北東北三大霊場:恐山(下北半島)・十和田神社(十和田湖)・川倉賽の河原

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恐山

恐山

恐山(下北半島)概要: 恐山恐山(下北半島)は日本三大霊地(恐山:青森・立山:富山・川原毛:秋田)、日本三大霊場(恐山:青森・白山:石川・立山:富山)、日本三大霊山(恐山:青森・高野山:和歌山・比叡山:滋賀)の1つと言われています。恐山菩提寺の創建は貞観4年(862)慈覚大師円仁が"東方行程30余日の所に霊地があり地蔵尊像を安置せよ"という霊夢により東北巡錫を行い山寺立石寺に次いでこの地を訪れ開山したと伝えられています(一説には魚を咥えた鵜が山を越えるのを見て慈覚大師が恐山を見つけたとも言われています。)。当初、恐山金剛寺として天台宗の修業道場として繁栄しましたが康正年間(1455〜57)に起こった蛎崎の乱の兵火によって焼失し一時衰退し、享禄3年(1530)聚覚和尚が再興し寺号を釜臥山菩提寺と改称します。戦国時代には八戸南部氏に庇護され永禄年間(1558〜70)に堂宇が修築が行われています。恐山山地は火山活動で出来たカルデラ湖と言われている宇曽利湖(恐山湖)を取り囲む釜臥山、恐山大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の総称でその形状から蓮華八葉に例えられています。恐山は1万年以上前に噴火したと言われる休火山の為、周囲では現在でも水蒸気や火山性ガスの噴出が盛んで、植物が育たなく硫黄臭と荒涼とした景観は地獄のような印象を受けます。恐山の境内は死後の世界に例えられ宇曽利湖(恐山湖)の浜辺は極楽浜、正津川は三途川と称され死んだ人間は恐山に集まりやがて浄化して天に昇ると信じられています。その為、恐山の例祭にはイタコが死者の御霊を呼び、口寄が行なわれ現在でも多くの人達が集まるそうです。又、恐山自体が火山であるため、境内には古滝の湯、冷抜の湯、薬師の湯、花染め湯の4つの温泉があり総じて恐山温泉と呼ばれています。恐山菩提寺は田名部海辺三十三観音霊場三十三番札所に選定されています。

十和田神社

十和田神社

十和田神社概要: 十和田神社の創建は大同2年(807)、坂上田村麻呂が東夷東征の際、十和田湖十和田神社に日本武尊の分霊を勧請し武運長久を祈願したのが始まりと伝えられています。その後一時衰退しましたが南部氏が領主になると本領に鎮座していた白鳥の宮の分霊を勧請し再興しています。古くから天台宗と熊野信仰、十和田湖の自然崇拝との神仏混合の形態を取っていたとされ多くの修験者達の修業の場となり、恐山(下北半島)、川倉賽の河原(金木町)と共に北東北の三大霊場として信仰の対象となっていました。江戸時代に入ると南部藩領に属し、管轄下である五戸通り(三戸郡下13カ村、北郡下15カ村)の一之宮の格式を得ていました。南部藩でも恐山と十和田神社を領内2大霊場として位置づけられていたようです。又、創建には十和田湖伝説の一翼を担う南祖坊の由緒も伝わっており十和田湖と熊野信仰との繋がりが伺え知れます。
十和田湖概要: 十和田湖は青森県十和田市、秋田県小坂町にまたがる湖で湖周約64キロ、面積59.8uは全国12位、最大深度327mは田沢湖(425m)、支笏湖(363m)十和田湖に次いで全国第3位、透明度20.5mは全国第10位を誇ります。十和田湖は十和田火山の噴火で形成された典型的な二重カルデラ湖で、約3〜2万年前の火山活動により第一カルデラ湖が形成され約1万年前の噴火によりカルデラ内部五色岩火山が出来、5400年前の噴火で第一カルデラ湖から湖水が流れ込み現在見られる十和田湖が造り上げられました。十和田火山はその後も噴火を繰り返し周辺に大きな災害をもたらし延喜5年(915)の大噴火では能代川を堰き止め大洪水になったと言われ十和田湖、田沢湖、八郎潟による三湖伝説が発祥したと推察されています。十和田湖を訪れた大町桂月は「山は富士、湖は十和田湖、広い世界に一つずつ」の唄を残し十和田湖を絶賛し広く知られるようになったとされ、奥入瀬渓流とともに昭和3年(1928)に国指定名勝及び天然記念物に指定され、昭和11年(1936)に十和田国立公園(十和田八幡平国立公園)に指定、さらに昭和27年(1952)に国指定特別名勝及び天然記念物に格上げ指定されています。
奥入瀬渓流概要: 奥入瀬渓流(十和田市)は焼山から十和田湖湖畔である子ノ口までの14キロメートルの間を呼びます。奥入瀬渓流には三乱の流れ・馬門岩・阿修羅の流れ・九十九島・白銀の流れ奥入瀬渓流といった景勝地や渓谷の左右に流れ落ちる銚子大滝・九段の滝・雲井の滝・白布の滝などの滝がいくつも点在して独特の渓谷美を見せています。奥入瀬渓流を訪れた大町桂月は「住まば日の本、遊ばば十和田、歩けや奥入瀬三里半」、「右ひだり桂もみじの影にして 滝を見る目のいとまなきかな」の唄を残し奥入瀬渓流を絶賛し、佐藤春夫は「落ちたぎり急ぎ流るる なかなかに見つつ悲しき ゆきゆきて野川と濁る なが末を我し知れれば」と奥入瀬渓流を表現しています。奥入瀬渓流は四季折々の渓谷美を見ることができ春のブナやカツラの新緑や秋のヤマモミジ、コミネカエデの紅葉が特に素晴らしいとされ多くの観光客が訪れています。奥入瀬渓流は十和田湖とともに昭和3年(1928)に国指定名勝及び天然記念物に指定され、昭和11年(1936)に十和田国立公園(十和田八幡平国立公園)に指定、さらに昭和27年(1952)に国指定特別名勝及び天然記念物に格上げ指定されています。現在の奥入瀬渓流は片道2時間30分の自然歩道や奥入瀬渓流館が整備され気軽に自然美を観賞することが出来ます。

川倉賽の河原

川倉賽の河原

川倉賽の河原概要: 川倉賽の河原川倉賽の河原案内板によると「 ここ川倉の賽野川原は慈覚大師の開創と伝えられる点は下北の恐山と同様であるが、天空からお燈明が降り、掘ると一体の地蔵尊が出土、これを安置したのがその始まりともいう。文化、文政の頃から参詣人が増えたということから、およそ170年も前kら民間信仰のメッカとして支えられ、例大祭(旧暦の6月22日より24日まで)には多くの参拝者で賑わう。特に鎌倉時代以前からいたとされる巫女(イタコ)の口寄せ(霊媒)も行われる場所となっている。」とあります。川倉賽の河原尊は昭和57年に五所川原市指定史跡に指定されています。境内にあるクロマツは推定樹齢500年、幹周3.5m金木町名木に指定されています。

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