秋田建築力士像(社寺彫刻): 古四王神社

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古四王神社
古四王神社
[付近地図:横手市十文字町植田]・[横手市植田集落]
古四王神社 古四王神社 古四王神社 古四王神社
概要・観光・歴史・名所
古四王神社(横手市植田)概要: 横手市十文字町植田にある古四王神社は案内板によると「文亀元年(1501)この地に小鼓城が有り、古四王神社は、城主大石誉九郎定景が祀ったものと伝えられ、社祠は北向き、神像は天邪鬼を踏んまえた多聞天王(秋田県重要文化財)であり、現在の奥殿は明治29年に上棟されたものである。永禄3年の秋、植田小鼓城主大石誉九郎定景がこのあたりを小鷹狩りして分けめぐり、葦原の雨露に濡れた木像を神か仏かと見奉れば、北に向きてませり、これはまさに古四王権現の一柱と思召し、御羽織に包みて従者に持たせ、小鼓城の隅なる辰巳の方位に、古四王宮として守護奉りしが、今の多聞天立像である。古四王宮は日々栄え、参拝道はで賑わった居たが、文禄5年(1596年)、庄内の最上義光の軍に攻められて植田小鼓城落城せり。この戦いで城に火がかけられ、古四王殿も危険となるや、多宝院の三世に当たる高勝坊が丘火の中に飛び込み、古四王尊像を命をかけて守り、小鼓城を逃れて山里にひそみ時期を待ち、やがて世の乱れも静まり、ほとぼりの冷めた頃植田に立ち帰り一紙半銭の寄付を集めて長い年月を重ねて再び古四王殿を建立したのが今の古四王神社である。」とあります。境内に沢山の寄進された石灯籠や鳥居の思われる跡があり、周囲の信仰が厚かった事が解ります。拝殿、幣殿、奥殿の3つの建物が順次並んでいて、御神体が多聞天王ということからも神仏混淆だったと思われます。その為か、拝殿は寄せ棟の屋根でお堂といった趣の建物に入り口部分に唐破風の向拝を付けたような形式を取っています。幣殿屋根の4隅には元々力士像が鎮座していたようですが、現在は朽ちて2体しかなくその両体とも頭が滑落していました。奥殿はバランスが良いプロポーションの建物で程よい彫刻が施されています。秋田県内には複数の古四王神社が存在し、一番格式が高い秋田市寺内の古四王神社が本社とも云われています。又、大仙市大曲に鎮座する古四王神社の社殿は飛騨の匠が棟梁として手掛けた名建築として国指定重要文化財に指定されています。
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