2004.02.25up

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私の出産と育児ーその1         byさつき

◆ はじめに ◆
パーキンソン病の治療薬を飲みながら妊娠・出産・育児を経験したさつきさんの記録です。       

 


その1−妊娠

 

18歳 発病 26歳で若年性パーキンソン病と診断 33歳であきらめていたはずの結婚。

子供は作らないということで納得しての結婚生活がはじまった。

 

ある日「本当にダメなのか」主人が静かに言った。

「なぜ、今になって」声にならなかった。

暮らし始めて数ヶ月、自分を穏やかな安心感に包み込んでくれていた人なのに

 

体中 初めて不安になる。

考え悩み 涙した 重い時間がつづいた。

いろんなことを考えてしまう。

 

薬を飲んでいて赤ちゃんには影響はないのだろうか。

自分でも解らないうちに後へ転んでしまうのに 10ヶ月お腹を守れるだろうか。

自分の体をももてあまし 落ち込んでいるのに・・・生れてからは 薬が効いていないとき

仕事で主人が居ない間どうするの・・・。

 

心配なことは 薬の切れて動けないときに悪魔のささやきのように 湧き出てくる。

涙さえ出てしまう。

どうして 私にこんな思いさせるの いえない言葉を心の中で叫んでいた。

何ヶ月かが過ぎ 先生の口から「大丈夫ですよ」「実際 外国でも出産の経験者は居ますから」

「たとえ健康な人だって 生むまで何が起こるかわからないでしょ。」

嬉しいはずの言葉が 私の中でズーッと思っていた心配と不安を大きくしていた。

心のどこかで「無理しなくても・・・・」と言って欲しいと思っていたのかもしれない。

好きな人が欲しいと言っている赤ちゃん、かなえてあげられる勇気も自信も何もなかった。

体中不安だった。 この病気の一番の敵 「不安」

その不安をかき消してくれた人がいた。

当時ガンで 埼玉医大に入院していた、叔母の友達の Iさんでした。

彼女も体が弱くやっとの思いで 一人息子を産んでいた。

私たちは 彼女の病室を尋ねた。

黙って聞いていた彼女は、優しく、そして力強くいった。

「何がそんなに悲しいの、先生が大丈夫だ と言ったのでしょ だったら大丈夫よ、」

「ご主人こんなに嬉しそうじゃない だったら さっちゃんもよかったねって笑顔で言ってあげればいいじゃないの」と言ってくれた。

・・・何も言えなかった。

その時 主人が言った。

「結婚して 守るものが出来て強くなれた、きっと五月も守るものができたら今より強くなれると思う。」

かたくなになっていた私の中で何かが開いたような気がした。

私は 赤ちゃんを産むことに決めた。

 

数日後 

大きい病院より 何かあったときに家に近いほうが安心ということで、埼玉医大ではなく 近くの産婦人科を訪ねた。

不安と恐怖に敏感なこの体で 出産に耐えられるか、

薬は 赤ちゃんに影響はないか、

妊娠そして出産 長い月日の中 病気が悪化しないのか、

かき消すことの出来ない不安はたくさんありました。

 

そこは パーキンソン病患者の お産は初めてのようだったが、年配の先生がこころよく私の出産をサポートしてくれることになりました。

最初に言った言葉が「薬止められませんか」だった。

いきなり恐怖感に包まれる。

こわばった顔で必死で、飲まないと全く動けず、寝たきりの状態になることを説明した。

念のため、持っていた薬を出し 確認してもらいました。

その頃飲んでいた薬は

メネシット一日3錠 パーロデル4錠 アーテン3錠

パーロデルが母乳に影響があるということで、母乳を飲ませないで ミルクで育てていくことで出産ということになりました。

新しい命を宿すまで そう時間はかからなかった。

 

33歳  夏

その日 妊娠の確認の夜 花火を見に行って浮き足立っていたのか、 転んだ。

一気に不安になり、翌日病院へ行った。

「赤ちゃんの 心音がはっきりするまでは・・・・」と安心できる答えは聞けなかった。

自分を責めた。やっぱり私には無理、守りきれない。

でも途中で止めることなど出来ない、 不安でも守るしかないのです、母として。

次の診察で先生は、にこやかに「だいじょふですよ」といって 命になったばかりの心音を聞かせてくれた。

その音は「頑張れ頑張れ」と 時を刻んでいるようでした。

命の強さを知り この子の生命力の強さを信じることにした。

 

薬を飲み続けると言う不安と、転んで胎児に何かあったら・・・・

不安は増えていた。 ・・

予定日は 3月末

もちろん 妊娠については反対もありました。

一番身近にいた ステンドグラスを教えてくれた 叔母でした。

体調の変化、薬の変化を叔母は一番知っていた。

それでも 私たちは生むことに気持は変わりませんでした。

私たちが決めた後は、やっぱり 叔母は支えになり力になってくれました。

つわりもなく、何でもおいしく食べられましたし、薬が効いていれば動くことも辛くありませんでしたが、一つだけ私を悩ましたこと それは おしっこのことでした。

月をますごとに おなかの赤ちゃんは大きくななります。

この病気は 体が思うように動かないだけで 全身に力が入っているような硬直感もあります。

座って(ほとんどイス)いるときはいいのですが 立っただけで尿意がある。

出てしまうこともたびたびありました。

恥ずかしさと、どうにも成らない悩みにメソメソしている私に 「しかたないベー」と主人は 別段いやなことではないかのように そのまんまの私を見守ってくれているという安心感が悩んでいる私を 穏やかにしてくれていました。

