
変わりゆく彼女(仮)〜死者無き戦争〜
──あの「流星の日」から、すべては変わったんだと思う。
あの日、僕らは別の星に住むもの──異星人──が実在していて、彼らの中に友好的なものと敵対的なものがいることを知った。
その日からしばらく経って、日本には徴兵制が布かれることとなった。
僕らは戦争に突入したのだ。
いまだかつてない戦争。異星人との戦争。
僕らは、そんな日常に生きている。
1
長くけだるいホームルームが終わると、教室の空気は一気に変わった。
にぎやかな会話とがたがたという机や椅子の音が、教室に色取りを取り戻していく。
その騒音の隅で、僕、小野浩平も立ち上がろうとしていた。
体型はやせてて小柄。髪の色は黒で長さは短髪。目の色は黒で裸眼。
そんな見事なまでに日本人で、私立高校二年C組の僕は周りを見渡した。
二学期始業式数日後のある日の光景がそこにあった。
ひびがあちらこちらの壁に入り、掃除しても薄汚れたままの教室。
エアコンなどないから、窓は全開にされ、そこから見える空は、入道雲が元気よく背を伸ばしている。
午後に入っても、ワイシャツがぴったりまとわりつく空気は残ったまま。
あるものは早々と教室の出口へと向かい、あるものは友達のところへ行くクラスメイト達。
まだ若い担任の高橋遼子先生は女子となにやら話している。
僕の席から少し離れた前方やや斜め右に、数人の男子が集まっている。
その中心にある机に、一冊の雑誌が置いてあった。
ミリタリー関係の雑誌だ。
軍事関係の本といっても、見た目はゲームや漫画の雑誌と変わらない。
宇宙戦闘機やミリタリーアイドルの写真、それらが表紙を飾っている。
僕らが直面している戦争は、ゲームのような「死者無き戦争」だ。
死人が出ない、理想の戦争。
そんなわけでこの日本は、徴兵制が布かれている以外、まったく平和そのものだった。
クラスメイトの男子達は雑誌を見ながら、携帯をすばやい手つきでいじっている。
雑誌に出ている部隊が、今日どのくらいの戦果を挙げたのか、それを確かめているのだ。
特に、お気に入りの子がいる部隊の戦果を知るために。
そんな光景を、僕はただ遠くから眺めているだけだった。
戦争なんて、どうでもよかった。
宇宙で戦う戦士たちの活躍なんて、僕には別世界のことだし。
僕は彼らから視線を外し、自分がいる席の真横に向ける。
そこに、彼女がいた。
僕の幼馴染、星野由美だ。
女の子の平均的な身長に、左右にまとめられた三つ編みのおさげ、やや茶系の髪に小さな目。
僕の視線に彼女も気づき、笑顔を向けてきた。
由美ちゃんの顔を見ると、なんだか心がうきうきして、ほっとする。
「由美ちゃん、お疲れ様」
「うん、浩平ちゃんもね」
由美ちゃんに声をかけると、彼女もちょっと恥ずかしそうに返事をしてきた。
由美ちゃんはいつも恥ずかしそうに話す。
でも、こうしてみるとなかなかかわいいし、もっと自信を持ってもいいんだけどなぁ。
声もいい声しているし。
由美ちゃんの声なら、何でもいうことを聞いてしまいそうだ。
いつもそう思う。
「今日はすぐ帰るの?」
「ううん、今日は図書委員の仕事があるから、図書館に行かなきゃならないの」
「そう……」
今日は一緒に帰れないんだね。
そう言おうとした瞬間。
「すみませんが、高橋先生はおられますか?」
教室の前の扉から、はっきりとした声が響いてきた。
学校で聞いたことがない声だった。
担任の高橋先生は、眼鏡の奥の視線を扉の方に向け、
「はい、おりますが……」
といった瞬間、絶句する。
同時に教室が、沈黙に包まれた。
そこにいたのは、肩と両胸のポケットの上などにしるしがつけられた、白いワイシャツとズボンの、年齢が二十代にも三十代にも見える男の人だった。
そしてその服装は、僕にも男の人がどんな人であるかを、はっきりと教えてくれた。
航宙自衛隊のものだった。
航宙自衛隊の人は軽く敬礼をすると、教室に入ってきた。
今まで気づかなかったけど、教室の入り口には校長先生のはげ頭も見えていた。
男の人が足を踏み入れた時、その場の空気がより張り詰めたものになった。
航宙自衛隊の人がこの学校、ここに来るということは、このクラスから、徴兵される人が出ることなんだ。
普通は、高校とか大学とかを卒業してから徴兵されるんだけど、こんな時期に徴兵されるというのはどういうことかというと、その人物が特別な能力を持っているということなんだ。
夏休み前、航宙自衛隊のテストを学校ぐるみで受けた。
筆記試験、運動試験。そして、色々な装置を使っての試験。
その結果は受けた生徒には秘密とされ、そのままみんなテストのことを忘れていった。
だから僕は、この学校から特別徴兵生が出るとは思っていなかった。
でも、いたんだ。このクラスに。
僕はそのことにショックを受けていた。
でもクラスの中には、自分が選ばれることを期待しているやつがいたかもしれない。
あるいは、自分ではありませんように、そう祈っているやつがいたかもしれない。
航宙自衛隊の人から放たれた次の言葉が、そんな期待や不安を一気に吹き飛ばした。
僕のそれも含めて。
「ちょっと失礼しますが、星野由美君はおられますか?」
僕はその言葉を受け入れられなかった。
何かの聞き間違いだと思った。
由美ちゃんが、徴兵される……?
なんの能力も持ってなさそうな由美ちゃんが……?
