県道50号線

路線名:県道50号線

起点:首里山川町
終点:首里真和志町

総延長:888m
実延長:888m

通称:寒川通り(全線または起点から首里高校まで)、綾門大通り、綾門大道(首里高校前から終点まで)

復帰前:琉球政府道50号線

琉球王朝時代は首里城へ行くメインルートだった様でしたが、戦後は首里城に創立した琉球大学へのアクセス路として整備されました。現在は、主に綾門大道部分が首里城観光散策路となっています。


県道29号線観音堂入口交差点から斜めに分岐します。


2車線の坂道を登ります。途中赤マルソウ通りと呼ばれる道が分岐します。


観音堂入口交差点の名称の元になった、首里観音堂慈眼院です。千手観音が奉られています。
この場所は、首里城を中心とする丘陵の西端になり、那覇の街や港を眺望できる場所と聞いていたのですが、私の行った時は、那覇側が工事中だったので判りませんでした。
この観音堂は、地元では、航海や旅の安全を祈願する寺として、また、十二支参りと呼ばれる宗教行事で、「子」の守り本尊として信仰されています。


住宅の続く坂を上ります。


道端の、古いコンクリート製案内柱。いい味だしてます。
この赤マルソウとは、元々ここ首里にあった、味噌やしょうゆなどを作っていた会社で、現在糸満の方に移転しています。オリオンビールの母体ともなった会社でもあるそうです。


途中で入ってみたカレー屋さん。店名の由来は「pocket money」だと思うのですが、「ポケットマネー」とせず、「ポケットマーニー」と表記するあたりに、何がしかのこだわりを感じます。
自分で伝票を記入して注文するという完全セルフサービスシステムをとってます。お店お勧めのインド風チキンカレーのお味は、なんとなく懐かしく感じました。お値段は、人によってはポケットマネー程度、また、人によっては全財産の金額に値するかもしれませんが、まぁ妥当な線だと思います。


沿道にある「美連嶽」という場所です。「めづらだけ」もしくは「みんちらうたき」と呼ばれる様です。岩の前には元々拝殿があったらしいのですが、現在は礎石だけ残っているそうです。
関係ありませんが、右上の白くなっている部分は、強烈な逆光を処理せずにそのまま撮った為にできてしまったものすので、霊が写ってますよとかとメールを送ってくるのは止めてください。


二車線車道のみの道から、両側に歩道のある道に変わります。琉球王朝時代、ここから守礼門まで、綾門大道(あやじょううふみち)と呼ばれた都大路で、広々とした道の両側に寺院や王家一門の屋敷が並び、路面も舗装され、中国からの使者である冊封使も驚いたほどのすばらしい道だったそうです。なお当時この道に施されていた舗装は、石粉を基に、香粉と呼ばれる、線香の原料でタブノキの皮を粉にしたものが用いられ、「香粉道(ごーぐーみち)」とも呼ばれていたそうです。もしかしたら香りも楽しめる道だったのかもしれません。
また、この道の西端にあたる、画像の場所には、中山門と呼ばれる、守礼門と同じ形の門があり、中山門が「下の綾門」、守礼門が「上の綾門」と呼ばれていたそうです。


綾門大道の北側には、沖縄県立首里高等学校があります。
この高校、沿革を見てみると、歴史は1798年、当時の琉球王が創立した国学の公学校所から始まっており、その琉球王府立から琉球処分を経て沖縄県立となり戦争を向かえ、戦後諸事情により糸満高校の分校として再出発し、那覇連合教育委員会立→琉球政府立→沖縄県立と、歴史に翻弄されてきた学校という事がわかります。


特徴的な門を持つ、大平山安国禅寺。臨済宗の寺院で本尊は不動明王です。創建は1455年頃とされ、首里では一番古いお寺だそうです。
門の上には鐘が、両側には仁王像が建っています。


いい感じの散髪屋さん。


琉球王朝第二尚氏の陵墓、玉陵です。


県道50号線には、起点と終点にしか信号がありません。この信号の交差点で、県道49号線と合流して、県道50号線は終わります。綾門大道はこのまま続き、直進すると守礼門に至ります。



home