2004.08.16更新

自然に生きる                     by ハナミズキ

世の中、右も左も変わって行くものだらけ
次から次へといとも簡単に、物が作られ
それを使いこなす僕らは、地球人だったよね。君、地球人だよね。

家の中を見ると、テレビやビデオデッキがいったい何台あるんだ。
外に散歩に出かけると、歩いている人はたいてい護衛つき。
そう言う僕も右手に確り手綱を握り緊めている。
相棒が一緒でないと、何となく歩きにくいから。
本通りは、走るのが普通のようだ。皆、車に乗って走っている。

世の中、右も左も変わって行くものだらけ
次から次へと買い換えて、古いものは物置きに。
新しい機械ほど操作は簡単というが、内容は濃くなっているよね。君に、理解できる。

テレビを見ると、メッセージが流れている。
環境を守ろう、野菜を食わなきゃ、自然の水を飲もう。
それって、当たり前のことばかりじゃないのか。
稲穂に触ることなど無いだろう。米はスーパーで買うものだから。
カメラも時計もいらない、携帯電話は3度の飯より大事。

世の中、右も左も変わって行くものだらけ
次から次へと用が立てこんで、ついつい物を粗雑に扱う癖がつき
本来はこんな短気で乱暴じゃなかったよね。君、温和だったよね。

家の近くにも子供達の声が、めっきり減った。
テレビゲーム、塾、スポーツクラブ
鼻たれ小僧も、泥んこシャツも、赤チン付けてるわんぱくもいない。
遊びとは覚えるものなの、作ってもいいんじゃない。
難しい言葉使いや器械操作には、やけに長けるくせ、アポイント取らなきゃ遊べない。

物ごとも人も変わって行く、偽りと誠の交錯する中で
変わらぬものを見て思う。
強いな、でかいな、深いな。心から思う凄いなと。

たとえば、騒しい中に身を置いていたとして、
その場の空気を吸い込んで、鳥の声も水の音も聞き分けられるこころ。
たとえば、錯綜する情報の渦に巻き込まれたとして
あわてずに必要な言葉だけを手繰り寄せ、毅然としている山のような安定感。
たとえば、谷底に落ち傷ついたライオン達が生還する時、
その猛り立つ叫びが、峡谷を突き抜け、山はだに跳ね返り生れる協和音。
大自然の恵みの中に、今もなお、脈々と生きづいている静なる大木の根。

一方、掻き消せないものが泡のように浮んでくる。
消せないのでは無くて、腹の奥底に潜むハートの消しゴムを使いこなせ。
変えるのだ。変わる姿を見て思う。
かっこいい、頼れる、やさしい。心から思う偉いなと。

世の中、右も左も変わって行くものだらけ、
もし失意のどん底に転落して、起き上がる術を無くしたら
こんな、レシピはいかがかな。

怒りが小波(さざなみ)になるには、膨大なエネルギーがいる。
自然界では、嵐は当たり前で避けられない。
暴風雨が一面の草木を薙ぎ倒す時、
自然と闘うこともある、安全に努める場合もある。
無理しちゃいけない。無茶しちゃいけない。無駄もある意味大切。

常識に生きると言うことは、不変ではなく変化についていくことだろうけれど、
これもまた容易に判断できるものではない。
ただ、何もかも、右に習えで行くのかい。
多数決は、多い方が正しいと言うよりも、
大抵の場合、環境が近い人や思いの似た人の数だと思う。
厳密に言うなら、正誤よりも共感、反発が分るものなのだろう。
色々考えて今はこんな風に思う。
物事の道理は、全て対照の位置にあるような気がする。
1つ人の話に耳を傾ければ、1つ自分の話を聞いてもらえる。
生きていくとはどうも、そう言った単純なことの繰り返しのようだ。

2004.08.16up

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