退院(H21年4月上旬)
右手の震えを止める事を目的にした手術入院、無事初期の目的を達成し、迎えに来た妻と長男と共に喜び合いながら退院しました。.
病気を共有しお互いに励ましあった患者仲間、献身的に患者の世話をする看護師、病院を清潔に保つために働く人達、そして気軽に相談に乗ってくれ病気に対して適切に処置をする脳神経内科、脳神経外科部長を中心とする医師集団に感謝しつつ退院となりました.
退院時感謝の気持ちで花束を持って行きましたが受け取って貰えず持ち帰りになってしまいました。
退院時の電源調節データは電圧2.8V、レート160、パルス幅90μsに設定されました。
薬はベースの薬としてメネシット100mg、ナウゼリン5mgを朝、昼、夕食後各1錠を処方されました。
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第一回DBS外来(H21年4月下旬)
DBS外来は、DBS手術をした人の同窓会的雰囲気を持っていると聞いており、確かに他の待合室とは異なり患者同士の話し合いがあちらこちらで散見され、私自身も入院時期が重なった2,3の人と会うことが出来懐かしい気持ちにさせられました
同じ病気で同じような手術をした仲間として親しみを感じるのではと思いました。
DBS外来は時間がかかるとは聞いてはいましたが、待ち時間の長いのにはびっくりしました。
平均すると診察時間は30分位、長い人になると1時間かかる人もおりました。
患者も付き添いの人も先生の方が大変な思いをしていますので、文句も言わず待っていました。
私の場合は右手の震えは止まっていますので、左手の震えと右足の摺り足の病状の確認のみで終わり、電源も調節なしで10分ぐらいで終了しました。
右手の震えは完全に収まり、いまや私の関心は左手の震えと、右足の摺り足に移りました。
少しづつ左手の震えが進行する、5月初旬に左手の強張りが強くなりましたので近所の神経内科でアーデン(2mg)を0.5錠を処方してもらい、朝、昼食後服用すると強張りが少しやわらぎました。
震えに対して薬が効きにくい私ですが筋肉の強張りに関しては、アーデンは良く効きました。
リハビリを兼ねて毎日2〜3kmを歩くことを心がけていますが、右足の動きはしゃきっとしません。
訓練がてら登り慣れてる高尾山に妻と、長男の付き添いで5月、6月で3回登りましたが、動作は鈍く遅いですが頂上まで登ることが出来ました。
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第二回DBS外来(H21年7月中旬)
1回目の経験から長時間の待ちを覚悟して臨む、16時頃Y先生が診察室から顔を出し昼飯タイムを請求、こんな時間に昼食を食するのと改めて先生の熱意に感謝しました。
私の場合は右手の経過、左手の震えと右足摺り足の確認で前回と同じで10分位で終了しました。
但し電源調整でパルス幅が90μsから120μsに変更されました。
左手の震えが少しづつ大きくなってくる。日常生活には支障をきたすことはありませんが、動作が鈍く、何をするにも時間は掛かるようになりました。
9月に息子にサポートされて高尾山にのぼり、今回も頂上まで登ることが出来ました。
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第三回DBS外来(H21年10月下旬)
右手は前2回と同じ感じで終わりましたが、電源調整で電圧が2.8Vから2.9Vに調整されました。
左手の震えと、右足の摺り足も診察して貰いましたが、左手の震えに効くかもしれないと、トレリーフを2週間分処方してくれました。
トレリーフに期待をもって服用しましたが、震えに対しては効きめがなく中断しました。、
左手の震えと動作の鈍さ以外は、問題を抱えながらも日常生活に支障なく過ごすことが出来ました。
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第四回DBS外来(H22年1月中旬)
右手は震えは止まった状態が続いて、電源の調整もなく安定状態になっています。
左手の震えと右足の摺り足は、ベースの薬は続けて服用し様子をみることにしました。
次回のDBS外来は、病院の移転に絡んで日程が組まれませんでした。
ベースの薬としてメネシット1錠、アーテン0.5錠、ナウゼリン1錠を朝、昼、夕食後服用をすることにしました。
左手の震え及び、右足の摺り足は1ヶ月位のスパンで見ると確実に進んでおりますが、まだ右手を手術をした時の震えの感覚でみると半分程度です。その上利き手の右が十分機能しているので生活するのには支障はありませんが、70歳の年齢を考えると手術して震えを止めた方が良いと考えるようになりました。
次回DBS外来の時入院し右脳の手術をお願いしようと考えました。
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第五回DBS外来(H22年10月中旬)
右手の状態は安定状態にあり、電源調整もなし。
左手の震えと体の動きを診てもらう。まだ手術するには早いのではと言われましたが、取りあえず検査入院して決めましょうと言うことで、1月に入院予約をする。
