2004.05.30更新

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ジスキネジアの起きるとき by きょん2

  ジスキネジアの起きるときは、飲んだ薬の量が多すぎたせいだとふつうは思うのだが、そう単純に片付けられない場合もある。つまり、精神的なものと身体的なものとが微妙に作用しあって、興奮したりだとか、夢中になっているときも起こるし、逆に極度の緊張や不安で起きてしまうということもある。緊張、不安、心配に疲労がストレスとなって加わる場合もまたよく起きる。ことに精神的にも身体的にも疲労困憊して緊張をしいられると、ジスキネジアはその間、ずっと習慣化したように起こり続けるのである。そうすると、例えば薬を極端に減らしてなんとかねじ伏せようと私などは、メネシット1個を1/4にカットして1回分を極力けずって対応したりもしていたが、心身ともに疲労して限界を超えていたのか、それでもジスキネジアは起こり続け、1/8にしたり、とうとうしまいには、粉をなめたり、かけらをかじって吐いたりするまで病的に神経質になってしまって、もはや打つ手なしになり、絶望のどん底へと落ちていった。それでもLドーパの反応がよいから、と医師は慰めてもくれたけれど、いつも両足の先端が内に外にくるくる回っている状態は尋常ではなく、普通の生活をおくれないのでつらくみじめな状況であった。足先がくるくるしだすと立ってもすわってもいられなくなる。ひどい時は横になっていても足先が回り続けるので休んでいるつもりが休みにならなかった。勝手にやられてこっちは大迷惑するのだが、だれに怒りをぶつけてよいのやら。自分であって自分でない身体の一部分をどうすることもできない。悲劇である。大量の汗をかき自分は抑えようとするので身体に力が入りものすごく疲れる。むしろオフで動けないほうが楽で辛抱しやすかったときもあったほどだ。(オフはオフでつらいものがあるが・・・)。いつもフルマラソンをしているような気分であった。

 このような状態がなぜ起きたか、自分なりの説明をつけると。夫の母が脳梗塞で倒れた。続いて夫の父も高熱で倒れ、2度も救急車で搬送した。脳梗塞で入院中の母の心配、ひとり残された父も倒れ、二人別々の2箇所の病院へこまごまとした用事のために動き回らねばならなかった。オフで動けないと困るので心もち余分に薬を増やして飲みつづけた。緊張と興奮、それに疲労が加わって心身を締め付けていった。気がぬけない状態が続くと寝てもやすまらないので疲労はどんどん蓄積されていく。過度のストレスは重圧となり、いつもぎりぎりの状態で気をはって生活しなければならなくなった。そんなふうな生活が続くと、薬の服用をまちがえなくても、パーキンソン病の悪化をまねく。私の場合はそれが、ジスキネジアの頻発、暴走にあらわれたのであった。車の運転で緊張するときは必ず起きた。急発進、急ブレーキで非常に危ない。オートマチック車でも右足の先端がくるくるしだすと、もうブレーキもアクセルも踏めなくなり、ハンドルをがちがちににぎってガタガタ全身を震わせて祈るしかない。冷や汗もジスキネジアの汗もいっしょになって、全身ぐっしょり。まるでサウナに閉じ込められたような息苦しさ。足は両足、タップダンスをするように小刻みに床を蹴っては、バレエのトウで立つような動きをする。足がコントロールできないので思った位置に車を止めることができない。相当こわい。恐怖でパニックになって、パーキンソン病特有の震えも同時に起きる。身体はがちがち、心臓はばくばく、ひざはがくがく、足先はくるくる、両手には震えがきてぶるぶる、身体全体は緊張のあまり堅くなって棒のように力が入ったままだ。自分のいのちは勿論、人のいのちも危険にさらすことになる。こういうときに落ち着け、落ち着け、と言い聞かしても、もうその余裕はない。なんとか道からよけてお店の駐車場へ入れるのが精一杯。とめられない車をなんとか止めるだけで、精魂尽き果ててしまった。このような目にあったら、もう原子爆弾を落とされたも同然で、運良くいのち拾いはしたものの、そのショックで二度と立ち直ることなどできないと思う私であった。もう身体は二つ折れになって起き上がる気力もなくなっていた。

この事件の後、私は当分の間、自分の車には近付けなかった。しばらくたって、田舎暮らしで足がなく不自由なために何度か車の運転を試みた。運転席にすわると、そのときの情景が頭にちらちらし、そのたびに恐怖で震えが止まらなくなった。それでも、根性をだしてエンジンをかけたら、途端に両足の先端がくるくる回りだし、ジスキネジアが起きた。これではとても運転するどころじゃない。あきらめるよりしかたがなかった。強烈な体験はトラウマとなり、パブロフの犬のようにエンジンの音でジスキネジアが誘発されるような気がして、自分の車を見るのも嫌になった。

ジスキネジアがいかに患者の生活をおびやかすか、わかってもらいたい。オフと同様に相当にきつい。自分の意志とは関係ないのでつらいものがある。いつか他の若年性患者さんが高いステージの上で司会をなさっていて、ステージ上から階段3段とばしにジャンプして下りてこられたのにびっくりしたけれども、それはジスキネジアのせいであって自分の意志でなさったのではない。会場は一瞬、騒然となって、中には笑ったりする人もあったが、私はなんともいえない気持ちになった。階段を踏み外したらまっさかさまに落ちる。とても危険なのだ。経験のない人にはわからない。司会をするにあたって、かなり緊張なさって幾分かはお薬も多めに飲んでおられたかもしれない。

 緊張と興奮、それがジスキネジアをおきやすくする。なんでもなくリラックスしているときにはあまりおきないのである。緊張と疲れも要因になる。おかしなことだが、私の場合、パソコンのゲームに夢中になっているときも起きる。エア・ホッケーのパックを相手のゴールに打ち込むたびにどちらかの足がパソコン台の足を蹴っている。足先を強打したり膝まわりをぶつけて知らないうちにあざになっていたりする。いすごと前にジャンプして進んでしまうこともある。夢中になると必ずそんなことが起きる。薬の量はいつもとおなじなのに。

 ジスキネジアの原因は薬の服用量が多いからと単純にはいえない。そのときの状況を含めさまざまなことが関連しあって起きているような気がする。

 のみの心臓と繊細な神経をもつ、パーキンソン病患者だが、若年性の患者にはそうであってもたくましい気力が備わっていくように思う。なんといっても病気の期間が長い。何年かすると必ず頭打ちになって新たな症状が出てくるのである。その克服のため知恵を絞り頭を働かせなくちゃならない。自分のことなのでひとり総力戦でたたかっていくしかない。本当のこというと、だれもわかってくれないし、他の人とは症状も薬の服用も違うので、自分の小道は自分でさがすしかないからである。私を15年診てくれた大恩ある先生が最後に私にくれた言葉。

 「きびしいけれども自分で道を見つける以外ない。がんばってください。」先生は2004年3月をもって大学病院を退官された。私はその後2ヶ月近くかかったが、あれほど頻発するジスキネジアに対して少量多回数の薬の服用の仕方を徹底的に洗いなおして、今では近距離程度の車の運転ならできるくらいに状況を改善することができた。ときに打ちのめされて絶望することもあるけれど、そこからまた少し休んで歩きはじめる。七転び八起き。今まで7回どころじゃないほど転び起き上がってきた。私たちを例える言葉なんてあるのだろうか。

2004.05.30up

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