2009.11.03 up

脳深部刺激術(DBS)の体験記のトップへ

ふみくんのDBS体験記(手術編) by ふみくん.

ふみくんのDBS体験記(手術編)

DBSの決断


1.薬が効かない!

2006年頃から薬が滅茶苦茶多くなった。アゴニスト多用による「性的亢進」がひどくなり(この時の体験は改めてご紹介しますが、人生が終わったと思うようなおぞましい体験でした)、薬減量に取り組まざるを得なくなった。
 当時の薬は、メネシット・コムタン各8錠、アーテン3錠、ペルマックス9錠、FP2錠、リボトリール3錠一日35錠以上飲んでいた。これでも体調は悪化し、特に振せんと前屈姿勢、ウェアリングオン・オフはひどかった。


2.もう限界

2007年、主治医を変え様子を見たが変化なし。友人の神経内科医にも相談し、この年の秋口DBSを意識した。仕事も半日が限界。
 主治医とよく相談し、DBS実施を妻と共に決断した。手術は過去症例が多く、以前も診てもらったこともあるS病院に決めた。その他にも候補病院を挙げ、主治医と検討した上での結論となった。

.専門病院

S病院は、F病院「脳神経」部門の入院部門が独立した病院で、PDに限らずありとあらゆる神経難病患者が入院している。

300床のベッドは科にもよるが、恒常的にほぼ満床。看護師の数を見ると、日勤はそれなりにいるが、夕方(凖夜)から深夜(夜勤)は3人とぐっと減る。見ていてかわいそう。看護師は長くなるから、続きは改めて

.検査入院

DBSを行なうには「関所」を通る必要がある。「検査入院」である。検査入院といえども3か月位待たされる。

検査入院期間は、当初2週間程度と甲医師は言っていたが、私は1か月以上を要した。理由は「問題児」ということもあるが、この病院はMRIが1台しかないのだ。MRIは脳神経治療に必須、それも旧式の「閉鎖型」だから時間がかかる。

検査は一般的な検査から、脳波や心理試験などそれなりの検査もある。「100から7ずつ引く」の計算は覚えておく(と言っても、無理だとは思うが)。
 検査は1日に1つか2つ、はっきり言って「暇」。リハビリと周りの患者さんとの情報交換が暇つぶし、薬の調整もできる。思い切った薬の変更は主治医と相談していろいろ試してみる。
 そうそう、主治医は若い研修医が多い。甲医師とは1か月に1〜2回会えればいい方。なお、動きの悪い方は知り合いの人に頼んで、買い物してもらう。他の階に行くには、担当医の許可が必要。
 洗濯は院内の機械だと乾燥機1回ではダメなので、外注業者に依頼した方が安い場合もある。食事は当時と業者が変わらなければ、量は少ないが大変おいしい。「イベント食」は、はっきり言っておいしい(気を付けないと太る!!)。  
 最終週の月曜日の19時から、関係する箇所の医師・看護師等が集まり「カンファレンス(検討会)」が行われ、手術の可否が決められる。患者も少し参加する。この場で様々な質疑応答があり、運命が決まる。

5.眺めは最高

10階のA病棟に入院するが、ほとんどの患者が手術がらみ。年齢もまちまち。今は知らないが、10Aの看護師は規則に厳しい。なおナースセンターに近い部屋ほど「重症」。眺めは最高。
 看護師は若干の男性がいる。手空き時間はほとんどない。1日何か働いている。自分の担当看護師が決まっているが、勤務の関係でいろいろな人が担当する。大切なことは担当看護師にキチンと話をする。
 退院時含め「物」は医師・看護師とも一切受け取らないので、私は手紙を書いた。その他の人にもよく手紙を書き、翌朝ナースセンター前のポストに投函するのが日課となった。