その瞬間、教室中の視線が一斉に由美ちゃんに注がれた。
同時に、
「まさか、星野が……!?」
「由美ちゃんが選ばれたの……!?」
そんなざわめきがあちこちから生まれる。
「はい、あそこにおりますが……」
高橋先生の視線を向けた先、僕ら二人がいるところに男の人も視線を向け、机の間をすり抜けながらやってくる。
「ど、どうしよう、浩平君……!」
「由美ちゃん……」
僕にそっと寄ってくる由美ちゃん。
僕もそんな由美ちゃんの気持ちを知って、由美ちゃんを守るように身を寄せる。
僕らの気持ちを知るかのように、背も顔も細長い航宙自衛隊の人はゆるやかな歩みで近寄ってきた。
すぐそばまで来ると立ち止まり、敬礼して、裏表が無いという笑顔で語りかける。
「君が星野由美君だね? 始めまして。本官は航宙自衛隊士官候補生学校人事課の渡辺三佐と申します。よろしくお願いいたします」
その裏表が無いという事実が、僕には逆に怪しく思えた。
「よ、よろしくお願いいたします……」
由美は小声で返事をして、お辞儀をした。その動きと表情は硬い。
ひたいから、暑さとは違う種類の汗が吹き出している。
見ているこっちが、逆に緊張しそうなほどに。
それを見透かしたように、
「ああ、ここで緊張しなくてもいいよ。話は、応接室でするからね。君の家族もいらしている」
「お父さんとお母さんも?」
「そう。学校だけじゃなく、保護者の方にも許可を得なければいけないからね」
渡辺三佐は笑顔を絶やさず、
「さ、私と先生と一緒に、応接室へ行こうか」
その言葉は優しげなものだったが、実質的な命令だった。
由美は少し沈黙したが、すぐに、
「はい」
と言って、首を縦に振った。
徴兵されるんだから、仕方が無いのかもしれない。
でも待てよ。
徴兵されるとしても、由美はどんな訓練を受けるんだろ?
そして由美に、どういう資質があって徴兵されるんだろ?
そう考えていると、
「……ああ、そこの君は心配しなくていい。話はすぐに終わるからね。大人しくして待っていることだ」
突然そう話を振られ、僕の心臓は一回ドクン、と高鳴った。
「じゃあ、浩平君。行ってくるから。また、後でね」
小さく手を振り、由美は少佐の後をついて先生の方に向かい、先生と合流すると、前の出口から教室を出て、校長先生と合流して職員室の方へと消えていった。
僕は不安を隠せないまま、由美の背中を見送った。
しばらく僕は立ち尽くしていた。
教室の皆も、お互い顔を見合わせたり小声で話していたりして、今教室であった出来事に対して戸惑っているようだった。
しかし、このままでいるわけにもいかなかった。
由美が徴兵される理由は、なんだろうか。
由美はどんな訓練を受けるのだろうか。
そして由美は、この徴兵を受けるのだろうか。
それが知りたくて、僕は教室の出入り口へ走り出していた。
「おい、どこへ行くんだよ!?」
クラスメイトが僕の背中に声を投げかける。
僕は少し振り向き、
「決まってるだろ、由美の様子を見に行くんだ!」
そう一言だけ言うと僕は再び前を向き、まだ驚きと困惑が残る教室を飛び出していった。
僕が廊下を走り、階段を下りると、職員室や応接室に続く一階の廊下は人でごった返していた。
航宙自衛隊の人が来たという話は、あっという間に広まったのだろう。
廊下は生徒だけでなく、先生や用務員といった大人たちまでいた。
生徒や大人たちは、おおよそ三つのグループに分かれていた。
つまり、
「軍国主義復活につながる徴兵はんたーい!」
と叫ぶ徴兵反対派の先生や生徒と、
「異星人の侵略を許すな! わが国を防衛せよ!」
と叫ぶ徴兵賛成派の先生や生徒。そして、
「なんだなんだ、これじゃ仕事ができないじゃないか……」
「なになに、なにがあったのー?」
「祭りだ、祭りだー! イヤッホーイ!!」
と困惑するただ自分の仕事をしたいだけの先生や、興味だけは旺盛な野次馬の生徒、そしてこの混乱に乗じて暴れるフーリガンな生徒たちといった一般人。
大雑把に言えば、この三種類だった。
ここを由美ちゃんは通り抜けていったんだ。
さぞ迷惑だったろうな、由美ちゃん。
そんな彼らをすり抜けて、応接室の方へ向かおうとしたけれど、それは無理な相談だった。
人の塊は、鋭利な刃物で切られた様に、廊下の途中できれいに消えていた。
だけど、そこへ進むことはできなかった。
人の波の向こうからみえる境界には、ヘルメットに警棒、プラスチック製の盾を持ったこわもての男達が五人ほど立っていた。
TVでこういう徴兵反対運動とかが流れると必ず見たことがある姿。
航宙自衛隊の警務科の人、つまりは自衛隊の警官だった。
なんでも、由美みたいにスカウトしに来ると、ほとんど必ずといっていいほどこういう反対運動とか野次馬が来るので、必ずこういう場に機動隊とか警務科がやってくるのだと聞いたことがある。
そんなことはどうでもよくて。
今は、どうにかして応接室に行かなきゃ行けないんだ。
廊下は無理。
となると……。
僕は回れ右をして、玄関の方へと駆け出していた。
応接室は一階。ならば、外から様子を見に行くのだ。
自分の下駄箱で白い上履きからスニーカーに急いで履き替え、ダッシュで飛び出す。
校舎をぐるりと回る形で少し走ってからスピードを落とし、姿勢を低くする。
応接室は、職員室と校長室の間にあって、この三つの部屋は学校で数少ないエアコンが付けられている部屋だ。もちろん、窓も常時閉まっている。
しかしこの古びた校舎は、それ自体の建てつけがガタガタになっていて、窓の開け閉めもまともにできず、窓の鍵がうまくかからない場所も多いのだ。
応接室の窓も、そんな窓の一つだった。
このおんぼろ校舎、早く立て直せばいいと不満を言っていた僕らだったけど、僕はこんな幸運に恵まれて、予算不足の学校に感謝するしかなかった。
僕は背を窓より低くして、そっと応接室の壁に近づく。
窓の下にたどりつくと、右手を伸ばし、背も少しだけ伸ばして、窓枠に手を引っ掛ける。
近くにあるエアコンの室外機の音と、残暑になってもまだ元気なセミの声が響いていた。
ひたいの汗を左手でぬぐう。
右手の力をごくわずかだけ力を入れ、窓を引く。
引っ掛かりが悪く、うまく開かない。
セミのじりじりという声が僕をせきたてる。
その誘惑に負けず、僕は手を引っ掛けなおし、ごくわずかずつ力をいれる。
窓は、音も無くゆっくりと力の分だけわずかに動いた。
それだけでも、僕には十分だった。
室外機やセミの声に混じって、中から声が聞こえてきた。
さっきの軍人さんだ。
見つからないようにそっと頭を上げ、視線を隙間の中へと入れる。
「……ですので、適性が認められたからとはいえ、必ずしも実戦部隊に配備されるというわけではないのです。
これから行なう訓練期間の結果如何によっては、実戦部隊ではなく、後方部隊や防衛省への配属もありえます」
窓の隅から見た光景は、色々な表彰状とか絵が壁に飾られた部屋の真ん中に、大きなテーブルがあって、それを取り囲む形でゆったりとしたソファが置かれていた。
僕から向かって対面側の大きなソファを、あの軍人さんが一人で座っている。
テーブルの前にはなんらかの書類がおかれている。
「そうなんですか……」
由美の小さな声が聞こえてきた。
ここからだと衝立や棚などにさえぎられてよく見えないけど、反対側のソファに多分座っているんだと思う。
由美の両親や、高橋先生も一緒に。
「ええ。ですのでご安心してください」
軍人さんは白い歯を見せて、反対側にいるはずの由美を安心させるような表情をした。
しかし僕には、逆の感情を湧かせるものだった。
「けれども先ほども申し上げましたように、星野さんの適性は『特務部隊』にかなりの適性を持っておられます。
各部隊との基本相性も良いですし、『ワールド』を保有できる可能性もあります。
『センス』『ジョブ』も高い素質があることがはっきりしています。
もちろん、通常の兵器体系との相性も良いものをお持ちになられています」
『ワールド』? 『特務部隊』? 『センス』? 『ジョブ』?
