2012.07.10up

脳深部刺激術(DBS)の体験記のトップへ

たたかい終わって日はのぼり(part1) by miwa
  仕事を休んで1週間になる。
 急なOFF(注1)で、歩行困難とひどい振るえが、 仕事からの帰宅時2日続けて出てしまう。
また、増やし始めたドーパ剤(注2)のせいで他の薬の効果もバランスを崩し、 自律神経系の副作用が出て身体にも変調をきたしている。

 薬の調整ももう限界だ。
 古いタイプの薬から新薬までほとんど全部の薬を使った。
 飲み方も色々工夫してきた。
 これ以上どうしようもないところまで来た。
 このままでは、働くことはもちろん、生活も難しい。
 子ども達も結婚適齢期を迎え、次々と結婚すると思う。
 孫が出来たら、孫の世話をしたい。これが私の昔からの夢だ。
 また、母も、もう84歳。そろそろ、1人くらしも、 きつくなってくる。
 何かの時には駆けつけて介護したい。
 動けなければ孫もだけない、母の手をひくことも出来ない。
 60歳代は、きっとしっかり動ける体が必要になる。
 今まで手術は絶対嫌だと考えていた。
 しかし、考えを変えた。手術をします。              

  決断したら早かった。
 主治医にお願いし、紹介状を書いていただいた。
 住まいの近くでS病院がいいでしょうということで、 DBS手術に200症例以上の経験のあるO先生を紹介していただき、 S病院に予約を入れた。
 3日後、夫と2人で約束の時間にO先生を受診する。
 私は初めてのS病院訪問。夫は健診で毎年お世話になっている。
 玄関に入って驚いた。ピアノの自動演奏でショパンが流れていた。
 吹き抜けのホテルのような豪華さだ。 これが、うわさの・・・。
 1時間余りかけて、私のことを話しながら、O先生の手術の説明や入退院の話など面談は終わった。
 「手術はどうされますか」と聞かれ、自分でも何時できるか、手帳のカレンダーを見た。
年度末の決算期で一番忙しい時期だ。
思わず6月中旬と答えていた。何故か即入院即手術を考えられなかった。
事務の方で入院の説明があるというので、話を聞くと、全室個室で一日1万円〜5万円まである。
 3週間入院すると個室料が21万円かかる。4週間で28万円。どうしよう。 帰り道無言の私と夫だった。
 次の日去年の夏に手術をしたという、Tさんに会って話を聞くことにした。
Tさんは、K病院で手術をしたそうだ。M先生だ。 そういえば、以前、友の会の重鎮Oさんが、DBSをする時は、M先生に しなさいねって言っていたのを思い出した。Oさんは、M先生の第1号のDBSの患者らしい。体験談を書いていらっしゃったのを読んだことがある。 喫茶店でTさんの話から手術前や手術中のことなど、色々なことを 詳しく教えてもらえた。電極の調整もM先生がされるらしい。ちなみに入院費はいくらだったか聞くと4人部屋で、1万4千円ほどだったらしい。
 
 それから、2〜3日はK病院とS病院のホームページを開いて見比べたり、両先生方のプロフィールを調べた。また、去年の春S病院で手術をしたというKさんに電話をかけた。        
 「優しくていい先生よ。手術もスムーズに問題なくて良かったよ。先生を信頼してお任せしたらいいのよ。」とおっしゃった。「お部屋はどうでしたか。」「さみしくなかったですか。」「1人でいるのは慣れていらっしゃるのですか。」と聞くと「談話室があるから話したくなったら行けばいいでしょう。」との答え。言葉が少し聞き取りにくい。 まだ、言葉が出にくいのだろう。    そうか、どうしよう、どっちにしよう。 どちらの先生もよさそうだ。 ん〜困った。  高級ホテルで1人がいいか・・ 民宿で他の客と一緒ににぎやかにがいいか・・ 。
 とにかく、K病院にも行ってみてM先生にもお会いしてみてから決めよう!
 また、主治医に事情を話し、紹介状を書いていただく。
 K病院に予約の電話を入れるが2週間後が診察になる。先生は予約で一杯のようだ。

