大和歴代天皇陵墓
天武天皇・持統天皇陵
絶対的神から人間天皇への宣言
道路に面した丘の上に、小さな古墳がありました。
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それが天武・持統陵です。
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それまでの名もない皇子や王妃の墳墓に比較しても
貧弱としか表現出来ない、質素なもので、私の小さな
デジカメにも小さく写るのです。
それまでの天皇陵墓は巨大過ぎて、全体像は撮りたくても
超広角カメラにも大概収まらなかったのです。
壬申の乱を治め、天下を掌握した大大王、天武天皇と
その后持統天皇の陵墓としてはあまりにも質素ではあるが
薄葬例を天下に号令して実行した天皇として、相応しい
ものかも知れない。
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しかし、それにしてもあまりにも質素である事に驚いた。
それまでの歴代天皇陵墓の1/1000にも満たない。
しかも、持統天皇も合葬されている。
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真に改革を断行するとはその様な事かも知れない。
現場を訪れた、現代の私自身が驚き、一抹の寂しさすら
感じたのは、歴史認識の甘さであろうか。
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古代歴史のブームに乗って、歴代王朝の陵墓を訪ね歩いた
私にはいささかショックであった。
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斉明天皇の陵墓を訪ねた時には、単に薄葬令の結果としか
受け止める事が出来なかったのであるが、この陵墓を初めて
訪れた時、天智、天武、持統と続く天皇達の人物の偉大さに
圧倒されたのです。
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今は、この様な顕彰碑があります。
(参考写真 応神天皇陵)
応神天皇や仁徳天皇陵墓にもその巨大さに圧倒されました。
しかし、陵墓は本人の意志もありますが、大半は次の天皇が
自己の権力を示す為に築いたものです。
しかし、この陵墓を築いたのは持統天皇と考えられますが、
彼女自身もこのコンパクトな陵墓に合葬される事を望んだと
言われています。
彼女自身その様な権力誇示は必要ないと考えていたのです。
(参考写真・文武天皇陵)
これ以降今日まで、天皇陵はこの程度に収まっています。
(参考写真 石舞台古墳)
石舞台古墳は蘇我馬子の墓と伝えられています。
当時は臣下として最高実力者であった大臣馬子も
天皇に対抗して、蘇我一族の総力で、この様な巨石を
墓石として内装した墳墓を構築していたのです。
(参考写真 石舞台古墳建設現場発掘説明会) (参考写真 石舞台古墳周辺発掘現場説明会)
一族の権力を誇示する為集結した、蘇我一族の馬子墳墓の建設現場事務所跡が発掘調査されました。
当時の人達は権力を誇示する為に全力で墳墓の造営に当たっていたのですが、これを禁止する薄葬令を出して
自ら実践し、範を垂れ守り通した偉大な指導者達。