2006.08.28 up

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冬の時代 by きょん2

 長い闘病って、いろいろなことが起こるし、本当にすんなりいかないものである。ひとつ歯車が狂うとそれがたちまち影響して生活を変えてしまうのだ。
 私の場合は、車の運転ができなくなってそうなってしまった。田舎暮らしでは車は下駄代わりなので、かなり困る。日常の買い物は、夫に乗せてもらい一週間分の買い物を一度にすます。あとは便利なとりよせの食品などを気をつけてみたりする。取り寄せのものは案外おいしいものが多い。自然にそんなふうな買い物の仕方になり、あるものですませようとする意識が手抜きかついい加減な料理を生み出してもいる。
 自分に甘くなり家族に頼りつつ、こんな自分のふがいなさを嘆きながら、エネルギーがわいてくるまでこうしていようと自堕落な生活に埋もれている。
 車の運転をとめられて、ほんの少しの冒険もしなくなり、すっかりひきこもっている。生活を狭められると楽しみが減る。発見も感動も少なくなってほんとに味気ない。去年飼い始めた柴犬のライだけが私の慰めである。彼のしぐさや表情がおかしいので、まだ笑顔だけは失わずにいられる。
 ときに暗澹たる思いで沈んでしまいそうになったが、自分にはまだ時間があるのだと思うことにして、この人生の冬をしばらくは辛抱してみようと思うのである。待てば海路の日和あり。いつ吹くかわからない風を待ってみよう。
 私は走り過ぎた。そう自分に言い聞かせるのだ。不思議に低調なのにもかかわらず、短歌や川柳がふとできる。また出かけられるようになるまで、心に財産を積み上げようと思うこの頃である。
 今年はせみの声をあまり聞かなかった。彼らも冬の時代を耐えているのか。夏なのに冬、そんな私って・・。ふと見れば、柴犬のライの背中は、夏なのに一部まだ冬毛のままである。この暑いのにごくろうさん。冬には夏毛か。どうも妙な具合の私たちである。飼い主に似たのか。辛抱な犬だ。
 深刻なときにこそ笑えっていうけど、ほんとにそうだ。力はいれないでぬくようにしなきゃあ。とぼけた顔のライちゃんが今の私を救ってくれている。
 

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