「悪魔のハンマー」で示されたアイディアが現実に!〜〜DMVの登場

 

和寒  2004年10月 2日

 

 

■ある物語から

「たぶんもっと良い道があるわよ。左手を見て。鉄道の盛り土が見えない?」
 彼は天井灯を消した。それから、ヘッドライトも。目が慣れるまで少し時間がかかり、そして……「見えない」
「あるのよ」彼女は地図を見ていた。「南太平洋鉄道。車をまわして、あっちをヘッドライトで照らしてみて」
 ティムは車をまわした。「なにを考えているんだい? 汽車にでも乗ろうっていうのかい?」
「というわけでもないけれど」
 雨のためにヘッドライトは遠くまで届かなかった。照らし出されるのは、雨が点々を打っている一面の海原だった。
「盛り土があることをひたすら信じる以外にないわ」とアイリーン。「入れ替わって」彼女は彼の上を乗り越えて、運転席に坐った。彼女がなにを考えているか彼にはわからなかった。だが、シートベルトを着けていると、彼女はエンジンをかけた。アイリーンは南に向かって、もときた道を引返しはじめた。
「そっちには人々がいるよ」彼はいった。「そのうち二人はショット・ガンを持っている。それに、この車はサイフォンをつんでいないと思う。だから、あまりガソリンを使ってはいけないよ」
「どこもかしこも、良いニュースばかりね」
「ただ、教えているだけさ」とティム。彼は水がもはやハブキャップの深さでないことに気づいた。腰の高さまできていた。浅い海の中に、土地の高い部分が黒いこぶのように見えた。こちらはアーモンドの森、あちらは農家。そして、アイリーンは道路のない所で、鋭く右折した。車は99号線をはずれるとがたっと下がった。それから水と泥を肩で掻き分けるようにして進みはじめた。
 ティムは恐くて口がきけなかった。息もできないほどだった。アイリーンは小道を縫うように進んでいき、盛り上がった土地の黒いこぶを一つ二つ通った。だが、それらはずっと続いてはいなかった。まさに島の点在する大洋だった。そして彼らはそこを、果てしない大雨の中を、進んでいった。ティムはダッシュボードに両手を突っ張って、身構えていた。車は二フィートぐらいの凹みに跳びこんで、止まった。
「あそこ」アイリーンはつぶやいた。「あそこ」
 前方の地平線がかすかに盛り上がっていないだろうか? 少し間を置いて、ティムは確信した。前方の土地が隆起していると。五分後、彼らは鉄道の盛り土の根元にいた。
 車はどうしてもそれに登れなかった。
 ティムは牽引ロープを持って、雨の中を送り出された。彼はそれをレールの下をくぐらせ、もとの方向に引っ張った。盛り土の上で全体重をかけて。一方、アイリーンはその泥の斜面を車で登ろうとした。車は絶えず滑り落ちた。ティムはロープをもう一本のレールにもからめた。彼はいっぺんに数インチずつのたるみを、たぐった。車はぐいと登りかけては、滑り落ちはじめる。そして、ティムがロープのたるみをつかんで、たぐり寄せるのである。一つ間違えれば指の一本ぐらい失うだろう。彼は考えるのをやめていた。雨と疲労と不可能な仕事。ものうい惨めな気持の中では、その方が楽だった。初めの頃の勝ち誇った気分は消えていた。ただ……。
 ゆっくりとわかってきた。車が盛り土の上にあがっており、ほとんど水平になっているのが。そして、アイリーンはホーンの上によりかかっていた。彼はロープをはずし、輪にして、よろよろと車に戻ってきた。
「よくできました」アイリーンがいった。彼はうなずいて、待っていた。
 ティムのエネルギーと決意が燃えつきたとしても、彼女にはまだ残っていた。「警官はたいていこのトリックを知っているのよ。エリック・ラーセンが教えてくれたの。今まで実行したことはなかったけれど……」車は一本のレールに乗り上げて傾いた。盛り土の上で傾きながら、バックしてターンした。傾きながらまた前進した。それから突然、両方のレールの上に乗り上げて、バランスが取れた。「もちろん、サイズの合った車でなければやれないけどね」アイリーンは今では、少し緊張をゆるめ、少し自信を持って、いった。「さあ出発……」
 車は二本のレールの上をバランスを取りながら、走りだした。車輪の幅がレールの幅とぴったり合っていたのだ。両側に、新しい海が銀色に光っていた。車はゆっくりと進んでいった。よろめいては立ち直り、踊子のようにバランスを取りながら。ハンドルは絶えず小刻みに動いていた。アイリーンは針金のように緊張していた。
「はじめに話を聞いたら、信じられなかったろうよ」ティムはいった。
「あなたが車を引き上げるとは思わなかったわ」
 ティムは答えなかった。軌道が水にむかって少しずつ沈下していくのを、彼ははっきりと見たのだ。しかし、今、信じられないものが何であるにせよ、彼はそれを自分の心の中だけに留めておいた。