   2月24日 K病院診察日
  K病院に夫と行く。我が家から車で30分くらい。 午後3時の予約だったが、30分以上待たされた。 普通の病院だ。看護婦さんが親切。ちょうどOFFで1人では歩けなかった私が待っているうちにON(注1)になり歩いたので、驚いていた。診察が始まった。
まず、私の状態を色々質問された。次に飲んでいる薬、出ている副作用のことなども詳しく質問された。「手術の対象者ですね。」と言われ、「では、今から手術について説明します。」
と言って、ノートパソコンを見せながら、写真や図を使って、パーキンソン病の症状はどうして起きるかから説明がはじまった。その後実際に手術中の写真を見せてもらい頭に入れる電極も見せてもらった。先の方に4か所ある放電部分を+(プラス)にするか−(マイナス)にするかで色々調整が出来るらしい。また、胸に入れる器具も出して手に持たせて重さや大きさを確認させて下さり、今年もしかしたらパルス(注3)が1つでいいのが出来るかもしれないけど今回は今までの2つのものを使うとおっしゃった。また、新しい充電式のも見せていただいた。手術の時間やスケジュールや最後にはリスクについてもお聞きした。脳内出血に至った3件の患者さんの症例や縫合部位の化膿や頭から器具が突き出てしまった方などリスクもあることを知って手術に同意してほしいとおっしゃった。2時間近くたっていた。もうその時点で私の気持ちははっきり決まっていた。     
 私が「何時手術できますか。」と聞くと早くて3月19日。入院は13日。の後だと4月 。
「わかりました。友の会の活動をしているので確認してから返事をします。」とお返事を保留し帰宅した。 すぐに、支部長に連絡すると安心して手術を受けて下さいと言われたので、次の日早速、入院申しこみの電話をした。こうして、入院日が決まった。
    2月26日
  顔のむくみがひどく足も手も自分のものでないようだ。ダイアート(注4)を朝0.5錠から1錠に増やした。
 友の会の会計の仕事を夕方までサポーターのTさんと一緒にする。
息子から電話がかかり、私の手術のことを、妹から聞きすぐに電話をかけてきたようだ。手術の日に必ず行くからと言ってくれる。良かった。手術に家族が誰か一人は必ずいないといけないそうだ。9時から午後3時ごろまでかかるそうなので、夫だけでは途中食事もとらないといけないから困っていた。息子が来てくれると安心だ。

   2月28日
 原田ニュースレターを作った。 手術の詳しい説明も含めて執刀医の紹介文なども入れて書いた。
 職場に報告にいく。毎年恒例の桃のカステラを皆に持っていく。クリスマスプレゼントとこのカステラは毎年必ず皆にお礼の気持ちで私が続けている恒例の行事なのだ。室長始めスタッフもが温かく迎えてくれた。原田ニュースレターも一緒に配り読んでいただく。 また総務に「4月からも働きます。」と半年の1度の契約の更新もしてきた。 これで、職場の休む準備はOK。
それから、Aクリニックの主治医の所にも行き、先生に報告。 原田ニュースレターを読んでもらう。先生はとても喜んで「やっとやね!!」とおっしゃり励まして下さった。これで、主治医のこともOK。
    2月29日
 朝携帯の目覚ましの音で目は覚めるが、すぐには起き上がれない。関節がボキボキなって腰痛がひどく、からだが動かなかった。夫を呼ぶがなかなか来てくれない。仕方がないので、足を何とかベッドの下にたらし、体もそれにつれて床に落とした。這ってトイレに行く。
 今日は原田葉書を印刷した。「はるよこい、はやくこい」と書いた。親しい友人に20枚ほどで、今度の入院のことを書いた。 みんなに知ってほしいと思ったからだ。みんなの気持ちが私を助け励ましてくれそうで、みんなが私を思ってくれそうでその気持ちがうれしい助けになると確信している。20人近くもいる親友と呼べる人たち。私はそんな人たちのお陰で今日までやってこれたんだと思うと涙が出て仕方なかった。今までありがとう。これからもよろしく!!
  外は雪。春とは名ばかりの寒い日が続く。

 入院までの日々、気になっていたやり残していることをした。
O県のIさんのお誘いで、B温泉に一泊。
S病院リハビリ科のPTでHさんに報告。退院後の受診を約束する。
会計のサポーターTさんに来ていただき出来る限りのことをし終える。

   3月9日
 結婚記念日。夫には、感謝の気持ちで一杯だ。何も言わず、私が気の済む様にすべてを見守ってくれた。準備もすべて終わった。
 私への記念日のプレゼントは革の手袋。以前から欲しかったもので 覚えていてくれたのだろう。今年、秋口からどんな感じで使うことになるのかな。それに、きれいなお花ももらった。ありがとう!!

