業務上責任を持つプロに必要なこと

 

TAKA  2005年 3月23日

 

 

 私は車にETCを付けていないので料金所を高速で通過したことがありません。なので今回の「ETC料金所での収受員の事故」はピンと来る話ではありませんでしたが、良く考えてみれば恐ろしい話です。数十km/hの速度で人がいない筈の高速道路を走行中に突然飛び出してきたら果たして避けられるでしょうか? 私には自信がありません。その点でいえば私も「業務上過失致死の犯罪者」になる可能性があることになります。

 そう考えるとこの内容は非常に恐ろしい話ですが、その前に大いなる疑問です。一体ETC料金所の収受員はどのような教育を受けていたのでしょうか? 前に他でエル・アルコン様が御指摘頂いている「国土交通省の指示」を見る限り、道路公団が下請けの収受員に十分な教育を行っていないと感じます。ましてや同種の事故で二回の指示ですから、道路公団・受託の下請・収受員に「教育不足」「安全意識の欠如」が有ると指弾されても致し方ないと考えます。

 

 一般論として、例えば鉄道であれば「線路に絡む工事は原則夜間線路閉鎖時」でしかも列車見張り員・工事指揮者等がつきます。又保線等で昼間行う時にも、列車見張り員・工事指揮者等が付いて十分列車を監視しながら行います。ましてや作業員に線路閉鎖していない段階でのむやみな線路横断などは余程の事が無い限り行わせません。それは鉄道を運営する人間や下請けで鉄道工事をする人間には「常識」であり、末端の職人にまで教育されている内容です。

 翻って今回のETC収受員の場合はどうでしょうか? 通過する事が認められているETC料金所は、高速本線や鉄道の線路と一緒です。確かに仕方なくその区間に入る場合も有るでしょう。その様な場合の備えは万全だったのでしょうか?

 例えば高速道路本線での落下物回収の場合、当然ですが危険を冒して本線に入り落下物を回収しなければなりません。私も見た事が有りますが、その様な場合「発煙筒を焚き」「二人一組で」「一人が周囲の監視と注意喚起の旗を振りながら」落下物を回収しています。このような対策がされていれば、「危険な作業(但し必要な作業)」であるのは明らかですが、安全対策は取られていると言えます。

 それに対して、今回のETC収受員は「監視役が付かず一人で車線を横断していた」「指定通路部分を横断していなかった」等、走行車線に準ずるETCレーンを横断するにしては、あまりにお粗末です。ましてや「和歌山の例」ならば、鍵を取りに行くだけですからもと来た安全な地下通路を通れば、安全に横断する事が可能だった筈です。それにこれは推測ですが、横断した収受員が左右確認が不十分だった可能性も有ります(左右を確認していれば高速で走ってきたといえども車に気付くでしょう)。そこに「プロとしてあってはならない過失」があったといえるでしょう。

 

 世間一般の話で考えれば、「二度も国交省道路局長の通知」が出ているのに収受員への徹底がされていない、教育が不十分な料金収受会社がのさばっているということは、許されることではありません。そこに一連の事故について道路公団の怠慢が招いた人災(しかも被害者は収受員と運転者の双方)と指摘されても致し方ない状況があることは否定できません。

 少なくともこのようなことは、「運転手の責任(今回の判決の場合は速度超過と前方不注意で業務上過失致死)」も確かに問われなければならないです。しかしそれ以上に、国交省が二回も通知を出す形で指摘している道路公団の「プロである道路管理者の過失」についても、それ以上に指弾されなければならないものであると思います。その点は(今回の場合)世論も声を大にして主張し道路公団に「もっとプロの意識を持ち信頼性を回復せよ」といわなければなりません(本来なら国交省は「通知」でなく「業務改善命令」でも良いのでは?)。

 「高速道路を走っていたら何も警告無く突然道路公団職員が自分の前に飛び出してくる」という恐怖、不特定多数の人々が運転しながら走る高速道路では尚更の恐怖です。運転車は道路公団にとってはお客様なのです。そのお客様にそのような恐怖を与えながら、利用してもらいお金を払ってもらっているという異常事態の重さ、利用者のプロに対する信頼を失ったことの重さを道路公団は肝に銘じるべきです。

 

 また、「速度超過」「前方不注意」の過失で業務上過失致死に問われ「判決」で執行猶予付きの有罪判決が出たとはいえ、運転のプロ(免許保有者)は、冷静に見て少ない過失で有るのに有罪に問われ罪が宣告された事実を、道路管理のプロ(道路公団・運賃収受会社・運賃収受員)は重く受け止めるべきです。道路交通法では運転手はプロとして扱われ、なにかあれば業務上過失が罪として問われます。今回の場合はどちらもプロとして扱われるべき人で両方に過失が有るのに、運転手片方だけが過失に問われています。

 運賃収受員が死亡している以上、運賃収受員を罪に問う事はできませんが、その管理者たる道路公団は何の罪にも服していません。道路管理者のプロたる道路公団の管理責任も一端にあり、この運転者は優位な未来を棒に振ったのです。この罪の重さに日本道路公団は強く反省しなければなりません。

 それに三回のETCブースでの死亡事故について国土交通省道路局長名で「 9月11日12月21日」の二回の通知が出ていますが、二回目の通知では「今回の事故の状況報告によれば、収受員の行動は料金所における安全確保の意識に欠けるものと見なさざるを得ず、 9月30日に報告された内容(料金徴収業務を行う会社における安全教育の実施状況、「料金収受業務処理要領」等の遵守状況に係る総点検)が達成されていないと考えられる 」とコメントされています。これは国土交通省道路局が公団が管理責任を果たしていないと認めたことになります。

 このように管理責任が果たされていないと認めながら、国土交通省・警察・検察がその管理責任について公的な踏み込んだ責任追及をしてこなかったことも問題です。もし12月21日の段階で踏み込んだ責任追及をしていれば、道路管理者・収受会社・収受員も気を引き締め2004年 6月の三回目の事故は発生しなかったかもしれません(三回目事故当事者の阪神高速は前二回とも指示を受けている)。そう考えると管理責任を追及しなかった方にも問題があったと言えます。

 

 それに「司法の判断に疑問を呈する」意見だけを封じ込めるような、如何なる動きも如何なる発言もされるべきではありません。司法判断が出たとしても、間違えているものは間違えているのです。意見に裏付があり、名誉毀損等の違法性が無く正等かつ合法の範囲であるなら発言は認められるべきものであり、言論の自由がある日本なので抑圧されるべき物ではありません。

 言論において批判と非難と少数意見を無視することは「民主主義の自殺」を意味します。行政であれ司法であれその判断が非難される事を避けてはなりません。立法は選挙で国民の審判を受けますが、行政・司法は特定の例を除き国民の審判を受けません。ですから尚更批判であろうと非難であろうと少数意見であろうとその意見に少なくとも少しでも正当性が認められる物に関しては、非難に聞く耳を持たなければなりません。

 そのような意見が大きければ、2003年12月の段階で国土交通省・警察・検察を動かし、道路管理者の管理責任追及が行われ三回目の事故は防げたかもしれません。その様な事から考え、今までその様な意見を言われた方に敬意を表すると共に、今後とも我々も意見は意見として発言し、行政・司法はそれを法と世の常識に照らし合わせて正しい判断すべきです。また行政・司法がそうすることを強く求めるものです。

 

 

 

 

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