2004.01.17更新

脳深部刺激術(DBS)の体験記のトップへ

私のパーキンソン病〜その2 by 藤井陽子

〜DBS(脳深部刺激療法)〜

そしてたどり着いたのが外科手術。

 

脳の運動障害を起こしている部位を、電気によって刺激することにより、その障害を緩和する方法として、頭の右脳と左脳の両極に電極を埋め込み、更にそれを刺激するための装置を胸に埋め込むというものです。

 

この手術が日本でも行われるようになったのは5、6年前からで当初は薬を飲んでも殆ど効かない状態の人が受けるP病における治療の最終手段みたいにいわれてました。

それに保険もきかないため、200万ぐらいかかるので実際手術する人は少なく、そのためその手術の効力もなかなか実態がつかめず、よりいっそう未知なものだったのです。

 

しかし2,3年前から保険が適応されるようになったこと、更に特定疾患の認定を受けてる者は、手術や治療に関する費用は補助してもらえるので、入院に関する基本料金と個室代以外は殆どかからないので、この1、2年で急激に手術する人が増えました。

その結果、最近言われるようになってきたことは

《薬を飲んでも効果があらわれなくなった人にはこの手術でも効果がない。オンとオフがはっきりしていて薬に対する反応が確かにある人には電気刺激により、オフ状態をなくして常にオン状態をたもてるようになる。》

 

というふうに、少し手術適応者の条件が変わってきたので、私にとって今が一番いい時かも知れないと考えるようになってきていました。

それで1年前頃からDBS(脳深部刺激療法)を受けることを真剣に考え始めました。

 

でもP病院は脳神経外科がないので手術が出来ません。

前から主治医の先生にDBSのことは聞いていたのですが

「藤井さんにはまだ早いと思うよ。なんといっても頭に穴をあけるのだから、やらずにすむんだったらその方がいいに決まってる。藤井さんにはまだ普通に動ける時間があるんだから、薬もまだ6錠ぐらいまで増やせるし、ゆくゆくは手術も考えるけど、もう少し行けるとこまで薬でひっぱっていこう」

といい、内科の先生はなかなか外科治療を進めない。

 

でも私にはもう外科手術しか残された道はないと思いつめ、先生を説得した結果、

「藤井さんがそこまで覚悟を決めてるなら、そろそろ手術も考えていこうか」

と初めて言ってくれました。それがおととしの12月頃のこと。

まだこの手術をしている病院は日本でも少なく、有名な病院なら地方へ行く覚悟もしていましたが、大阪で手術をしている病院をいろいろ調べてくださり、K病院が手術例の数から言っても関西では一番多いということがわかり、なかでもこのDBSの研究で2年間フランスで勉強し、手術経験もつんでこられた先生が2人いるというので、年があけると直ぐに紹介状をもって、主人と一緒にK病院へ行きました.。

 

それがちょうど1年前の1月のことです。

そして初めてU先生(私の今の主治医)に会うことになりました。

私の今までの経過と最近の状態など十分に話し、手術の説明から今までの手術患者の様子も詳しく説明していただきました。

病歴6年で、43歳の私には少し早いのではと言う不安もあり、今の私に手術の適応があるかとお聞きしたら、

『今が一番いい時期でしょう。この手術はオンとオフがはっきりしていて、できるだけ今のオフをなくしてオンの状態を維持するようにしようというものだからもう少し状態が悪くなり、オンの状態が少なくなっていくほど効き目も悪くなる。だから今がベストだと思います。今のオンの状態で不自由ありますか?』

(ということは今のオンの状態以上によくなることは期待できないということ)

と聞かれ「今ぐらいが保てるのなら十分です」と言い、迷ってた気持ちもなくなり、手術の決心も固まりました。

 

でもはっきり言って、危険はあるのです。

うまくいかなかったら後遺症だけが残り、今よりも悪くなり寝たきりになってしまうこともあるし、必ずよくなるとは限らない。そしてその危険をおかしてやる手術はたとえうまくいっても決して病気が治るわけではないのです。

一時的に少し動きがよくなるけれど、病気の進行は止まる事がなく、容赦なく進めばすぐにもとの状態に戻るのです。

 

でもこのP病の研究はかなり進んでいて、あと7、8年から10年の間には治療法がわかると言われています。(あんまり期待はしてませんが・・・)