いよいよ手術

6.召集令状と出頭

神経病院から「召集令状」が来るのは、検査入院時におおよそ分かっているから、検査入院よりは落ち着いていた。ここは逆に考える方も多いと思う。「あー、いよいよか」とドキドキするのが普通だろうが、ここでは「クリスチャン」で良かった、と思った。
 入院は6A病棟(脳神経外科)、入院時には担当看護師が1階の医事課にお迎えに来てくれるが、10A病棟の看護師が「やあー、久しぶり」とか「いよいよ?」と声を掛けて言ってくれる看護師もおり、前回は緊張したが今回はやや余裕か。
 前回は4人部屋だったが、今回は2人部屋。6Aには約1か月いたが、最後まで同じ部屋だった。しかも、そのうち10日間は1人だったので、聖書など本を持ち込んで正解だった。
 今回は若くて美人の看護師(検査入院時は男性)が来て、ドキドキ。実は「代打」だったが、彼女の仕事は「正確・迅速・丁寧」。本当に素晴らしかった。他の看護師も同様で、内科はキビキビ、外科はシャキシャキ、という印象だった。

私は自分の職場研修の候補地にしたい位だった。
 さて、看護師が一通りの説明を行うと、脳神経内科の担当医となる丁医師がやって来る。いきなり「じゃ○○さん、今夜から薬を減らします。動きにくくなるけど、看護師に何でも言って下さい」と言われ、本当にどんどん減量された。トイレは私が「成長」していたせいか、常に2人掛りで男性看護師が大活躍した。
 本当に全く動かない。人間、ここまで動かないと情けない。加えてものすごい振るえがあり、ペットボトルも持てない。トイレに行けない、立てない。寝返りなんてもってのほか。日に日にひどくなり、散々看護師のお世話になった。買い物(特に水分)も出来なかったので、近所の知り合いの人がいて良かった。

7.手術の恐怖感

 これはどうしようもない。怖い要素は「頭に針」「部分麻酔」「痛み」の3つだろう。
@
頭に針ここまで来たら、仕方ない
A
部分麻酔この際「好奇心」を持ってやろう
B
痛み死にゃせんだろう
 私は2日前に突然恐ろしくなった。同室の人から「最初に耳の中に棒が入るが、滅茶苦茶痛いぞ!!」と散々脅かされた。
 翌日も悶々としていたら、看護師が「○○さん、お風呂入りましょう」と来て、末期の湯ではないか、とさえ思った。

8.前日

 末期の湯を味わい、夕食を食べたら、なぜか腹が据わった。
 その後、担当医師からPC動画を交え「承諾書」を書くに当たっての説明があった。 妻と共に説明を聞く。
 私の主治医はとても脳外科とは思えない細身の女医さん丙医師。執刀医も私です、と言ったので、なぜか「オペの間に一発、かましたろ」と思った。なかなか臨場感溢れる映像、もちろんカラーなのでリアル。今までの術例を踏まえ事細かに説明された。「こわかったら止めてもいいですよ」と言われ、止めてなるものか、とカラ意地出してサインした。
 内緒だが(ここに書いて内緒もへったくれもないが)、この日は3日目の便通なしの日でダメなら浣腸を申し渡されていたが、説明中にもよおして無事3日分を排出。準備OKである。
なお、断髪式は当日、ということで、誰が?と興味津々。良く寝た。

さあ、本番!

1.出陣の朝

当日の朝は、清々しい目覚め。今日一日ほとんど食べられないから、と朝食はしっかり食べた(と思う)。しかし面会者の多いこと。家族、近所の知人、近くの病室の人
 担当看護師は不在で、別の看護師が手術着の着替えに来たのが8時半頃か。着替え終わると、ストレッチャーに乗り換えるために5人位来て、近頃多い医療系ドラマさながらに「1,2,3!」か「せーの」か忘れたが乗り移った。その頃、初めて一人旅で上京し、下車駅を間違えた息子も到着、ほっと一安心。自分はさて置き、他人の心配をする余裕がある。
 主治医の丙医師も一旦顔見せた。
 廊下へ出たら10人位いてびっくり、内心「こりゃまるでお祭りか」。
 エレベーターは看護師一人が家族とともに乗り、オペ室のある5階で降りた。覗き込む妻の笑顔に笑顔を返して、いざ出陣。