何のことだろう?
わけが分からない。
「加えて『ピアツーピア』や『サーバ=クライアント』型など、様々なタイプの『リンク』を持てる事が判明しておりますし、単機、小隊、そして、部隊以上のいずれでも高い適応能力、戦闘能力を持っていることは確かです」
『ピアツーピア』? 『サーバ=クライアント』? 『リンク』??
何がなんだかさっぱりだ。
頭がこんがらがってく。
「……これほどまでの適性を持った人間は久しぶりに見ましたよ。
事実、どの特務飛行隊、特務艦隊、特務陸戦隊などでも、訓練後の星野さんを配置して欲しいという声が高まっていますからね。
しかし、先ほども延べたように、それも星野さんが教育部隊で受ける訓練の結果次第です。
星野さん。あなた自身が持つ『センス』と努力次第で、士官になるのか、下士官になるのか、それとも単なる兵士になるのか、それが決まってきます。
訓練は貴女にとって厳しいかもしれません。もしかすると、訓練に耐え切れずリタイアしてしまう可能性もあります」
『訓練でリタイアする可能性』だって?
どんな訓練なんだ?
僕は、真夜中の道で先が見えない気分の中にいた。
「ですが、それを乗り越えられれば、あなたは航宙自衛隊隊員としての自信と栄誉をつかむことができるでしょう」
軍人さんの言葉と表情の真剣さに、僕はぞくっとした。
もう、いい。
もう、これで十分だ。
僕は中にいる人に気づかれないように窓を閉めると、その場にへたり込んだ。
室外機の音がひくくうなり、セミの声は相変わらずじりじり鳴き続け、太陽は西に傾いてもなお空と僕を照らしていた。
べったりと体にワイシャツがへばりついている。
でも、そんなことはどうでもよかった。
由美ちゃんはこれからどうなるんだろう。
その事だけが、僕の気がかりだった。
*
僕は教室に戻ってからしばらくぼんやりとしていた。
どんな様子だったとクラスメイトや他のクラスメイトに聞かれても、適当に受け流してはぐらかした。
事実、僕は何も分からなかったし。
それに皆は不満げな顔だったけど、それ以上何も言わなかった。
僕は不安だった。由美ちゃんがこれからどうなるか分からずにいて、僕はただ不安だったのだ。
僕は左手を頬にあて、窓の外の風景をただ見ていた。
関東近郊の、空が占める割合が大きい街並み。
その空はやがて茜色に染まろうとしている。
相変わらずセミの声は自己主張し続けていて、短い命を謳歌していた。
遠くから、運動系の部員の元気な声や吹奏楽部の演奏などが聞こえる。
その風景や音を、僕はぜんぶぼんやりと受け流していた。
僕が気にしていたのは、由美ちゃんのこと。
そして、あの軍人さんが言っていたことだった。
あの会話のことは僕にはよく分からない。
理解しようとしても、頭がそれを拒否する。
何故だろうか。
一つだけ、分かることがあった。
由美ちゃんは、そういう用語が飛び交う場所へ、連れて行かれるのだ。
どこか遠いところへ。
そう。
僕は由美ちゃんを失うことが、とてつもなく怖いのだ。
だから、考えるのをやめにした。
僕は再び、ぼおっと窓の外の風景を見ていることにした。
*
どのくらい、時間が経ったのだろう。
日はさらに傾き、青空は薄くなり始めていた。
あいかわらず、僕がぼおっと外の風景を見ていると、突然、
「浩平君」
聞き覚えのある声で、そう呼ばれた。
声のした方、教室の前の入り口の方を見ると、そこには由美ちゃんの姿があった。
扉の枠に寄りかかるようにして。
「由美ちゃん……」
僕はかばんを持って立ち上がる。
そう言えば。
「お父さんと、お母さんはどうしたの? 一緒に帰ったんじゃなかったの?」
話し合いの場には由美ちゃんの両親も呼ばれたはずだった。なのに、近くにいる気配はないようだった。
「ううん。お母さん達は、先に帰ってもらったわ」
「なんで?」
「『考える時間が欲しいから』って、そう言っておいたの。でもね」
「でも?」
「……本当は、理由がもう一つあったの」
由美ちゃんはそう言って一つ息を大きく吸い込み、
「浩平君と一緒に帰って、わたしのこれからを話し合いたかったから……」
自分の思いを一気に吐き出した。
「由美ちゃん……」
僕は嬉しさとも感激とも違う感情が湧いてきた。
ただ、自分は由美ちゃんに頼られているのだ。彼女は僕を必要としているのだ。
そう思った。
「一緒に、帰りましょ……」
「うん……」
由美ちゃんの誘いに、僕は大きくうなずいた。
*
夕暮れの街。
僕らは並んで歩いている。
日が沈み、闇に包まれようとしている街に、ぽつりぽつりと明るい点が灯り始めていた。
二人はしばらく黙って歩いていたけど、口を開いたのは、僕のほうからだった。
由美ちゃんに、色々聞きたいことがあるからだ。
「どんなこと話したの?」
由美ちゃんは下を向きながら、
「ちょっとわたしには分からないことが多かったし、それに、軍隊の秘密……。なんて言ってたっけ。
そう、『軍機』に関わることもあるから、あまり他の人には話さない方がいい話もあるらしいんだけど……」
そう話して、少しの間を空ける。
『軍機』。その言葉に、僕は後ろめたさを感じた。
そんな僕にかまわず、由美ちゃんはこちらのほうを向き、
「わたしの分かる範囲内でいい?」
そう訊ねてきた。
「うん」僕は一つうなずいて即答した。
「由美ちゃんが分かる範囲内でいいよ」
「分かったわ」
由美ちゃんはそう言うと、話を切り出した。
まず、学校で行なわれた適性検査の結果、由美ちゃんには宇宙船や宇宙戦闘機を操る高い適性があって、そのために軍隊に入ることになったということ。
そして、その適性や能力をさらに育て、どこの部署がふさわしいか見極めるため、これから三ヶ月、由美ちゃんは教育部隊というところで訓練や教育を受けるという話を、由美ちゃんは語ってくれた。
「……わたしも、あまり軍隊用語のことは詳しく知らないからよく分からなかったけど、わたしには『センス』とかいう高い能力があるんですって」
