akirajaのNew York旅日記   2006年版


出発平成18年 3月29日(水)17:30
当初一世一代の家族旅行の計画で持ち上がった今回のNY行きだったが、脱落者が相次ぎ、挙句に妻まで「子供たちが行かないのなら私も行かない」と言い出し、結局又私一人旅と相成りました。
機内の席へ付くと隣はパックで南米旅行と言う初老のご婦人、「毎年一度は友達と何処か海外へ旅行する事にしていますのよ」と、とても元気な有閑マダム、それなりに長旅の退屈を紛らわせて頂きました。



   アラスカ上空


同日16:00Newark着
先ずいつもながらの入国審査、ところが列が遅々として進まない、「なにやってんでじゃ〜」と最前列を注意して見ていると、どうもコンピューターが作動していないらしく、どの審査官も腕組みしてコンピューターを呆然と見つめている。
昔は人間がボンとハンコ、で済んでいたのにこの始末、結局放免されるまで雄に2時間は掛かった。

いつもは空港からリムジンバスなのだが、今回気分を変えて電車を乗り継いでマンハッタンへ向かう事にしたが、これが大失敗、料金も高くついたし重い荷物を引きずっての乗り換え(日本と違って未だ殆どの駅の階段にはエスカレーターは無いのです)お目当てのホテルに着いた時はたっぷり日も暮れてヘトヘトになっていた。
一泊27ドル、ウエッブサイトで見つけた「White House Hotel」名前とは裏腹にいかにもファンキーなロビーには怪しげな黒人オッサンが2.3人、「こりゃーちょっとヤバかったかな…」と取りあえず一泊分だけ払い部屋へ、これが又幅60センチ位のベッドの脇に40センチ位の隙間それだけ。勿論シャワー、トイレは共同です。「まあ生きて出られればよしとするか」と胆を据えたが、他の泊り客が大体若い学生風、皆気さくで案外「これって良かったんか!」と少し安心。
時計は夜の10時を廻っていたがTpのRichieに連絡して地下鉄で会いに行く、4年振りだが相変わらずの奴の顔を見て安心、近くのダイナーでちょっと腹ごしらえして別れた。

White House Hotel Richie





3月30日(木)

やはり朝6時に目が覚める。明日からリハーサルも始まるので、観光気分も今日までと、ガバッと起きて外に出る。
先ずは昔のアパート(East 9thst 2ndAv)へ、やはりここでの生活が一番懐かしい。4年前訪れた時と然程環境は変わった様子は無くひとまず安堵。
Villageを横切りNo@trainでバッテリーパークからこれもお決まりコースのスターテン島へのフェリーに乗る、天気も初夏を思わせる絶好の観光日和で早朝にも関らず観光客でごった返していた。
いつもは同じ船でとんぼ返りするのだが、今回少し島を散策と決め込み昔行った事のあるシルバーレイクへ向かうが、途中の閑静な住宅地だった筈の処がすっかりハーレム化し環境が随分劣悪に成っていた。
マンハッタンが高級化して隅々まで住人が白人化している逆にしわ寄せがこういう処に出ている。

フェリーからのManhattan 船の乗客





帰りはバッテリーパークからBroadwayを歩いて北上Villageまでの距離は思ったより長かった。お昼頃ホテルにたどり着いた時は足がガクガク棒のようになり、昔の様にはいかない年齢をひしひしと感じさせられた。

午後一休みしてRichieとレコーディングに使うハードディスクを買いに行く、しかしこれが一箇所では済まないで適切な機種と値段を求めて3箇所の店を探し回り、もう既に朽ちた棒状態の足を引きずって、あのアメリカ風歩行に付いて行くのは本当に泣きそうだったが、彼も俺の為に何軒も廻ってくれるのだから、と必死でこらえた。
夜はRichieと二人で少しパート練習、それから渡米直前に一緒だったVocalのMitsukoの彼氏のTom Pietrycha(Bass) の仕事MidtownにあるSwing46へ行く、男性VocalがリーダーのQuintettで2,3曲吹かせてもらう、そのあとMitsukoとTomと三人でVillageのSmallsへ若いグループだったが、時差ぼけプラス酒が入ってたので何も憶えていない、ただそのあと行ったFat Catsのジャムセッションで吹きまくったらそのバンドのSaxとTpにいやな顔されてたのは憶えている。
ホテルに戻ったのは朝だった。