2.オペ準備

オペ室の自動ドアが開き、聞き覚えのある声で「お名前は?」「今日は何の手術ですか」と聞かれた。数日前に説明に来たオペ室の看護師の声だ。ここで看護師が交代する。回りを見回すと、青や緑の服着た人ばっかり。帽子とマスクで誰かははっきり分からないが、雰囲気でおおよそわかった。そうだ、ここはオペ室だ。
 エアシャワー(滅菌のため浴びる空気のシャワー)を過ぎ第5手術室へ入る。ここからはすべて乙医師の指示で動く。
 その日は振るえが少なかったが、乙医師が「ブルブルだと、(手術が)やり易い」と言ったので、無理やりだが少し手足を振るわせた。「いいぞ!」の声に「医者のご機嫌取りも大変だ」。
 手術台は本当に狭い。こんなところに何時間も目覚めたままじっとしているのか、暇だ。そこでオペ室に入った時から流れていたCD「嵐吹くとも、恐れはなく」(事前に主治医に渡しておいた)と一緒に歌を歌っていた。

<注>「嵐吹くとも、恐れはなく」は、クリスチャンであるふみくん夫妻が歌うCD。今もドイツで用いられる主イエス様を賛美する歌や、日本の聖歌を元に編集された歌集「日々の歌」から抜粋された23曲が収められている。非売品。


さて手術台に上がると、四方八方から「○○付けますよ」と声がかかり、様々なモニタ−が付けられる。違和感あるのは尿の管くらいだが、あまりも多いので、途中から返事をやめ、歌っていた。
 次が前半のハイライト、頭部の固定だが、その前に「断髪式」。電気バリカンで看護師が行う。「もっと切れるヤツはないのか!」。一分刈りで、その後剃るかなと思ったが剃らなかった。
 「定位脳手術」は、ターゲットを定めるため、頭の位置を固定する必要があり、完全に頭を動かなくする。またオペ中に患者の精神的負担軽減のためか顔の上に布をかけるように鉄の櫓が組まれる。途中両耳に麻酔薬が染み込んだ脱脂綿を入れられ、その少し後から両耳同時に棒が回転しながら入ってきた。かつて一名がその痛みに耐えかね失神したらしいが、程なく耳の棒は引き抜かれた。「あれ、おしまい?」。
 そうそう、すでに始まっていた乙医師の「藝術講座」は、大変参考になった。
 最後はMRIを撮影するために、再度ストレッチャーに乗せられオペ室を出て地下階へ移動する。

3.DBSの成否を左右するMRI

DBSでは、オペ前後にMRIを行う。特にオペ前のMRIは、頭部に埋め込む電極(以下「針」と記述します)をどこの場所に入れるかを決定する。頭部の位置を「X,Y,Z」の三次元座標に数値化する。このデータを元に脳外科医は針を埋め込む。その精度はo単位。

私は地下階に移動する間、丙医師に「耳の痛いのは終わりですか?」と尋ねていた。オペ室に入ったのは8時55分、出たのは9時35分頃。「予定より早いから、少し待つかも。ヘー痛くなかったの、ご立派!」と言われた。これは嘘ではない。本当に痛みはなかった。
 MRIの前で、確かに待たされた。10分は待った。
 僕は「閉所・高所恐怖症」だ。MRIはあまり得意ではない。しかし精神的緊張感が少し解けたためか、40分〜50分掛かる撮影中不覚にも寝てしまった。帰りの際時計を見たら10時50分だった気がするので、誤りはないと思う。
 さて、本日の針の位置は何処。これを決めるのは脳神経内科の医師で、朝も「こんにちは」とあいさつして下さる。術前いろいろ聞いてみると、彼以外は出来ない業(らしい)。

さて、いよいよオペの始まり。

4.オペ(その1)

オペ室に戻り、最終準備。栄養液を入れる点滴は、丙医師が入れたが、これが最高の穿刺、全く痛みがない。安心感も倍増。
 ここで大切なこと、それは腰の位置。執刀が始まると体の位置を変えられないから、ここで申告しないと「痛い目」に合う。前日の説明でも「必ず言って下さいね」と、丙医師に念押しされた。しかし私は言いそびれたのでオペの後しばらく痛い目に合う羽目に(ウラ技は後ほど)。この後顔の上にある「櫓」に布が掛けられ、足元を見る方向だけが見えるが、ここから時折看護師が顔を出して患者の様子を見たり、水を飲むためにペットボトルが入れられる(専用ストローがあります)。