それは盗み聞きした時に、あの軍人さんも言っていたことだった。
「わたしに、そんなすごい能力があるのかなぁ。……まだ、信じられない」
うつむいて、由美ちゃんは考え込む。
夕暮れに、セミの声や車の音が響いていた。
僕はそんな由美ちゃんの様子を見て、たまらなくなっていた。
不安なのは、僕だけじゃない。由美ちゃんは、とても不安なんだ。
自分にわけの分からないものが秘められていて、そのおかげで、軍隊に徴兵されようとしている。
未知の力と未知の世界。
一つだけでも不安なのに、二つもあるとなると。
由美ちゃんは大きな不安に押しつぶされようとしている。
助けてあげなきゃ。
今、由美ちゃんを救えるのは、僕だけなんだ。
そう思った次の瞬間。
「あるよ。絶対にあるよ! 僕がいつも見ていた由美ちゃんには、そういうものが必ずあるよ!」
僕はそう叫んでいた。
「浩平君……!」
由美ちゃんは僕の言葉にはじかれ、顔を上げ僕の方を見つめる。
彼女の足が止まった。
僕も足を止める。
「適性試験でも由美ちゃんの能力があるという結果が出たじゃないか! 由美ちゃんは、もっと自分に自信を持っていいんだ! だから、不安がらずに自分の道を進めばいいじゃないか!」
一気に僕はまくしたてた。
再び、セミの声や街の音が浮かび上がる。
いつの間にか握りこぶしに力が入り、汗が滲み出ているのに気がついた。
「……浩平君」
由美ちゃんは、再びそうつぶやいた。
その声色は先ほどの力が無いつぶやきでなく、決意のこもったつぶやきだった。
「ありがとう。わたし、軍隊に入る事に決めた」
「由美ちゃん……」
僕はその言葉にほっとした。
「わたしに何ができるのか、わたしは何が適しているのか、自分で見極めてみる。そして、この地球を守るための力に少しでもなれるよう、頑張ってみるから」
「うん、頑張ってね。由美ちゃん。僕も、高校を卒業したら軍隊に入るよ。そして由美ちゃんの力になるから」
僕は笑顔を向ける。
その言葉に、偽りは無かった。
由美ちゃんの力になりたい。由美ちゃんを助けたい。
ただただ、それだけが願いだった。
「ありがとう、浩平君。早く軍隊に入ってきてね。わたし、待ってるから」
由美ちゃんもいつもの笑顔を取り戻し、そう約束してくれた。
そして僕らは、初めて手をつないで歩いた。
星が見え始めた暗闇の下で、僕ら二人は他愛も無い会話を交わしながら、歩き続ける。
手をつなぎながら。
僕は、今まで感じたことの無いどきどきと、浮き立つ気持ちを感じていた。
でも、不安も少しだけあった。
この通いなれた道も、二人で帰るのは最後かもしれない。
そういう気がした。
歩み進んで、もう戻れない。
そんな、帰り道。
しばらく歩いていくうちに、それそれの家への道に続く分かれ道の前に来た。
僕らは立ち止まる。
「ここで、お別れだね」
由美ちゃんは寂しそうにつぶやく。
「うん」
僕も寂しさを隠さず、一つ首を振る。
「浩平ちゃん、今日はありがとう。浩平ちゃんのおかげで、わたし、頑張ろうと思った」
「うん、そう言ってくれて、僕も嬉しいよ。……頑張ってね、由美ちゃん」
由美ちゃんは僕の言葉に、笑顔でうなずいた。
僕はその顔を見て、その声を聞いて、とても心が暖かくなった。
「さ、帰らなきゃ」
その言葉で僕らをつないでいた手がほどかれ、向き合う。
目の前に、由美ちゃんの顔があった。
鼓動が高まる。
このシチュエーションは……。
その誘惑に、僕は誘われるがままにした。
「由美ちゃん」
「何?」
由美ちゃんの顔も赤い。
彼女の鼓動が聞こえてくるようだ。
「由美ちゃんが軍隊で自信がもてるように、おまじないをかけてあげる。……目をつぶって」
その言葉に、僕のすることを感じ取ったのだろう。少し恥ずかしそうな顔をしたけど、少しして、
「うん」
小さくうなずき、まぶたを閉じる。
僕もすぐに目を閉じ、唇を締める。
そして、ゆっくりと顔を近づけて……。
お互いの唇が、触れた。
初めてのことだった。
僕はすぐに唇を離し、まぶたを開いた。
僕の顔に、暑さのためだけじゃない熱がこもっていた。
由美ちゃんの顔も真っ赤だった。
「おまじない、ありがとう……」
それだけ言って、由美ちゃんはくるりと自分の道のほうへ体を向けた。
それから振り向いて、
「じゃ、これで帰るから。……浩平君、今日は色々とありがとう」
嬉しそうな笑顔でそう言い残し、前を向くと駆けだしていく。
「由美ちゃん、頑張ってねー!」
僕は大きく手を振りながら、その背中にエールを送る。
彼女は自分の家への道を走っていき、やがて曲がり角で消えていった。
僕は長い間、手を振り続けていた。
そして翌日から、由美ちゃんの訓練は始まった。
2
翌日の朝のホームルーム。
高橋先生は壇上に立つと、こう告げた。
「皆が知っているように、今日から星野さんは航宙自衛隊に徴兵されて、その訓練期間のために、学校にはしばらく来なくなります」
僕は由美ちゃんの席を見た。
クラスメイトで埋められた席の中にぽつんと、誰もいない椅子と机が浮かび上がっていた。
先生の柔らかな話し声は続く。
「航宙自衛隊には、特別学生訓練制度という教育制度があって、これは能力を持った特別な学生が受けられる制度です。
この制度は航宙自衛隊と文部科学省や各学校が提携を組むことで、学校の単位を訓練で代替できるようになっています。ですので星野さんは学校に来なくても、高校の単位を修得できると言うわけです」
「へぇ〜」
「俺も選ばれたら良かったのな〜」
「星野さん、いいな〜」
クラスメイトからそんな声が漏れる。
僕だって、少しうらやましく思えた。
でも、あの盗み聞きした会話から思うに、由美ちゃんはそんな事は思ってられないかもしれない。
「星野さんはこれから三ヶ月の基本訓練期間を経て、本人の希望と各部隊への適性を考慮してどこの部隊に配属されるかが決定され、その部隊でさらに三ヶ月以上の専門訓練を経た上で、正式に軍人として採用されます」
ん、待てよ?
