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第9課

『エスペラント国の旅』改訂第二版 第9課日本語訳
アップロード2006/08/31



 今日は、イスラエルからのエスペランティストが私たちのグループのお客様です。彼らには、二千年の時を経てふたたびユダヤ国家 (注1) となった、彼らの、古くてそして同時に若い国について話してくださるようお願いしました。

 私の名前はヨセフ・シェメルです。私は地中海沿岸にあるテルアビブに住んでいます。
 旅行者にとってもっとも興味深い場所は、古代の大都市イェルサレムだと私は思います。とても美しい展望、独特な建築、そして三つの宗教にとって聖なる町としての雰囲気があるからです。
 旅行者の印象に残るのは、この国のバラエティーに富んだ風景です。緑の谷、森、オリーブの林と畑、そして大きな湖があるガリレア地方、人の体が水の中に沈まないくらい塩分が含まれた健康に良い死海、砂と岩と切り立った深い谷があるネゲブ砂漠、珊瑚(さんご)が特に豊富でエキゾチックな魚がいる紅海に面したエイラート市などです。
 小さな国イスラエルは、あなた方に、新しいものと古いもの、ユダヤ教徒および回教徒とキリスト教徒、海と砂漠、山と谷、東洋と西洋など、珍しい取り合わせをみせています。
 エスペラントという単語が広く知られている聖なる国へようこそ!

 テルアビブが2000年の第85回世界エスペラント大会の開催地として選ばれたことは不思議ではありません!

 私たちのグループの仲間ユーリイ・ゲルトは、最近イスラエルの旅行から戻ってきました。もしかしたら彼はなにか付け加えたいと思っているかもしれません。

 イスラエルのすべてのみどころの中で、今回はマサダ要塞(さい)、より正確にはその遺跡について述べたいと思います。ここ、行きつくことが不可能な岩のうえで、世界史の中でもっとも大きな悲劇のひとつが起きました。九百人の人びとが奴隷になるよりも死を選んだのです。九百人の人々がローマ人に降伏せず、自ら死ぬことを決断したのでした。彼らは自由をもっとも価値あることとして最後の一人まで戦いました。
 若い人が着ているスポーツシャツに、「マサダは繰り返さない」と書いてあるのをよく見かけますが、私はこの記述を長いこと理解できないでいました。のちにわかったのは、マサダが自由と勇敢さのシンボルというだけでなく、死と悲劇のシンボルでもあったということで、国際社会に認められたどの国家とも同じように、イスラエルよ滅びるな、ということなのです。

 私はハイム・ジスマンです。若いころ私はヴィリニュス (注2) に住んでいました。今はイスラエルに住んでいて、ブリキ職人として働いています。イスラエルには自然や歴史的な見どころがあるだけだけではなく、この国を花が咲き誇る庭園のように変容させた温かい心を持つ人々がいるということを知ってください。あなた方がイスラエルを訪ねるときには、そこでエスペランティストを見つけてください。そうすると彼らは、プロのガイドがあなた方に見せないようなこの国のことをあなた方に教えてくれるでしょう。今日は、私がどのようにしてアメリカの友人ノトケ(ネコというあだなの)をイスラエルにお客として迎え、私たちがどのようにしてかつて同じ町に住んでいた仲間と会ったか、ということをお話しましょう。

(LECIONO 9–1, p.91–93, 最終修正2006/08/31)