 内科の戊医師から「今日のターゲットは、Xが」と声が飛ぶ。もう一つ大切なのが、どこから針を入れるか、を決めること。健康(?)な脳組織を通過するから、動脈でもかすれば大変。医師たちが協議して場所を決め、マジックで印を付ける。 お馴染みの「イソジン」が頭にかけられスタンバイ。

 TVドラマだと「○○さんの××術を始めます。よろしく。」と行くかな、と思ったらさにあらず。いきなり「麻酔します。チクッとします」と麻酔を打たれた。これが強烈に痛かった。私は3回麻酔したが、1,3,2回目の順番で痛かった。後で聞いたら、たまたま皮膚の「痛点」に当たると痛いらしい。でも大丈夫、すぐ麻酔は効く。

 「じゃ、やりますか」あれっ、すでに電気メスが頭を切っている。くどいですが痛くない。その他見えないのでスミマセン。
 その後「ドリル下さい」の声。「ウィーン」の音と振動が10秒弱、ドリルの後はねじ回しの様なもので頭がい骨に穴が開いた。これが二回で「針」を入れる体制が整った。

5.オペ(その2)

「ドリル」には恐怖感がある。しかし今の脳外科は「メス」と同じ。ポッコンと骨が取り去られればおしまい。ただ「脳漿(のうしょう)」が少し流れ出るので、生暖かい水が首から背中上部を流れる。決して血ではないので、焦らないこと。

「穴開け」までは、CDをずっと聴きながらオペしていた。しかし「電極挿入」時には、脳外科医の集中力を高め、かつ脳が発生させている「ザー」という雑音のような(脳の音、脳の声とか言っていた)音を頼りに針を入れるので、和気あいあいの雰囲気から緊張感がみなぎる。この頃には脳神経内科医もオペ室に入り「オールスター・キャスト」が揃う。もちろん最後は甲医師、乙総監督は「おっ、どちら様でしたっけ?」と言ったが、やはり空気が違う。見えなくてもわかった。

さて、この穴の大きさは500円硬貨位(当然見えないので、その位かな?)、その中心にまず1本の電極を入れる。この位置はMRIではっきりしているはず、でもなかなか思うようにはいかない。

「脳」は脳漿に浮かぶ島(ボウルに入れた豆腐のイメージ)なので、微妙に動く。手術は1〜2ミリずれても駄目なので、出来るだけ動かない脳の方がやりやすい。そこで初めの1本は脳を固定するために必要なのだ。因みに脳は年齢とともに萎縮するので、「手術が70歳頃までに」というのは、ここにその理由がある。

期待した効果が得られない(振るえが止まらないなど)時は、固定用の針を中心に前後左右各2ミリ、計4本を抜き差しして、針の位置を決める。つまり片方最高5回トライする。1本目は固定用なので、もし一発で運良く決まってもその針は抜いて再度脳内留置用の針を入れるから、正確には最高で6回の抜き差しがある。

左右両方オペする場合は、利き手側の反対側(右利きの私は左脳)から始める。私は左脳に6回の抜き差しを行った。

オペ室は執刀医の手元のみが明るく、異様な感じ。ここで「暇な」患者は、気分転換を企んだ。もっとも途中の経過説明もなく、また最初看護師が「何かあったら、これ押して」とナースコールをオペする反対側にセットしたので、「いったいどの辺りまで進んだのか」聞きたくなり、押した。

6.オペ(その3)

「押した」あとは…一気に緊張感に高まり、一瞬にしてオペ室が凍りついた。リラックスしていた感じから「ER」状態に変わった。執刀医の手は止まり、乙医師は「どうした!」とひとこと。慌てた看護師が覗き込む。「○○さん、どうしました?」

私はこんな反応を予想していなかったので、逆に一瞬答えに窮した。そして、答えた。

「あの…、今手術は…、どこまで進んでいますか?」

看護師が一瞬キョトンとなり、乙医師に私の言葉が伝わったとき、オペ室は元の和やかさ、いやそれ以上の緊張から解き放たれた状態になった。

乙医師は私の顔を見て、「今右側の途中ですが、さらに良いターゲットを探しています。しかし、君の余裕はどこからくるのかね?」。「それは信仰で…」と言い出した時には、オペが既に再開されていた。私は神様に感謝して祈った。

