退耕山  玉田寺  臨済宗  新温泉町(旧浜坂町)七釜

退耕山玉田寺の由緒

臨済宗大本山天竜寺派に属し寛永年間(1394〜1428)天竜寺開山学 志国師法孫南漠禅師の開墓にして当初退耕庵と称した。南漠禅師の隠棲の地となった。慶安の頃(1648)二世貞山和尚、丸毛家より出に及んで退耕山玉田寺と改称。丸毛氏というのは 元美濃の武将で慶長五年(1600)関が原の役に西軍に属して敗れこの地に隠棲帰依した。七世徳門和尚のとき丸毛氏は山を均岩を削りて三年間要して境内を広げた。安永6年(1777)堂 掌を建立、現在の本堂である。昭和15年十四世龍漂和尚のとき大改修して今日に至る。本尊は地蔵菩薩にて安産の守護仏として信仰篤い。

玉田寺遠景 中央山門 その右奥が本堂 手前左に鐘楼堂
境内にある宝匡印塔は大東亜戦争ビルマ戦の没英霊の供養塔                                兵庫県指定文化財
庭園は江戸中期時代の築山式枯山水            岩一面に岩松が繁茂し趣きあり
芭蕉句碑
玉田寺全景 中央に山門 左に鐘楼 右に本堂

本堂右に「退耕庵 明光」