DETAIL……my musical life   partW(1979〜1978)


New York(中編)



Lesson Billding








Lee Konitz



















ソルフェ―ジ












ロングトーン

























Trust Fund









ホワイトクリスマス









Marshall Brown



















Paul Jeffrey









Wynton Marsalis
Steave Coleman














人種問題























































N,Yには色んな分野のオーソリティー達が本当に沢山居てLessonも非常に盛んです。
Mid TownにはよくLesson Billdingがあってその建物に入るとあちこちの部屋から楽器や唄それにダンスのLesson等の音が聞こえて来ます。ぼくも仕事の合間を見つけて何人かの人にLessonを受けました。その中でも面白かったものをご紹介します。



常々ぼくはLee Konitzをパーカー以後最も重要なAlto Playerだと思っているのですが、幸い彼とは接する機会があって、Lessonを付けてもらえる事になりました。その後も彼とは会う事もあるのですがPlay同様本当に魅力的でミステリアスな人です。特にその当時僕はまだ20代で彼のLessonの意図するものが半分も解らなかったのではないかと思いすが、そのLessonの内容はと言うと、奏法も理論も又おいしいフレーズとかそう言う事は一切無しで、彼の心情とか、あとは一日の時間の配分の仕方とかを延々と喋って、唯一やったことはスキャットでセッションしたぐらいです。楽器に全然触らないLessonで狐につままれたような感じでしたが、多分こう言うことだと思います…
彼の演奏の真髄は純粋な即興演奏、つまりLick(指癖的フレーズ)を完全に排除した処に有ると思うのですが、〔楽器による過多な訓練はいたずらにそれを増徴するに過ぎない〕と言う概念です。しかしこれは、よほどの耳と音楽的素養を持ち合わせてるから言えることであって、これからJazzをはじめる方やご家庭の子供さんがたは、危険ですので絶対に真似しないほうが良いと思います。



耳と言えば、一時期ソルフェ―ジをSocarasという先生に習った事があります。その頃自分のPlayに疑問が…前にも少し触れましたがつまりあまりにもコピーフレーズに頼りすぎて演奏が煮詰まってしまい、ただのフレーズ集みたいな演奏しか出来てませんでした。ソルフェ―ジは音大受験時から一応やってたつもりですがKonitzの助言もあってもう一度やってみようと思いました。
その先生はキューバからの移民で歳は60代でしたが物凄く音楽に情熱的でした。レッスンではESLAVAと言う教則本を使いましたが、一つのエクササイズを色々調号を変えて視唱するやり方は初めてで大変為になりました。あとその人も話好きで特に人種問題になるとかなり熱くなってました(ちなみにそのひとは薄い黒人系でした)が、親日家なのか非常に気に入ってくれましたが、ちょっと面映い気持ちもありました。



あと、ロングトーンの先生でカーマイン・カルーソーと言う人がいて、30分位だったかな?ロングトーンだけを見てもらうんです。この先生は(Tp)のジョン・ファディスや(T、Sax)のマイケル・ブレッカー始め色んな楽器の人に教えたというので有名すが、彼自身はSaxPlayerだったそうでレッスン内容はかなりユニークなものでした。ここに一部ご紹介します。
次の音符をゆっくり(四分音符=60位で)吹きます。



初めはこのGからスタートして真中のGまで来たら同じフレーズで下のGまで下降します。
そして徐々に音域を広げていきますが、この時気をつけるのは、一小節休みのところで唇を離さずに鼻で息を取る事です。そして唇が慣れてきたら今度はインターバルを三度、四度…と広げて七度までです。これを毎回やるだけのレッスンですが先生はじっと椅子に座って聞いていて「OK]と言うだけす。それでよく居眠りしていて「先生終わりました!」と言うと゛オッ″と言う事が多かったのですが、でもそのレッスンのあとはアンブシュアが整った感じで非常に効果がありました。




この国に住んで一番大きな日本との違いは芸術に対する国のサポートだと思いました。
これはBostonでも感じたのですが、国や市の施設で身近にJazzが聴けたり、子供達や若者が一流のミュージシャンから指導を受けられるような場所があってそこでいろんなアーティストと知り合う事が出来ました。また夏はTrust Fund と言って、街の公園などあちこちで市が主催の無料コンサートが開かれ随分超一流の人も聴けたし、又外国人であるぼくらでもよく仕事の恩恵に与かりました。