だからそれまでのつなぎでいいのです。

あと10年頑張れば何とかなる・・・あと10年、がんばりたい・・・

でも今のままではとても10年も持たない。そのために今はこの手術にかけてみようと思ったのです。信じるしかない。

そしてその日のうちに5月12日入院、19日手術と決めてきました。

 

たいていの病院では丸坊主になって手術を受けるときくので、覚悟はしてたけどU先生は、必要最低限の部分だけそらしてもらうからといって丸坊主にはしないといいます。

 

その後も調子が悪いままで、それだけにものすごく手術に対する期待が大きかった。

薬がきれた時の苦しみから開放されたい。P病を治す手術ではないことはわかっているけれど、オフがなくなるのだと思うと心が弾んだ。

「期待が大きすぎたらがっかりするかもしれんよ、期待した分うらぎられるで。しょせん病気を治す手術ではないんやから。でもぼくの患者でDBSを受けるのは藤井さんが初めてだから、また帰ってきたらいろいろ教えてな」

とP病院の神経内科の先生に最後にいわれて送りだされました。

 

既に手術をした人たちからの情報もいろいろあり、本当にオフがなくなり穏やかに暮らしているという人もあれば、オフがなくなることはなく、刺激の調整に苦労している人もありと、人それぞれだった。

 

平成15年3月

5月の手術が待ちきれなくなり、少しでも早くできないかと先生にメールで相談した結果、すぐに返事をいただき、4月14日入院、21日手術ならいけるということで1ヶ月早くしてもらえることになりました。後1ヶ月がどうしても待てなかったのです。

 

平成15年4月19日(土)

入院して5日目、主治医の先生と私と主人の3人で、手術の最終打ち合わせ。

私が「先生、頭にする麻酔の注射っていたいですか」と聞くと

「そりゃ痛くない注射ってないから痛いだろうけど、大丈夫、ぼくが痛くないようにしてあげるから。藤井さんはただぼくを信じてまな板の上の鯉になってくれればいいんだよ。決して悪いようにはしないから」と優しく、自信ありげに言われる先生の言葉に胸がいっぱいになりました。

その夜、主人が「だいじょうぶ。あの先生に任せたらきっと何もかもうまくいくよ。先生が僕に任せてくれたら決して悪いようにはしないって言った言葉を信じような」って・・私もそう思いました。

「先生を信じて全てを任せよう。もう何も恐くないんだ」って心から思えた。

 

4月21日(月)手術の日・・・

 

朝8時半にストレッチャーに乗せられ手術室へ向かう。

手術は両側で9時開始、片側3時間、12時にはもう一方の側、3時ごろには終わる予定と聞いています。

何も恐くないのに不思議と涙が出てとまらない・・

手術室に入ってまず目にテープのようなものを張られ、口にも何か張られて見ざる、言わざる状態にされたようです。

この手術は半身麻酔のため寝たり起きたりの状態です.。

 

9時、「今から手術をはじめます。」と先生の声が聞こえました。

それから少し寝ていたみたいで、気がつくと頭に電気を流してるようなパチパチと火花が散るような音がしたり、ガリガリと骨を削ってるような音がしたり、電極の位置を決めるのに5,4,3,2.1と声をかけながら少しずつ進んでいき、そのたびにレントゲンをとって、また「もう1回いくよ」5,4,3,2,1、ってこれを何回か繰返し、電極の位置を決めてるようだ。この位置を決めるのがこの手術で最も重要なことだと聞いていた。

「藤井さん、手術は上手くいってるからね。少し寝るか?」という先生の声が聞こえて、またいつのまにか眠ってしまったようだ。

 

そして今度気が付いたら手術が終わっていて「藤井さん、終ったよ。手術は上手くいったよ。ちゃんといい位置に入れたからね。よくがんばったね。今ちょうど3時、予定通りだ。今から頭を固定してた器具はずすけどちょっと痛いけど我慢してね。」

それから頭をガリガリ、ギーギーすごい音とものすごい痛み!

