ブッダ 「真理のことば(=ダンマパダ)」

                         解説 花園大学教授 佐々木閑

                         NHK番組 「100de 名著」から

1回目 生きることは苦しみである

仏教の創始者・ブッダが語った言葉をまとめたとされる「ダンマパダ」(邦訳「真理のことば」)。
釈迦族の王子だったブッダは、成長するにつれ、人の生、老、病、死について深く考えるようになった。
そして29歳の時に、家族を捨てて出家、修行しながら深い思索に励んだ。悟りを開いた時、ブッダは、
自らが考えた真理を人々に語る。それが最初の説法とされる「ダンマパダ」191番です。
ブッダは、人生は、老いや病など、苦しみの連続であるが、心のあり方を見直せば、苦しみを克服することが
出来ると説いた。第一回では、ブッダが見抜いた「人生」と「苦」の本質に迫る。

人間の苦しみには2つある

避け難い苦しみ

自分の心が生み出す苦しみ

ブッダはどちらの苦しみも消したいと考える

ブッダが説いた生き方とは?諸行無常を知って生きよ。

ものごとには発生と消滅がある

ということを理解せずに

百年生きるよりも

発生と消滅の原則を

見通しながら

一日生きる方がすぐれている(⇒安楽の道がある)

      真理のことば113

発生と消滅⇒ものごと全てのものは生まれ消えていく⇒永遠に変わらず存在するものはない⇒諸行無常を知って生きよ。
この世の中が全て苦しみであるならば、たくさんのその無限にやってくる苦しみをしっかりと受け止めて苦しみだと感じ
ないような自分を作らなければならない。
つまり苦しみを受け止め 自分自身を変える、というのがブッダが考えた一番の目的である。

苦しみを解決する方法についてもブッダは言及している。

仏と法と僧に帰依する者は     (仏法僧=仏教)

四つの聖なる真理

すなわち「苦」と

「苦の発生原因」と

「苦の超越」と

「苦の終息へとつながる八つの聖なる道」とを

正しい智慧(ちえ)によって見る

真理のことば 190-191

苦しみの解釈

永遠に変わらず存在するものはない

諸行無常を知って生きよ。世の中は自分の思いとは関係なく常に移り変わる。

だから苦しみが生まれる、とブッダは説きました。

ブッダが説いた4つの真理とは?

四聖諦(ししょうたい)

1.    苦諦 くたい  世の中は「苦しみ」で満ちている

2.    集諦 じったい その原因は何であるか

3.    滅諦 めったい 煩悩を消したときに「苦しみ」が消える

4.    道諦 どうたい 具体的に「苦」を消すための実践の方法

世の中は「苦しみ」で満ちている。

その苦の原因は何であるか。たとえば年をとると老化する→避けられない苦しみ→それを受け入れる心を変える。
苦しみは心の中にある。

「苦しみ」の原因は煩悩である。煩悩を消したときに「苦しみ」が消える。

「苦」を消すための実践の道(8つの道)

解決の8つの道
 
八正道(はっしょうどう)

1.    正見  しょうけん    正しい知見 世の中のありさまを正しく見る

2.    正思惟 しょうしゆい   正しい考え 論理的思考

3.    正語  しょうご     正しい言葉

4.    正業  しょうごう    正しい行為

5.    正命  しょうみょう   正しい生活

6.    正精進 しょうしょうじん 正しい努力

7.    正念  しょうねん    正しい思念 頭にいつもおいておく、忘れずにおく

8.    正定  しょうじょう   正しい瞑想

正しい基準とは

世の中を正しく見ていない。常に自分を中心に見ている。私こそが世界の中心であるという錯覚を起こす世界を見ている。
世界は私のことなど何も考えずに動いている。

日常の中で正しく見ることをトレーニングする。

自我を見つめたブッダ

人生が生老病死という苦しみに満ちていることを知った。

「私」という世界はないことに気がついたことで「苦しみ」が消える。

私は、苦しみの基盤である

「自分」という家の作り手を

探し求めて、幾度も生死(しょうじ)を

繰り返す輪廻(りんね)の中を

得るものもなくさまよい続けた。

何度も何度も繰り返される生(しょう)は

苦しみである。

だが家の作り手よ 

お前は見られたのだ

もう2度と家を作ることはできない

その垂木(たるき)はすべて折れ、棟木(むなぎ)は崩れた

心はもはや消滅転変することなく

渇愛(かつあい)の終息へと到達したのだ。

     真理のことば 153-154

家=私というものを中心に作りあげた世界、私の自我の世界、誤った自我意識

私が私という枠組みを作っている

私もまわりも私の世界だ、私の持ちものだ

私を中心に作りあげたもの、自我の世界、それが家(←誤った自我意識)