 NOTKE LA KATO — Avrahám Karpinoviĉ

アブラハム・カルピノヴィチ
猫のノトケ


 少し前に私は、ネコのノトケから、彼が来るという手紙を受け取りました。すでに二年来、私は彼から手紙らしいものはもらっていませんでした。アメリカ (注3) から来た人たちは、彼は元気だと話していました。彼は古鉄の商いで働き、たくさんのお金を稼いでいました。
 私はそのことを妻のゼハヴァに知らせました。正直言って、彼女はそのことであまり良く思っていませんでした。こんなこと、妻が何を理解できるでしょう。彼女がヴィリニュス (注2) の出身かって? いえ、イエメン人 (注4) です。しかし今では彼女は、ヴィリニュスのどこにだれが住んでいたのか、すべての人を名前で知っています。
 私はロード (注5) へ行きました。飛行機が少し遅れていたので、私は座ってそこでおきていることを見ていました。私がヴィリニュスのことを考え始めたとき、そこでの私の中庭を思い出しました。そこには十人ほどの若者がいましたが、私とノトケだけが残ったのです。戦争がある者たちを皆殺しにし、またある者たちは森で (注6) 殺されました。私とノトケは軍隊にいて、ベルリンまでたどり着きました。戦後、ある親戚がノトケを見つけてアメリカに行かせました。私はイスラエルに行ったのでした。
 ノトケは私の家には来ませんでした。彼は、ホテル代はもう払ってあると言いました。そしてイスラエルを見物するために数日間でかけました。もっとも旅行者はイェルサレム、ツファート、エイラートなどへ案内されるものですよね。彼が戻ってきたときには、ゴムのような足 (訳注1) になっていました。私は彼に何を見てきたか訪ねました。すると彼は答えて言いました。もちろん観てきたさ、南海の魚、イェルサレムの森、ダビデがサウロ (注7) から自分を隠した洞穴、そして明日はまた乗り物でみんな……
 そこで私は我慢しきれなくなってさけびました。
「君は人に会ったのか。君の友達と会ったのか。」
 彼は頭をうなだれて黙りました。
「君は、開く扉が五十もある国へやってきたんだぞ。それなのに、君は石を見るためにあちこち歩いている。」
 ノトケは自分を正当化しようとしました。
「でも日程がそうなんだ。もうそれは支払済みだし。」
 私は大声で続けました。
「どんな日程なんだい。君はサーカスで働いているのか。」
 数日後のこと、私が仕事から帰ると、ノトケがテーブルで私の妻ゼハヴァが作ったごちそうを食べていました。私はそばに座り、一言も言わずにブランデーをボトル半分飲みました。最後に私は彼にたずねました。
「ところで、今の君の予定は何だい。」
 彼は答えました。
「君んちでソファーの上に寝ることだ。」  そして私たちは一瓶を空け、彼は横になりました。
 それから私は彼にこの国のことを紹介し始めました。私たちが最初に訪ねたのはハイファのハチェでした。ハチェは港で働いています。彼の妻は、ジャガイモとレンズマメ、それからニンジンのマッシュを付け合せた肉料理など、ご馳走(ちそう)をすべてテーブルに広げてくれました。ノトケは上気しました。彼はもう何年もそれを目にしていなかったのです。
 そこから私たちは小さな飛行機で、ザムケを訪ねていきました。彼はナハリオのそばにガソリンスタンドを所有しており、自動車の運転手相手にカツレツを揚げています。ザムケは、私たちの訪問にどうしていいのか分かりませんでした。彼は私たちと別れたがりませんでした。しかしそれは一瓶の混ぜ物があるブランデーで終わりました。涙がノトケの目から流れました。彼の中にネコが目覚めたのです。その時になって、彼は良き友と共にするグラスの味を感じ始めたのでした。
 朝、私はこの客人にたずねました。「ザヴァルナ通りのポーターのキヴケとザメレがどうやってネゲブ砂漠を掘っているか見たいと思わないかい。」
