「阪神スタイル」から「野球論」を展開する



和寒  2005年 7月23日





 交通を論じるべきこの場において、鉄道会社の経営という共通項をもって、些か強引に野球論の領域に踏みこんだ拙論はいわば「変化球」だったわけですが、かくも多くの展論があったことに驚き、かつ嬉しくありがたく思っております。

 その中で、とも様及びTAKA様二本目の論で「阪神スタイル」に言及されたのはたいへん興味深い、と受け止めております。私自身は KAZ様と同じく、とも様及びTAKA様の「阪神スタイル」評価は過褒にすぎるのではないかと考えます。しかし、阪神タイガースに素材を求める論にしたことじたいが、極めて示唆的、かつ象徴的であるように思われてなりません。

 そこで、さらなる展論を試みてみました。今度は「変化球」どころではなく、ほとんど野球論にしか読めない展開になると思いますが、御笑覧ください。



■「阪神スタイル」は野球経営の典型

 阪神電鉄本体の経営はとりあえず措くとして、阪神タイガース球団の経営は拙論でいう「悪しきオーナー制」の典型ではないでしょうか。在京某二球団ほど極端ではないですが、報道される言動から推し量る限り、阪神タイガース球団のオーナーもかなり個性的、かつ相当に頑固そうです。これはどの球団にも共通することですが、衆議により得られた経営戦略よりむしろ、一オーナーの意向が優先されるという意味において、オーナー制の弊害の典型と評さざるをえないと考えます。

 阪神タイガース球団と電鉄ほか関連企業の経営がうまくリンクしている現状は、確かに良好なものといえます。ただしそれは、敢えて酷評するならば「たまたま結果的にうまくいっているだけ」であって、最初から明確な意図を有する経営戦略が存在しているものか、極めて疑わしいものがあります。その結果に対し、「どうだ私の先見の明は」と誇る誰かの高笑いが聞こえてくるようだ、としては穿ちすぎでしょうか。



■それでも「阪神スタイル」は(やや)正しい

 ここでの「阪神スタイル」とは、甲子園球場を訪れる観客ほか、阪神タイガース球団を応援するファン層の行動様式を指します。昭和60(1985)年優勝時から既にいわれていたことですが、スポーツ紙の表紙見出しを「阪神」「タイガース」「虎」とすると、部数が必ずしも伸びなかったそうです。そのため、多少無理筋でも、ファン層からの支持が多い選手名を見出しに掲げる傾向があったといいます。「岡田」「真弓」「神様仏様バース様」の三者は特に人気があったと聞きます。見出しにはなりにくくとも「代打職人川藤」なども渋い脇役でした。

 今日でも、例えば「金本兄貴」という表現に見られるように、特定選手が絶大な支持を受ける傾向は残っているようです。平成15(2003)年優勝時には「男星野」と監督が支持を受けました。監督といえば、野村監督はあまり支持されなかったようですが、その理由の一つには人気選手を使わなかったことがある、という説すらあります。
(野村監督は先に日本経済新聞「私の履歴書」を執筆されたが、その現役選手の個人名を挙げ批判しておられた。たとえその批判が正当なものであろうとも、まだ時間が充分経過していないことを考えれば、品位ある行為とはいえない。監督時代に強い支持を受けられなかった理由を、御本人が自ら露呈させたという意味において、貴重な文献である)

 野球に限らず、スポーツには必ず勝ち負けが伴う以上、勝つ、さらに勝ち続けることは、人気を支える大きな要因であることは間違いありません。しかし、勝利・優勝だけが全てでないことは、「阪神スタイル」、即ち特定選手を支持してそのプレイスタイルを楽しむ、というあり方が示唆していると思われます。この「阪神スタイル」は、野球本来の楽しみ方に(やや)近いのではないでしょうか。

 ここで(やや)と日和った表現にしているのは、野球のプレイスタイルというよりも、選手本人の人物像としての個性や性格を支持する傾向もまた認められるからです。一例として挙げれば、他球団ですが「清原番長」ファンが典型的悪例でしょう。野球選手としてのプレイの質よりも、粗暴な印象を与える個性が支持されるのは本末転倒というもので、その傾きがあるゆえに(やや)と留保せざるをえない面があります。



■強いチーム・人気のあるチーム

 昭和40年代に、読売ジャイアンツ球団は9連覇を果たしました。同じ球団が勝ち続けるというのは、観客に倦怠を招く危うさが伴うわけですが、「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉に象徴されるように、絶大な人気を獲得したという意味でも偉業を成し遂げています。