 海の上を滑っていく、滑っていく。アイリーンは水面を何時間も走り続けた。彼女のわずかにしかめた眉、見開いた目、しゃんと伸ばした背筋が、彼女を一つの閉ざされた宇宙にしていた。ティムはあえて話しかけなかった。
 今は彼らに助けを求める者もなければ、銃を向ける者もなかった。ヘッドライトと、時たま閃く稲妻は、水とレールしか照らしださなかった。ところどころで、レールは実際に水の下に沈んでいた。そういう時にはアイリーンは這うようにスピードを落し、勘で車を進めた。一度は稲妻が大きな家の屋根を照らし出した。その尖った屋根の上には六人の人影が見えた。全員の雨具がてらてらと光った。十二のぎらぎら光る目が、水面を走ってくる幽霊車を見つめていた。そして、また家があった。だがそれは横倒しに浮いていて、近くに人影はなかった。一度は長方形のブッシュが何マイルも並んでいるところを通った。水没した果樹園で、木の先だけが見えているのだった。

「悪魔のハンマー」第三部『生者と死者』“乞食”より
作:ラリー・ニーヴン&ジェリー・パーネル 訳:岡部宏之

 

 

■この物語で示されたデュアル・モード・ビークルの概念

 アメリカ文学の代表作を挙げよ、と問われると、意外に難しい設問であることがわかる。筆者の浅学が露呈してしまうが、すぐ思いつくところでは、

  「若草物語」ルイザ・メイ・オールコット
  「風とともに去りぬ」マーガレット・ミッチェル
  「ハックルベリー・フィンの冒険」マーク・トウェイン
  「アンクルトムの小屋」H・B・ストゥ
  「あしながおじさん」ジーン・ウエブスター
  「最後の一葉」オー・ヘンリー

 くらいしか出てこない。ルーシー・モウド・モンゴメリ「赤毛のアン」もアメリカかな、と思ったが、これはカナダ文学だったりする。もっとも、アメリカもカナダも似たような成り立ちの国なのに、国境を基準にして文学的ジャンルを区分する必要があるのかどうか、疑問だが。それにしても、どういうわけか女性作家が多い。

※参考までにいえば、「白鯨」や「武器よさらば」あるいは「偉大なるギャツビー」などもアメリカ文学の代表作として挙げられるものだが、これらは Web検索で調べてわかった結果にすぎず、筆者が自力で得た知識ではないので、自らの浅学を刻むため敢えて正直に記しておくことにする。

 アメリカは建国後数世紀しか経ていない新しい国家であることは客観的な事実であり、それをもって「文化的な成熟はまだまだ」と揶揄されることがままある。実際のところ、アメリカ文学代表作数の少なさ、その内容の奥行きを考えれば、この揶揄は一面の真理を衝いているといえるかもしれない。