 私たちは服を着てベール・シェヴァへ出かけました。私たちはそこで彼らだけでなく、以前ヴィリニュスに住んでいた技師のブロイデにも会いました。私たちはとてもよい時間を過ごしました。ノトケは周りのことすべてを知りました。そしてみんながそこでどんな取引をしようとしているのかを知りました。ブロイデは彼にすべてを詳しく説明しました。ノトケを納得させるのは簡単ではありませんでした。彼は、自分の考えではそこは砂が多すぎるのだ、と非難しました。もし、技師のブロイデがノトケを制止して、建設したり掘ったりする前にすべてを計算している、といって間に入らなければ、みんなは激しく議論したでしょう。それでも私たちは友好的に分かれました。
 夕方、ノトケは深く思案して座っていました。彼は言いました。「僕は故郷が、ヴィリニュスが恋しくなった。」
 突然ゼハヴァが話し出しました。
「私のおじいさんの思い出はありがたいわ、私たちに悲しみは偶像崇拝だと教えてくれたんです。ヴィリニュスについて思い出してごらんなさい、あなたたち二人とも楽になるわよ。私もその町について話を聞くのが好きだわ。ハイムは私にその町についてたくさん話してくれたもの。」
 ゼハヴァは、通りや人々のことを覚え始めていました。ノトケは打って変わりました。ノトケがすでに長いことその名前を忘れていたヴィリニュスの様子や場所についてのおしゃべりが始まりました。閉じたトランクのように、ゼハヴァの頭の中にすべてがどのように守られていたのか、私自身も驚きました。その夜、私たちが青年だったころのことを私たちにだんだん思い出させたのです。
 次の日、ノトケは私に自分の心を打ち明けました。彼は本当にとてもたくさん稼いでいますが、世界の片隅にたった一人でいるのです。結婚するのはたやすいことですが、彼がその言葉を言える相手は誰もいません。
 私は彼を説き伏せました。
「僕らのところへ来いよ。君は生き返るよ。」
 彼は肩を上げました。
「そうだな、でも商売があるんだ。どうやって全てを捨てられるというんだい。第二に、それはアメリカにあるんだぜ。」
 ノトケを見送りに来ない者がいるでしょうか。早朝から国中のいろいろなところから訪問客が訪れ始めました。みんなはいっぱい詰まったポットをテーブルに持ち寄りました。ノトケは婚約者のように座って、それぞれの人と乾杯をしました。誰かがヴィリニュスの原木運搬人の息子、ヒルシュルを思い出しました。ノトケは飛び上がりました。
「ヒルシュルがこの国にいるのに、君はこのことを僕には言わなかった! 僕らは一緒に教育を受けたんだよ。どこで彼に会えるんだい?」
 みんなが大笑いしました。ヒルシュルのところへ行くのはあたかも王のところへ行くようなものです。彼は国防省にいます。彼は大きな星なのです。彼は今はツヴァイと名乗っていて、陸軍大佐でした。
 私たちは三人連れでちょっとの間お客をそのままにして、乗り物ででかけました。もちろん、私たちがヒルシュルのところへ直接行くことは許されませんでした。その時フロイケが、ブリキ屋のハイム、ネコのノトケそれにひな鶏のフロイケ、ヴィリニュスから来たみんなが下にいるぞ、と鶏のように叫びました。私たちのためにすべてのドアが開くのに、一分とかかりませんでした。ヒルシュルはこの訪問をとても喜びました。彼は過ぎ去った年月をわれわれに思い出させました。ノトケは大きなハンカチを取り出し、ふたたび彼のそばで涙をこぼし始めました。
 家へ帰る途中、ノトケは手を伸ばしました。
「ところで僕は君たちになんていったらいいんだろう。もしみんながこのために今まで生きてきたなら、本当に聖書の中のことのようだ。」
 私は一人でロード (注5) へノトケを送っていきました。そのように彼が頼んだのです。乗客たちは準備をするように言われました。ノトケは肩をかがめて両手で私を抱き、泣き始めました。私も泣きました。
 ノトケは目をぬぐってあたりを見回して言いました。
「君が言っていることは、ハイム、それは国家なんだ!」
 私は彼に何も答えませんでした。彼にはもう十分に話しました。私たちみんなと同じく、彼もここに居ていいのです。
 ノトケは去って行きました。

