神岡鉄道挽歌

 

エル・アルコン  2005年 4月14日

 

 

 岐阜県最北部、平成の大合併で飛騨市となった旧神岡町から富山県猪谷を結ぶ神岡鉄道。1984年に旧国鉄神岡線から第三セクター鉄道に転換されて今日に至ってますが、今、存亡の時を迎えています。

 もともと第一次転換対象となるほどの輸送量しかない(旅客は 416人キロ)路線が第三セクターとして存続したこと自体が異例ですが、これは神岡にある神岡鉱業(三井鉱山系)の亜鉛精錬に伴い産出する濃硫酸輸送が主目的だったという事情があります。このあたりは県南部の第三セクター鉄道の樽見鉄道と似ており(住友大阪セメントのセメント輸送)、第三セクターといいながら、荷主である神岡鉱業の親会社である三井鉱山が過半数を占める筆頭株主という異色の資本構成になっています。

 この神岡鉄道、貨物収入が売上の8割を占めており、神岡鉱業が安泰である限りは将来が約束されていたはずでした。事実、1966年の国鉄神岡線の開通、さらにそれ以前の軽便鉄道時代から神岡は亜鉛鉱山の町でしたが、鉱山が閉山しても輸入鉱石の精錬業として事業を継続しており、産業構造の転換を凌いだはずでした。

 ところが、神岡鉱業がタンク車の老朽化を理由に濃硫酸輸送のトラック転換を決定し、2004年10月に全面的に転換しました。その後もタンク車の回送運用が週1回行われたものの、年末には全廃となり、現在は1日9往復(うち2往復は神岡鉱山前−奥飛騨温泉口の区間運転)の旅客列車のみの運行となっています。

 もともと旅客輸送に限定すれば第三セクター転換鉄道では最下位レベルの輸送量しかない路線であり、車両も「おくひだ1号」「おくひだ2号」という独自デザインながらキハ20系の発生品を使用した車両が2両あるだけという規模は、いかに貨物輸送に頼りきっているかを現しています。

 

 

●神岡鉄道に乗車して

 2004年秋の新潟県中越地震で被災し、単線運行が続いて線路容量が足りないことから長らく運休していた急行「能登」と寝台特急「北陸」ですが、2005年 2月から週末を中心にほくほく線経由で臨時急行「能登91号/92号」として運転されるようになりました。

 結局上越線の復旧が進み、 3月25日から「能登」「北陸」の運転が再開され、地震前のように長岡経由で運転されており、ほくほく線経由での運行はうたかたのように消えましたが、その短い運転期間の最末期に「能登91号」に乗り、 6時前の富山に降り立ち、高山線の一番列車で猪谷に向かいました。

 高山線も2004年秋の台風23号による風水害で飛騨古川−猪谷間が壊滅的な被害を受けて長期運休中であり、代行バスの接続もない始発列車は猪谷や神岡までの利用に限定される、と思いきや、キハ120 単行の車内は20人以上の乗客で賑わってました。

 朝帰りよりも東京観光帰りという感じではありますが、速星や越中八尾で降りる人が多く、富山駅で「北陸」「能登」再開の告知ポスターが大きく掲出されていたことと合わせると、東京で目一杯遊んで帰ってくる流動が多いんでしょうね。池袋からの夜行バスや、東京ではなく大阪からの夜行バスという可能性もあり、「能登91号」の乗客かは定かではないですが、考えさせられる流動形態です。

 かつては富山地鉄が来ていた笹津を過ぎると乗客は私だけ。これも驚かされます。

 朝霧に沈む猪谷に着くと程なく神岡鉄道ホームに「おくひだ1号」が到着。人気のない駅舎でこのあと乗ることになる高山線代行バスの時刻と停留所を確認して、時間はありますが、早々に車内に移動します。

 乗ろうとすると若者が降りてきましたが、富山行きの発車まで間があるのでゆっくり降りて来たのかな、と思うと、この若者が運転手でした。別に偏見を持つわけではないんですが、最初男女の別も定かでないような風体だったのですが、考えて見れば定年再雇用がスタンダードの三セク鉄道で若い運転手というのも意外といえば意外です。ただ、若年者雇用の受け皿というにはあまりにも事業規模が小さいのが難点です。

 人気の無い車内をひとあたり眺めますが、神岡方に名物の囲炉裏コーナーがあります。自在鉤が下がり鉄瓶が炭火に掛かって、と言いたいところですが、長大トンネル区間を抱える鉄道車両の車内ゆえ、「炭火」は赤い豆電球を内蔵した五徳になっており、まあ「雰囲気」というところですが、同じ「コ」の字型の座席配置でも、阿佐海岸鉄道の車両のように華美なイメージは無く、素朴な印象で、神岡鉄道グッズや地元の宣伝チラシが貼られているのもローカルらしさが出ています。