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入院(平成23年1月中旬)
担当医師は前回と同じK医師、Y大学病院に戻ったと聞いていたのでほっとしました。
病室は2人部屋、相部屋のひとはジスキネシアが強くベットに寝たきり状態で話をするのも辛そうなので、最小限の会話に終始しました。
今回はディルームに行き積極的に他の患者さんと交わりを持ち情報の交換をしました。
検査内容は、前回とほぼ同じで脳波、筋電図、脳血流等脳と筋肉に関するすべての検査を行ったと思われます。
今回印象的だったのは、ある患者さんの退院の前夜12〜13人が集まり、各自の病歴を語りながら送別会をした事でした。
検査が終わり、検査結果の報告が妻の同席のもと、担当医、脳神経内科部長より報告があり手術が可能であるとのことでした。
ただし前回と同じく電気刺激を与える場所を視床にするか、視床下核にするかの話になりましたが、右(視床)と左で違うところに電気刺激を与えるのは、長い期間で考えると脳に良い影響は与えないという部長の考えで、視床に手術をすることに決定しました。
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病棟移転(H23年2月上旬)
脳神経外科病棟に移る。手術病棟だけに何か張りつめた雰囲気を感じました。
外科担当医も前回とで同じほっとしました。
手術1週間前より薬をへらす。今まで薬が効かない体と思っていましたが、少し動作が鈍くなり、首、肩の筋肉の強張りが強くなり、ON、OFFという明確な変化はないけれど薬がじゅわっと効いているのだなと思いました。
手術2日前、妻同席の上外科担当医より手術の説明と、手術承諾書の提出をもとめられました。
いよいよ手術モード。不安が有るものの前回の経験から、一時の我慢で左手の震えが止まればと前を向いて、手術に向き合う気持ちになりました。
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手術(H23年2月中旬)
当日早朝雪の予報なので立会人の妻は安全を取って府中市内のホテルに泊まる。
午前9時妻と長男に見送られ手術室に入る。早速頭の固定のため鉄製のアングルが取り付けられる。
締め付けが厳しく、また位置だしようの棒を耳の中に入れる時非常に痛いと思っていましたが、覚悟していたせいかそれほどの痛さと、締め付けの厳しさを感じなかったので楽な気持ちで手術にのぞめました。
CT撮影後、たっぷり消毒液をぬられ、手術開始、所定位置に部分麻酔をする、頭皮を剥がしドリルで頭蓋骨に穴を開ける。
今回は副担当の若い医師が手術用の調整針を進め、外科部長が左手の状態を診ながら針の調整を指示し、内科部長がオシロスコープを診ながら脳の状態を監視してました。
今回は不思議と恐怖心がなく、好奇心が先にたち、針の進み具合と、左手の震えの状態を冷静に感じる事が出来ました。
震えは段々小さくなってきましたが、完全に止まることなく、調整用の針を引き上げて、研修(?)にきている医師達(?)を呼んで、本番用の電極針を挿入、震えが完全に止まると、周りから大きな拍手が沸き起こりました。
こんなに大勢の人達が手術に立ち会っていたのかなと思いました。
頭皮をホッチキスで止めた後、鉄製のアングルを外し消毒液を拭き取り、確認用にCT撮影をして手術を終了しました。
今回は短い時間で手術が終わりました。
手術室を出たところで妻、長男と妹が迎えてくれ、震えが止まった左手でピースサインをしました。
、病室に帰ると看護師が休む間もなく、朝、昼分の薬を持ってくる。もう服用するのといった感じで看護師の指示に従う。少し経つと肩、首の筋肉の緊張がとれ柔らかくなり薬が効いてきた感じがしました。
熱は平熱、血圧も正常範囲内、手術跡の痛さも感じませんでした。
夕食も配膳され、ゆっくり70%位食べました。
64歳で発症し7年間続いた右手、左手の震えがなくなり、じわじわと嬉しさが沸いてきました。
手術後の経過は順調に推移しました。
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電源埋め込み手術(H23年2月下旬)
手術の1週間後電源電池を左胸上部に埋め込み手術を行いました。
、今回も家族立会いで妻と妹に立ち会って貰いました。
今回は全身麻酔の為、手術室に入って麻酔注射をうたれた後は、先生に名前を呼ばれ起こされるまで眠ってしまいどんな手術内容だったか分からずじまい、精神的には楽な手術でした。
今でもどうやって胸の電池から頭の電極針までリード線を繋いだのか分からずじまいです。
1週間後抜糸しましたが、電源は未調整のままでした。
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病棟移動(H23年3月上旬)
再度検査のため10Fの脳神経内科病棟に移りました。
手術前と同じ検査を順次行い、リハビリも再開しました。
リハビリのため病棟内の廊下を歩き歩行訓練する、食事もディルームで3〜4人で誘いあって食しました。
左手の震えが出はじめ、はじめての電源調整する。電圧1.5V、レート130、パルス幅60μsで設定しました。
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