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出典:
Moŝe Savir
SALATO
モシェ・サヴィール『サラダ』
(イェルサレム,1984年)
P. 113–126. 短縮

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 世界は常に進歩しているでしょうか。いや、少なくとも社会的道徳的な面での進歩は滞り、後退さえしていると思われます。ではこれから、愛国心と似非(えせ)愛国心、民族主義と排他主義についてルドヴィコ・ザメンホフが心から搾り出した炎の言葉を、大きな驚きをもって再読しましょう。彼はこれらを約百年前の1907年に述べました。しかし今日、それらは現実以上に響きます。それぞれの文 (注8) をよく考えてください。世界は本当に根本的に変わらなかったのでしょうか。

(LECIONO 9–2, p.94–95, 最終修正2006/08/31)

 PATRIOTISMO KAJ PSEŬDOPATRIOTISMO — Ludoviko Zamenhof

ルドヴィコ・ザメンホフ
愛国主義と似非(えせ)愛国主義

 ……私たちがしばしば耳にしなくてはならない二番目の咎(とが)め立ては、私たちエスペランティストが悪い愛国主義者であるということです。エスペラント主義を理想としているそれらのエスペランティストたちは、人々の間のお互いの正義と兄弟性を宣伝しているから、また、人種的な排他主義者の考えでは、愛国主義が私たちに属さないすべてのことに対する憎しみの中に成り立っているから、彼らの意見によると、私たちは悪い愛国主義者であり、エスペランティストは自分の祖国を愛していない、ということです。この偽りで卑怯(ひきょう)で中傷の濡(ぬ)れ衣に対して、私たちは最大の力で抗議をし、私たちの衷心を持って抗議します。人種的な排他主義である似非(えせ)愛国主義が世界のすべてを破壊するこの共通の憎しみの一部である一方、本当の愛国主義は、すべてを構築して保持し幸せにする大きな全世界的な愛の一部なのです。愛を説くエスペラント主義と、同じく愛を説く愛国主義は、お互いに全く敵対するものではありません。誰でも私たちにどのような愛についても話をすることができますし、私たちはその人に感謝して耳を傾けるでしょう。しかし、国際間だけでなく自分の祖国内で他の人に対して常に人をそそのかす忌まわしい憎しみの代表者、そして暗い怪物の排他主義者が、祖国に対する愛について私たちに話すときには、私たちは最大の怒りを持って態度を転換します。あなた方憎しみの黒い播種(はしゅ)者よ、あなたがたに属さないすべてに対する憎しみについてだけ語りなさい。しかし、決して「愛」という言葉を使ってはなりません、なぜならあなた方の口の中で「愛」という聖なる言葉が汚れるから。
 幼いころに去ったけれど、忘れることができない私の不幸な祖国、私の大切なリトアニア (注9) よ、今あなたは私の目の前にあります。しばしば夢の中に見たあなた、私の心の中で決して地球のほかの土地に置き換えられないあなた、だれがより多く、より心からより誠実にあなたを愛しているかを示してください。あなたの数十万人のほかの息子たちと同じように、あなたを捨てなければならなかったけれど、あなたのすべての住民の間に兄弟愛を夢見た理想家のエスペランティストである私でしょうか、それとも、あなたを自分たちだけのものにすることを望み、あなたのすべてのほかの息子たちが、よそ者や奴隷とみなさ れることを望んでいる人たちなのでしょうか。おお、愛国心よ、愛国心よ、いつになったら人々はあなたの意味を正しく理解することを学ぶのでしょう。いつになったらあなたの聖なる名前が、さまざまな不正直者の手のなかの武器であることをやめるのでしょうか。いつになったらそれぞれの人が、自分の生まれた土地の一部に心から同化する権利と可能性を得ることができるのでしょうか。
 地球上では、まだ暗い夜が長く続くでしょう。しかし、それは永久に続くものではありません。人々がお互いに狼(おおかみ)であることを止めるときがいつかやってきます。常に互いに戦い、祖国をあちらとこちらに引き裂き、互いに自分の言葉や道徳を力ずくで押し付ける代わりに、人々はお互い平和に兄弟のように生き、等しく彼らを攻撃する自然の荒々しい力に対抗して、自分が生活している土地で十分な合意の上で働くことでしょう。そして、一緒に納得の上、彼らはみな一つの真実、一つの幸せを目指すことでしょう。そして、もしいつかそんな幸せな時が来るなら、それが、この部屋で今私たちが目にしている人たちのたゆまぬ、そして疲れを知らぬ働きの結実であり、そして、その人々の名前が、今はまだ非常に少なく、ほんの少ししか好まれていないけれども、「エスペランティスト」なのです。

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出典:
L. L. Zamenhof
POR KAJ KONTRAŬ REFORMOJ
(PLENA VERKARO DE L. L. ZAMENHOF, Kajero 8)
L.L.ザメンホフ「改造 — 賛成と反対」
『L.L.ザメンホフ著作全集 – 分冊8』
(京都 1980年)
P. 88–90. 断章

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 我々の遠くからの招待者グラウコ・ホドリゲス・コヘーア (注10) が、民主政治のそよ風が吹き始めたある全体主義の国で起こった意外な出来事について、この後すぐ話してくれます。

(LECIONO 9–3, p.96–98, 最終修正2005/10/14)

