音楽は時間芸術です。作曲家は、その時間を共有する人たちの心に何らかの感慨をもたらそうとして音楽を書きます。

楽譜というものは、作曲家が作品を後世に遺すために書き残す記号に過ぎませんが、丹念に読み解いていくと、随所に人の心を動かす仕掛けが隠されており、そこから、作曲家の思考回路が浮かび上がってきます。そこに寄り添うことができたとき、再現者である私たちの演奏も、俄然生命力と説得力を帯び、魅力的に輝いてきます。

解釈の可能性はさまざまありますが、楽譜という限られた記号に立脚し推理を展開してゆくことは、作品の本質に迫る過程でもあり、大変愉しい作業です。その過程への道案内役として、少しでも皆さまのお役に立てればと願っております。

単発レッスンも歓迎いたします。お問い合わせは、こちらまでお願いいたします。


2010 年 8月 夏合宿 レポート

2011 年 7月 ピアノの構造の勉強会


2012 年 6月 公開レッスン会 レポート(アンダンテさんのブログより)
ピアノは基本的に音痴な楽器なので
乗客にブレーキを感じさせない演奏

 

 

私は、さまざまな縁が重なってピアニストとして活動を始めましたが、もともとの専攻は外国文学と指揮でした。外語大時代はドイツ語専攻に在籍していましたが、亀山郁夫先生(ロシア文学者)や今福龍太先生(文化人類学者)のゼミに出入りし大いに啓発されていました。一流文学者がテクストに没入されてゆく姿勢に間近に触れたことは、かけがえのない財産であり、私が現在音楽作品に対峙する際の道標にもなっています。

クラシック音楽を演奏することは、外国語を学ぶことと似ています。たとえば、音楽を形成していく数小節単位のまとまりを楽節構造と言いますが、それを意識して演奏することは、意味のまとまりを意識しながら外国語を話す感覚に通じます。もし私たちが役者としてハリウッド映画に起用されたとき、文法や発音が違って英語が伝わらなかったらアウトですが、伝わるという段階をクリアすれば、そこから先の演技(表現)の可能性は無数に広がっています。和声や楽節構造といったクラシック音楽の文法も同様です。

西洋のクラシック音楽の成り立ちは、強弱アクセントを持つ西洋の言語と不可分で、さまざまな拍子も、「強弱」「強弱弱」などの言葉のリズムパターン(韻律)から生まれました。ですから、強弱アクセントを持たない日本語を話す私たち日本人は、西洋音楽と対峙するうえで大きなハンディを負っています。私は、生徒さんを指導するうえでも、楽譜を外国語の文章のように捉え、音符をカタカナ棒読みでなくネイティブのように自然に語れるようになって初めて自在な音楽表現が可能になる、というスタンスを徹底しています。

一方、高校時代から指揮を始めていた私は、母校栄光学園での指揮・指導を続けつつ、外語大在学中から桐朋学園指揮科に科目履修生として在籍し、指揮を専門的に学びました。このときの桐朋指揮科の恩師紙谷一衛先生(著書『人を魅了する演奏』も必読です)には、指揮という分野に留まらず、普遍的な「人を魅了する演奏のあり方」を考えるうえで、作曲家による「人の心を動かす仕掛け」を読み取る読譜眼を徹底的に仕込んでいただきました。指揮のレッスンでは、当時取り組んでいたピアノ曲を見ていただいたりして、ピアノ曲を指揮者の目で見通す、という得難い経験をさせていただきました。この視点は、私がピアニストとして作品に対峙していくうえでの礎となっているように思います。

私が初めてオーケストラの指揮を経験したのは高校時代ですが、その豊かな響きの世界に触れて以来、それまで当たり前のように弾いていたピアノという楽器に対する認識も一変しました。ピアノでは、弦楽器や管楽器では本来何人も集まって合奏しないとできないようなことが、たった1人の2本の手で簡単にできてしまいます。これが実は大きな問題で、合奏による立体感がどうしても失われ、平面的な響きに陥りがちです。例えば、4声の場面で、4つのパートは別々のことをしながらも、お互いを聴きながら心を通い合わせています。この心の通い合いをピアノソロの分野で実現するには、腹話術のように一人何役も演じること――すなわち、4つのパートが別々の人として聴こえてくるよう、声音を使い分けることが必要なのです。このような私の考え方は、譜例つきの文章として、ユーロピアノ(株)さんから小冊子が刊行されましたが(こちら)が、オーケストラへの大きな憧れと、ピアノという楽器に感じる物足りなさを克服したいという衝動が、私をピアノへと向かわせる原動力にもなったわけです。今でも、指揮とピアノの双方の活動で、新たな発見の連続が互いに良い影響をもたらしてくれています。

私自身のピアニズムについて思いを馳せると、さまざまな調律師の方との出会いから学んできたことが多いことに気づかされます。多彩な音色を引き出したい欲求から、ピアノの構造そのものへの強い関心を抱き、調律道具を揃えて、簡単なユニゾンの直し程度は自分でやるようになってしまいました。結局、音色と弾き方の関係は、ピアノの構造から説明できるもので、楽器のからくりを熟知した調律師の方の知見は大きな示唆を与えてくださいます。ピアノという楽器は、鍵盤でハンマーを遠隔操作しているわけで、指先で遠くのハンマーを繊細にコントロールできることがポイントですが、実は、ハンマーの打弦後も、打鍵の方向性により、音の膨らみ方や減衰の仕方が変わるのです。このことに気づかされてから、音色のボキャブラリーが飛躍的に広がり、親しくご助言くださっている調律師の方々に深く感謝しています。

私の目指すところは、バーンスタイン氏やプレヴィン氏のように、指揮も作曲も、ピアノはクラシックもジャズも…という、オールマイティなミュージシャンです。近年は、オーケストラの弾き振り(協奏曲)、映画音楽の作曲、ポピュラー分野での編曲、新ユニット「おんがくしつトリオ」のプロデュース、など、ジャンルの垣根を超えた活動を展開しつつあります。従来のクラシックの枠内にとどまらず、これまでにない斬新で面白いことを発信していかなければと願う今日この頃ですが、メインフィールドのクラシックでも、当時の理論書などを研究しつつ、ますます深く掘り下げて行く所存です。ピアニスト末永匡、稲岡千架両氏と、調律師加藤正人氏との4人で、音律から作曲心理にアプローチする共同研究も行なっています(工房コンサート)。奥深く終わりのない探求だからこそ、たまらなく面白いのが、音楽の世界です。

 

 

何人かの生徒さんの声をご紹介します。