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聖地ムクチナートへの旅

今回のトレキングの目的は「.リ、ガンダキ河の河原を歩き、聖地ムクチナートを訪問すること、 ダウラギリとニルギリを心ゆくまで眺めること」の2つ。前回のアンナプルナの旅ではプーンヒルでは天候が悪くダウラギリに面会できなかったからである。
ネパールへは3年ぶり4回目の訪問である、しかしこの3年間でネパールは大きく変わったと思います。
1つは電力が山間のロッジにまで普及したこと。2つは道路の普及、3つは携帯電話の普及、この3つインフラで人々の生活は急速に豊かになりつつある。道路は殆ど未舗装で日本人から見ればとんでもないガタガタ道だがそれでも道路は道路である。自動車、バイクはどんどん増え、物流は増え、裸足の子供達はいなくなり、物乞いする人も余り見かけなくなった。しかしトレッキングに関して云えば道路の普及によりムクチナートへのコースは自動車とバイクによる砂埃と騒音に悩まされトレッキングには不向きなコースになってしまったと云える。
ダウラギリ(Dhaulagili)サンスクリット語で「白い山」の意。8167m
東麓のカリガンダキ河の川床から一気に6000mも聳えたっている。初登頂は1960年スイス、オーストリヤ隊。軽飛行機を使った荷揚げで話題を呼んだ。ちなみにこの飛行機は潰れてしまったので放置された。また1954年アルゼンチン隊はダイナマイト使ってテント場を作ったとして顰蹙をかったことがある。
1950年モーリス、エルゾーグ率いるフランス隊が最初この山を目指したが、断念してアンナプルナに転進したことは有名。毎年遭難者をだしている困難な山である。

2010年10月18日(月)
関空を深夜便のタイ航空で発ちバンコックで乗り換えでカトマンズ着、国内線に乗り換えポカラに着いたのは既に5時前であった。
ホテルに落ち着いたのは良いが、深刻な問題がもちあがった。今回のトレッキング計画に関わりガイドにも予定していたバクタ、プン氏が彼の一身上の都合で我々に同行できなくなったと云うことが判ったのだ。なんでも韓国のプロジェクトに加わり、韓国に行くことになっているとのこと。いままで黙っていたことを謝り、代わりに親友のガイドを紹介するとのこと。ガイドの実績でも日本語の実力でも彼以上だという。全員で協議した結果ここまできた以上彼の提案を受け入れるほか無いと結論をだした。
紹介されたのはタパ氏でバクタ氏のいうとおり日本語は流暢なもので冗談も上手で饒舌なほどよくしゃべる人でした。トレッキング中に判ったことだが日本語の諺などにも造詣が深いことだ。
 
↑ポカラ空港から見たマチャプチャレと                  アンナプルナサウス
              

2010年10月19日(火)
ポカラから国内便でジョムソンに飛ぶ。9時発の予定が遅れる。飛行時間は約20分。 10時過ぎジョムソン着。カリガンダキの広い河原をカグペニに向かって歩く。インド亜大陸の圧力によって盛り上がった大地がカリガンダキによって削られた跡が大きな褶曲作用の断崖となって目の前に展開している。
快適な散歩気分で歩いていたが、エグリバッテイにて昼食という段になってミルクティーを呑んだ途端に突然吐き気をおぼえて急に吐いてしまった。ポカラ(900m)からジョムソン(2750m)に いきなり飛んで、高度順応ができてなかった事を自覚した。キリマンジャロの時もそうだったが私の場合、前触れ無しで突然吐き気を覚えるので困ったものである。メンバーにも、もうひとり兆候のある人が居りとにかくベンチに暫く横になってから、とにかくカグベニまで行って様子をみることとする。
 
ジョムソン飛行場とニルギリ峯(青い山の意)
 
 
カリガンダキ(黒い河)の広い河原を歩く 
 
                                     カグベニの集落が見えてきた.この谷の奥がアッパームスタンで
                                            長い間「禁断の王国」だった。

2010年10月20日(水)
朝食はお粥を頼んだ。外米のお粥をなんとか腹に掻きこむ。体調は戻っているようだ。
8時半、聖地ムクチナートに向かって登る。ジョンコーラ川の河岸段丘上の砂地の未舗装の自動車道路を歩くので自動車やバイクの巻き上げる砂埃と騒音にさらされて酷い道中である。いままでに経験したトレッキングの認識とは全くちがうものである。歩く巡礼の姿は見受けられない。聖地巡礼は自動車で行く時代になっているのを実感する。 日本の四国八十八箇所めぐりと同じようになったということか。
キンガーで昼食、このあたりから砂埃から開放されて気分の良いトレッキングとなった。
ジャルコットにて休憩後、ムクチナートの直下のラーニパワに到着。ここではゲストハウスがどこも満員でジャルコットに引き返すことも覚悟したがタバさんの努力でなんとか部屋が見つかった。
 
ムクチナートへの上り口
 
河岸段丘の上の砂地の道路をひたすら歩く、           この谷を登りつめた所に聖地ムクチナートがある。
                                     その上に開いている窓がトロンパスである。

2010年10月21日(木)
聖地ムクチナートに入りゴンバに参拝、108つの真鍮の牛の首の口のついた聖水の瀧がある。 その前にはプールのような沐浴場があり信者はそこでパンツ1つになり潔斎してから108つの瀧の水を頭に浴びて回る。「ムクチナート」とはサンスクリット語で「百の泉」の意味だ。
左手の林間の小道をゆくと「聖なる3つの火」が燃える寺だ。靴を脱いではいると観音像があり見様見真似で五体投地をして観音像の下まで進むと金網張りのその奥にボーツと青い火が燃えているのが見える 。私の見たのは炎は1つだけだった。天然ガスの炎だという。こんな荒涼とした山の中で天然ガスが出るなんて信じられないがそこが聖地の聖地たるゆえんだと言うことか。
此処はヒンズー教とチベット仏教の聖地として巡礼が多数訪れる。 もともとチベット仏教固有の聖地だったがヒンズー教が取り込んだというのが真相らしい。 仏教もヒンズー教も悟りと解脱ということでは同じなのかも知れない。「ユダヤ教からキリスト教やイスラム教が派生し世界宗教になっていったことと似ているのかなぁ」と思ったりする。
 
 
 
   (朝)ここから遠くを見るとダウラギリとツクチェピークがよく見える。(昼)

2010年10月22日(金)
砂埃の道はもう御免とジャルコットまで歩き、ジープにてジョムスンに下る。雨模様で砂埃の心配は無かったようだが、カリガンダキ河の川原は増水で歩きにくいようだったのでよかったかなと思う。 夕食は美味しく食べられたので体調はもう大丈夫だ。
 
景気が良いのかジョムスンは今、建築ラッシュです
 
ラーニパワで見た太陽光調理器、ネパールは省エネの先進国である。

2010年10月23日(土)
ダウラギリを見ながらカリガンダキ河にそって南下、マルファを経てツクチェで昼食、向かい風にマスクをして歩く。 歩行が捗ったのでラルジュンまで足を延ばす。
 
新潟県出身の近藤亨さんの「ネパールムスタン地域開発協力会(MDSA)」の事務所、この高地で稲の栽培に成功した。
氏は私財を投じてカリガンダキ上流の村々の農村開発に取り組んでおられる。
 
ダウラギリBCへの道(マルファにて)                            河口慧海ゆかりの家(マルファにて)


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