 LA NOVA NAJBARO — Glauco Rodrigues Corrêa

グラウコ・ホドリゲス・コヘーア (注10)
新しいお隣さん

 近所の女性が訪れてきて、小さな声でこっそりと私の耳元で何か分からないことを囁(ささや)いたときにはびっくりしました。彼女は私に耳打ちするのですが、部屋の全方位に注意深く目を向けて観察していました──まるで壁にも耳ありというように。
「明日、新しいお隣さんが来ますよ」彼女は言いました。
 その近所の女性は忍耐強く事態を私に説明しました。ああ、隣の借家について話しているのだとやっとわかりました。新しい住人は明日、家族や家具、女中、犬……を引き連れてやってくるのです。
「どうして私にそのことを話すのですか?」
「おや、ご近所さん、何のためって、そりゃ、来ようとしてる人が将軍なのですよ」
「それで?」
「近所のみんながひどく恐れているのですよ。将軍があなたのこんなに近くに越してくることをね。私たちはあなたの悲しい……何と言うか、状況を忘れられないんです」  ある点までは彼女は正しい、と私は思いましたが、しかし過酷な日々はもう過ぎ去っていて、今日では人々はより自由に呼吸をし、民主的な環境で生活を始めています。政治的迫害、ジャーナリスト・学生・労働者・その他の軍事政権に反対した者たちの逮捕は止んでいます。今日では、軍部は現場からの撤退にすでに同意しているのです。その女性や他の人たちが不安がらないように、これら全てのことを彼女に言いました。
「私は軍の牢(ろう)屋に逮捕されていましたが、それはもはや重大ではありません。ご覧なさい、今の大統領は将軍ですが、政治的受刑者を全員恩赦しました。完全な民主主義への第一歩を踏み出したんです」
 翌日早朝、隣の家の前にトラックが止まり、男たちを降ろすと、彼らは行ったり来たり、それは精を出していましたが、騒がしいアリのようでした。昼食後、私が仕事場に行こうとして隣の家を通りかかると、運送屋以外に、家政婦のように見える若い女性だけが見えました。彼女は二階の窓から私を観察していました。将軍は、多分兵営で将兵を指揮していたのでしょう。
 私は普段は午前中家にいたので、新しい隣人の入居以降、ひっきりなしに世話好きな近所の男女の訪問を受けることになり、彼らは絶えず几(き)帳面に将軍の足取りを私に知らせるので、まるで私が敵の動向をいつも掌握していなければならないようでした。
「将軍の黒塗りの車は毎日朝六時きっかりに来ますよ」
「将軍の運転手は頑強な男で、私の思うところではリボルバーを隠し持ってますね」
「昨日の夕方将軍があなたの家の窓をずっと見てましたよ」
「将軍を待っている間、運転手はあなたの家の玄関の前を往ったり来たり歩きまわっていました」
「将軍を避けなさい!」
「少しの間だけでも、あなたがお友達の家で寝られればいいのですが」
 私は世話を焼いてくれる人たちに不必要な監視をやめるように頼みましたが無駄で、彼らはその戦略的演習を続けました。そのときまで……(そのときとは……)
 私は朝食をとりました。九時十分前でした。知り合って間もない近所の人が二人、台所に進入して来て、震える声で言いました。
「あの車が来ないのです」
「何ですか?」私は聞きました。
「車です、あの黒塗りの車が来ないのです。将軍は家にいます!」
「それで?」
「危険です」
 将軍が在宅しているということは、近所の人々によれば、まもなく私の要塞(さい)への攻撃が始まることを意味している。私は彼らを落ち着かせようとしました。そして玄関まで見送っていきました。
 他の近所の人、先の訪問者のように知らされたばかりの人がやってきたのは午後1時でした。
「将軍は退役したのです。今彼が私服でいるのを見たところです」
 その近所の人の目は喜びで輝いていました。彼によれば、将軍の退役によりあたかもダモクレスの剣 (訳注2) がかつての政治的拘束者の頭上に吊り下がっているかのような危険は去ったのです。
 私は家を出ました。通りがてら、将軍の家の前庭を見ないでいるわけにはいきませんでした。居心地の良さそうな庭いすに座って、一本の木立の小さな陰の中に彼はいました。私が敬意を払って彼に頭で挨拶(あいさつ)すると、彼も愛想良く挨拶(あいさつ)を返してくれました。
 そのとき以来、私たちはいつも挨拶(あいさつ)を交わしています。頭を動かすだけの挨拶(あいさつ)から、私たちはほどなく声を出して挨拶(あいさつ)するようになりました。
「こんにちは、将軍さん!」
「こんにちは、ご主人!」
 そんな慇懃(いんぎん)な挨拶(あいさつ)から、より親しい形になって温かみのある手振りを交えた挨拶をするようになりました。
「やあ、将軍!」
「やあ、おとなりさん!」
 最初は成り行きを半開きの窓の陰から窺(うかが)っていた隣近所全体が少しまた少しと窓を開けて……微(ほほ)笑みました。犠牲者は救われたのです。苦しめる人は退職して年金生活者となったのです。
 ある朝、将軍は家を出て街角の店まで進んでいき、そこから新聞とパンの小袋を抱え、誇らかに戻ってきましたが、家までもう三分の二歩まで来たとき二階の窓に女性の姿が現れて叫びました。
「バターが足りないわ、エパミノンダス (訳注3)! バターを買いにお店に戻って!」
 それでエパミノンダスはいささかのろのろと女将軍閣下の命令に従うべく来た道をとって返しました。隣近所は始めクスクスしていましたが、それが……笑い出し、爆笑する者さえいました。
 今では誰もが声を出して彼に挨拶(あいさつ)します。
「おや、エパミノンダスさん! 女将軍様はいかがお過ごし?」