僕は首をひねった。
由美ちゃんは訓練が終わったら、どこかの部隊に行くんだよね?
それって、由美ちゃんは遠くへ行ってしまう可能性もあるってこと!?
僕の背筋に小さな震えが走り、今日はさほど暑くないのにひたいから冷たい汗が流れる。
僕のその気持ちを知らないまま、先生の話は続いていた。
「みんなも知っていると思いますが、航宙自衛隊の特務艦隊や特務飛行隊などはそれぞれ特徴があり、部隊のカラーや部隊長との相性も重要視されます。
星野さんがどこの部隊と相性がいいのかはまだ分かりませんが、相性が良い部隊だと、その能力を十分以上に引き出すことができるようになるでしょう。
わたしもそうなるように祈っています」
……え、それってどういうこと?
そう言えば、あの渡辺三佐という人も、しきりに相性を気にしていたようだけど……?
ふと周りを見ると、クラスの男子達はなんとなしにニヤニヤした表情をしているし、女子達はどことなくうらやましい、という表情をしている。
なんでだろう?
「星野さんはわたし達の代表として、徴兵されました。クラスの皆も、星野さんが立派な特務士官になれるよう、応援しましょう」
高橋先生はその言葉を締めとして、由美ちゃんの話題を終え、普通の連絡事項の話に切り替えた。
それでも僕の頭の中は、由美ちゃんのことで頭がいっぱいだった。
*
それから由美ちゃんのいない日々がしばらく続いた。
由美ちゃんの席の空白にも、次第に慣れっこになっていった。
僕にとって由美が徴兵されたことは不安はあったけど、基本的には誇らしいと信じていた。
クラスから選ばれたエリート戦士。
それだけでも誇らしいのに、しかもそれが自分の幼馴染なら、なおさらうれしいじゃないか。
僕は自分の遠いところにある戦争が、とても身近なことに感じられるようになった。
好意的な意味で。
そう思えてしょうがなかった。
彼女が変わり始めた、その時まで。
3
暑さもやわらぎ始めた、十月が始まってすぐのある日のこと。
僕はいつものように教室に入ると、いつものように席に着いた。
教室は相変わらず騒がしく、でも由美ちゃんの席は相変わらず空白のままだった。
あの日の前は、いつも一緒に登校して、同じタイミングで席に着いた。
僕や女友達と話す由美ちゃんの姿が、その席にはあった。
三つ編みの両おさげで、いつも他の子にまぎれてしまうような格好の彼女だったけど、僕にとっては太陽のような存在だった。
でも、その彼女も今は軍隊で頑張っている。世界の未来のために。
だから僕も頑張らなきゃ。
そう思うと、僕はかばんを机の上に置いた。
僕がかばんから教科書などを取り出し、今日の授業について予習をするためにノートを開き、勉強していた。
しばらくたって、教室がとつぜんざわめき始めた。
そのざわめきの中に、僕はその言葉を久しぶりに聞いた。
「……星野さん!?」
僕がざわめきの方へと首を向けると、
由美が、そこに、立っていた。
「……由美ちゃん!!」
僕は思わず立ち上がると、その場で叫んだ。
由美が久しぶりに登校してきたのだ。
「……浩平君、久しぶり」
変わらぬ笑顔ではにかみながら挨拶する由美ちゃんは、由美ちゃんだった。
でも、僕は自分の席に歩いてくる由美ちゃんを見て、息を呑んだ。
彼女は左右のおさげを解き、セミロングの髪型へと変わっていた。
それだけでも、大きく印象が変わっている。
美しく流れる髪。
かわいいから、綺麗へと。
彼女は大人の階段を一歩上った雰囲気を漂わせていた。
よく見ると、唇にはっきりと赤いものを引いている。
今までの由美ちゃんからは、想像もできない行為だった。
彼女は学校の制服ではなく、肩の張った紺の女性用スーツを着ていた。
これが、航宙自衛隊の制服なのだろう。
どことなく、体も一回り大きくなったような気もする。
彼女は机に自分のかばんを置き、僕のほうに顔を向いて、
「浩平君、元気だった?」
右腕のひじをしっかりと曲げ、敬礼してウィンクする。
その声は以前と比べ物にならないくらい明るい声だった。
見事なまでに綺麗な敬礼と明るい声に僕は気後れしながらも、
「う、うん、元気だったよ。由美ちゃん」
そう返事を返した。
そのときの表情は、ぎこちないと自分でも自覚していた。
僕はそれでも、
「ねぇ、軍隊の……」
と続けようとしたけど、できなかった。
なぜなら次の瞬間、彼女の周りにクラスメイトがどっとなだれ込んできたのだ。
あっという間に彼女の姿が見えなくなる。
「ねぇ星野さん、軍隊生活はどうなの!?」
「星野さんは今どんな訓練を受けているの!?」
「彼氏とかできた!?」
最後の方に軍隊とは関係ない質問が聞こえたような気もしていたけど、それはともかく、
「ちょっと待ってください。皆、少し落ち着いて」
人並みの中から由美ちゃんの声が聞こえてくる。
「詳しいことは、HRで話しますので。それで足りなかったら、昼休みにでも質問してください」
その声は明るくはきはきとした声で、あの物静かで地味な以前のそれとは、大違いだった。
