2004.06.10 up

きょん2の部屋へ戻る

ゴールデンウィークの災難 by きょん2

 親しい友達が去年お風呂でガラス戸に激突して硝子が割れてとんだことになった話に「気をつけてね。」といったことがあるが、つい最近のこと、自身が似たような目に遭ってみて、これは気をつけてどうのこうのという問題ではなく、事前に予測することもできないままに突如起きることなのだと実感した。いわゆる後方突進というものだが、これは勢いよくドドドドドッと後ろに駆け足で進むってわけではないことを記しておこう。

例えていえば、何かの拍子にバランスを失い、姿勢が保てないまま後ろに引きずられるような感覚である。ズズズズっと半ば斜めになりながら何かにぶつかってようやく止まるというのが実態で、最初から勢いがついているわけではない。むしろ、ゆっくりずるずると後ろに引きずられてゆくような感じである。私の場合はしゃがんだ姿勢から立とうとした瞬間に、とっとっとっと中腰のままで後ろに進みしりもちをついてようやく止まったというおととしの経験がこれとの最初の遭遇であった。そのときもかなりショックを受けて、しばらくそれから元気を失い、もしかして進行したのかなと思わざるをえなくて、当分は暗い気持ちであった。今年のゴールデン・ウィークには、さらに進んでしりもちもつけず、ガラス戸までズッズッズッといってしまったので、ぐしゃんと硝子を割ってしまった。雨戸を閉めていたので、ガラス戸でとどまり外に飛び出さずにすんだというのは、思いようによっちゃあ、不幸中のさいわいだというべきかもしれぬ。硝子を割ったというと、いかにも勢いよくぶつかったように感じられるかもしれないが、現実は全くそういう状況ではない。ボールがあたってガラスが割れる、いわゆるガチャンという割れ方ではない。グシャっという表現がぴったりの割れ方なのだ。何かの重みで(主に背中だが)つぶれるというような割れ方なのである。中腰で丸くなっている背中が当たるので硝子はつぶれるといった感じであって、背中につきささりはしなかった。まあ、いってみれば後方突進でもけがはなく、硝子の割れたことをのぞけばそうたいして被害をこうむったというわけではないというのが、本当のところだった。

 だが、後ろに突進ということはこの病気が進んだことに変わりなく、前回のようにしりもちをうまくついてなんとか防げたのであれば、ああよかったですんでいたかもしれないが、今度はガラス戸までいってぶつかってとまったというのだから、ことはびっくり仰天では終わらないのであった。私はショックで前回の何倍もへこんだ。

 なんでもない日常生活の1コマであった。ゴールデン・ウィークの半ば、夕飯を済ませて娘の部屋でとりこんだ洗濯物を一まとめにしてもっていこうと立ち上がろうとした瞬間、中腰のままズッズッズズズーっと丸まった背中が引っ張られるように後ろへ進んでしまった。心の中で「だれか、とめてよー」と叫んだけれども、引っ張られるほうが先で「どうにもとまらない」のだ。引っ張られながらきゃーっと叫ぶのがようやくだった。背中で硝子をつぶして止まる。ぐじゃっという独特の感触。見ていた娘も叫ぶ。
「きゃー、おっかーが、おっかーが、硝子にぶつかった。」

硝子をつぶしてようやく止まった私は洗濯物を抱えたままガラス戸の向こうの雨戸で身体を支えている。そのままの姿勢で動けないのだ。夫はのんきに居間で晩酌の最中であったがいまや転がってテレビを見ている。ふたりで助けを呼ぶ。だが事の顛末を知らない彼は実にのん気で何事もないかのようにすぐにとんでやってくるなんてえことはしないのである。ここが我ら女ふたりのかちんとくるとこで、いつも肝心な危機にお助けマンとしての役を果たさない彼は、一家の大黒柱に値せず、ほんとうに無用の長物だと頭にくる我らは思ったりする。飲んでいささか気分のよい彼は、反応鈍くいっこうに助けにこようとしない。娘が再三しつこく言ってやっときたかと思ったら、「けががなきゃいいってもんさ。おい、ふみこ、ガラスの始末しておけよ。ゴールデン・ウィークとなりゃ、近藤サッシは当分はこないからさ。」

 うそだろう。私は二重にショックを受けた。こんな目に突然あって、ショックで落ち込んでいるのに夫のこの態度ときたら。だいじょうぶか、のひとことさえ言ってはくれない。あんた、なんちゅう人なの。しかも割れたガラスを娘に始末させるってーの。娘が怪我をするかもしれんじゃないの。二人で叫んだ。「この冷血人間。」

 結局一大事が起こるたびに夫の頼りなさが浮き彫りになるだけで、娘の頼もしさが際立つばかりの我が家である。自分の一大事にはぎゃーぎゃー言うくせに人の一大事にはお役に立たぬ我が夫。結婚以来このような場面を数々踏んで、かよわきおんなであったはずの私が次第に鍛えられ、サッチャー首相のごとく鉄のおんなに変身していった。まことに環境はおんなを変える。我が娘にしてもそうだ。病人の母を自分がフォローしなければだれもしないのであるからにして・・。母のピンチに彼女が敏感なのはそうした環境のせいでもある。

壊れたガラスの始末にも目をみはるものがあった。この娘の知恵に脱帽した。内からガムテープで止め、外からダンボールで補強する、あざやかな手法が用いてあった。うちの小屋からやわらかいダンボールをもってきて、べりっと手でさいてここぞというところに使ってあった。次の日の朝、雨戸を開けると緑の印字の『日清ラ王』が斜めに壊れたガラス戸をふさいでいた。こうして『日清ラ王』は連休があけるまで、うちで大きな役割を果たしてくれた。ピンチを救ったラ王と娘に感謝である。

ちなみに後方突進を避けるためには関節まわりの筋肉を鍛える以外にないそうで、日頃からヨーガをしたり水中ウォーキングをしたり、日々怠らずに何かを続けることは必要であるらしい。気まぐれきょん2は、ナマケモノゆえにこのような災難にあってしまったのかもしれない。ジャイアント馬場式スクワットを再開せねばならぬと心底実感するのであった。根性だけではどうしようもない。夫の改造より自らの肉体改造が先決問題であるとつくづく思ったしだいである。


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