 しかし、アメリカ文学には他国の追随をまったく許していない一ジャンルがある。それはサイエンス・フィクション(以下SF)である。

 SFというと、その定義は拡大解釈されがちであり、例えば「スター・ウオーズ」などを挙げる向きもあるだろう。しかし、これらは、どちらかというと英雄譚(ヒロイック・サーガ)に分類すべきものであろう。近年では「ハリー・ポッター」シリーズが台頭してきており、ファンタジーとの境界も曖昧になってきてしまった。小道具や味つけを基準にしてSFとファンタジーを分類するのもいいが、あまり本質的ではないような気がする。おっと、余談が過ぎたか。

 ともあれ、アメリカのSF文学は層が厚いうえに、しかも奥が深い。アメリカ人の国民性において、科学技術に対する興味と理解が他国と懸絶したレベルにあることが大きいのだろうか。日本の作品はアメリカと比べ、あまりにも底が浅く、恥ずかしくなるくらいだ。エンタテイメント(読者をよろこばせる)という衣の下に隠れて目立たないが、アメリカSF文学の内容はおそろしく思索的で、洞察力は入神(あるいは入魔)の域にある。これらは文学史のなかで位置づけるよりも、人類全体のアーカイヴとして受け止めるべきではないかとさえ思う。

 筆者は一時期、アメリカSF文学を濫読した時期があり、強い影響を受けた。今でも心に残っている作品としては、下記を挙げることができる。

  「悪魔のハンマー」ラリー・ニーヴン&ジェリー・パーネル
  「忠誠の誓い」ラリー・ニーヴン&ジェリー・パーネル
  「マンホールのふたに塗られたチョコレートについて君には何が言えるか?」ラリー・ニーヴン
  「月は無慈悲な夜の女王」ロバート・A・ハインライン
  「2001年宇宙の旅」アーサー・C・クラーク
  「火星の砂」アーサー・C・クラーク
  「幼年期の終わり」アーサー・C・クラーク

 特定の作者に偏しているとの指摘は甘んじて受けるとして、これらの作品に底流として(おそらく無意識のうちに)共有される問題意識の存在を察して頂けるならば、アメリカSF文学に対して筆者が感じている「凄味」についても理解して頂けよう。

 

 さて、ここまでが前置きである。

 筆者は「悪魔のハンマー」を読んだ際、ある部分に強い違和感を持った。それが冒頭に引用した記述で、自家用車がレールの上を走っていくという荒唐無稽な内容になっている。自家用車の輪軸幅は1435mmに合致しているのか、合致したとしてもフランジがないタイヤで鉄レールの上を走行できるものなのか、強い疑問を覚えざるをえなかった。

「こんなこと出来っこない」

 というのが正直な印象で、バラストと枕木で凹凸の厳しい線路敷を、振動に耐えながら前進する、という記述の方が説得力があるように感じたものだ。おかげで、中盤の名場面(※)であるにもかかわらず、感動がかなり減殺されてしまった。

※作中では「さまよえるオランダ人」になぞらえられていた。ただし、あくまでも忖度であるが、作者はむしろ、モーゼが海を渡る場面を読者に想起させたかったのではなかろうか。

 そんな荒唐無稽を実現しようと大真面目で取り組んでいるのが、JR北海道のデュアル・モード・ビークル(以下DMV)である。

 

 

■鉄道と自動車の技術のおりあい

 日本で初めにレールバスと呼ばれた車種は、四軸貨車の台枠と足回りにバスの車体及び駆動系統を載せたものである。
  レールバス@七戸

 次いでレールバスと呼ばれた車種は、メーカーによってはLEカーと銘された。車体や駆動系統にバスのものをそのまま使っているとはいえ、台枠や台車はやはり本格的な鉄道車両のものである。個別要素の技術の進歩には隔世の感があるが、車両の概念そのものは、初期のレールバスとまったく変わらない。
  LEカー@上総中野

