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昭南神社跡ものがたり

1942年2月15日、英軍の降伏により、シンガポールは日本軍政下に置かれ、昭南特別市と称された。 「写真週報」にみる昭和の世相でその目次を検索すると、第235号の目次(1942年8月26日)に「捕虜も御奉仕昭南神社の御造営」と出ている。神社造営は1942年の6月頃


階段

始まり、鎮座祭は翌年2月に挙行された。 シンガポール国立博物館にあるシンガポール歴史ギャラリーでは、その鎮座祭の記録映画をエンドレスで見せている。


1945年8月15日に日本が連合国に降伏すると、日本軍は8月25日に昭南神社の昇神祭を行い社殿を爆破した。 62年後の現在、神社の廃墟は熱帯の樹木に覆われ、その跡地の所在地を知る人はわずかであるし、神社が存在したことも知られていない。


シンガポール島の水がめ地帯は、セントラル・キャッチメント・エリアと呼ばれ、マクリッチー、ロウアー・ピアス、アッパー・ピアスなどの貯水池とその周辺の主に二次林で囲まれた自然豊かな区域である。 昭南神社の跡地は、自由に行けない、大きな倒木が倒れたままになっているジャングルの中を片道2時間近く歩いたところにある。 今回マクリッチーの森を熟知した、熱帯雨林を専門とする植物学者の道案内で、昭南神社跡地まで行くことが出来た。


幸いにもヘビ、サソリ、ヒルには遭遇しなかったが、ラッタンのとげ、背が高く伸びたシダなどが体にひっかかるし、大小の倒木を何度もくぐったり、またいだりした。 そのような古い倒木にはダニが沢山いて、それが


昭南神社跡地

体や衣服につくと帰宅してから体がかゆくなると脅かされていたのだが、倒木になるべく抱きつかないように心がけたのでダニの被害も受けなかった。 アッパー・トムソン・ロードから公園のレンジャー・ステーションまで先ず歩き、トイレ休憩後、神社跡に向かった。


階段


マクリッチーの森を熟知した先生は道に迷わず、早足で進まれ、1時間半くらいで目的地に到着した。 貯水池の西端に近く、神社跡地の対岸はシンガポール・アイランド・カントリー・クラブのゴルフコースの一つ、
Bukit Location である。 英軍捕虜を使役させて作った石段、石垣などは破壊されずそのまま残っていたが、石柵は下に落ち、社殿があったらしい場所は、非常に狭く、写真で見たような神社の大きな建物があったとは想像も出来なかった。


最初の石段を上がったところにあった手水所(ちょうずどころ)では、大きな手水鉢とその下の敷石がきれいに残っていて、62年前にあった手水所の屋根も想像出来た。 誰かが訪れて残していったカップやコインが新しかった。鉢の中は水草、カエル、カエルの卵が平和な世界を作っていた。 左手方向は奥に向かう10段くらいの石段が続き、その上は本殿があったらしい広場のはずであるが、つる植物が垂れ下がった高い木々が茂り、倒木も多く、狭くて陰鬱な雰囲気であった。 荒れたまま放置された遺跡を見るのは気持ちの良いものでは無い。


手水鉢

手水所(ちょうずどころ)

手水鉢


マクリッチー貯水池を伊勢神宮の五十鈴川に模し、神橋と同様な橋が作られ、破壊後もその橋杭だけは残っていたという話だったが、神社側からは見つからなかった。 来た道を逆戻りしてアッパー・トムソン・ロードへ戻った。



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