前後するが、針は当初脳神経内科医が計算したターゲット(=目標点)を目指して挿入されるが、「必殺仕事人」のようにブスッと一気に入れる訳ではなく、ゆっくり入れる。執刀医が「それでは、行きます。…5、…10、…15、……20、」「もう少しゆっくり」「はい、…23、…25、…27」「OK、そのまま」「はい、…29、…31、…33、…35」「もっとゆっくり」「はい、行きます。35から。…36、…37」「(ザー)」「少し戻してみて」「はい、37から戻します。…36、」「ザー」「この辺りですかね」「いや、ちょっと入れて」「36から入れます。…37、……38」「ザーザー」「ここかな、皆さんどうでしょう?」「…」「場所は?」「STN(=視床下核)内」「少し戻して見て」「37.5」

「ザーザーザー」「いいね、ここで」「別のやって見る?」「…そうだね」という繰り返し。

何かオペが一段落する毎にイソジンで消毒される。馬鹿な私の頭も、雑菌はお陰様でなくなった、と思う

<注>オペ(その3)の文中に出て来る数字は、脳の座標軸の位置(深さ)を示し、単位はmm。また「ザー」は、オペ(その2)でご説明した「脳の音」である。

7.オペ(その4)

前回の工程を私は左脳だけで6回行なった。お陰様で11時から始まったのに、左脳が終わったのは16時30分を回っていた。飽きてきた頃、どこかで聞きなれない電話が鳴った。

後で聞いた話だが、控室の妻が何の説明もないのに3時を回っているので、心配して様子を聞いたらしい。(開口一番、妻は「生きていますか?」と聞いたとか聞かないとか…)。

さっきの回で書き忘れたが、なぜ「部分麻酔なのか?」。

それは、針が予定した所へ入り、効果があるか確認するためである。一本の針が入れられる毎に、かなり高い試験電流(と言っても、せいぜい4V前後らしい)が流される。効果を見るために「○○さん、お名前は」「はい、お星様キラキラ」「グー、パー。グー、パー」が何回も繰り返される。途中で乙医師が「100から順に7引いて」と聞いたので、優しい執刀医の丙医師がクスっと笑って曰く「この人、銀行員ですよ」と言った。しかしその援護にめげず、乙医師は敢行させた。私の最大の弱点を突いた攻撃は、ものの見事に命中、我が艦撃沈せり、以来丙医師はオペに没頭、乙医師はしてやったりの様子(見えないので、推察)。

なお、看護師はこのオペの間「喉渇きましたか」「寒くありませんか」等、再三気を使ってくれた.

ふと気がつくと、頭がチクッと痛い。乙医師が「CDかけてやれよ」と言い、CDが始まった。どうやら終わったのかな、と思ったら看護師が「○○さん、片側が終わりましたので、頭を閉じます。」と言って、左脳部分の縫合が行われた。どうやら少し寝たらしい。例によってイソジンシャワーがかかり、ようやく半分終了。「今、何時ですか?」と聞いたら、何と乙医師が「良く頑張った、4時半だよ」と顔を見て言ってくれた。

脳神経内科組は「遅い昼食」らしいが、外科組はずっとオペ室にいた。丙医師が頭の上の布を取り外してくれ、こちらもほっと一息。

彼女が頭の周りの固定した器具を消毒したら、すかさず乙医師から注意が飛ぶ。「消毒は患部からするもの。何のために消毒しているのか」。丙医師が少し「ムッ」とした感じだったので「大変ですね」と言ったら、「ありがとう」と言われた。この業界も大変だ。