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出典:
TREZORO — LA ESPERANTA NOVELARTO 1887-1986
Dua volumo
『宝 — エスペラントの短編文芸1887–1986』第2巻
(ブダペスト、1989年)
P. 662–666. 短縮

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(LECIONO 9-4, p.98, 最終修正2005/10/22)

 EN MOMENTO EKSCITA — Hilda Dresen

ヒルダ・ドレーゼン (注11)
感じた途端に

突然の苦痛を
感じた途端に
もう全てが失われたなんて
思わないで。

冷酷に運命が痛めつけられた後で
あなたがどんな状態にあっても
同情にへりくだって
施しなんか求めないで。

荒波を泳ぎ切れ、
堅固に、逆らって、勇敢に
休まないで、
あなたが再び不滅に大地に
立ち上がるまで。

出典:
Hilda Dresen
NORDA NATURO
ヒルダ・ドレーゼン『北の自然』
(ラ・ラグーナ 1967年)
P. 137.

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 次の会合で私たちはエスペラントを使ったコンピュータソフトを知ることとなるでしょう。(会の)収集家からエスペラント・バッジの大きな展示を見せてくれます。そして多分、ウズベキスタンからのお客様もお迎えするでしょう。



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(LECIONO 9–KOMENTARO, p.98–99, 最終修正2006/10/20)


[ 1 ]【ユダヤ国家】juda ŝtato:ユダヤ(ヘブライ)国家は紀元70年に滅亡した。イスラエル国は1948年5月14日に宣言された。
[ 2 ]【ヴィリニュス】Vilno (リトアニア語で Vilnius):現在リトアニアの首都。19世紀と20世紀初頭には多数のユダヤ系住民がいた。ユダヤ主義の精神的中心。
[ 3 ]【アメリカ】Ameriko:ここではアメリカ合衆国のこと。
[ 4 ]【イエメン女性】jemenidino:非公式な形。好ましい形は jemenanino。イエメンはアラビア半島南西部にあるアラブ国家。イエメンのヘブライ共同体はイスラエルに移住した。
[ 5 ]【ロード】Lodo:ロードにはイスラエルの国際空港がある。※訳注:ロッドとも書く。ラテン語読みではリッダ。[ウィキペディア
[ 6 ] 第二次世界大戦中,リトアニアのユダヤ系住民の大半はドイツのナチとアラブ地区のナチ支援者に銃殺された。
[ 7 ] 聖書由来のエピソードに関する暗示。Saulo はSaŭloより正しいエスペラントの名前の形である。8課の注釈3を参照
[ 8 ]「ケンブリッジ大会の後で,ロンドン市幹部は有名な市庁舎『ギルドホール』でザメンホフと全大会を公式に受け入れた。大聖堂のような広大な大広間では,すでに栄光にも優る賓客を一人ならず荘厳に迎えていた。外国の王,戦勝将軍,共和国大統領などである。古風な祭典会場の高いアーチの下で,目的故に偉大な,天才故に偉大な一介の眼科医の慎み深いながらはっきりとした声がいま初めて響いた。どんな力についても武器によるどんな戦いについても彼は唱えなかった。愛国主義と憎しみという燃えさかる問題を敢えてとりあげ,繊細に,しかし精力的と言えるほど明確に語った。」(エドモン・プリヴァ著『ザメンホフの生涯』,リックマンズワース,1957年,87-88頁)
[ 9 ]【リトアニア】Litovujo :歴史上のリトアニア国土は,ルドヴィコ・ザメンホフの語ったところによると,現在のリトアニアより広い領土があった。ビャウィストクは歴史上のリトアニア国の中にあった。
[10]【グラウコ・ホドリゲス・コヘーア】Glauco RODRIGUES CORRÊA (1929) :1980年にエスペランティストになった。ブラジル人。ポルトガル語の作家,文芸評論家,語学・文学教師。エスペラントで小説を書き,翻訳している。
[11] 5課の注釈20を参照

