2004.02.25up

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私の出産と育児-その2         byさつき

その2-育児

 

パーキンソン病の母(私)と 何もかもが始めての父(夫)の子育てが始まりました。

退院して来た時は 東京の叔母が泊まってくれ すぐ北海道から主人の母も出てきてくれました。

半月ほど母が居てくれましたが 居る間は 頂いた布オムツを使っていましたが、お布団まで濡れてしまうので母が帰ってすぐ紙おむつに変えました。お金はかかりますが 私にとっては大きな助人でした。

抱っこして寝ることの出来ない私と主人の間に 小さな布団置いて お腹がすいて泣くと主人がミルクを作り、その間に私がオムツを取り替え(寝起きは動きやすいので)同時ぐらいに終え私が抱っこして飲ませる そんな日々が続きました。思っていたより辛くなかったです。

その他に夜鳴きで、起こされた記憶は余りありません。

たまに泣くと私ではなく、主人が抱っこして寝ていました。

その頃は とにかく赤ちゃんのペースに成りますから、薬も少しずつ増えて来ていました。

辞めていた鼻水の薬も飲み、コントロールが狂い始めていたのかもしれません。

時々 幻覚を見るようになっていました。

起きているときは ないのですが、布団に入り寝初めの頃 パッと起きて頭を上げると和磨がハンガーにかかって窓に下がっているのが見えたり、蛇が何匹もとぐろを巻いていたり。

初めは主人を起こし さとされていましたが、そのうち現実ではない事が判るようになりました。

今は 鼻水の薬が変わり見ることはなくなりました。

お風呂は ベビーバスではなく小さい衣装ケースを買い 後々使えるようにしましたが、これが結構大変で 産婦人科の先生に相談したところ「 お父さんと一緒でもいいですよ」

と退院して一ヶ月たたないうちから 主人と一緒に大きいお風呂に入ることにしました。

お出掛けのときは まだ首も据わらないうちから 主人のおなかに抱っこ紐で縛られて買物に出かけていました。

赤ちゃんを産むと決めたときから 実家の母に言われていました。

「五月は転ぶときは必ず後ろだから 絶対におんぶはすなよ」と もっとものことでした。

周りにしてみれば、年の割に危なっかしい母親だったと思います。

フリーマーケット 手作りの作家さんたちのイベント 籠に入れて連れて歩きました。

今になって思うことですが、 自分たちだけで子育てしていたから 自分の体の体調にあわせて行動が出来たので良かったのかもしれません。

たとえば 実家に帰っての出産でしたら こちらもわがままになるし、 親も手助けだけでなくまどろっこしい母親にツイツイ口をはさみたくなるでしょう。

自分の体の都合にあわせて ミルクを作たり アリさんのようにオムツが重くふくらんでいても、薬が効くのを待ってからでも 誰も文句は言いません。

そうそう主人のお友だちが (女性ですが)一年早く 出産していまして、哺乳瓶から肌着 育児書にいたるまで 一時期だけだからといって 一式 貸してくれました。

ひとつひとつ揃える事なく、 準備が出来て とても助かりました。

子育てで、何度となく恐い思いもしました。

3ヶ月でヘルニア手術、3泊4日 病院に和磨一人で入院でした。

完全看護ということで、昼は そばにいて上げられなくても、 病棟の廊下で薬のオンオフを繰り返しじっとしていました。

看護婦さんが時々様子を教えに来てくれたり 抱っこして会わせてくれたりしました。

3歳までの間に 3回おでこに怪我をして救急車のお世話にもなりました。

 

歩くようになってからは 私が動けなくても 遊べるように 一人でどっかに行かないようにとベランダのような場所の柱に、農作物で使う網を張りまわしました。

体が動けない分 頭をひねりアイデアを考えるのが好きになっていました。

動けない時は、抱っこも苦痛でした。

早くおっちゃんこ(おすわり)と、一人で哺乳瓶を持てるようにならないかなと思ったものです。

その時期はあっという間に過ぎ 動き回り自分で食べようとしてはこぼす。

一番大変で 言葉の理解と行動がともなわない、2 3歳の頃 一番精神的に辛かったです。

悪いことをして 叱っているうち イライラして怒鳴って なんども繰り返すうち、しつけなのかストレスなのか 体が動きにくくなり口で言って聞かせようと思うのですが、感情的になり ことばも理解できない子に言葉をまくしたてて ついには手がでる。

