赤坂恒明
「元亀二年の『堂上次第』について

──特に左京大夫家康(三川 徳川)に関する記載を中心に ──

『十六世紀史論叢』創刊号, 十六世紀史論叢刊行会, 2013年3月, 58〜78頁


【概略】
 東京大学史料編纂所蔵の徳大寺本『堂上次第』(元亀二年七月廿三日)の翻刻と記載内容の検討を行った。本史料の記載から、徳川家康が、元亀二年(一五七一)七月二十三日の時点において、織田信長に先立ち、既に堂上公家の家格を得て、殿上人の身位を有していたという事実が明らかとなった。そして、家康の「公家成」(堂上の家格を得ること)は、彼が従五位下に叙され、三河守に任じられた永禄九年(一五六六)十二月二十九日のことであり、家康が源氏から藤原氏へ改氏した本質的な理由は、従来 先学によって考えられてきた叙位・任官のためではなく、「公家成」のためであった、と推定した。

【目次】
  はじめに
  一 元亀二年の『堂上次第』の翻刻
  二 元亀二年の『堂上次第』における記載内容の検討
  三 徳川家康の「公家成」
  四 「武家官位」から「武家家格」への価値認識転換と徳川家康
  おわりに
  注

【キーワード】
 徳川家康、富小路家、北畠氏、浪岡氏、武家官位


【正誤表】
頁・行
62頁下17行「平松」を一文字分、上げる
67頁下13行元亀二年元亀四年
73頁上3行なかろうか。ないか、と考えられよう。
77頁下11行「(続群書類従完成会、一九九八年三月)」を削除(重複のため)
77頁下18行一二月、一四〇〜一七八頁)。一二月)一四〇〜一七八頁。


【参考】
『十六世紀史論叢』創刊号
 拙稿「元亀二年の『堂上次第』について ── 特に左京大夫家康(三川 徳川)に関する記載を中心に ──」所載の『十六世紀史論叢』創刊号が刊行されました。
『十六世紀史論叢』創刊号
『十六世紀史論叢』創刊号
市川, 十六世紀史論叢刊行会, 2013年3月
論説
 神田裕理「慶長期の公武関係
 ― 昵近衆じっきんしゅうの成立をめぐって ―」
 今福匡「関ヶ原合戦前後の上杉氏と情報伝達
 ─ 情報伝達経路と「上方散々」の解釈 ─」
 赤坂恒明「元亀二年の『堂上次第』について
 ─ 特に左京大夫家康(三川 徳川)に関する記載を中心に ─」
 石渡洋平「戦国期下総国分氏における矢作惣領家と庶流」
 渡邊大門「天正十年三月における羽柴秀吉禁制をめぐって」
書評と紹介
 市野澤永「菅野郁雄著『戦国期の奥州白川氏』」

 
 拙稿では、東京大学史料編纂所蔵の徳大寺本『堂上次第』(元亀二年七月廿三日)[徳大寺家本/36/1]を取り上げ、史料の翻刻と記載内容の検討を行いました。
 本史料の記載から、徳川家康が、元亀二年(一五七一)七月二十三日の時点において、織田信長に先立ち、既に堂上とうしょう公家の家格を得て、殿上人の身位を有していたという事実が明らかとなりました。
 そして、家康の「公家成くげなり」(堂上の家格を得ること)は、彼が従五位下に叙され、三河守に任じられた永禄九年(一五六六)十二月二十九日のことであり、家康が源氏から藤原氏へ改氏した本質的な理由は、従来 先学によって考えられてきた叙位・任官のためではなく、「公家成」のためであった、と推定しました。
 この『十六世紀史論叢』創刊号には、本来、他の論文を掲載する予定でしたが、事情により、急遽、本稿を掲載することとなりました。そのため、推敲がやや不十分であるのですが、本稿が、中世末期の公家研究のみならず、徳川家康の伝記研究や織豊期および近世の武家官位の研究に多少なりとも参考となれば、幸いです。
 本誌の申込方法については、編集者である日本史研究者渡邊大門先生のブログをご覧ください。
 なお、本誌の発行部数は少ないと伺っております。ご注意ください。
(二〇一三年四月二十八日)

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