海外旅行~オーストリア/ハンガリー/チェコ/南イタリア
オーストリア(ウィーン)

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シェーンブルン宮殿と庭園
(Schloss SchÖnbrunn)
ハプスブルク家(Haus Habsburg-Lothringen)の夏の離宮で、ベルサイユ宮殿を模倣して1692年に建築開始された。完成したのは、女帝マリア・テレジアの時代。建物も庭園もヨーロッパ有数のバロック宮殿として知られています。宮殿は、マリアテレジアが好んだといわれる黄色でまとめられています。
この宮殿は、ナポレオンのウィーン占領時に使われたり、(ナポレオンの息子ライヒシュタット公1832年21才の若さでここで亡くなった)ウィーン会議*映画「会議は踊る」の歴史舞台になっています。

なぜ!ハプスブルク家が700年間も欧州随一の世界帝国を続けることができたのでしょうか(・_・?)
一言でいうと政略結婚を進めていった結果だと思います。
ハプスブルク家は建国1000年のオーストリアの根底にあり、多大な影響力を持ち続けた13世紀のルドルフ1世を始祖に持ち、その栄華は今世紀初めのカール1世まで700年間にわたって続きました。
マクシミリアン1世は「他の国は戦争するがよい。汝幸いなるオーストリアは結婚せよ」この外交戦略により、息子フィリップがスペイン王女と、孫のフェルディナントがハンガリー王女と結婚します。

18世紀に入りマリア・テレジアは、16人の子どもたちをもうけ、その大半を、政略結婚でヨーロッパ各国に送り出しましたw(゚ー゚;)w
末娘マリー・アントワネットと敵対関係にあったブルボン家の皇太子で後のフランス国王ルイ16世との政略結婚により同盟を結ぶこととなります。
フランスのブルボン家をはじめ、ドイツ、ポルトガル、スペイン、イタリア、ハンガリーを取り込んで巨大帝国を築いていきました。
説明が長くなちゃいました^-^:

シェーンブルン宮殿
庭園

内部撮影が禁止されていたので、パンフレットにあった写真を載せます!

女帝マリア・テレジア
オーストリアの『国母』として国民から愛されていて、母親としても合計16人の王子・王女たちを産んでいます!身長は150cm台だったそうですが、体重は100㎏以上あったそうですよw(゚o゚)w
ヨーロッパ各地の国々と婚姻関係を結ぶため、多くの子どもたちをもうけます!宮殿の数多くの部屋は、子どもたちや仕える者たちのためのものでした。フランスのルイ16世に嫁いだ、六女のアントニア(マリー・アントワネット)の母君でもあります。

末娘マリーアントワネット
王宮での歌劇上演を楽しむロイヤル・ファミリーです。中心に座っているはマリア・テレジアと夫で、側に座っているのは皇子と皇女たちです。最前列右から2番目にいるのが、マリーアントワネットです。
2枚目写真の右上の方に、少年時代のモーツァルトが、後に書き足されています!なぜでしょう?σ(^_^;)テレジアはモーツァルト親子を好んでいなかったのです!(この写真には写っていませんが、実物の絵には小さく書かれて、わかりづらいので枠で囲まれていました!)

モーツァルト&アントワネットの出会い
6歳のモーツァルトが、初めてマリア・テレジアや貴族の前で御前演奏を行った鏡の間がありました!この宮殿から、少年モーツァルトの才能が世に知れわたります。
小さなモーツァルトが部屋で転んだ時に駆け寄ったアントニア(後のアントワネット)にモーツァルトは、「僕のお嫁さんにしてあげるよ!」と言ったエピソードがあります。
女帝マリア・テレジア
末娘(六女)
マリー・アントワネット
6歳のモーツァルトが御前演奏を行った鏡の間

内部撮影が禁止されていたので、パンフレットにあった写真を載せます!
宮殿大広間
舞踏会やレセプションの舞台で現在は、夏にコンサートが開かれています。
百万グルデンの部屋
豪華なロココ様式の調度は、百万グルデンを要したといわれています。高価な材木と260のインドのミニチュア細工で部屋が飾られていて、富や権力を誇示するために造られたといわれています。
ナポレオンの息子、孤独なライヒシュタット公
(ナポレオン2世)
父ナポレオンの死後、母マリー・ルイーズの実家ハプスブルク家に引き取られ、生涯のほとんどを、このシェーンブルン宮殿で過ごす。1832年21才で、肺結核で死去。
母マリア・ルイーゼが父のナポレオン生存中、秘密のうちにナイペルク伯との子供のアルベルティーヌとギヨームを出産していた事を知り、大きな衝撃を受ける。母の軽率さに対する嫌悪は強く、後に「母は父にふさわしくなかった」と書き残しています。
右写真は、ライヒシュタット公のゆりかごで、パリ市が、母親マリー・ルイーズに贈ったもの。

宮殿大広間
百万グルデンの部屋
ライヒシュタット公&ゆりかご