私中心の世界はどこだ?さがしても見つからない。苦しみの連続となる虚構の世界にブッダは気づく。
気がついてみると探し求めていた「私」という世界はないことに気がついたことで「苦しみ」が消える。

その時はじめて、ないものをさがしていたその苦しみが消え、そしてほんとうの安楽がくる。

「苦しみ」は自分中心の世界から生まれる。

ブッダの教えは世界中の全ての人にあてはまる話ではなく、心の中に苦しみを感じて今生きている人生が
そういう苦しみに満ちているということを自覚した人にだけ役立つ考え方である。
だからブッダの言葉は「心の病院」、だから待っている。

「法句集」の名で知られる「真理のことば」(=ダンマパダ)も「感興のことば」(=ヴダーナヴアルガ)もブッダの教えを集めたもの。

「真理のことば」(=ダンマパダ)

弟子たちのために説いた悟りへの道を423篇の短い詩にまとめたもの。

2回目 うらみから離れる

人間は、現実と希望とのギャップに常に苦しむものだとブッダは説いた。
人には生存への欲求があり、世の中が自分にとって都合の良い状態であることを願って
いる。しかしその願いがかなわないと知る時、人は正常な判断力を失い、「あの人は私に
意地悪をしている」などと、根拠なく思い込むことがある。ブッダはこうした状態を「無明」と称した。 
第二回では、「無明」から生まれる「うらみ」について学ぶ。


自分の心が生み出す苦しみ、代表的な人間の苦しみを生み出すものとして「うらみ」について考えると

うらみを抱く人たちの中で (普通に煩悩を持つ人たちの中で)

私はうらみを抱くことなく (強い決意)

安楽に生きよう      (自分の心の煩悩を消すことにより苦がなくなる)

うらみを抱く人たちの中で

うらみを抱くことなく

暮らしていこう

  真理のことば 197

「うらみ」などの煩悩を起こさない状況に自分の環境を整えていく、ということも大切な教えである。

この世では

うらみがうらみによって

鎮まるということは

絶対にあり得ない

うらみは、うらみを

捨てることによって鎮まる

これは永遠の真理である

  真理のことば 5

日本で言うところの全てを水に流すという意味ではなく、責任の所在ははっきりさせねばならないし、
謝罪すべきことは謝罪し、反省すべきところは反省する全ての手続きが終わった上で、さらに自分の心の勝手な
思いとして相手を憎むというようなことは止めよう。
それをするといつまでたってもお互いの恨みというものが消えない、あるいは増幅されて次の争いを生んでしまう、という意味。

煩悩の正体は何?

恨み、執着、傲慢などの煩悩の大元は⇒無明(むみょう)である。

たとえば

物惜しみは恵む者の汚れ(けがれ)(インドでは良い行いの代表が人にものをあげること)

悪行は、過去・現在・未来の

いかなる生まれにおいても

汚れである。

その汚れよりも

一層汚れた汚れの極み

それが無明だ。

比丘たちよ (びく=出家している修行僧)

その無明という

汚れを捨て去って

汚れのない者となれ

  真理のことば 242-243

明=ちえ  ちえ⇒この世のありさまを正しくみること

無明とは、自分が勝手にねじまげて解釈して世の中を正しく見ることができないこと、言い換えれば愚かさ。

無明を解決する手掛かりの詩がある

愚かな者が

自分を愚かであると自覚するなら

彼はそのことによって賢者となる

愚かな者が

自分を賢いと考えるなら

そういう者こそが

愚か者と言われる

  真理のことば 63

私たちはみな生まれつき煩悩を持っている。本質的に物を考える時愚かな考えをする。

しかし無明があることに気付いたとき、その人は「愚かさ」から抜け出せる。
しかし自脱できない人は自分の考えが正しいと思い自分は賢者だと考える。
そういう人は愚か者と言われる。「愚かさ」に気がつくことが大事。