その明るさにどことなく自信と重みも感じられる。
これが由美が軍隊の訓練を受けた成果なのかな。
僕はそう思いながら、ぼんやりと人の輪の方を見ているのだった。
HRで由美は壇上に立ち、自分の訓練の様子を語ってくれた。
「航宙自衛隊は広大な宇宙や惑星上の陸海空など、様々な場所を戦場とするため、それに見合った激しい訓練を毎日行ないます。
「ある日は宇宙飛行士として。その次の日は陸上の兵士として。その翌日は戦闘機のパイロットとして、そのあくる日は艦艇の乗組員だったりと、かなりハードなんです」
相変わらず明るくそれでいて落ち着いた声で由美は語る。
色々忙しいんだな。彼女も。
「場合によっては、遠隔操作システムを用いて実戦を経験することもあります」
実戦、か。
「そのときは特務部隊の方々が援護してくれますし、戦闘といっても超光速通信を用いた遠隔操作で兵器をリモートコントロールして戦いますので、実際に死ぬことはありません。
ですので、戦闘はかなり楽だとはいえます。でもちょっと気を抜くと、教官にひどく怒られますけど……」
そう言いながら、由美は恥ずかしそうに舌をペロッと出す。
実際、そういう経験があるんだろうな。
「でも、その実戦の後には楽しみもあります。
その戦闘に参加してくださった特務部隊の指揮官や部下の方々と、歓談できたり食事を共にいただけるんです。
特務部隊の皆様、特に指揮官の方はとても良い方ばかりでして、訓練や勉強などに関するあれこれの相談に乗ってくれたりするんです。
また作戦時に特務部隊の方と一緒になると、寮の門限の時間はかなりゆるめになりますし、時には特務部隊への外泊許可《・・・・・・・・・・》も出ますので、厳しい航宙自衛隊の生活において特務部隊との作戦は、かなり楽しみですね」
教室の面々に、由美は心の底からの笑顔を見せる。
その口調はとても楽しそうなものに感じられた。
どことなく、自分の恋愛を語っているような口ぶりにも思えて、なんとなくだけど、気に食わない。
そうなんだ。
そういう時は、自由に遊べることがあるから、由美も楽しいんだ。ふーん。
……待てよ。
今なんて言った?
『特務部隊への外泊許可』?
外泊ならどこか旅行に行くとかそういうものだと思うけど、なんでわざわざ特務部隊に泊まる必要があるんだ?
今までの話を思い返してみる。
『特務部隊の指揮官や部下と歓談や食事をする』
『特務部隊の指揮官はとても良い方』
『訓練や勉強などに関するあれこれの相談に乗ってくれたりする』
『寮の門限がかなりゆるめになる』
……。
…………。
………………!
これって、まるで由美が特務部隊の指揮官と、デートしているみたいじゃないか!?
それに気がついた次の瞬間、僕は暗澹たる気持ちとなった。
僕の幼馴染である由美が、他の男とデートをしている。
嘘だ。そんなの嘘だ! 信じたくない!
でも……。
目の前で話を続ける由美の姿は、とても魅力的だった。
さなぎから蝶になったような美しさを持つ由美を、誰もが黙って見ているはずはないんだ。
それだけは認められる。
僕だって男だ。
だけど、あの日キスをした彼女が、別の男と……。
それ以降、僕は由美の話をまったく聞いていなかったし、彼女と言葉を交わすこともなかった。
*
さらにその一ヵ月以上経った後の、寒さが深まってきた十一月下旬のある日。
星野がまた登校してきた。
紺の軍服姿は変わりは無いけど、髪がさらに伸び、それに軽くパーマをかけていた。
化粧も前よりずっと上手になり、大人びて色っぽさも出ていた。
体つきは訓練で鍛えられたのか、さらにたくましくなり、出るところは出て、締まるところは引き締まり、一ヶ月前はややぶかぶかだった軍服もぴったりとしていた。
学校にやってきた彼女を、僕は意識的に避けていた。
口を聞こうともしなかった。
星野の方も、こちらの方をちらっ、ちらっと見て何か言いたそうな目をしていたが、彼女なりのプライドか何かあるのか、教室では一言も口を交わさなかった。
授業が終わると僕は、かばんの中に教科書やらノートやらを急いで押し込め、時間に追われるウサギのように教室を飛び出そうとした。
そのときだった。
椅子と机が激しく動く音がした。
「浩平君」
そう呼ばれ、僕は思わず振り返った。
彼女だ。
その声にまちがいない。星野のものだった。
彼女は自分の席から立ち上がり、僕のほうを見つめている。
「浩平君、良かったら一緒に帰っていただけませんか?」
その柔らかく丁寧な口調は、実質的には僕に対する命令だった。
訓練兵であっても、戦時下の今、一般人にとっての軍人は、軍隊における兵士と将校の関係に近い。
少なくともこういう公共の場においては尊敬し、言うことを出来るだけ聞くものだと、先生達の多くは教えている。
教室にいる皆も、僕ら二人に視線を集中させている。
それだけじゃない。
彼女の言葉というか、「声」そのものに、抵抗できない何かがあった。
なんなんだろう、これは?
