・
2階に通じるドアを閉めていたのか、聞こえないようだ。もう一度、あらん限りの声で叫んだ。

 「母さーん、助けて!!一昨日から動けないの、のどが渇いて死にそうなの、何でもいいから飲むものを持ってきて!!」

 「はい」今度ははっきりと聞こえた。確かに返事があった。
しかし、なかなか2階に上がってこない。
再度同じことを叫ぶ。耳を澄ます。あがってくる様子がない。洗濯機の回る音がしている。やっぱりいるんだ、もう一度さっきと同じように叫んだ。だがなかなかあがってくる気配がない。
しばらくすると母の友達のNさんが愛犬を抱いてやってきた。
Nさんの犬の鳴き声が家中に響く「キャンキャンキャン・・・」
冷蔵庫を開けてジュースをコップにつぐ音がした。
「もう、すぐジュースが飲める。お茶も飲める」・・・・・しかし、いつまで待っても2階に上がってこない。
自分はこの耳でハッキリと母が「はい」という声を聞いた。

 「早く持ってきてよ!私は咽喉が渇いて死にそうなのよ!」洗濯機の脱水槽がいつまでも回っている。洗濯物が一方に偏っているんだ、でも今はそんなことより水を持ってきてくれればいいのだ・・・。母と友達がお茶を飲みながら談笑している。犬は間断なく鳴いている。犬の話をしながらお茶を入れ替える音が聞こえた。
私は再び思い切り叫んだ。

 「犬と人間とどっちが大事なのよ!」と。
暫くすると友達は帰っていき、犬の鳴き声もしなくなった。
ああーやっと母が飲み物を持ってきてくれる!
しかし、いくら待っても母が2階に上がってくる気配がない。
門の戸を閉めに行ったり、洗濯機の脱水槽が止まらないのを見ている。
「そんなこと、どうでもいいから早く何か飲むものを持って来て!」
しかし、母が2階に上がってくる気配はなかった。

 何かおかしい?そうだ今母は病院に入院している、我が家にいるはずはない。しかし確かに車庫のフェンスが開く音がして「どうもお世話になりました」と言う母の声が聞こえた。友達の声も、犬の鳴き声も確かにこの耳で聞いた。・・・???
ひょっとしてそれは全て幻聴だったのだろうか?
そんなことを考えながら壁を見ると(白っぽい壁)字が沢山書いているのが見えた。
周りはぼやけているが真ん中の当たりははっきり読める。
『制度』『唯物的史観』『資本』『証拠』などなど、つながりのない文字が書かれていた。

 こんな所に字などなかった・・・はずである。
何かおかしい?脳が変になってきているのかもしれない。
身体中の水分が抜け、血液の中からも水分が出ていっただろう。血液は滞って流れにくくなっているのだ。
日照りで割れ目が出来た田んぼのように、脳の血管があちこちで裂けていくような不気味な音が聞こえるような気がした。ピキッ!ピキッ!ピキッ!と。


 

 8、祈り

 第2次世界大戦の時、コルベ神父という人が日本にきていた。
この人はユダヤ系ポーランド人というだけでナチスに捕らえられ、強制収容所に入れられた。そして逃亡した人間の身代わりになって(自ら申し出て)、普通の人間なら気が狂ってしまうと言われている『餓死の刑』を言いわたされた。
文字通り水も食料も与えられない刑である。次々と他の人が死んでいくなかで14日経っても生きており、祈り続けていたという。しかも最も残酷な方法で自分を殺そうとしている人のことも祈っていたという。
しびれをきらしたナチスは神父に注射をして殺してしまったと・・・。
その時も自ら腕を差し出したと・・・。現在彼はカソリックで”聖人”と称せられている。
昔読んだ『奇跡』(著者・曽野綾子)の中に書かれていた本当にあった話である。
この箇所を読んだ時の驚きを思い出していた。
同じ人間なのだろうか?14日間、1滴の水も飲まずに生きていられるのだろうか?彼を生かしていたのは・・・やはり神の力によってとしか思えない。

 やがて母の声も聞こえなくなった。
ただ白い壁やふすまに色々な字が浮かんでは消え、消えては浮かんでいた。
意識消失しかけたのか、うとうとしたのか、車庫を開ける音が聞こえた。
ガラガラガラッ!
「ヘルパーさんだ!」と思った。とすると今は金曜日の午前10時前だ!!
(実際はこの時はまだ午前6時にもなっていなかった)
ヘルパーさんは気づいてくれるだろうか?鍵もかかっているし、カーテンも閉まっている。どこかへ出かけたと思われて帰ってしまったら・・・。次に来るのは来週の火曜日である。
そうだ!その前に明日は母が退院してくることになっている。もしヘルパーさんが帰ってしまったら・・・もう24時間このままの状態でいなければならない。
絶望感に襲われそうになる、その気持ちを振り払うのに必死であった。