 結局私一人で 7時10分に発車。終点の奥飛騨温泉口までそのままでした。

 雪に埋もれた高山線を分け、神岡に進みます。ちょうど R41とR360の分岐では「宮川まんが王国までは行けます」という看板がありましたが、杉原、打保経由の代行バスが開始されているということは途中で通行止めではないはずです。実は後でここを代行バスで通過した際、まさにこの看板の撤去作業が行われていましたが……

 猪谷を除けば総て飛騨市神岡町域に属するのですが、その神岡の中心までは山また山で、長大トンネルで越えて行きます。時折ある明かり区間から見える渓流は綺麗ですが、それもわずかな間で、景色を売り物にする観光鉄道にもなれない苦悩が見えます。

 24分で神岡鉱山前。対岸に操業中の神岡鉱業の事業所が見えますが、そこへの引込線跡は雪の中。旅客用ホームは1面1線の交換不能駅ですが、貨物列車運転の関係で閉塞が切ってありここでスタフ(タブレット)交換になります。

 ここからは神岡町内を終点の奥飛騨温泉口まで進みますが、先程までの駅間距離と長大トンネルがウソのように、開けた町内にこまめに停まり、終点の奥飛騨温泉口は 7時41分に着きました。

 小銭がなく1000円札を両替しようとしたら、新札を受け付けず、例の運転手が旧札と交換してくれましたが、このときの会話でようやく男とわかった次第です。

 

 

●売り物はあるのだが……

 奥飛騨温泉口駅は本社社屋を兼ねたログハウス調の観光センターになっていました。ほどなく平湯温泉行き(栃尾温泉で新穂高温泉行きに接続)のバスが来ましたが、中型車に乗っているのは地元のおばさんらしき 1人のみ。軒下で高校生くらいの女の子がしきりに携帯で喋ってますが、バスに乗るでもなく、列車に乗るでもなく、迎えが来るでもない状況にはなぜ駅にいるのか謎です。

 神岡といえばスーパーカミオカンデ。となるとノーベル賞の小柴博士ですが、ここの建設から携わった高エネルギー加速度研究機構長の戸塚洋二氏も2004年度文化勲章を受賞しており、その受賞を祝する張り紙が各駅にありました。

 雛には稀なと言うと失礼ですし、たまたま研究施設があったからと言うともっと失礼なんですが、神岡レベルの街で文化勲章受賞者 2名(うち 1名はノーベル賞受賞者)と縁があるというのも驚くべき話であり、かつ、他のローカル線を抱える街には絶対に無い特徴でもあるわけです。とはいえ、物理学を観光資源に出来るかどうかとなると難しいわけで、もしくは常設の学会を誘致することで入り込みの基盤を築くことは出来ないものでしょうか。

 しかし現状はというと、猪谷を除く駅が 7つということで、各駅に七福神を祭るくらいしか目玉がないわけで、国鉄時代の「神岡」から「奥飛騨温泉口」と改称はしたものの、栃尾温泉を経て新穂高温泉、新穂高ロープウェイ、平湯温泉といった我が国第一級の観光地である北アルプス観光のゲートウェイとしては機能していません。

 実際、過去の時刻表を見ても、国鉄時代、転換直後を経て今日に至るまで、富山方面からの入り込みに配慮したダイヤが組まれているとは言い難く、クルマでの入り込みルートと一致しているのに活用できなかったわけで、現在に至っては、富山 6時過ぎの始発からの接続を逃すと、猪谷で栃尾温泉方面の接続があるのは、富山10時26分発から乗り継いだ奥飛騨温泉口で小一時間待って12時43分のバスでは日帰り観光にもならないわけで、宿泊の入り込み時間帯はまあ設定があるとはいえ、冗漫な接続と合わせて厳しいです。

 広域集客もさることながら、神岡町内にある割石温泉が沿線にある、とはいえ鉄道はトンネル、温泉は地上では如何ともし難いとは言え、濃飛バスを介して鉄道利用を訴えると言うような地道な対策もみえませんが、このあたりの「ぬるさ」も、貨物輸送からの収入に依存しきっていた影響かもしれません。

 

 

●見えない展望

 食券用券売機の流用のような券売機で猪谷までの乗車券を購入して帰路につきます。

 帰りの車中は地元の中高年層がそこそこ乗ってきた、といっても10人いるかいないかというレベル。結局駅の配置を見ても分かる通り、神岡町の市街から猪谷、というか富山を結ぶ「都市間流動」に特化していると言っていいでしょう。猪谷で乗り換えますが、県境を越えた富山県細入村との流動が多いとも思えず、富山、もしくは八尾への流動でしょう。とはいえ絶対数が少なく、流動の性格付けを云々出来るレベルでは無さそうですが。

 このあたり、貨物輸送があるだけに猪谷でJRと線路は直通しており、分岐駅の費用分担問題から線路を切ってしまって直通が出来ない他社とは違います。ですから鳥取の若桜鉄道のように、郡家から因美線に直通するようなスタイルであればまだ利便性を訴えられたんでしょうが、これも旅客輸送を最小限の規模に絞っていた神岡鉄道の方針とは相容れないわけです。