そう思いながら、僕はうなずかざるを得なかった。
僕らはいくつかの言葉を交わした以外はずっと無言で歩き、僕の家へとやってきた。
玄関に入った僕らの姿を見て母は、
「おかえり。……由美ちゃん!?」
そう言ったまま、開いた口がふさがらなくなった。
だってそうだ。
久しぶりに見た近所の娘が、立派な軍人になっていたのだ。
誰だって驚く。
星野の姿に驚いた母だったが、すぐに、
「由美ちゃん、さぁ、おあがりになってください。お茶でもいります?」
と訊ねてきた。
普段の母からは信じられないほどの神妙さだ。
僕の両親は、航宙自衛隊に関して言えば好意的に見ているのだ。
星野はそんな母に、
「いいえ、お茶はいりません。すぐ用事を済ませますので。……お邪魔いたします」
そう冷静な口調で言うと、革靴を丁寧に脱いで上がり靴を綺麗に揃える。
こういうことをするのは、やはり大人の礼儀なんだな。
僕はそう思いながら、自分の靴を脱いだ。
二階に上がり僕の部屋に入ると、星野は大きくあたりを見渡しつぶやいた。
「……あの頃と、変わっていないね」
その声は、さっきのあの大人びた口調とはまったく違っていた。
僕は覚えている。
徴兵される前の、あの大人しくて地味な彼女の声だ。
「……」
僕は静かにドアを閉じた。
僕の部屋は8畳くらいの大きさで、南と東に大きな窓がはめ込まれている。
東側の窓は本棚で埋まり、南側の窓に沿ってベッドが置かれ、枕は東向きだった。
由美は僕の白いシーツと布団で包まれたベッドのそばまで歩き、そして振り返る。
「浩平君に、相談したいことがあるの」
彼女の顔は、さっきまで見せていた精悍な大人の顔つきとは違う、悩みを抱えた少女のそれだった。
もしかして。
「もしかして、軍隊を辞めたいとか?」
僕は由美の言葉で、淡い希望を持った。
由美が軍隊を辞めて、僕の元に戻ってくれるんじゃないかという、淡い希望。
「ううん」
だが、その希望はすぐに打ち砕かれた。
「違うの。わたしには行きたい部隊があるの」
そう言うと星野はベッドに腰を下ろし、手にしていた鞄からいくつか書類を取り出す。
行きたい部隊、か。
僕がショックを受ける間もなく、星野は分厚い書類ファイルを僕の目の前に差し出す。
「これ、読んで。極秘書類だから、他の人に教えちゃ駄目なの。たとえお母さんでも」
「……これって」
「特務部隊の各部隊の特色やこれまで行なった任務・作戦、各部隊の隊長や隊員の評価などの資料。
カジュアル系やシリアス系の軍事雑誌には載っていない情報もたくさんあるの。……これを見つからないように持ち出すのは、大変だったんだから」
「……なんで、僕にこれを」
資料に目を通す。
男や女の顔写真。これが隊長や隊員なんだろう。
どれも、星野に劣らず美男美女だった。
他にも、様々な情報が載っていた。
その欄や項目名などには、保有『ワールド』や『センス』『ジョブ』、「リンクタイプ」には『ピアツーピア』『サーバ=クライアント』といった文字が並んでいた。
これが、あの時自衛隊の人が言っていた言葉だったんだ。
「……わたし、迷ってるの」
そう切り出した由美の目は、言葉どおりの色を見せていた。
「自衛隊ではこの時期になると、どこの部隊に行くかという進路希望を出さなきゃならないんだけど、わたし、一応行きたいな、というところはあるの」
そう切り出して挙げたのは、この「死者無き戦争」に無知な僕でも知っている特務部隊の名前だった。
この戦争がまだ一般人に知られる前から、テスト部隊として活動し、多大な戦果を今まで挙げてきた部隊だ。
「でもこの特務部隊って今は隊員を募集していないし、隊員を募集していた頃にしても、かなり人気の部隊だし、入隊するにはとても厳しい試練をクリアしなければならなかったの」
「じゃあ、なんでそんな部隊に入りたいんだよ?」
僕は星野に訊ねた。答えは、聞きたくなかったけど。
「……わたしの好きな人が、その部隊の隊長だから」
「……」
星野は、顔をやや下に下ろしながら語り始めた。
「……浩平君は、こんな事聞きたくなかったと思うけど」
そうつぶやいた彼女の姿は、申し訳ない、という色だった。
「最初の実戦で、ミスをしたわたしを助けてくれたのがその部隊の隊長《あの方》だったの。そのあと教官に叱られたわたしをかばってくれましたし、お食事にも誘っていただきました。
……一目ぼれ、だったの」
一目ぼれ、か。
「あの方も、わたしのことを気に入ってくれて、すぐにお付き合いは始まったの。でも大きな問題があって、それがさっき言ったこと」
「……」
「自分にそれがクリアできるのか、そもそもあの部隊の方々がわたしが入隊してくれることを受け入れてくれるのかどうか、それすらも分からなかった」
話を聞きながら、僕の中にはどす黒いマグマがこみ上げてきた。
だけど彼女の声が、それを強制的に静める。
何故だろう。
教室にいるときも、この声に逆らえなかった。
「だから、あきらめて他の部隊を希望するかどうか、迷った。でもあの人と一緒になりたかった。わたしはどうすればいいか、分からなくなってきたの……」
逆に星野の中に、何かがこみ上げてきたようだ。
ここからはよく見えないけど、目の端に光るものが見えた気がした。
「……こんな気持ち、あの方にも、教官にも、部隊の皆にさえも、話せなかった! 誰にも言えるはずなかった!
でも、浩平君なら解ってくれる気がした! だから、だから軍機違反をしてまでもこうやって資料を持ち出して、浩平君に相談しようと思った!」
顔を上げた彼女の頬の左右を、それぞれひと筋の光が流れていた。
「ごめん! ごめんね! こんなこと浩平君に相談するんじゃなかった! あなたに面倒を押し付けるんじゃなかった!」
顔を両手で覆い、彼女は大きな声で泣きはじめた。
その言葉で、僕は由美ちゃんの気持ちを始めて理解した。
由美ちゃんは、由美ちゃんのままだったんだ。
軍人として成長し、姿形は変わっても、由美ちゃんの本当の心はあの帰り道で軍人として生きていくかどうか迷い、僕に相談したあの時のままなんだ……。
でも、それは「彼」と一緒になりたいからだろう?