8.オペ(その5

腰の位置を変える「裏ワザ」を解説しよう。この技は以下の条件が整った時に成立する。

@敵が手薄、A誰が考えても、後で考えても「そうだよね」と思うタイミング、そしてB体力と精神力…である。

左脳から右脳へオペ部分を変えるとき、実はナースコールも逆にする。そりゃそうだ、手術中手を振るから、片方は自由にしておかないと困る。看護師が「○○さん、コール逆の手に変えますから」と固定していた左腕をフリーにした。ナースコールは同じものを使用するから、台の上に乗っている機器を移動する。固定されていた左腕を少し動かしてみたが、動く!医師は少なく、看護師の視線は腕に集中、「今だ、チャンスだ、真空飛び膝蹴り!」とばかり、両腕を基点にして腰を動かした。そして医師・看護師には「肩凝った」と言って頭部に集中させ、腰を微調整した。

でも、6時間余り固定していた腰は痺れていて、せっかくの効果は余りなかった。

この後も、この調子なら深夜になっちゃう、MRIの技師は時間外手当付くのかな、などまた他人の心配をしていた。はっきり言って「飽きた」。内科の医師はまだ帰ってこない。しかし乙医師は言った「さて、続きやるか」。えっ!、ホント!、針の場所はどうするの?

でも乙総監督が「やる」と言ったら始めるのが当たり前、と言えばそういうものか、など思い巡らしていると、執刀医の丙医師も「もう少し待てば?」と言ったが、「大丈夫、人間の脳は左右対称だから、大体そんなもんだ」と言って、「CD消して、…」と指示を出しオペを再開した。

「オイオイ、人の頭だと思って…」と思ったが、後の祭り。執刀医の「じゃ、行きま〜ス」の声と共に、オペが始まった。

しばらくすると、「オッ、やっていますね」と聞きなれた声。「○○やっておきました」と乙総監督が「甲超総監督」に説明している。「あっ、いい、いい。それでいいわよ」。

この時思った。私の頭はオモチャか!と…。

もうしばらくして、「OK!縫合」の声と、一番痛かった麻酔注射ののち「CDいいよ」と指示が出てCDがかかった。「これからお聴きいただく曲は…」が始まると、涙が一筋一筋と頬をつたった。声が出せる、歌えると感じたから。オペ後声が出なくなる場合があることを知っていたから、このことを最も恐れていた。

この涙、しばらく止まらず看護師が「大丈夫、終わりましたよ」と、優しく声を掛けてくれた。でも本当の意味を伝えそびれた私は「う〜ん、福音を伝えることは、DBSよりも難しい!」。

「せーの、か、1、2、3」か忘れたが、ストレッチャーに移され、オペ室を出てMRI撮影に地下階へ移動した。途中乙総監督から総括があった。「今日ははっきり言って難しいオペだった。左脳には5回、右脳は2回やった(正確には+2回)。我々も疲れたが、君も良く頑張った。それにいろいろと試してくれて(?)、僕らも楽しく出来た。しかし、君の奥さんは歌が上手い。君は…まあ普通かな」大変大きなお世話だ!!

オペ室を出ると、妻と娘の顔が見えた。息子は「何時になるか分からなかったので、しぶしぶ先に帰った」とのこと、朝の1〜2分間のために来てくれたことがうれしかった。妻たちに何か冗談を言ったが、覚えていない。その後エレベーター内で主治医に「ありがとうございました」と言ったら、「こちらこそ、ありがとう。久しぶりに楽しいオペだった。あっ、胸のオペは明後日。でも私夏休みだから、代わりの先生お願いしておきます」。

MRIは30分弱、当初予定した位置に針が入っているか、確かめるため。

戊医師の「OK」が出て、あっという間に終了、部屋に戻ったのが7時を回っていた。

これにて10時間を超えるオペは終わった。

緊張と不安から解放され、思ったことは「腹へった、何か食べ物ある?」。何せ丸一日何も食べてないから、突然空腹感に襲われた。病院の夕食は既に撤収され、牛乳1パックのみ。近所の知人が差し入れしてくれた「サンドイッチ」が本当においしかった。

上半身30度にして、食べ終わるや否や、記憶がなかった。

9.オペ(その6)

翌朝は「しっかり寝た」という記憶と「歩いた」記憶しかない。歩行は暫くダメ、が原則だったが、トイレの帰りに「歩いちゃった」という感じ。もちろん「小」は尿管があり不要だが、「大」は行かねばなるまい。