Swing46にて

3月31日(金)

今日はいよいよレコーディングのリハーサル。
リハの始まる12時5分前には全員揃った。この辺りは日本のミュージシャンよりきちんとしている。
日本では特にリハだと平気で30分は遅れて来る輩が居るがミュージシャンシップの違いを感じる。
それから、譜読みも全然速い、アーティキュレーションも殆ど説明の必要が無く初見で最後まで行き着く。
旧友のTim Regusis(Piano)Ari Roland (Bass)も昔Sessionした事があり、DrumのCliff Barbaroは初めてだったが凄いナイスな黒人、音も好みのタイプで、リハも概ね順調に流れ、先ずは人選に間違いが無かった事が確認出来た事が大きな安堵に繋がった。

今夜から旧友のVocalのHisayo Fosterのアパートに泊めて貰える事になって居り(彼女は3日間彼氏の所へ泊まり僕の為に部屋を空けてくれた)セントラルパークWest69stの閑静な住宅街、4年振りのHisayoも元気ですっかり夫Harmanを亡くしたショックから立ち直った様に見えた。
兎に角レコーディングの前に音出し可能な個室が確保出来たのは何より有り難かった。



Hisayo宅からすぐのCentral Park

4月 1日(土)

旧友のJimmy Cozierに電話する。
実は彼の幼馴染で、自分も懇意にしていたSaxのSam Farneceが癌で亡くなっていた事は聞き及んでいたのだが、その経緯を詳しく知る事ができた。
Samは俺より5歳位は若かったが、本当に好い友達だった、同業者であんなに気が合う奴はもう出来ないだろう。
午後は練習、夜はMitsukoとTomと食事、その後三人で先日のFat CatsへFrank Wessを聴きに行く。
Frank Wessも80才を過ぎて足が不自由になり椅子に座っての演奏だったが、音はもう鬼気迫るものが有った、初めて往年の本物のNYサウンドに接した。
以前飛び入りさせて貰った事があり、今回も「2,3曲吹くかい」と言ってくれたが、「もったいない今日は聴き手に徹します」と言ってしみじみ聴いて来た。
それからJackie Mcleanが昨日他界した事を聞いた、たまたま近くに居た訳だが又一人Jazzの生き証人を失った、大きな時代の節目だ。

そのあと、以前も行った事があるクレオパトラズニードルへ、今New Schoolに留学中のPianoの落合君と待ち合わせ、やはり約半数が日本人のJam Sessionで賑わっていた。そしてもう一人日本から来ているTenor Saxの佐藤さんと三人でNY事情など話込んで朝帰る。

街角で Frank Wessと(photo by Mitsuko)




4月 2日(日)
さっき寝たばっかりだがやはり8時には目が覚め、明日のレコーディングの事もあってか頭が妙に冴えている。
部屋に有ったPiano(昔Harman Foster愛用の物)を触っていたら曲が出来た、なんとなくマクリーンなイメージだったのでこれも入れる事にした。
午後少しRichieと譜面の手直しをした後、昔の大家さんでもあるZen Matsuuraを訪ねてBlooklynへ行く。
昔帰国前の3,4年間を過ごしたBlooklynこちらは随分綺麗になって、当時蜂の巣をつついた様なスパニッシュハーレムだった通りまでがブティックが並ぶVillage化して、そのカルチャーの変貌振りはとても日本では考えられない。
Zen夫妻とスパニッシュレストランで懐かしのチキン、イエローライス、ブラックビーンズの料理を食べる。
帰りに明日レコーディングに来るスタジオの場所を確認する、昔住んでたアパートの直ぐ裏だった。