 平成になってから、西武ライオンズ球団が黄金期を迎えます。つい先ほど野球殿堂入りした森監督の指揮のもと、圧倒的な強さを誇ったものです。その一方、人気にかけては年を追う毎に低下した観は否めません。実際のところ、観客動員数も減少し続けたようです。

 この両球団の違いはどこからくるのか。それはおそらく、森監督が「勝つ野球」に特化しすぎたことが原因でしょう。手堅く緻密で隙のない野球ではありました。しかし、見ていても、どうにも面白味に欠けます。

 個人的な経験でいえば、私は所沢球場にライオンズとホークスの試合を見に行ったことがあります。この時は確か大差の完封負け、いいところなく敗れた試合だったのですが、しかし鮮やかに心地よい記憶が残っています。なぜかというと、ホークスの投手、村田の投球が実に素晴らしかった。球速は常時 150km/h台で、打てる感じがまるでしなかった。私はライオンズの応援に行ったにも関わらず、ライオンズ選手の印象が残らないばかりか、逆に「ホークスには良い投手がいるな」と感心しながら帰路に就いたものです。

 森監督は、このように華のある選手を育ててこなかったきらいがあります。清原を厚遇する(※)あまり、走攻守三拍子揃った秋山の士気を削ぎ、FA資格取得直前のトレードに踏み切らざるをえなくなった事績は見逃せません。また、そのトレードでせっかく獲得した村田を、ほとんど二軍に置いたままで引退させた事績は、さらに理解に苦しみます。
※のちに伊原監督が松坂を厚遇し、西口を冷遇した現象と相似形。この両件の背後には、どうやら「悪しきオーナー」の影がちらつく。

 渡辺久信や郭泰源など、速球派が並ぶ投手陣はまさに第一級の陣容でした。これと比べ野手陣のレギュラーは、伊東・辻・石毛・平野など名選手が揃っていたものの、プレイがあまりにも手堅く華に欠けます。清原はほとんど攻撃のみの貢献にとどまり、攻撃専門の指名打者デストラーデに至っては常に仏頂面、ファンに笑顔を見せる機会さえ少なかったものです。日本シリーズのバク転ホームインに代表される、見ていて面白い華のある場面は、秋山が一手に担っていた観さえあります。

 秋山がホークスに移籍した後、代わりに佐々木が加入したものの、緻密さ手堅さばかりが深度化し、華はどんどん失われていったと記憶します。
(今日の西武ライオンズ球団は、選手層がさらに小粒化しています。「おかわり君」こと中村が台頭してきたのは良い傾向としても、その体型から感じるに、同姓の「ホームランを打つだけで年俸数億円を稼ぎ高飛車な態度とあわせ顰蹙を買っていた」某選手を彷彿とさせるものがあります。その将来に暗雲を見出すのは杞憂でしょうか)

 強かったが人気は必ずしもなかった黄金期の西武ライオンズ球団と比べ、昭和40年代の読売ジャイアンツ球団は「強くて人気もある」という稀有な存在でした。私は幼少だったため記憶が定かではないですが、王・長島の球史に残る両雄はいうまでもなく、堀内などの投手陣、柴田・高田などの野手陣、いずれも個性的な選手が揃っていました。

 勝利・優勝という結果だけではなく、それぞれの選手のプレイスタイルに共感し、支持するというあり方が、当時の野球人気を支えていたのだと、私は考えます。そして、それを裏返していえば、今日の野球人気低迷は、支持しうる選手や共感しうるプレイスタイルが稀少化していることに起因するのではないでしょうか。



■野球の面白さを再認識させた選手−−それはイチロー

 近年では日本人選手が海を渡り、アメリカ・メジャーリーグに挑戦する例が多くなっています。その最初の例は野茂(※)ですが、多くの日本人に「野球ほんらいの面白さ」を再認識させたという意味において、イチローの功績は大きいと評さなければなりません。
※タンパベイ・デビルレイズ球団から戦力外通告され、 7月23日現在まだ浪人中。野茂を獲得する球団が現れるか、たいへん興味深い。

 日本人選手を応援したい、というごく素朴な日本人的心情は広く共有されうるとしても、では彼らが属するシアトル・マリナーズ球団やニューヨーク・ヤンキース球団などを応援する気になれるかというと、難しいところです。必然的に、それぞれの選手の活躍ぶりに着目することになります。

