風頭(かざがしら)公園でのハタあげの体験は雲ひとつない青い空でした 龍馬もきっとハタあげを楽しんだと思うな!

(飛行機雲でもあるとよかったなぁ・・・)

 

 

左の写真は出島にある「旧出島神学校」 1878年(明治11)に建てられた現存するわが国最古のキリスト教(プロテスタント)の神学校

長崎学さるく「坂本龍馬・長崎のすべて!」は 出島のヘトル部屋(オランダ商館の商館長次席ヘトルの住居)を出発 (2007.10.6)

現在の県庁がある「長崎奉行西役所跡」で歴史を紐解く さるくガイドのMさん(長崎龍馬会)

 

 

県庁坂中央橋バス停から風頭行きのバスに乗って終点
風頭の小川ハタ店三代目社長からハタの歴史を中心に世界の凧のお話とハタあげ体験をお世話になりました

長崎では凧(タコ)と言わず「ハタ」と言います
船の手旗の形から起こったと言われているそうですが諸説あるようです

三色の独特の柄はオランダの国旗が基になっているそうです
骨は十字に二本のみ 柄も描くのではなく手染めの和紙を張り合わせて作る工芸品です

 

 

唐通事は地役人 通訳だけではなく貿易に関する業務も行ったので「通詞」ではなく「通事」という

 

阿蘭陀通詞も地役人 オランダ語の通訳が主な仕事だったので「通事」ではなく「通詞」という

 

日本の写真の開祖である上野彦馬の墓前で有名な坂本龍馬の写真の謂れを説明するさるくガイドのMさん

 

 

長崎はワシの希望じゃ!



龍馬も「長崎くんち」を観ていました!

 

見果てぬ夢を追い求め・・・

 

  

写真左は中島信行 初代衆議院議長

写真真中は池内蔵太 長崎から薩摩藩へワイルウェフ号を回航する途中で台風に遭遇し船と運命を共にする

写真右は長岡謙吉 龍馬亡き後海援隊の二代目隊長 明治維新後は三河県知事




幕末史を探る散策路 龍馬通り
寺町通りから深崇寺と禅林寺の間を抜け亀山社中跡へと向かう急な勾配の石段

 



亀山焼窯跡

 

  

若宮稲荷神社

250年の伝統ある若宮神社の竹ん芸は長崎市の無形文化財
お囃子にうかれて出てきた狐が竹林の中で遊んでいる姿を模したとも言われている

 



亀山社中



坂本龍馬裏書書簡

龍馬が桂(木戸孝允)から届いた薩長同盟確認の手紙に裏書し送り返した文





船中八策(せんちゅうはっさく)

坂本龍馬が起草した新国家体制の基本方針




坂本龍馬の手紙 坂本乙女宛 文久三年(1863)三月二十日

さてもさても人間の一生は・・・キンタマを割って死ぬ・・・私などは運が強く・・・国のため、天下のために力を尽くしています・・・

 

     

海援隊旗
船印として「赤白赤」の旗は 「二曳(にびき)」と呼ばれた


海援隊の岩崎弥太郎は「三菱」の始祖
↓ 船舶部門は現在の「日本郵船」で白地に2本の赤線が社のマーク やはり「二曳」と呼ばれている ↓




ところで花月の提灯も白地に2本の赤線 (↓)
花月(引田屋)は1642年(寛永19)に誕生しているので元祖は花月かもねぇ・・・


  

龍馬のぶーつ像

 

 

史跡料亭花月で昼食 卓袱を松花堂風のお弁当にした「花御膳」 今回のさるくの目玉です
(ボクはMさんと一緒に丸山公園でオニギリを食べていました・・・)

 



お龍さんが愛用していた月琴(小曾根家蔵)

  

小曽根町小曾根宅 龍馬を支援した17代当主小曾根吉郎様から幕末以降の現代史裏表「聴かにゃぁわからん」をタップリ!

今回のさるくの目玉 めったにないチャンスにめぐり合いました・・・

 

     

居留地境の石柱 長崎検番 「和華蘭」文化のチャンポン長崎

 



「坂本龍馬・長崎のすべて!」はMさんが中心になって企画した学さるく そしてこの日はオープニングでした
10名限定 東京から3名(お一人はカナダの方) 佐世保から2名 出だしは上々

↓ そうそうチラシの坂本龍馬の写真はボクの一枚が採用されました ↓




諏訪神社秋の大祭「長崎くんち」 シャギリの音が響き渡る坂のまち長崎を闊歩してきました



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