   3月11日
 息子から仕送りの報告メールが届く。 何かと物要りだと思ったのか、大金を振り込んでくれた。
優しい息子だ。長女からも連絡が来て色々と長話をする。長女も休みをなんとかとって土曜日から来てくれるとのこと。こんな時に皆家族がまとまっていてくれるのが本当にありがたく私は幸せ者だと思う。沖縄の姉からも電話が来た。実家の母にも連絡をした。「心配いらないからね。」というが、やはり心配だろうな・・・。でも大丈夫だからね、お母さん。

    3月13日
 ついに入院だ。
2人部屋の入り口のベッドになった。看護師詰め所からすぐのところだ。
午前中・・・尿検査、血液検査 レントゲン 心電図 心筋シンチ(注6)
午後・・・・脳波の検査・・・その後検査部位にぬったべたべた を取ってもらうのでシャンプーをしてもらう。
   3月14日 
  リハビリ科でONの状態のビデオ撮りがある。 ST(注5)・・・も検査がある。主に認知症のテストのようだ。100から7をひいてそして、その答えからまた7をひいて、ここは何という病院ですか、ここの県は何県ですかなどきかれ、最後に好きな文章を書いて下さいと言われた。
わたしは、「桜が咲いたら、家族みんなでお花見に行きたいなー」 と書いたら、びっくりするくらいきれいな文字が書けたので自分でも 驚いてしまった。先生もびっくりしていた。      
 薬の管理は自分でするようにと(いつも飲んでいる薬をお渡ししていたのだが)薬を返された。私はどこに行っても薬の管理は自分でしないといけない。看護師さんたちの考えに任せるといつも食事に合わせた飲み方となり、私は動けなくなってしまうからだ。ドーパ剤は運動量が少ないので通常の半分の量でいいのではと5錠から、3錠に減らせた。しかし、そのせいもあるのかわからないが、首の後ろがものすごく痛んで仕方ない。 
 リハビリ科で、私の薬が効いている状態をビデオに撮る。

  3月15日
  今度は薬を全く飲まないで抜いた時の状態をビデオに撮る。
朝と昼の薬を抜いて調べる。しかし、夜寝る前に飲んでいる薬は飲まなくなって2週間後まで効果が持続する薬なので本当に薬が切れた状態ではないと思ったが、先生はわかっているのだろうか。
 朝と昼からの薬を抜いただけでもやはりものすごく悲惨な状態だった。このビデオを見たら自分でもショックを受けると思うのでできるだけ、見たくないと思った。しかし、すごい記録だと思うので、いつか公開したいと思いPTさんに、ダビングしてほしいと伝えた。

  3月16日
 昨夜は首の後ろが痛くて、痛くて・・・バスタオルで枕を作り、普通の枕と何度も交代しながら、寝たので熟睡できなかった。看護婦さんに事情を話し温かいタオルを持ってきてもらい首の後ろにあててみる。湿布も貼る。それに頭痛もひどい。枕を家から持ってきても良いとのことで、夫に頼んだ。朝食後M先生が顔を出して下さったので、首の後ろの痛みのことを話す。
同じ病室のかたと、お話をするようになって仲良くなった。3か月前に手術をしたらしい。
もともと少し認知症があったらしいが、少しひどくなって入院されたようだ。ご自分の住所が思いだせないと言っておられ、また、STさんの質問に答えられなかったらしい。そういった話を聞くと少し不安になる。電極の調整で少しは改善されたようだ。また、手術のあと、頭の傷が痛むので、ふわふわ枕を買っていた方が 良いよと、アドバイスを頂いた。やっぱり個室でなくて良かった、同じ病気で手術もした方がご一緒で良かった。