 ドアのノブを回す音がする。しかし鍵は開かない。
最後の力を振りしぼって叫んだ!
「ヘルパーさーん!!私は2階におります。動けなくなっています。弟の所で鍵を貰って来て下さーい。助けて下さーい!!お願いします!私は2階にいます!動けなくなっています!!助けて下さーい!!お願いします・・・・・」
だが、いくら耳を澄ませても何の反応も返ってこなかった。
「帰らないで!ヘルパーさん・・・お願い・・・」
車庫から車が走り去る音がした。ヘルパーさんは帰ってしまった。
もう、神に助けを乞うしかない。しかし、自分のようにいい加減に生きてきた信者の祈りが神に通じるのか?でも神はどのような人間も全て受け入れてくれるはずだ。
『天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも、正しくない者にも、雨を降らして下さるからである』と聖書にも書いてある。だが、私のは”祈り”というより「お願いします」というどこにでもある、御利益のみを求める自分勝手なものであった。



 9、死の淵から

 サイレンが鳴った。昼の12時のサイレンだと思った。(実際は朝6時のサイレンであった。)
この頃にはもう、身体全体が硬直して全く動けなかった。右頬は目じりの下の辺りの皮も肉も取れたような感じで骨がむき出しになって、直接敷居についているような感じがした。もはや痛みも感じなかった。
声を出すエネルギーもほとんど残っていなかった。唯一残っているのは気力のみであった。

 私は時間を錯覚していたが、そのころヘルパーさんが来てくれていて、異変を感じて隣の家に聞いてくれていたのだった。そしてチーフヘルパーさんに連絡をいれていたのだった。連絡を受けたチーフヘルパーさんは咄嗟に異常を感知し、すぐさま弟に電話をいれ鍵を別のヘルパーさんに取りにいかせて、自分は常勤ヘルパーさんと2人で我が家に急行し、我が家の前で待っていたヘルパーさんと合流。鍵を取りに行ったヘルパーさんが来るのを待ってくれていたのだった。

 何だかやけに外が騒がしい。玄関の戸が開く音がした。きっと幻聴か夢だろう。と思った。
昼12時を過ぎているのだ、弟が来ない限り我が家へ来る人は・・・・・隣の人が回覧板を持ってくるか、母の友達が訪ねてくるか。しかし、インターホンを鳴らしても返事がなければすぐ帰ってしまうだろう。
(隣のYさんは何か変だと感じて何度かベランダから声をかけてくれていた。母の友達のNさんは何度来ても留守なので、庭の方にまで回ってきてくれていた。
しかし、声をかけても返事はないし、カーテンは閉まっているので「おかしい」と思いながらも、どうしようもなかったと・・・話して下さった。

 バタバタバタと何人かの足音が聞こえた。「ゆうこさーん!どこにいるの?」「ゆうこさーん」あの声は友達のチーフヘルパーさんの声ではないか?いつも来るヘルパーさんの声も聞こえた。幻聴だろうと・・・思いつつも返事をした。
「2階にいます」蚊の鳴くような声しか出なかった。バタバタバタと階段を上がる音がした。「ゆうこさん、大丈夫?」「ごめんね、こんなになっていたの・・・気がついてあげられなくてごめんね」と・・・チーフヘルパーさんの声だ!
ああー今度は現実のようだ。
チーフヘルパーさんの指示で3人がかりで身体を仰向けにしてくれた。身体が石のように硬直しておりとても痛い、思わず「痛いっ!」と声が出た。
見るとそこにはいつも来てくれるヘルパーさん、以前にピンチヒッターで何度か来てくれた常勤ヘルパーさん、そして昔からの友達であるチーフヘルパーさんの顔があった。

 現実なんだ!痛いからこれは現実なんだ!と思った。
喘ぎながら「お水を飲ませてください」と言った。動けなくなってから40時間近く経っていた。


 

 エピローグ

 発見された後、主治医に電話を入れた。「すぐ来るように」と言われた。とりあえず下の始末をヘルパーさんにして貰ってから、救急車を呼び病院に行った。2月2日救命救急センターに入院となった。

 入院時の状況

 右頬、顎、胸部に褥創、特に胸部は水泡が出来ていた。唇と口内にも水泡多数。 足指両肢凍傷、強い四肢のしびれ、筋肉の傷み全身に及ぶ。24時間急速度点滴 開始、バルーンカテーテル挿入、褥創の手当て。最初、血管に針が入らず看護師さ ん苦労する。


2007.03.12 ファイル作成 あーもんど 

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