ブッダはどのようにして煩悩を消したのか、悟りを開いたのか

ブッダは断食をはじめ苦行を行ったが悟れなかった→苦行から瞑想に切り替えた

体を痛めつけても煩悩は消えない。心を鍛錬することが必要である

「うらみ」から離れるには

ブッダの教えは必ず一歩一歩

毎日少しずつ自分の心をトレーニングする、努力をつづける

自分が中心だということを捨てる、客観的にものを見る

3回目 執着を捨てる

人は様々なものに執着して生きている。しかし執着が過度に強くなると、家族や財産といった、本来幸せをもたらすはずのものも、
自分の思い通りにならないことにいらだち、苦しみを感じてしまう。
ブッダは、自分勝手な執着をいましめるとともに、自分の教えについても、過度に執着してはならないと説いた。
そして自分を救えるのはあくまでも自分自身であり、自分の心を正しく鍛えることによって、心の平安を得ることが出来るとした。
第三回では、依存ではなく、心の自立を説いたブッダの思想について考える。

自分勝手な世界を作ってものに執着することが苦を生み出す

愚かな執着 → それによって苦しみを生みだしてしまう

諸行無常 → 世の中の全てのものは移り変わっていく。
しかしいつまでもつづかないものに、いつまでもつづいてほしいと執着する ⇒ 苦しみが生まれる

貪欲(とんよく=執着)に染まった人は

流れのままに押し流されていく

それはまるで

蜘蛛(くも)が自分で作り出した糸の上を

進んでいくようなものだ

一方賢者は

その貪欲を断ち切り

執着することなく

一切の苦しみを捨てて

進んでいくのである

  真理のことば 347

愚かな人は

「私には息子がいる」

「私には財産がある」などといって

それで思い悩むが

自分自身がそもそも

自分のものではない

ましてやどうして

息子が自分のものであろうか

財産が自分のものであったりしようか

  真理のことば 62

自我のまわりに自分の所有する世界を作り、それを抱えていこうとするから苦しみが生まれる。
子供まで自分の所有物だと思い込む。
子供を大事に育てて大人にするのは親の義務だが、その先にあるのは子供の人生、別個の人格

自分自身を変えるしかない

執着にとらわれない柔軟な意思を持ち、将来の道筋を決めていくという意思作用

意思を持って生きるとは?

ブッダは自分の教えにも執着するな、と云っている

マッジマニカーヤ「いかだのたとえ」自分で作ったイカダで河を渡る例え話

いかだ=ブッダの教え 向こう岸まで渡るための手段であって目的ではない。

渡り切ればいかだは不要となる。

彼岸(ひがん)=悟りの境地 その場で一番大切なものを選び取る

ブッダの遺言 80歳で病に倒れ弟子たちがこれからどうしたらよいか、との問いに

対し最後の教え「自灯明・法灯明」の教えを説いた。

自らを灯明とし

自らをたよりとして

他をたよりとせず

法を灯明とし

法をたよりとして

他のものをたよりとせず

生きよ

 大パリニツパーナ経

自分の救済者は自分自身である

他の誰が救ってくれようか

自分を正しく制御してはじめて

人は得難い救済者を

手に入れるのだ

  真理のことば 160

法とは ブッダが残した教え

自分の心を正しい方向に向けていくために物事の原因と結果をつきつめることだ

例えば、執着で苦しんでいるときはその苦しみの原因を見つけ、無意味な価値観にしばられないよう
心を整理することが大事

執着を捨てるには世の中は全て原因と結果で動いていることを合理的に理解する

この世の中を正しく見る。正しく見るには考えないといけない

よく考えて正しくみる

すると世の中は原因と結果の因果関係によって粛々と動いているが分かる。

その中に自分勝手な世界を作って、物に執着をするということが苦を生み出している

自分勝手な世界を作って執着することは意味のないこと

意思に従って正しい方向に向かっていくと、それが執着やその他の煩悩を消す道へとつながって
ひいては苦しみの消滅につながる。
仏教では今の自分の意思というものを大切にしている。
見つめなおすことが解決につながる。