すごく長く感じた。ほんの数秒のことだったのに・・・

 

それからまたいつのまにか眠っていて、この次気がついた時はもう部屋のベッドの上で5時過ぎでした。(ちなみに私は手術前も手術後もずーっと6人部屋にいました)

 

翌朝のこと、朝起きておしっこの管をはずし、トイレに行くのにいつものように看護婦さんに車椅子で連れて行ってもらい、トイレで立ち上がると、体がふわっとして軽く、すぐに立てた。「なに?もしかしたら歩けるのでは?」と思い、トイレの帰り看護婦さんに「歩けるかも・・・歩いて帰る」と言うと「朝起きて薬まだ飲んでないんでしょ、まだ電気も流していないし、無理しないで!はい乗ってください」「でも歩ける」といい、スタスタ歩いて帰りました。

後ろから看護婦さんが慌ててついてきて「無理しちゃだめです。大丈夫?」

「うん、歩けたよ。まだ針いいれただけで電気も流してないし、朝から薬も飲んでないのに歩けたよ!なんで?こんなことってあるの?」とかなり興奮気味。

昨日までの私には、考えられないことだけに嬉しくてたまらない。

 

それから少しして先生が来てニコニコして「もう歩けたんやて。」

「うん、歩けるよ、ベッドで寝返りもできる。先生、薬も飲んでないし電気も流してないのにこんなことってあるの?治ったんかな?」

「いいや、初め電極を入れたその勢いである程度動ける人はいる。でもそれはせいぜい2、3日で長続きはしないはずや。薬もいるけどこの分やったらかなり減らせると思うよ。電流は今日はならす為に昼から3時間ぐらいにして、明日は朝から夜寝る前まで。あさってから寝るときもずっといれるようにしよう」

「でも先生、これってバッチリうまくいったってこと?やったね!」

と私は大喜び。先生も嬉しそうに「まれにこのまま薬が要らなくなる人もいるんだ。そうなってほしいな」って喜んだのもつかの間だった・・・

 その日の昼から、電気を流して少ししたら、今までなかった不随意運動が少しでてきて、いつものように喉が苦しくなってきてオフになる。

それで術後初めてメネシット1錠飲んだ。

 

翌朝、9時ごろまた一人でトイレに行った。早朝に行った時は楽勝だったので、また行けると思っていったのに足取りが重い。トイレまで行ったものの帰りは足が動かない!一人で来てまずかったかなぁ、と思いながら何とか壁伝いにトイレの外まで来て立ち往生していると、看護婦さんのひとりが「藤井さんどうしたの?歩けないんやったら無理せんとナースコール押してくれたら車椅子でつれてきてあげるのに・・」

って言いながら手をひいてくれて、よろよろでベットに戻るなり、私は情けなくて、悲しくて大泣きしてしまったのです。

びっくりして2,3人の看護婦さんが来て「藤井さんどうしたん」

「昨日はあんなに歩けたのに、また歩かれへんようになった・・何でこうなるの?また手術前と同じや」って悲しくてたまらなかった・・・

そしたら看護婦さんは「何ゆうてるの、藤井さん、まだ昨日手術したばかりやんか、まだ泣くのは早いよ。これから私らと一緒にがんばろうよ」って。

1人の看護婦さんは後ろから抱きしめてくれて「藤井さん、みんな応援してるからね」って。うれしくてよけいに涙が止まらなかった。

そして25日、ペースメーカーを埋め込む手術です。

これは全身麻酔のため、9時ごろ部屋を出て行くとき、麻酔を効きやすくするための注射をおしりにしてからは一切わからなくて、気がついたらもう夕方4時ごろで手術が終わって部屋に戻っていました。

何時ごろだったか、手術後、一度麻酔から覚ますために

「藤井さん、藤井さん、終わったよ。目あけてごらん」と何度も呼ばれていたように思います。でも目を開けたかどうかは覚えていません。

 

それからは1日に2,3度先生が、刺激の調整する機械の入ったアタッシュケースを下げて調整に来ました。

やはりきつくすると不随意運動が出て顔が引きつったり、歩けたり、また歩けなくなったり山あり、谷ありの日々でした。

 

4月14日に入院して25日目、退院の日です。

 

薬がきれると全く歩けなくて毎日のようにどこかで固まっていた私でしたが、この視床下核DBS手術の後はオフでも何とか歩けるようになりました。

でもオフが完全になくなった訳ではなく、薬がきれるとやはりのどが苦しい。

 

そして手術の副作用もいくつか出てきた。

まず、ろれつが回らず喋りにくい。舌足らずで聞き取りにくいみたいだし、大きな声も出せない。

これは術前にはまったくなかったことです。そして字が思うようにかけないのも以前に比べてひどくなったように思います。

更にもう一つ副作用らしきものが出てきました。目がなかなか開かないのです。

開けようと思うとよけいに固く閉じてなかなか開かないのです。瞼の神経が変です。

先生が刺激の電源を切ると、直ぐに元に戻り、簡単に開くのです.。

やはり刺激の影響であることがわかりました.。(これは一日中ではないが・・・)

