第2回WPC参加報告書

by あーもんど

 
「日本のPD患者が海外の学会(会議)出席・発表するために必要なこと」

WPCとは、World Parkinson Congress(世界パーキンソン会議)

 T.背景

私は2010年9月28日から10月1日まで、グラスゴー(スコットランド)で開かれた第2回WPCに参加した。開催間近の2010年8月末の時点で“JPDA(全国パーキンソン病友の会)代表“という形になったものの、実際は一患者としての個人参加だった。

1、当初(参加を決めた2010年初め)、患者発表もする予定だったが、患者(私)の“精神面での困難と成長“というテーマに拘って、アブストラクトの締め切りまでにポスター展示発表にふさわしい形にすることができなかった 
 2. それでも、会議場で人々に直接手渡そうと会議開催直前までこれにかかりきりだったため、会議プログラムの内容検討が充分にできなかった。
 3. 加えて物理的ミスとして、会議開催日の前日に到着する予定が、単にのんびりし過ぎて一日遅れのエア・チケットしか入手できなかった
 4. さらに、WPCの性格が、私が今まで参加してきたEPDAのコンフェレンスと大きく異なっていたことに困惑してしまった
 5. そのため、言葉と遠い日本からの参加という大きなハンディキャップに加え、内容的・心理的準備が不十分なまま会議に臨むことになり、プレナリーやポスター展示・キルト展は見たものの、思ったような成果を挙げることができなかった。
 6. 諸外国の患者との交流は、EPDAで築いたイギリス、ウェールズ、リトアニア、南アフリカ、ルーマニア、ドイツ系アメリカ人の患者たちとの交流の再確認と、新たに韓国の女性患者との交流が得られた。
 7. EPDAのセクレタリー・ジェネラルであるLizzie Graham(2001年来の交流) フィジオ・セラピスト(PT)のMariella(2005年ダブリン、2006年には大阪でワークショップを協力して開催、2007年北イタリア)との旧交を温めることができた。


 U.次回への展望

これらの数々の失敗から、次の第3回WPC(2013年・モントリオール)に参加する患者のために、私が失敗から学んだこと、「日本のPD患者が海外で開かれる会議に出席し、さらに発表するためにはどうしたらいいか」について考えてみたい。

 1、WPCを理解する

まず、「WPCの性格、目指すこと」について充分理解すること。
WPCは非営利組織で、そのミッションは、パーキンソン病に関する最新の科学的発見、医学調査、指導的介護者のための国際的フォーラムを提供するというもの。神経内科医、研究者、ヘルスケアの専門家、介護者、患者が一堂に会し世界規模の対話をする、それによってこの病気に打ち克つため、治癒・治療法の発見促進に役立つこと。
 上記ミッションを達成するために、WPCは国内および国際的なPDのコミュニティからの情報資源に頼り、以下について議論し学ぶことが目的

 @ 病気そのものの原因と発症・進行について理解を深めるための基礎科学研究
    A 病気の進行を遅くし患者への影響を柔らげる応用・臨床科学研究
B 患者、家族、介護者にとって、よいQOLが得られるような介護モデルを提案
 C 政府、専門家団体、患者・家族を代表するボランタリーな協会などの、パーキンソン病治癒のための国内や国際的なアプローチ
以上のことによって、“パーキンソン病をよく理解し、パーキンソン病と闘い、パーキンソン病に究極的に打ち克つ“という活動を、持続的に世界規模で構築する。


 2、適した患者を選ぶ

1、WPCの目的をよく理解でき、発表する内容のある患者を選ぶ。比較的若く、あまり症状が進行していなくて、体力があること。
意欲・理解・能力・英語力・年齢・症状・体力・家庭環境の面が揃っていることが望ましい。
ある程度進行した比較的年齢が高い患者がWPCに取り組むのは、“「夕鶴」で鶴が自らの羽で織物を織る”ようなもの、わが身を削るような行為かと思う。経験のある患者が若い患者に力を貸して、若い患者の経験不足を補う形がベストと思う。

