〜私のパーキンソン病〜
私は若年性パーキンソン病患者で、病歴7年、現在44歳、中1、中3、高2の3人の娘がいます。
左手が何かおかしいと思い始めたのは、7年ぐらい前頃だろうか!
なぜか歩く時、左手を振らなくなり、いつも左手はお腹にくっつけてる感じ。
そのうち何となく左手の動きが悪くなっているようで、最初は左手の異常だと思い、K病院、S病院と2年にわたり検査してもらう。
どちらでも左手のレントゲン、首の骨のレントゲン(首の骨のズレによっても起こる)頭の『MRI』という検査・・・すべてやったけど異常なし!
それでもう少し経過を見ていこうということだった。
でもS病院へ行った時、整形外科で異常なしと言われたあと、今度は神経内科にまわされ、そして問診と、私の手足の動き、歩き方などみたあと「若年性パーキンソン病の疑いがある」と言われた。
その時初めて耳にした《パーキンソン病》という言葉・・何?それ?
そして若年性パーキンソン病について先生が話しだす・・・
≪パーキンソン病というのは、脳の一部の神経細胞がゆっくり変性・脱落していく原因不明の病気です。残念ながらパーキンソン病を治す薬は今の医学にはない。(一生治らない!)そして、進行性のもので、たいていは、体の片側半分の異常から始まり、やがて全身へ・・・幸いにも、状態を一時的に改善する薬、要するに減少したドーパミンを補う事により動きをよくする薬はある。(L-ドーパ剤)でも、この薬には、多くの副作用があり、しかも、人間が一生に飲める量には限りがある。というのは、飲み続けると、やがて効かなくなっていくということらしい。
だから、若くして発病したら、薬をなるべく少なめにしていかないと、年とっていった時には飲む薬が無くなり、病状だけが進み、とても困ることになる。(要するにはやく寝たきりになる)
そしてこの病気は血液検査や、レントゲンで判るものではなく、あくまで本人の訴えと薬に対する反応をみて決定づけられるので、今の段階では、まだ、『疑い』としか言えない》このように言われた。
何それ?誰がねたきりやて?何ゆうてはるのこの人?パーキンソン病?
何で私がそんな病気になるわけないやん!何かの間違いに決まってる。
私は懸命に否定し、不安ながらも、パーキンソン病というものについて調べまくった。
そしてそれがどんなおそろしい病気か、理解するのにそう時間はかからなかった。
そして私の中で病気は着実に進んでいき、やがて左手だけだったのが、左足にきて足を引きずって歩くようになったり、、歩幅が小さく、小走り状態で、前につんのめってこけそうになったり、まさにパーキンソン病そのものの症状が一つずつ出てきたのです。そうなるともうパーキンソン病を否定することはできなかった。
やがてかなりの異常を感じるようになり、覚悟をきめた私は、通うなら近い方がいいと思い、うちから車で10分ぐらいで行けるP病院へ。
平成11年1月のことだった。
まず外科でK病院、S病院とおなじ検査を、もう1度全部した結果、やはり異常なしということで、神経内科にまわされ、私の動きや歩き方を見て先生は少し言いにくそうに『若年性パーキンソン病』の疑いがあると言われた。
やはり最初は「疑い」としか言わない。そして「そろそろ薬を飲み始めた方がいい。パーキンソン病に症状が似ていて,違う病気もいろいろあるから、この薬の反応によってパーキンソン病であるかどうかの診断をするので、今のところはまだパーキンソン病の疑いとしかいえない」と言われ、まずはLドーパ(ECドパール)1日半錠から飲み始めた。幸か不幸か徐々に薬の効き目がはっきりし、薬なしでは暮らしていけなくなるのにもそう時間はかからなかった。というのは、薬のきれてる時の状態がかなりきつくなってきたから。
喉が締めつけられてるようで、苦しい!歩く時、足がすくんで、最初の1歩が出ない!背中がまっすぐのびず、猫背でうつむきかげんの姿勢!肩が重く、体のあちこちが痛い。でも薬のきいてる時は、これらの症状は全くなく人から見ても全然普通で病気の事は全くわからないと思う。
このようにパーキンソン病患者はオン(薬の効いてる時間_)とオフ(薬のきれている時間)をくり返す生活となる。(オンの時は健常者、オフになると障害者になるのです)
そしてできるだけオンの状態を保つために、薬の量は徐々に増えていくことになる。
とはいえまだ当初は1日10時間ぐらいは、殆ど健常者と変わらない時間がもてました。でも見る見るうちに病気は悪化していったのです。
オフの状態は日ごと悪くなっていき、徐々に歩行困難になっていった。
最初は壁伝いに歩くことから始まり、やがて家の中では這うようになり、台所ではコマの付いた椅子を置いて、座りながら用事をするようになりました。