 ここでイチローが、素晴らしいプレイを続々と披露したことの意義はたいへん大きい。そして、そのプレイの良さを伝える英語放送が、日本のニュースでも伝えられたことが、日本人の野球観を変えたのではないかと、私は思っています。

 それを私が認識した最初は「Laser beam shot!」の絶叫です。走者一塁の場面で右前打、これを捕球したイチローは、三塁手のグラブにみごとドンピシャの送球、スライディングしてきた走者を待ち受ける形でタッチアウトしたのでした、……なんぞと回りくどく説明するよりも、「Laser beam shot!」と要約した方がはるかにわかりやすく、かつ面白い。実に軽妙なセンスです。

 つい最近では、ラバーフェンスによじ登ってホームランとなるはずの大飛球を好補し、「He is spiderman!」とナレーションが入り、ラバーフェンスに残ったスパイクの足跡が大写しになったという、なんとも楽しくなる放送も流れています。このようにワンプレイの面白さ・楽しさ・素晴らしさを再認識させてくれたのは、間違いなくイチローの功績といえるでしょう。



■野球のつまらなさを確立させた日本のマスメディア

 一点付け加えれば、イチローはアメリカに渡ったから長足の進歩を遂げたのではなく、日本にいた時にも同様のプレイをしていたはずなのです。しかし、日本人の手による放送でそれを認識できたでしょうか。野球選手としてのイチローの素晴らしさは、アメリカ人によって初めて発見されたとしても、決して過言ではありません。

 率直にいって、日本の野球放送はつまらないし、それ以上にくだらない。例えば、走者二三塁の好機では「ここで打者の○○は四番の仕事をしなければなりません」などと放送されたりする。これは実況でも解説でもなく、ただの人事評定にすぎません。「この場面では送りバントすべきですね」では、素朴な兵棋演習にすら至りません。そんな無駄口を漫然と垂れ流しているのが、日本の野球放送ではないでしょうか。

 日本のプロ野球ファン層のうち少なからぬ部分が、かくもくだらぬ御託には既に飽き、イチローに代表されるワンプレイの醍醐味に気づき、かつ希求し始めているというのに、微に入り細を穿つような繰り言を流すだけでは進歩がありません。このまま推移する限り日本プロ野球の長期低迷は必至といわなければなりませんし、没落という最悪のシナリオさえ見えてくるのです。

 有力選手がなぜメジャーリーグを目指すのか。それは、選手のワンプレイがその場面に応じて評価されることと無縁ではないでしょう。多大なリスクを冒しながらなお挑戦者が絶えないのは、単なる憧れだけでは片づけられません。日本とアメリカでは野球の楽しみ方そのものが違ううえに、野球選手の評価、そしてその評価からつながる社会的地位にも懸絶した差があることが、(潜在意識下である可能性もあるが)日本人選手に認識されているとみなすべきでしょう。

 酷評ついでに他のスポーツとも比較してみましょう。「スポーツナビ」のコラムを野球サッカーとで読み比べてみると、全般にサッカーの方が面白く、奥深く、そして内容が高度です。プロスポーツとしては野球の方がはるかに歴史が長いというのに、「野球論」はまるで育っていない。少なくとも、国内野球を扱った記事は貧相です。「サッカー論」が既に育ちつつあるというのに、この寂寞たる状況とは、マスメディアの責任に帰せざるをえないのです。

 このままでは、日本のプロ野球は廃れる一方です。解決策は、一見迂遠ではありますが、勝ち負けだけではなくワンプレイの面白さをアピールすることに尽きます。ドラフト改革はただの人事制度見直し、球界再編は「悪しきオーナー」掌上の遊びでしかないことを、ファン層はうっすら気づきつつあるのです。それより、野球場に足を運びたくなるような、面白く楽しく素晴らしいプレイを提供するのが大先決というものでしょう。



■蛇足ながら

 野球のワンプレイを楽しむあり方と「野球論」の関係は、実は「鉄道趣味」と鉄道趣味を基礎とした「交通論」の関係と相似形です。サッカーのワンプレイを楽しむあり方から「サッカー論」が育つまでに、広い世界を通じての知見を経ている状況とは、極めて対照的であり、懸河の隔たりがあると断じるべきでしょう。

 その詳細についてここで述べる必要は感じませんが、いずれ気が乗れば執筆する機会があるかもしれません。今はただ、以上のように展論するきっかけを与えてくれたとも様・TAKA様・ KAZ様に感謝申し上げる次第です。





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