2、JPDA(「友の会」)は、Organizational Partners(OPs)としての自覚を持ち、参加する患者を組織として「友の会」が積極的全面的にバックアップする。代表となる患者が資金面などにわずらわされることなく発表内容に専念できるようにするのが「友の会」の役割だと思う。患者個人にプレッシャーをかけない。

上記が本来あるべき姿と思うが、現在のJPDAをみると到底無理と思われる。いっそ、APPLEが主体として動くのが合理的かもしれない。

 友の会がやるとして、早い時点でJPDA(友の会)に、主体的に参加する方針を決めてもらう。PDの苦痛から患者を真に解放するにはWPCの活動が不可欠であり、WPC参加の重要性を友の会全体が認識する必要がある。
    
                                               

 3、プロジェクト・チーム

(費用については患者本人の渡航費・宿泊費の最低ラインをプロジェクト費用として確保する。)

プロジェクト・チームを組んでテーマの準備。課題に沿ったテーマを選ぶ。

何もかも一人でというのはとても無理。できれば参加者も複数が望ましい。

服部教授もプロジェクト・チームの一員とする。密接な連絡をとり共同戦略を練る

参加にあたって、家族を含め介護者がいる場合には、介護者は患者をサポートすることに専念する。私的感情・わがままを会議参加に持ち込まない。

日程は、できれば会議の始まる2,3日前に現地に到着し時差ぼけと疲労をやわらげておく。長時間のフライトで疲れたまま会議に臨まない。現地でなくとも開催国の他の都市でもいいかもしれない。外国人と英語になれておく。


 V. WPCへの要望

ここで大きな疑問が生じる。
果たして患者個人にとってWPC参加および発表は成果なのかという疑問。
もちろん学べることはたくさんある。
研究の最先端、新しい治療法などさまざまな知識も得られる。

だが研究者・医師とは立場が違う。
彼らは研究を発表することが自分の業績になる。
私たち患者は自分の症状と闘い体力を削って、いわば鶴が自らの羽で(美しい)織物を織っているようなものなのだ。
患者にとっては会議出席や研究発表は本来の役割ではない。
WPCのほかの参加者とは決定的に異なる点だ。
大きな意味ではPDの研究開発は患者が一番恩恵を受けることだろう。
世界中の患者全体にとって、特に将来の患者たちにとっては。

しかし、今長い病歴を抱えた患者は「自分」を最優先するしかない。
「WPCのプログラム」は患者の作品・発表を展示し表彰する。
しかし、そこに治らない病気を抱えた患者たちへの労わりの視線をあまり感じなかった。
まだ病気が進行していなくて自力で動ける患者だけを想定しているようだった。
これは全ての患者を含めたイヴェントでも同じなのだが、一人で動けなくなった患者は今までも会場であまり見かけたことはない。今度も小さな電動スクーターに乗った人を二人程見かけただけだった。
WPCは小さな次元では患者のためのものではない。
患者のことを考えて計画されたものではなく、運営も患者中心ではなかったと思う。
PDの全体像を掴もうとするとき、初期の患者だけ参加できても不十分な結果に終わるだろう。進行した患者を見たことがない研究者・医師など関係者はかなりいるのではないだろうか。そういう病歴の長い患者が参加しやすいように、安全に参加できるような配慮は見られなかったと思う。
なにより患者に対する労わり、不自由な日常を送る患者に楽しい経験をさせようとする配慮もあまりなかった。Wiiやダンス療法を楽しめる患者はまだ進行していない患者なのだ。
私は全体を見ていないので個々のことは間違っているかもしれない。だが、全体の印象からそう判断する。WPCの視野には、まず研究・開発があって、そのシステムの中に患者を当てはめたのだと思う。実際に患者がPDを抱えて何十年も生きていくことがどういうことか。そのことにはWPCは関心がないように感じた。
「否定」から「受容」そして「影響」へと至る“患者の心理的闘い”を簡単にピラミッド型の図にまとめられると、私の貴重な人生が図式化され、ありふれたもののように思えた。学会・学問がこういう方法ばかりとは思わないけれど、私の“超・人間主義“からすると、このWPCは違和感を感じることが多かった

2011年

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  2011.5.20 file作成:sophia