が、今は、薬がきれるとその椅子のコマさえも自分で動かせない。
やがてはうこともできず、殆ど無動状態。
薬が効いてる時は、本当にうそみたいに何でもできるのに・・・
それだけによけいにオフの自分が受け入れられません。
あまりにもギャップがありすぎる・・・
健常者でいられるオンの時間には車も乗るし、1人であちこち買い物にも出かける。
でも薬はいつきれるかわからない。薬のつなぎ目が上手くいく時といかない時があるので,まだいけると思ってるのに急にきれて「やばいな」と思った瞬間かたまり、その場から動けなくなることがよくある。
前にジャスコのトイレに入ったとたんきれて、そのままトイレに1時間半こもっていたことがある。洋式だったのでふたをして座ってられたのが救いだったけど、さすがに1時間たっても出られない時、自分が惨めで涙が出た。
「私いつまでここにいるのかな。このまま薬効いてこなかったらどうしょう」と不安でいっぱい。どうにか2回目飲んで30分後出ることができたけど、不思議にあせると薬が効かないのです。
更にきわめつけは固まって動けず、座る椅子も見当たらなかった時。
これもジャスコだった。壁にもたれて1時間、しゃがんだり立ったり・・・
足は完全に麻痺、体中痛いし胸も苦しい。1時間が限界だった。
「もうあかん」お尻からその場にひっくり返った。
さっきから「あの人あんなとこで1人立ったり座ったりなにしてはんねんやろ」という目で私のことじろじろ見ていた店員さんがすぐに走ってきて「大丈夫ですか」と聞くが私は苦しくて喋れない。
警備員のおじさん、そしてすぐに店長らしき人も来て「救急車呼びましょか?」と大変な騒ぎ。
ふと我にかえって「大丈夫です。病気で薬がきれると歩けなくなるんです。でも今また薬飲んだのでもう30分もしたら歩けますので、とりあえず1階のイスのあるところまで連れて行ってほしいのですが、できたら車椅子を持ってきてもらえますか」そしてその時生まれてはじめて私は車椅子に乗ったのです。
いつかこうなるんやなぁという思いで・・・。
そしてその後薬が効いてきた私はウソみたいにスタスタと歩き、車を運転して帰りました。
とにかくまだ他にもいろいろエピソードがあります。
いいかげん懲りて家でおとなしくしてればいいのに・・・
それでも私に自由に動ける時間がある限り、私はまだひとりで出歩くことをやめないでしょう。
そのうち行きたくても行けなくなると思うと、余計に「今のうち」と考えてしまいます。
泣いても泣いても涙はかれず、何度も死にたいと叫んだ!
治らないとわかってて、どんどん悪くなっていくとわかってて、どんな風にがんばれるのだろう・・・ゆくゆくは寝たきりになるといわれどうして生きていけと言うのか・・・こんな私がいたら、周りに迷惑がかかる・・将来子供の負担になる・・・私のような母親がいることで、子供が好きな人と結婚できないかもしれん・・子供の人生の足を引っ張るくらいなら、いないほうがいい・・
先のこと考えると、涙があふれてとまらない。
生きていくのがこわい。めちゃめちゃ怖い。まだ人生半分も残ってるのに・・・
死にたいと泣いては主人を困らせる。でも本当は死ぬのもい恐い。
生きていくしかない。がんばるしかないとわかってるけど、もう私には力がない。
主人は私が病気になって、ボロボロになっていくとかえって今までよりも優しくなったし、とてもよくしてくれます。
一生懸命私を励まし、病気の痛みを自分の事のように受けとめ、動かない私の手、足になってくれる。そんなあの人を見ていると、頑張らなきゃって、弱音をはかない、って思うのです。
やがて私のオフの時の症状はピークに達してきた。
喉の苦しさはかなりきつく、口の中はとにかくきもち悪い。
頭の重みが肩から胸にかけてのっかって苦しくて声も出にくいし、喋りづらいし、字もかけない。あまりの苦しさと情けなさで涙が勝手に出てくる。
寝返りができないのは随分前からだけど、夜中のトイレもう主人に手を引いてもらわないと行けないし、夜中に目を覚ますと布団が鉛のように重くて苦しい。
夏にタオルケット1枚おなかにのせるだけでも重かったのに、毛布に羽布団はまさに鉛!超軽量の1重の毛布を買ったけどそれでもやはりまだ重い。
「おとうさん重たい、布団どけて」体はまるでかなしばりにでもあったように布団に貼りついて曲がった腕を伸ばす事も、足の位置を動かす事も自分ではできない。
全くの無動状態!それでも腕を伸ばしたくて「お父さん、右手下に降ろしたい」といい、引っ張ってもらうとすごい激痛「痛い、痛い」とさわぐ。
こんな生活に私はもう疲れきっていた。
その2へつづく
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