4回目 世界は空なり

ブッダは、人の心がどのように変化するかを、因果関係に基づいて論理的に分析した。
そして瞑想によって集中して考え、自分の心の状態がどうなっているのか、きちんと把握することが悟りへの道であるとした。
最終回では、大阪大学大学院教授で認知脳科学を研究している藤田一郎さんを招く。
人間の脳は、物事をどうのように認識しているのか、ブッダの教えを脳科学の面から検証する。
そして今シリーズの講師役・佐々木閑教授とともに、「真理のことば」が、現代に生きる私たちに発しているメッセージについて語り合う。

私たちが見ている世界は常に変化するかりそめの世界、つまり空なり

この本質を見極めるには世の中を客観的に捉えることが大事。

世の中を正しく見ていく一つのあり方として、物事を「空」だと見なさい

いつも物事の本質を

考えるようにして

「ここに自分というものがある」

という思いを取り除き

この世のものは空であると見よ

そうすれば死の苦しみを

越えることができるであろう

このように世界を見る者は

死の王によって

見つけられることがない

  スッタニパータ 1119

自分というものが永遠に存在する絶対的な存在物ではない

従って、私といっても そこには私という本体はどこにもない

色んな要素が集まってできているのが私ですから

その中には私というものは空、つまり空っぽだ

空とは物、形はあるが その中に本質がない

「空」は形はあるが その中に本質がない

何故実体がないのか、それは諸行無常

全てのものはいつまでも同じ形で残るものは何ひとつない

いつも移り変わって別のものに変わっていくから

死の苦しみからも逃れられる

空とは 自分が見ているものは常に変化している仮そめの世界だと思え、

というブッダの教え

世の中を空と見るためには 客観的に物事をとらえることが大切だ、と

ブッダは説きました。

しかしそれは容易ではありません。

執着やうらみなど様々な煩悩にとらわれているからです。

ではどうしたら良いのか?

大事なのは心の持ち方だとブッダは云います。

物事は心に導かれ 心に仕え

心によって作り出される

もし人が汚れた心で話し 

行動するなら

その人には苦しみが付き従う

あたかも車輪が

それを牽く(ひく)牛の足に付き従うように

  真理のことば 1

歪んだ心とはうらみなどの煩悩がフィルターになって物事を自分中心に作りあげてしまう。

心の持ちよう見え方が違ってくる、苦しみが生まれるか、生れないか、が決まってくる。

心を正しく持つ方法は、訓練

心の持ちようを訓練すれば自分勝手な思いにとらわれず苦しみから逃れることができる。

それが世の中を空とみること、つまり客観的に真実をとらえるということなのです。

そういった見方は科学にも通じる、といえる

科学の因果関係に基づく合理精神が仏教という宗教の根底にある

科学者=物事を徹底的につきつめる客観的に見るプロ

科学と仏教の接点(大阪大学 大学院 教授 藤田一郎)

ブッダの云う客観的とは

http://www.geocities.jp/aoirob2/DSCN0398a.JPG

主観的輪郭 ここにあるものと心に見えるもの

脳が足りない情報を補う(=補完)

網膜に写る世界と脳が理解する世界は違う

脳が解釈して結びついた結果は 客観的であるかも知れない。

認識のレベルになると訓練や経験が大きな役割を持つ。

修行に効果はあるのか?

仏教では修行によって間違った世界観を正しくする意識的なコントロールができる。

脳科学の観点では物事を客観的に見るには経験が大事だといいます。

一方ブッダは物事を客観的にみるには心のコントロール、つまり精神を集中させることが必要だと説いた。

精神集中は何をもたらすか?

瞑想

集中した精神は特別な力を持っている。

人は時として悲しみや苦しみなどの感情におぼれてしまいます。

そうした時に正しい判断ができなくなり自分を追い詰めてしまうことがあります。

そんな時こそ自分の状況を客観的に把握し生き方を変える勇気が大切になります。

ブッダは苦しみから逃れるためには強い意志が必要だと説いたのです。

東日本大震災

世の中のあり方をしっかり自分の目で確認して見ること、そして正しい判断をくだすこと、それが強く求められている。

ブッダの教えを噛みしめ意味することを自分の中にとりこむことで自分の生き方を変えることができるかも知れない。
ブッダの教えを理解することで生きる杖としていただきたい


以上 花園大学教授 佐々木閑氏の解説から