それも 叩いても動きが悪く思うように叩けないと何度も叩いてしまっていました。

そのうち あんな思いまでして生んで 私はこの子に虐待しているのではないか、罪悪感を感じ、そう思いながらも 目の前の現実に、またイライラし同じことが繰り返された。

その頃は 自分で自分が嫌いになるほどでした。主人の前ではそんなにイライラしないのですが。

定期的に来てくれる若い保健婦さんに話してみた。

「自分で虐待しているんじゃないかと思える藤木さんは、虐待とは云わないよ。」

といってくれました。

何時からだろう 相変わらず怒鳴り叱っているが、あの頃のように叩くことがなくなりました。

オムツがなかなか取れないとか、言葉がはっきりしないとか そのつど心配して悩んでいました。

生れて 物心ついたときから パーキンソン病を口にし、ありのままの私を正直に見せてきました。

裸で転んで主人に着せてもらっている所 動けず主人にしがみつき 引きずられるように布団に寝かせてもらったり 泣いたり  イスから立てず転んでいるところ・・・・・

和磨が一年生のとき こんなことがありました。

私はトイレにはいり 用を済ませたまま固まってしまい拭くことも出来ずにいました。

そこへ和磨がおしっこしに来たらしいのですが

「ごめん 母さん動けないからちょっとまっていてね」

と言うと 黙ってトイレの中に入り トイレットペーパーをクルクルと自分の手に巻き取り、私の後に周り 空いている手のほうで 私の背中を押し倒し お尻を拭いてくれ、そのまま出ていきました。

後は便器から 引きずり落ちるように床に座り、ひざ立ちでズボンをあげ、はうように部屋に戻り、お風呂から出た主人に 今和磨がしてくれたことを嬉しくて 体を震わせて泣きながら話して聞かせたことがありました。

嬉しいんだけど 情けないようで 申し訳ないような 複雑な気持でした。

こどもを持つと学校の行事もいろいろ入ってきます。

親子でやるものは ほとんど出来ませんが 座っててもいいから来て欲しいと言います

年々 歩き方も変になり 杖を突たり つま先歩きの変な歩き方になります。

友達が遊びに来て うるさすぎて怒るときも固まり 目の前で 転んでしまうときもあります。

それでも 今では こどもたちにとっても これが「かずまのおばさん」なのです。

ちょっと 意地悪ですが 和磨に「健康なきれいな 若いお母さんだと良かったのにね」

といって からかったことが有ります。

「やだ 今のままの母さんでいい」とムキになって言ってくれました。

今では 出かけるときは 和磨の方が「かーさん杖持った」 人の大勢いるスーパーで転んでも

「かーさん オレ後ろに立ってあげるから」と言ってくれます。

もちろん子供ですから「えーー なんで和磨ばかりに言うのー」と言われてしまうこともありますが

和磨にとっては どんなに怒られても 変な歩きかたしていても 杖を突いていても、生れたときから 母はパーキンソン病  パーキンソン病のかーさんなのです。

 

親の気持は親にならないと解らないと よく言われたものです。

「守るものが出来ると強く慣れる」強くなったかは自分ではわかりません。

この病気は 本当は 穏やかなのが一番。

イライラカッカッしていると 固まりが強くなり転ぶ回数も多くなます。

わかっているのですが 難しいですね。

正直 子供が居なかったらイライラすることも 言い合いをすることもなかっただろうと何度も思いました。

でも  今の生活を幸せと感じられる、周りのつながりを見回したとき ヤッパリ子供の存在が大きいのです。

親はいくつになっても 子どもを心配し続けるでしょう。

そして 心のどこかで子どもを当てにしている自分がいる 助けてもらっている。

家族の中で 一番わがままで 自分勝手なのは 私かもしれない、まだまだ いろんなことを悩み、苦しみ、格闘しながら生きていくでしょう。

「子育ては大変だ」と思いながらも 、母になれて十分幸せで居られる。

おなかに 命をもらったときから 目に見えない大切な物を知ることが出来たのだと思う。

気づかずにとおり過ぎてしまったことも 泣いたことも笑ったことも悩んだことも、母になれたから感じられたことと・・・人間としてのつながりを大切にしながら

まだまだ続く長い道

 

 

 

                       

                        その1妊娠・出産

 

2004.02.25 File作成sophia
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