2008.09.13up

脳深部刺激術(DBS)の体験記のトップへ

脳刺激装置交換術 by isoiso

「バッテリーがlowになっている。ではもう手術をしましょう。7月に入ったらベットがあき次第連絡します。2泊3日です」とF先生がおっしゃった。DBSの手術をしたのが2003年の9月12日だからかれこれ4年と10ヶ月になる。全身麻酔ですると言われ、おもわず無事に目がさめるかと心配になったが、それは私の杞憂にすぎなかった。

手術担当の先生から電話があり、「74日の入院で7日に手術をします」と連絡があった。74日はアメリカの独立記念日だ。トム・クルーズ主演の『74日に生まれて』という映画を思い出した。74日に生まれた主人公がベトナム戦争で負傷して、車椅子で故郷に戻って来て、いろいろな心の葛藤を経て反戦活動家になるというストーリーだ。この映画を観たのはパーキンソン病と診断されたころで、トム・クルーズが車椅子姿で故郷に戻ったのが他人事とは思えなかった。実際故郷に帰ってきて、周りの人の温かい気持ちに支えられることの多い毎日だ。

7月4日、金曜日、11時に入院した。土、日をはさむので、短くても4泊5日になる。後は傷の治り具合を見て退院をきめましょうと主治医の先生が言われた。

午後からは麻酔科に行き、それからレントゲンと心電図を撮った。心電図はスイッチを切らないと撮れない。スイッチを切ったら足に大きな震えが起こり、口までパクパクなりだした。刺激が無かったら大変なことになると改めて認識した。検査技師の方が足を押さえつけて心電図を撮られた。麻酔科では高血圧と心臓が悪いのが心配されたが、「何かあったときには適切に対処させていただきます」とのこと。夕方主治医の先生が見えたとき、「心電図は大丈夫だったでしょうか」と尋ねたところ、「ぜんぜん大丈夫です」 と言われ、一安心だ。

先ず、5年前に手術をしてどんなに楽になったか。1日が24時間あるということがこんなにありがたいこととは思わなかった。今まであまりしていなかった、家の手伝いも出来たし、おととしは中学時代の同窓会に初めて出席し、卒業以来会っていない人たちに会って大いに懐かしい思いをしたし、また長門峡へ行って中原中也の詩に思いを寄せることもできた。精神的にも以前よりはずっとよくなった。記憶力は相変わらず悪いが手術して悪化したとは思えない。むしろ逆で少しよくなったような気がする。薬もL−ドーパを4〜5錠から2.5錠までに減らした。それでも一年半くらい前から、薬が切れると、いまひとつしゃんとしない、薬が切れたとはっきりわかり、L−ドーパを半錠増やした。それに薬がきれると、まぶたが閉じて、動作が止まってしまうことがある。あいかわらず転倒もよくする。それでも手術前よりはずっといい。身体の中に機械を入れていることも慣れると気にならなくなった。震えは完全に止まっている。今回手術を受けるにあたって5年間の感謝の気持ちと電池を交換して元気になってまた頑張ろうという気持ちを持って手術に臨んだ。

私が5年前に受けたDBSという手術はパーキンソン病の人ならだれでも手術をするとよいかというと、適性があり、そうではないようで、前以って主治医の先生とよく相談されることが肝心のようだし、手術をする時期も考える必要があるように思われる。それからこの手術では術後も電圧の調整が大切な治療となる。微妙な調整で副作用が出現、または消失したりすることもあるので、調節をされる先生とうまくコミュニケーションをとり、うまくいかないときは、お願いして根気よく調整をする必要もあるようだ。

交換術当日の朝、朝一番に飲む薬が効かなくて心配したが、2回目の薬を飲むと効いてきたので急いで準備した。F先生と主治医の先生が来て下さって、その後急遽教授回診があり、教授に励ましのお言葉をいただいて、迎えの看護師さんと手術室へ向った。

isoiso さん終りましたよ」というあかるい声で眼がさめた。手術室で手術が終ったところだった。後で主治医の先生がおっしゃっていたのだが1時間もかからなかったらしい。病室まで戻ってきていたが眠くてあまり覚えていない。スイッチもちゃんと元通り入れてくださっていたようだ。点滴が翌日のお昼ころまでかかるらしい。「お昼は抜きでその日の夕食から食べられますよ」とのこと。看護師さんが口に入れてくださった氷がとても美味しかった。

翌日傷の痛みもとれ午後から退院できた。抜糸も何もなく、一週間たてば自分でテープをはがしていいと言われた。梅雨も明け、いよいよ本格的な夏の始まりだ。


2008.09.13

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