 営業用には存在しないものの、作業用車両には軌陸車と呼ばれる車種がある。これらはトラックなどをレール上でも走行できるよう改造したものである。ただし、レール上での駆動軸は鉄輪であり、ゴムタイヤ輪が動くことはない。また、駆動系統を新設することにより、改造には相応の手間がかかる。
  軌陸車@石狩月形

 さて、DMVである。バスをレール上でも走行できるよう改造した、という点では軌陸車と大差ない。しかし、概念が根本的に違う点が一つある。鉄輪は進路をガイドするだけで、駆動機能を有さない。駆動軸は、ゴムタイヤ輪である。
  DMV(ある御方より拝領)

 軌陸車とは異なり駆動系統を新設するわけではないから、改造はこの点ではより簡単である。その一方で、駆動タイヤ輪の幅を1067mm軌間に合わせるよう、台枠(シャシー)を寸詰めする必要がある。台枠の改造は事実上不可能だから、新製段階で対応するしかない。相当数の需要がないと、割高になってしまうかもしれない。

 ゴムタイヤ輪で鉄レール上を駆動すると、タイヤが偏って摩耗するのでは、との疑問も湧く。この点については対応策ができているようで、前輪は鉄輪支持のみでタイヤ輪は宙に浮いており、摩耗の心配はまったくない。後輪においても、荷重バランスが巧妙に調整され、タイヤ輪には充分な駆動力が得られる程度の荷重しか分担しないそうだ。

 むしろ問題なのは、荷重が軽いことにより、踏切検知装置が正確に働くかどうか不安が残る点にあるが、これについては既にLEカー大量導入時(特定地方交通線の転換時)に解決されてきた実績があるから、その応用と考えればさほど難しくないだろう。

 そもそも、このような車両の導入が必要なのか、という疑問もある。週刊文春には、
「関係者の熱意も相当なもの。『道路が非常に整備されている自動車王国・北海道なのだから普通に走ればいいのでは』という素朴な疑問はとても口にできませんでした」
 と記されている。この揶揄するかのような文体は措くとしても、疑問じたいはもっとも至極であって、誰もが同感しうるものであろう。実は筆者も、同じ疑問を持った。

 ところが、需給調整規制が撤廃された今日においても、JR北海道には路線廃止を推進できない事情がある。もともとの国鉄改革(分割民営化)スキームの考え方は、幹線区間もしくは経営安定基金から得られる収益をもって一定のネットワークを維持する、というものである(※)。上砂川支線と深名線までは廃止できても、では今後はとなると、対象路線があまりにも多すぎ(*)、沿線自治体からの理解は得られないだろう。

※筆者はこの考え方には問題が多く、分割民営化後に経過した時間を考えても、そろそろ修正すべきであると考えるが、現実に修正するとなると相当な社会的軋轢が生じると想定されることから、ここでは一応動かしがたい条件として受容している。

*留萠・根室(釧路以東)・釧網・日高・札沼(北海道医療大学以北)・江差・石勝支線・富良野・室蘭(沼ノ端−岩見沢間)・函館(長万部−小樽間)などが想定される。ごく冷静に考えれば、宗谷や石北でさえ危ない。なお週刊文春記事によれば、利用者数 500人/日未満の区間が 800kmにのぼるそうだ。

 客観的に廃止する方が適切であるほど利用者が少ない路線を敢えて維持していくためには、コスト削減を究極的に推進していかざるをえない。ここで問題となるのは車両コストの高さで、LEカーなどのローカル輸送対応気動車は1車両1億円程度の新製費を要するといわれている。これに比べて、DMVの新製費は1,500〜2,000万円程度とされており、車両の寿命が半分しかもたないとしても、かなり安価である。ほんとうにその程度の費用で新製できるのならば、その一点だけでもDMVには充分価値があるといえる。

 DMVが実用化に至るかどうか。JR北海道の試みからは目が離せそうにない。

 

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