そういう思いもよぎる。
思いをめぐらす。
右手を握り、力を込める。
そして、悟った。
僕は、無力だ。
でも僕は、これからある嘘を告げるだろう。
その嘘で、由美ちゃんは自分の道を進むと思う。
それで由美ちゃんは僕から完全に離れ、誰かの元に行くのだろう。
しかし、由美ちゃんが幸せになれるのなら。
由美ちゃんが、後悔しないというのなら。
僕は、それでいい。
無力には無力なりの、できることがある。
「由美ちゃん」
「……」
由美ちゃんは僕の強い呼びかけに手を下ろし、顔を上げる。
頬のすじはさらに太くなっていた。
「由美ちゃんが自衛隊にスカウトされた日の帰り道、覚えているよね?」
「……うん」
「僕は確かこう言った。『由美ちゃんはもっと自分に自信を持っていい。だから不安がらずに自分の道を進めばいい』、と。
もう一度、僕はその言葉を贈りたいと思う。
由美ちゃんが自分自身を信じ、自分が思う道を進んだなら、きっといい結果がやってくる。
もしうまく行かなくても、自分の思うとおりに進んだのだから、自分の選択は正しかった。そう思って、新しいことを始めればいいんだよ。
とにかく、やらずに後悔するよりやってから後悔する。その方が由美ちゃんにとっていいことだと思う。
だから由美ちゃんは、自分の思う道を進んでほしい。
それが、僕の願いだよ」
しばらく、部屋は音のない世界に包まれた。
そして、
「浩平君、ありがとう……」
由美ちゃんは、腹の奥からその言葉を弱弱しく押し出した。
それが由美ちゃんの、心からの感謝だった。
「わたし、自分の思う道を進んでみる。あの人の部隊を志望してみる」
「そう、よかった……。由美ちゃんがそう思うなら……」
「ありがとう、浩平君」
由美ちゃんは立ち上がった。
彼女の表情は、あの精悍な軍人の、そして艶やかな女性のそれ、だった。
「今日だけは、ずっとそばにいてあげます……」
その言葉を聞いたとたん、僕は突然いい気分になってしまった。
顔が急に熱くなり、股間のものが膨らむ。
なんか、気分が、変だ……。これ、って……。
僕はなぜか、あの盗み聞きを思い出していた。
そうだ。
これは『センス』だ。由美ちゃんの持っている能力だ。
「浩平君……」
この『声』が、僕の心を気持ちよくさせているのだ。
波が押し寄せてくる。今は、この波に身をゆだねよう。
由美ちゃんも、それを望んでいるから。
僕がそう理解する間もなく、上着を脱いだ由美ちゃんは僕に近寄り、唇を重ねた。
あの日のキスと違う、濃厚なキス。
僕が手にしていたファイルが、激しい音をたてて落ちた。
4
二学期の終業式、由美ちゃんが転校すると発表された。
訓練期間を終えた彼女は実戦部隊に配属されるため、専門の学校に行くことになったのだ。
「由美ちゃん、その姿は……」
終業式の朝、最後の日をすごすために現れた由美ちゃんの姿は、白一色だった。
その姿は僕にとって、ウエディングドレスのようにまぶしく見えた。
「うん、第一種軍装。航宙自衛隊士官の正装よ」
「士官だって!?」
「ええ、教育部隊の教育訓練の結果が優秀だったので、正規士官扱いになったんです。一番下の三尉ですけど」
真新しい白にピンポイントの飾りで彩られ、右腕に白と黒の帽子を抱えた由美の周りには、クラスメイトだけでなく他のクラスの生徒まで野次馬に駆けつけていた。
彼らは、結婚する花嫁を一目見ようとする来客のそれだった。
僕は会話を終えると、遠くから笑顔を絶やさぬ由美ちゃんの姿を眺めるだけだった。
終業式。体育館に全校生徒が集められた。
校長先生は、挨拶の中で転校する由美ちゃんに触れた。
この学校から士官が輩出でき、真にめでたいということ。
彼女も、希望の部隊に入隊することが決まり、本人も喜んでいるということ。
彼女のこれからの活躍と地球の平和を祈っている。
そんな話だった。
そして、壇上に第一種軍装の由美ちゃんが上がった途端、体育館内が一斉にどよめいた。
やはり自分の目で士官の姿を見るというのは、高校生にとってはインパクトがある。
由美ちゃんは軍服のポケットから紙を取り出すと、それを綺麗に広げて話し始めた。
「皆さん、ご紹介にあずかりました、航宙自衛隊三尉の星野由美です。
小官は9月に航宙自衛隊特務教育部隊に徴兵され、今まで厳しい訓練を受けておりましたが、昨日前期教育課程を終え、成績優秀により三尉を拝命いたしました。
また、小官が希望する職域に配置することも決まり、この上ない限りの喜びと軍務を全うする責任感を強く感じております。
小官はこの終業式後、直ちに職域に向かいます。この一年と9ヶ月の間、我が校の生徒であったことを誇りとしながら、この戦争を戦い抜くことを誓って、別れの言葉とさせていただきます。
ご指導してくださった先生の皆様方、一緒に楽しい時間をすごしたクラスメイトの皆様、そして学校の先輩、同輩、後輩方、本当にありがとうございました。
航宙自衛隊三尉 星野 由美」
由美ちゃんが深々と一礼すると同時に、体育館内は割れんばかりの拍手に包まれた。
僕も拍手し続けた。
でも、それは皆がそうしているからに過ぎなかった。
最後のHRの後、実働部隊に移動する由美ちゃんを見送るため、全校生徒が玄関前から正門前まで左右に列を作った。
由美ちゃんを警護するため、航宙自衛隊の警務科や警察の機動隊も配備され、学校はものものしい雰囲気に包まれた。
僕らのクラスは、由美ちゃんがいたクラスのため、正門前近くに配置された。
由美ちゃんを一番遠くまで見送るためだ。
彼女を部隊に送るための黒い高級車は、既に正門前に止まっていた。
僕らは日章旗や国連旗、航宙自衛隊旗の小旗などを持たされて、長いこと待った。
そして、由美ちゃんの姿が現れた。
隣に由美ちゃんと同じ第一種軍装を着こなした男の人を従えて。
彼こそが、由美ちゃんが第一志望にした特務部隊の隊長で、この戦争の英雄だった。
由美ちゃんは、自分の夢を叶えたのだ。
吹奏楽部が奏でる軍艦マーチが響き渡る中、二人は周りの人に挨拶し、手を振りながらこちらに歩みを進めてくる。
由美ちゃんの姿を見た僕は、一瞬、
今、由美ちゃんを奪って行きたい。奪って、どこか遠くに一緒に逃げたい。
そんな衝動に襲われた。
でも、それは無理な相談だった。
屈強な警務科や機動隊、それに警察を振り切って、いつまでも逃げられるとは思わない。
第一、由美ちゃんはそんなことは望んでいないのだった。
二人が、僕らの前を通り過ぎてゆく。
僕は強く大きく小旗を降る。
由美ちゃんは、隣の背が高く顔立ちも精悍で、引き締まった体つきの英雄を望んだ。
そして、その夢を叶えたのだ。
僕の言葉に押されて。
ならば、この期に及んで邪魔をするのは莫迦のすることだ。
僕にできること。
それは、由美ちゃんを見送り、幸せを祈り続けること。
それだけしか、ない。
男が高級車の後部ドアを開け、由美ちゃんが乗るのを手助けする。
由美ちゃんは笑顔で後部座席に乗り込んだ。
男もそれに続き、乗り込む。
ドアが重々しく閉じられ、車は力強く静かに発進した。
僕はただ小旗を振り続け、由美ちゃんの乗った車が、視界から消えていくのを見送るだけだった。
<終>
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