 ただ、結局は旧神岡町、飛騨市は岐阜県であり、県境を越えた富山県と結ぶ神岡鉄道が流動に即した経路だったのか。 R41を行く濃飛バスの神岡−古川−高山線が神岡発 8本、高山発10本を数えており、実際の利用数はともかくとしてメインの流動はこちらということは容易に分かります。

 実は神岡から富山へのバス路線もあるのですが(濃飛、富山地鉄の共同運行)、 4往復に過ぎず、一目瞭然です。  旅客数が極小の神岡鉄道ですが、冷静に考えると富山と高山、岐阜を結ぶ飛騨路の幹線道路である R41が通り、栃尾温泉、平湯温泉方面へのR477が分岐する要衝であり、それなりの流動はあるはずです。そう考えると、導線に合っていない鉄道では如何ともし難かったというところでしょうか。

 

 

●最後のひと華も咲かず……

 さて猪谷に戻り、濃飛バスの車両による「高山本線代行バス」で飛騨古川に抜けました。沿線の被害状況は想像を絶する規模で、河川改修がなされないと道路、そして鉄道復旧に手が付かなさそうと言う点では、集中豪雨により 2年以上も不通だった大糸線と似ています。しかし道路の状況は大糸線よりも悪く、長野五輪対応で復旧できたともいえる大糸線と違い、復旧そのものが達成出来るかも不透明です。

 この不通区間に平行するR360ともども寸断されたわけですが、上述の通りこのエリアの基幹道路は神岡を経由する R41なのです。そのため、不通になった当初はR360も通行止だったため、R41経由で代行バスが設定されていました。

  3月 1日からR360経由の代行バス運行が可能になったため、 R41経由の代行バスが無くなったわけですが、特急「ひだ」が運休し、飛騨と北陸を結ぶ幹線公共交通が白川郷経由で金沢と高山を結ぶ特急バス 2往復しかない状態を鑑みると、ローカル輸送に徹するのもいいが、 R41経由で高山(古川)と富山、せめて猪谷を結ぶバスを設定して広域流動に対応して欲しいものです。

 実は時刻表に掲載されていない R41経由の代行バスが 2往復設定されているのを猪谷駅の表示で確認していますが、古川駅にはそれが無いわけで、うがった見方をすれば、代行バスを設定しているのはJR東海であることから、猪谷から他社区間になるルートよりも、自社区間が長い岐阜経由で迂回して欲しいという営業政策すら感じられます。もともと高山以北では富山経由で首都圏や関西圏に出るという利用形態がそこそこあるエリアですし、不通の長期化は不可避な状況(仮設道路が線路と交差する区間では線路がアスファルトで埋められている)ですから、富山方面への対応をもっとしっかりしてほしいです。

 こうした状況を考えた時、神岡鉄道の活用は出来なかったのでしょうか。猪谷をスルーしての乗り入れはともかく、貨物列車の設定もなくなって容量が空いている路線に臨時列車を設定して、飛騨神岡で R41経由の高山へのバスと接続するのです。

 しかし、現状のダイヤを見ると、猪谷からで使えるのは 5本だけ(飛騨神岡の待ち時間は46・ 3分・10・36・31分待ち)で、高山発は 4本のみで(同じく22・ 2分・25・27分待ち)、しかも 2分前、 5分前に列車が出てしまうケースがあと 2例あるのでは話になりません。

 すでに筆頭株主の三井鉱山が、基金が尽きた時点で廃止と明言している神岡鉄道です。一方で高山線が長期間の不通を余儀なくされているわけで、その有終の美を、高山線復旧までの間の飛越連絡ルートとして全うすることで飾らせてやりたいですし、それが一番手軽な代替ルート確保だと思うのですが。

 

***

 神岡鉱山の専用線的な存在だった神岡線、そしてその継承者の神岡鉄道は、その鉱山が「専用線」を必要としなくなった以上、その命脈が尽きるのも致し方が無いところです。強いて言えば、精錬の副産物である濃硫酸輸送を R41で実施することへの懸念があるわけですが、かつての美祢線の石灰石輸送のような規模でもないわけで、改良が概ね済んだ R41を使った道路輸送に転換した時のリスクは案外と無いのでしょう。

 しかし、その経営がまさに「専用線」であることに傾注したがゆえに、決して少なくは無い地域、広域流動の取り込みを意識せず、バスとの連携もいま一つだったことを考えると、やり方次第では別の展望もあったのかもしれないと思う時もありますが、早晩同じ結果が出ていたと考えるしかないのも辛い話です。

 願わくばその「最終幕」を高山線代替ルートという舞台で飾らせてあげたい。それがこの地味な「専用線」を長く人々の記憶に留める最後のチャンスではないでしょうか。

 

 

 

 

※ブラウザの「戻る」ボタンでお戻りください