   Zen&Tanya と猫

4月 3日(月)
いよいよレコーディング当日、今日からRichieの所に泊まるので、荷物をまとめて行くが、天気が今までと違い一気に寒い曇り空と成りいやな予感、
でも昔もNYレコーディングはいつも雪だったし。。。と自分で験を担ぐ。
Studioは昔学校だったと言うがっちりした建物の一室に手を加えたもの、今まで使ったStudioに比べると少し小振りだったが、アコースティックサウンドはまあまあだった。
MonkのPannonicaから始めたが、皆の仕上がりに比べて自分が出遅れている、やはり奴らはここ一番に強い、でもまあそこは友達、Take3まで付き合ってくれて、その辺からやっと温まって来た。
あとはなるべくO.KTake確保と言う事で結構ぽんぽん録って、初日に7曲済んでしまった。
帰ったら流石に疲れて二人ともBedに倒れこんで寝入ってしまった。



4月 4日(火)
レコーディング二日目はQuartettの曲からなので一人で先に行く、一時間前に着いたら未だStudioが閉まっていて、外で待っていたらDrumsのCliffが到着、初めてゆっくり話し込んだが、昔二年程大阪に住んでハコの仕事をしていたらしい。しかし彼は昔よく居たいわゆるJazz以外の事は殆ど無頓着、ビジネスは愚か日々の生活さえ危ういタイプ、だが音楽は非常にナチュラルで美しい。
さて二日目、やはり初日より気分は大分楽で、Take1で大体大丈夫、Quartettで2曲、あとRichieを加えて創ったばかりの曲で終了、そうこうしている内に写真撮影を頼んでいたHisayoが到着、スナップ写真は全てレコーディング終了後の物です。
ま、兎に角NYレコーディングは無事終了致しました。
PianoのTimがこの後Villageで仕事だと言うので、吹きに行く事にした。
店の名は「バッカス」2nd av 3rd stに在るイタリアンレストラン、そしたらTenor SaxがDan Blockで彼も会いたい奴の一人だった、Drumsも4年前Sessionした奴、本当にNYは狭い。



Akira Richie Tim Ari Cliff
全員集合 Hisayo Akira Zen

 


4月 5日(水)

いよいよNY最終日、今回いろいろ世話になったHisayoとチャイナタウンで昼食の約束、少し早く出てVillageから歩く事にしたが、この日も朝から寒いと思っていたら遂に雪が降り出した。冬物のジャンパーは行きの飛行機に忘れたので持ち合わせ全部着て出たがそれでも間に合わない超真冬だ、急遽服屋に飛び込んで店で一番安かった真っ赤のトレーナーを買った、後で写真を見たら赤も意外といい(還暦近しか)。
しかしチャイナタウンの勢いは物凄い、4年前より更に拡大してもう2.3年でVillageまで届きそうな勢いだ。
Hisayoと餃子の飲茶、リトルイタリーでコーヒーしていたら今度は嘘の様に晴れ上がった。
その足で、この前会った落合君とおち会い(は?)彼が通うNew Schoolを見学させて貰う。ここはバークリー程の規模は無いが、演劇など他の分野の芸術にも力を入れていて、Villageに在ることもあってこれからNYのJazzのメッカに成るだろう。
さて今回のNY見聞もそろそろお開きにして、最後の夜は部屋で少しRichieとCDのPlay Back等聴いてしみじみと過ごすべくアパートへ戻る。

チャイナタウン New Schoolの前で





4月 6日(木)
予定通り朝8時のバスで空港へ、そしたら待合ゲートでなんと行きに隣だったご夫人と又一緒に、南米帰りで偶然同じ飛行機だ。
う〜んなんという縁だ、ひょっとして今までに無いパターン、年上のご婦人との…きゃー!!
そんなこんなの2006年版New York旅日記でした。おしまいオシマイ。



  帰りのリムジンバスから




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