[訳注1]【ゴムのような足】gumaj piedoj:むくんだ足。
[訳注2]【ダモクレスの剣】glavo de Damoklo:古代ローマのキケロが書いた物語から。僣王(せんおう)ダモクレスの頭上に蜘蛛(くも)の糸のように細いロープで抜き身の剣を吊(つ)り下げている。生命に迫りくる危険。
[訳注3]【エパミノンダス】Epaminondo:古代ローマに実在した将軍の名前。



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(LECIONO 9–LINGVA PRAKTIKO, p.99, 最終修正2005/10/03)

猫のノトケ
( 1 ) イスラエルについてあなたが知っていることを話しなさい。
( 2 ) ノトケと,かつて同じ町の住人であった一人または数人との出会いを会話形式で紹介しなさい。
( 3 ) ノトケにとって,どこがより暮らしやすいとあなたは思いますか。アメリカですか,イスラエルですか。そしてその理由は?

愛国主義と似非(えせ)愛国主義
( 4 ) 文中から,これが公衆に向けてなされた演説の文章であることを示す箇所を見つけなさい。
( 5 ) 愛国主義,似非(えせ)愛国主義,民族主義,排外的愛国主義について,あなたの個人的な考えを表現する演説文を書きなさい。

新しいお隣さん
( 6 ) 語り手の将軍に対する関係が,どのように進展していったかを話しなさい。この進展が,使われる言葉によってどのように見てとれますか。

感じた途端に
( 7 ) この詩句の主題を一文で示しなさい。
( 8 ) 語尾 -u を持つ動詞を含む句を見つけなさい。

***
( 9 ) この課の本文中から適する語を使って,接尾辞 -ebl- をもつ単語を作りなさい。
(10) 最初の語句群の語句に続く語句を2番目の語句群から見つけなさい。
 
おしゃべりな人は
脅しまくる人は
多くを望む人は
空を眺めている人は
食後に来た人は
危険ではない。
的を外す。
食べ損ねたまま。
自分自身に有害である。
得るところがない。

 
***
(11) 以下の類音語を使って,語の組み合わせや文を考え出しなさい:
 
Febro[熱病] — fibro[繊維]   nacio[国]— nazio[ナチ]  ekstrema[極度の]— eksterma[皆殺しの]  kontribui[寄付する]— atribui[割り当てる]  konstanta[不変の]— kostanta[お金のかかる]— konstata[確かな]

 
(12) エスペラントの話題についてのクイズ
 
a) 「エスペラント」という語はどの国で広く知られていますか。
b) いつ,どこで,また,どういう機会にルドヴィコ・ザメンホフは愛国主義と似非(えせ)愛国主義に関する有名な演説をしましたか。
c) グラウコ・ホドリゲス・コヘーアはどこの国に住んでいますか。
ĉ) ヒルダ・ドレーゼンの多くの韻文は何を主題にしていますか。

(13) 議論または物語ためのテーマ:「魚の腐敗は頭から始まる」
(14) エスペラント雑誌一冊分の計画を立ててみましょう。