 お見舞にきてくださる。 T幹事、Sさん(サポーター)、Tさん(この病院で昨年7月に手術をしたかた)皆が応援して下さっている。頑張ろうと改めて思った。

 M先生は朝と夕方にかならず、顔を出して下さり私の体調を聞いて下さるので、段々親しくなってきて何でも話せるようになってきた。とてもいい先生だと思う。

  3月17日
  神経内科の受診のために、薬を朝から飲まないで完全OFFの時の状態を待つ。それまでトイレも歩行器だったが歩行器も無理になり、車椅子でトイレにも連れてってもらい始末までしていただく。東京の長女が来てくれた。1日中いてくれ一緒にベッドに座り、持ってきたアイパッドで 映画を観て過ごす。
 やっと、OFFがきて、神経内科で診ていただく。ほとんど何もできない状態になっていた。
神経内科は1階の外来にあるので、看護師さんが車いすに乗せて連れてって下さった。

   3月18日
 薬を昼以降飲まないように言われた。遠方にいる 息子と長女が来てくれ、思い出話に花が咲き、あっと言う間に1日がすぎる。

   3月18日深夜
 薬の禁断症状で体がこわばってしまい固まって全く動けなくなる。ナースコールも押せなくて、声は出るのだが看護師さんまでは聞こえないのか誰も来てくれず途方に暮れてしまう。涙が出て嗚咽をあげていたら、お隣のKさんが目を覚ましナースコールを押して下さった。本当にありがたかった。ベッドは私の様子がわかるような器械がセットしてあるのか、OFFになると隣の部屋から音が鳴りだすので、観察室に繋がっているようだ。1晩に5回も全身が硬直し看護師さんが来ると、固まっている手足を動かして緊張を解いて下さった。何度も寝たり起きたりした。大汗でパジャマはびしょびしょの状態だ。
 朝になって、看護師さんに体を拭いてもらい何もできない私はされるがまま。車いすに乗せられ介助食の方たちと同じコーナーに連れて行かれ、ストローでミネラルウォーターを飲むように言われたが、1人で容器を持つこともできずそのまま見捨てられたようにうつむいていた。段々寒気がしてきたが、やっとある看護師さんが来てくれ飲ませてくれた。その時別の看護師さんがきて、「その人は○○でしょう。手術しないといけないの」と言った。担当の看護師さんが「カルテに書いてあるよ、何を見て言っているの」と答えた。私はそのことにひっかかってしまい、もしかしたら手術の対象者でないのかもという気持ちになってしまい大きな不安感が押し寄せた。担当の看護師さんが部屋に戻してくださった。子供達3人と夫がやっと来てくれた。 さっそく、私は先ほど聞いた看護師さんの話をしてM先生に聞いてくれるように頼み、○○がなになのか調べてもらうことにした。
 その時点で私はパニック状態になっていたのだと思う。
 手術の当日になって、手術の対象者云々でパニックになるなんて考えられないことだが、私が言うことを軽視せず、子ども達が手際よくノートパソコンで調べてくれ、先生にも聞いてくれ私が安心して手術が受けられるように解決してくれた。夫と息子が「お母さんは手術の立派な対象者なんだから、先生にすべてを任せてがんばればいいんだよ。」と言ってくれた。こうして、私は安心して手術を受けることができた。
 トイレに連れてってもらい、術着に着替えさせられ、 オムツをはかせてもらう(カテーテルをする人もいるようだが私はおむつにして下さいと頼んでいた)。
 点滴をするがなかなか入らず、5回目にしてやっとうまくいき私の腕は注射の痕が何箇所も紫になってしまった。 ベッドから車いすに移され手術室のある2階に連れて行かれた。夫と息子が午前中は担当になって私の手術の立会人になってくれたようだ。娘たち2人は午後の担当になる。あとから聞いた話だが娘たち2人は私のベッドに2人で爆睡していたらしい(笑)。お昼は夫の手作り弁当を皆で食べたようだ。
 

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2012.07.10
ファイル作成 sophia
原稿 miwa

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