定期的に診察に通いました。

順調でした。

院長先生の「順調ですよ」の笑顔が嬉しかった。

心音を聞き どう見ても赤ちゃんに見えない胎児の写真をもらい、転ばないように気をつけて帰り その写真をファイルに貼り付け そのつど体調も書いたりしていました。

こどもを生むと決めてから 寝る前に飲んでいた風邪薬の一つ、鼻水の薬は飲まないようにしていました。

それは 私にとっては夜中起きる回数を減らすための睡眠薬の役割もしていたのですが・・・

その頃は オンオフがはっきりしていて 夜中に目が覚めると まずトイレ。メネシットを飲み、それから 約一時間 起きたままじっと効いてくるのを待ち、効いてから布団に入らないと寝られませんでした。

効かないまま布団に入ると布団のまとわりつきが気になり、ジッとしているだけで汗が出て苦痛にしか感じられなかった、これは妊娠前からです。

それは 日中でも同じでした。 薬が切れると壁に寄りかかり汗をかきながら、ジッと次に薬を飲む時間まで 壁に寄りかかり油の切れたロボットように 重い体をもてあまし長く感じられる時を我慢するのです。

それでも 赤ちゃんに薬の影響が出ないようにと出来るだけ ギリギリまで我慢しました。

寄りかかっているうちに 決まって体は右に傾いていきます。

そんな私を一人でうちにいるのはよくないと、以前と変わりなく叔母は私を誘ってドライブ買い物 イベント カラオケに連れ出してくれました。

薄暗い部屋にいるよりは 落ち込みやすい、この病気にとっては良かったと思っています。

入院する前日も 大好きなカラオケに行っていました。

おしっこに悩まされながら それでも一日一日が過ぎ9ヶ月を向かえ診察に行くと、

「赤ちゃんがだいぶ下がってきているからこのまま入院しなさい。」と言われ 即入院。

それから1週間、タダでも動きにくいのに赤ちゃんは、お母さんのおなかの中で成長するのが 一番いいと陣痛をおさえる点滴24時間続けました。

トイレのことも話し、ベッドの横にポータブルのトイレを置いてもらい、少しでも体に負担をかけないようにとしてくれました。

一般的に 食後3回飲む薬が多いのですが、私の場合 薬が効いてから食事を取るようにしていましたから 食事の時間もずれてしまうのですが、看護婦さんたちは私に合わせて御膳を運んだりしてくれました。

普通は母乳がたくさん出るように、おっぱいをマッサージするのですが、母乳を上げられない私は、おっぱいが はると辛いからと触ることも止められました。

 

その時は来た

一ヶ月早いが 夜中に破水。

痛みに耐えながら朝を迎え、分娩室に入ってからは思っていたより辛くなく安産でした。

自然分娩です。

 

平成7年2月26日午前9時59分 命は誕生し、体重2462グラム 身長46センチの男の子でした。

 

その日はもうすぐ3月と言うのに雪が降っていました。

部屋に戻った私に助産婦さんが「良かったねー 出産のときに薬が効いていて。」

と 声をかけてくれました。誰よりも そう思っていたのは私です。

陣痛の痛みの中、薬の効いてくれる時間ばかり考えていた。

気持と体が楽になった私は 興奮状態でズーとしゃべりっぱなしでした。

そばにいた東京の叔母と トイレの始末までしてくれ、やさしくしてくれた掃除のおばさんが

「普通は疲れて寝るんだけどねー奥さん元気だね」と言っていた。

それまで 横になっても薬がきれていたら辛く ベッドの上で壁に寄りかかり座っている事も許されていなかったのですから体も気持も楽になったのだと思います。

赤ちゃんの体重が 2500グラムにわずかに足り無いということで 2週間保育器に入りました。

ガラスケースの中の我が子が痛々しく見え 叔母と涙ぐんでいたら、

「藤木さんの赤ちゃん あちらですよ」別の保育器を指差した看護婦さん、

最初に見ていた子が あまりに小さかったので うちの子は さほど小さく見えませんでした。

産後の肥立ちがいいということで私は一週間で退院し 自宅から歩きなれた道を、ミルクを飲ませ方の練習に病院に通いました。

弟の子で多少は経験がありましたが、生まれたての我が子の抱っこでコチコチでした。

初乳は赤ちゃんにとって 抵抗力をつけるための大切な物と聞いていましたので、他のお母さんが持って歩く哺乳瓶の黄色初乳をみて「初乳を飲まないうちの子は 抵抗力はあるのだろうか」と また見えない不安で涙が出てきます。

退院と同時に 引越しを決めていました。

退院の日も、なぜか雪でした。

引越し先は 隣町 借家ではありましたが 一軒家で赤ちゃんが泣いても平気ということで知り合いが 家を買い引っ越したのと入れ替わりに入居しました。

 

 

                        その2育児

 

2004.02.25 File作成sophia
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