食事も通常食、消化器系は食べられないが、頭は手術しても何を食べようと関係はない。ここが大変そうに見えても、脳外科系は食べられるから、大助かり。スプーンを落として拾うつもりで頭を下げた。その時頭の中で「ボッコン」という感じがして、ものすごい頭痛がした。DBSではどうしても「脳漿」の中に微量の空気が入り、オペの後も残ってしまう。この空気が泡状になり、脳漿を通過して頭蓋骨に当たりはじけるらしい。前の晩「手術が終わったら、頭を30度以上高くして寝て下さい」と言われたが、この「ボッコン」を極力防ぐためらしい。

さて、手術はこれで終わりではない。大変なものが残っている。鎖骨上部に入れる電池(IPG)埋め込み手術である。このオペは脳に入れた針に電気を送る、また針の使い方(電圧やどの部分から電流を流すかを決める)いわばDBSの頭脳を体内に留置するもの。

電圧にもよるが、この電池は5年から8年、長い人で10年以上持つ人もいる。

DBSが保険適用となったのは2000年、そろそろ電池交換が多くなる頃でもあり、電池のオペは多くなっているため、かなり待たされることが多い。しかし私は「ドタキャン」があり、幸運にも中一日でオペできた。

執刀医は主治医が休みなので、別の医師が執刀して下さった。金曜日は「IPG」のオペが3回あり、私は午後3時からの最終組。お昼抜きで臨む。このオペは「全身麻酔」なので楽勝と考えていた。午後2時半頃お迎えが来て、一昨日と同じオペ室に入った。麻酔医が名前を確認し「それじゃ、眠くなります」…。

変な光景が目に映った。自分の周りに点滴が30本位吊る下がっている。一定の時間になると、看護師が一本また一本とその点滴を外している。「何しているの?」と聞くと、「この点滴一本一本は各生命保険会社の責任割合を示しています。自社の責任に応じその割合分が終わると、こうやって取り外すんです」と答え、一本を外していった。それが何回も続き、ふと気がつくと朝4時すぎになっていた。看護師が「気分は?」と尋ねたのは覚えているが、また寝てしまったらしい。酸素マスクもベッド下に落ちていた。

翌日妻に聞いたら、数人お見舞いに来てくださったようだが、ほとんど覚えていなかった。化膿止めの抗生物質が入った点滴はその後三日間程続き、数週間後の「抜糸」待ちとなった。

脳外科の医師は、7時過ぎに回ってきて消毒や傷口の確認をする。数日後乙医師が夜勤のとき、DBSの成功と失敗について見解を伺った。「それはね、動けば成功、動かないなら失敗…かな。後は、内科の○○ちゃん(病棟担当の丁医師)次第」との回答に納得した。

まさに、その通りである。

10.オペ(その7)…最後です。

脳神経内科の丁医師は、小柄でおっとりタイプ。でもなかなかガッツあるこれまた女医さん。IPGの電源を初めて入れてくれた医師である。

初めての感触は「体中に電気(元気ではない!)」。ただ動きは悪い。丁医師は「少し様子を見て下さい(柔らかい京都のアクセントをお伝えできず、残念無念)」しかし奇跡は翌朝突然やって来た。開けてビックリ玉手箱、「歩ける」!!!!!!

だが電流が強すぎなのか、足が勝手に動いちゃう。お見舞いに来てくれた方々曰く「ま?、お元気になられて!」。走ってしまう。だが止まらない。

IPGのオペの後、約2週間後に「抜糸」した。脳外用語で「クチュクチュ」と言うらしい。とにかく外科治療は、これでおしまい。

うれしくてトイレ行って、その日に設置された「便座クリーナー」にしたたか頭をぶつけた。それも抜糸した部分。トイレットペーパーで押さえたら、出血していた。「どうしよう」と思ったが、早く退院したかったので、黙っていた。あれだけのオペを経験すると、大勢に影響はない。

9月30日、6Aから10A病棟へ移る。

これから「先の見えない調整」が始まる。


※この体験記は本人の記憶に基づいたもので、日記などは一切付けていない。そのため、事実誤認の個所があるかと思われるが、ご容赦願いたい。

ファイル作成sophia 2009.11.03

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