でも寝返りはできるし、夜中のトイレも自分で行ける..。

それだけでもよしとしよう。と主人は言うけど、はっきり言って私の期待とは大違いです。

オフがなくなるはずじゃなかったの?咽の苦しさは前と変わらず、これを我慢して私の調整は落ち着いてるとはいえません。

おそらく病気の進行が早く、刺激だけではどうにもならないのでしょう。

こののどが苦しいと言うのは、首の筋肉が固縮して締め付けることで起こる痛みと思われ、U先生も学会でいろんな先生に聞いてくれたりしたけど、あまり例がないみたいでやはり刺激の力ではどうにもならないということらしい。

 

あんまり調子が悪い日が続いたので、7月に調整入院。

しょせん治るわけではないんだから期待せん方がいいよって言ったP病院の先生の言葉が思い出され、身にしみる・・・

そう、P病院の先生と言えば、本来P病は神経内科の病気で私も退院してからP病院に戻ったら、今までみてくれていた先生が5月いっぱいでよそへ移られるというのでばたばたしていて「藤井さんごめんな。急に決まって、藤井さんのことこれからも見ていくつもりやったのに・・あとのことはK病院のU先生に頼んどくから暫くはU先生に診てもらってな。ただ外科は切るのが仕事やから手術の終った患者をいつまでも診るのは嫌がるから落ち着いたらK病院の神経内科に行きや」といわれてそのまま私はK病院で引き続き診てもらっているわけで、暫くしてU先生に[私、神経内科にいかなあかんの?]って聞いたら「今更なにゆうてるねん」と軽く言われて、そのままお世話になっています。

 

7月に2週間の入院のあと、少し調子も良くなったかと思ったけどやはり長続きはしない。

私にはこの手術は効果がなかったのかと疑いはじめた頃、思いがけないハプニングが起こりました。11月半ばのことです。

2,3日前から頭のリード線の上が痛くて腫れているみたいだったので先生に電話しました。

その日は先生の手術に入る日だったので明日ぐらい行ってもいいかと聞こうとしたら、「すぐにきなさい」と言われ、急いで行くと、手術室にいる先生が出てきてくれて、私の頭を見て「あかん、ばい菌が入ってうみが出てる.。直ぐにこの部分を切り取らないと感染症を起こし、電極も全部抜きとらなあかんようになる。先生が今やってる手術が終わり次第、藤井さんの手術に入るから」と言い、こちらの都合を聞くこともなく手術に戻り、そしてその日の夕方手術をしてリード線の一部を切り取った。頭を切開しているので、傷口回復まで約10日間の入院です。

どうしてこんなことになったのか原因は先生にもわからないという。たまに皮膚の弱いお年寄りがなることがあるらしいけど普通はめったにないらしい。

手術の後「あーあっ、切ってしもた」って無念そうに言った先生の言葉が悲しかった。

 

そして新しく線をつなぐのは2次感染を防ぐためにも、最低3ヶ月は開けやなあかんと言われた。でも片方だけでの刺激ではもたなくなり、退院して10日もすると寝返りもできず、直ぐに固まって全く歩けなくなる、あの手術前の私に戻ったのです。そうなってみて初めて今までこの刺激は何の役にもたっていないのではと疑ってた私に、やはり助けてくれていたことを教えてくれました。ただ私の病気が進行しすぎていて、なかなかわからずおそらくオフはもうなくならないだろうし、この先どうなっていくのか、不安で、「先生、私どうなるの」って聞いたら「わからん、そんな先のこと考えんと今のことだけ考えていったらいい」といいます。

 

そして片方の刺激だけではないも同然のオフの苦しみに耐えられなくなった私は、リード線の切断後、一月もしないうちに(昨年12月)新しい線とつなぎなおす手術をしてもらったのです。(退院したのは暮れの28日です。)

退院してお正月も終った頃、しばらくおさまっていた不随意運動がまた出始めました。

オフは苦しくて、オンは疲れるくらいの不随意運動に襲われ、今年もかなり厳しそうです。

 

U先生には外来以外の日にも診てもらったり、去年7月には障害者手帳2級の申請の診断書を書いてもらい、1度でパスして今は治療費が一切かからないし、2級だといろんな特典があるので、とても助かっています。

そしてあきれることにこんな体になっても、私はまだオンの時は車の運転をしています。

障害者マークを前後に貼って・・・はたしてこの1年無事でいられるでしょうか?

 

                                           その1へもどる

2004.01.17up

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