そんなTrust Fund Gigの中でも一番印象に残っているのは、Ray Riveraと言うGuitarの弾き語りの人と二人であちこちの精神病院で慰問のGigしたことです。殆ど彼の唄バンでしたがこの時は大道芸人になった気持ちでした。それで患者さんはDrugに犯された人も多いと言う事でしたが、いろんな年齢や様々な人種の人がいました。でも大体皆喜んで聞いてくれていましたがクリスマスの時はやはり皆淋しそうで、ホワイトクリスマス吹きながら胸に迫るものが有りました。そして自分自身゛あ〜おれも日本はなれて大分なるなぁ…″なんて珍しく郷愁に駆られた事も思い出します。



ベテランのミュージシャンが個人で主催するWork ShopもいろいろあってBarry Harrisのものが一般的にはよく知られていましたが,ぼくが通っていて面白かったものにMarshall Brown(valve trombone)があります。
彼は70歳位だったかな、Lee Konitzの昔のDuetsと言うLPに入っている人ですが、彼のアパートで週一回7人編成のWork Shopでそこは白人ばかりでしたが譜面は彼のものや皆で持ちよって、彼はもうその時脳溢血か何かで右半身付随の為valve tromboneを左手に持ち替えて吹いていましたが、ソロの内容といい迫力といい五体満足の自分が恥ずかしくなるようでした。
それでいろんな語録が飛び出して面白かったのですが今でも覚えているものに「どんな天才でも浮き沈みがある、人に教える事が出来ないと一生は無理だ」とか「たとえその人より2回だけ多くレッスン受けたことがあるだけでもその人に教える権利がある」だとか「両方が出来れば大丈夫」…両方て何だ?と思ったらモダンジャズとデキシ―だったんですね。ちょっと強引だけどそう言いきってしまう頑固ジジィになにか引かれるものが有って通ってたんですがある日行ったら、きのう亡くなったということで……これも理想的な死に方ですよね。




もう一つ忘れられないのがPaul JeffreyのWorkshopです。彼は昔はMonkやMingusとも演った人で黒人のなかでは非常に教育熱心な方で、毎週Big BandとコンボでWorkshopを開いていました。それで毎回ゲストプレイヤーを招いて一緒に吹いたりクリニックしたりするのですが、それがそうそうたる顔ぶれで、覚えてるだけでもArt Farmer、Slide Hampton、Charlie Rouse、Frank Foster…等の面々で彼らの貴重な話や素顔を窺い知る値千金の機会でした。



で、そのWorkshopはN,YのNew Comer(いわゆる新参者ですね)の登竜門的役割もあって今でこそ有名になっている例えばWynton MarsalisやSteave Colemanが初めて田舎から出てきた時の事も懐かしく思い出されます。大体二人は同じ時期に出てきたのですがWyntonは十代でまだ少年の面影があってぼくの友人のAkira Tana(Drums)のアパートに居候してるとかで休憩中もクラッシックの曲を凄い速さでこれ見よがしに吹きまくっていましたが,程なくArt Blakey Bandのレギュラーの座を獲得,見る見るうちにトップスターとなってしまいました。
Steaveの方はやっぱり十代で3、4人の仲間で一緒にCicagoから出てきてましたが、ヤマハのSax持っていて一番印象に残ってるのが何か四分の四のスタンダード曲をずっとポリリズムでソロしこれにはN,Yのリズムセクションも目を白黒、その当時既に今のコンセプションの基礎があったように思われます。゛こいつは只者では無い″と直感しましたが、こちらはstreet musicianの時期が長く芽が出るまでに少々時間が掛かった様です。
今思えばその二人が80年代以降のJazzに及ぼした影響はご存知の通りで歴史の節目に居合わせただけでも貴重な財産だったと思います。



日本に住んでいる時は殆ど無頓着だった人種問題、ここでは避けて通る訳には行けません、と言うより毎日が否応無しにそれと向かい合わされて暮らしていると言った方が良いでしょう。つい数十年前の戦争の敵国、東洋人同士の関係、そして現に戦争中の人々が同居しているのだから無理もありません。12月8日(開戦記念日)などは朝からその特別番組ばかりだし、あと日米経済摩擦のひどい時はステージ上でバンマスに「いま日本人を使うのは俺達イタリア人位なもんだろう」と言う半分マジなジョーク言われたり…差別に過敏な時期もありましたが、どの世界にも差別は存在する物だし、いつの頃からかParkerやColtraneの求めていたものに比べれば日常の差別等他愛の無い物に思えるようになったのも事実です。







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